掌中の珠のように

花影

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愛玩8

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 義総の寝室に続く廊下に立ち、綾乃はいつになく落ち着かない様子でその先の扉を見ていた。
「綾乃さん? どうされたのですか?」
 声をかけられて振り向くと、いつものようにきっちりとスーツを着こなした青柳が立っていた。
「お部屋に籠られてからもう丸5日経っています。今日はお出かけになると伺っているのですが、本当に出かけられるのか……」
 心配げな彼女に青柳は苦笑するしかない。綾乃は義総が子供の頃から世話係を務めていた。この人にかかっては、義総はいつまでも子供なのだろうか?
「先程、お車のお支度を命ぜられました。ご心配には及ばないかと……」
 モデル並みの容姿をした義総の陰に隠れがちだが、青柳も180センチ近い身長に整った顔立ちをしている。縁なしの眼鏡が生真面目そうな印象を受けるのだが、そこに魅かれる女性も多いらしい。
 そんな彼は義総よりも5歳年下の30歳。4年前から義総の秘書を務めているが、その才覚は義総でも舌を巻くほど優れている。今では義総にとってなくてはならない存在になっていた。
「私が気にしているのは沙耶様です。十分に体力も回復していらっしゃらないというのに、こんなにも長く離して頂けないとは可哀そうで……。しかも初めてだったのですよ。心細い思いをしていらっしゃると思うと気の毒で気の毒で……」
 心配する対象が異なっていた事に、自分の観察眼はまだまだだと青柳は思った。
「義総様は全く心配いりません。あの方は1週間だろうと、1ヶ月だろうと、相手の女性が例え1ダースいても問題ありません。沙耶様を気に入ってしまわれたのは仕方ないとしても限度をわきまえて下さらないと……」
 綾乃の嘆きは続く。青柳は肩を竦めるしかできなかった。
 その時、カチャリと音がして寝室の扉が開いた。シックなスーツに身を包み、髪を綺麗に整えて鞄を手にした義総が姿を現した。
「どうした、こんな所で?」
 迎えに来た青柳はともかく、いつもは玄関先で見送る綾乃もいるので少し驚いたようである。
「いえ。沙耶様は?」
「部屋で休ませている。後で食事を運んでやってくれ」
「かしこまりました」
 妙にスッキリした表情で機嫌がいい義総に言いたい事はいくらでもあるが、時間が迫っていることもあって綾乃は大人しく頭を下げた。
「行くぞ」
 義総は青柳を引き連れて階下へ降りる階段に向かう。綾乃も見送りの為にそれに続こうとしたが、義総が足を止める。
「見送りはしなくていい。沙耶を見てやれ」
 綾乃の気持ちを汲んでいるのか、それでもやはり義総も沙耶の事が気にはなるらしい。それならば最初からそうなるまでしなければいいのだが……。
「かしこまりました」
 綾乃は辛うじて溜息をこらえると、その場で義総を見送った。そして彼が階下へ姿を消すと、急いで沙耶の様子を見に部屋へ向かったのだった。



 沙耶は遮光された薄暗い部屋で1人目覚めた。義総は出かけているらしく、室内はしんと静まりかえっている。
「う……」
 体を起こそうとしたが、あちこちが軋みを上げるように痛む。沙耶は起きるのを諦め、もう一度ゆっくりと体を横たえた。寝ていれば少し楽になる。
 義総が体を清めてくれたらしく、体はさっぱりしていて僅かにボディソープの爽やかなハーブの香りが残っている。薄手の夜具をかけてくれているが、裸のまま。しかも体中に義総が残した口付けの痕が残っているので、例え体が痛まなくても恥ずかしくて部屋どころかベッドからも出るに出られない。
「私は玩具……」
 この数日間で、自分が義総の愛玩でしかないと改めて自覚させられ、涙が溢れてくる。行為の最中の記憶はうろ覚えだが、彼は一切の避妊をしていなかった。飽きてこのまま放り出され、しかも子供が出来ていたらどうしよう……そんな悪い考えばかりが脳裏をよぎる。
 沙耶は涙が止まらず、夜具を頭からかぶって啜り泣いた。
 しばらくして控えめにドアをノックするおとがすると、綾乃が朝食のお盆を持って部屋に入ってくる。
「お目覚めになられましたか……沙耶様?」
 お盆をサイドテーブルに置いた綾乃は沙耶が泣いているの気付いて驚く。
「綾乃……さん…」
 泣いていたので掠れた声しか出てこない。綾乃は慌てた様子で沙耶を優しく抱き起すと、予め用意してあった夜着を着せ掛けた。
「お加減が悪いのですか?」
 沙耶を気遣い、綾乃は優しく声をかけてくれるがどう答えていいか分からない。覚悟して義総の愛玩になったはずなのに、それが辛いとは甘えているように思えて言えなかった。
「いえ……」
 涙が止まらない沙耶を綾乃は優しく抱きしめてくれる。
「義総様が悪いのですね?」
「いいえ……」
 沙耶は首を振るが、綾乃は更にきつく抱きしめてくれる。
「私に遠慮はいりません。仰って下さいませ」
「でも、でも……」
「この状況はどう見ても義総様が沙耶様に無理をさせたとしか思えません」
 沙耶はそれでも口に出して言う事を躊躇った。
「沙耶様」
「……私は玩具だから」
 沙耶がポツリと言った言葉に綾乃は眉を顰める。
「義総様から何も伺っておられませんか?」
「あの……バンドゥルという人がサイラムの高官だという話は聞いています」
 沙耶は身震いしながら答える。
「他には?」
 沙耶が首を振ると、綾乃の眉間の皺が一層濃くなる。
「本当に困った方ですこと! お戻りになられたら私が一言申し上げましょう」
 何だか本気で綾乃は怒っているようだが、そんな事をすれば彼女が義総に叱責されると思い、沙耶は驚いて顔を上げる。
「そんな事をしたら……綾乃さんが叱られます」
「心配して下さるのですね。大丈夫ですよ、あの方は時々一般常識が分からなくなってしまわれます。それをお教えするのが私の務めでございます」
 きっぱりと言い切る綾乃の姿を沙耶は涙で濡れた瞳を見開いて見上げる。
「さあ、涙を拭いて下さいませ。何も心配はいりませんから、まずはお食事を召し上がり、体をもう少し休めましょうね」
 綾乃は沙耶の涙を拭うと、彼女が楽に体を起こしていられるように背中にクッションを当ててくれる。そして用意した朝食のお盆を膝にのせてくれる。湯気が立つお椀の中身は出汁のきいた卵粥……ここに保護されて寝込んでいた間にも幾度か食べたことがある綾乃の特製だった。
「体力を取り戻す為にも沢山召し上がって下さい。他にも欲しいものはございませんか?」
 綾乃はにっこりとほほ笑むと、沙耶に食事を勧める。沙耶は完全には不安を取り除けなかったが、彼女に勧められるままにスプーンでお粥を掬って口に運んだ。優しい味が口の中に広がり、気付けばお椀は空になっていた。
 綾乃は満足そうに頷くと、朝食のお盆を下げ、沙耶が座ったままの状態でも手早くベッドメイクを済ませた。そして散らかったままだった部屋と浴室を驚くほど手際よく片づけていく。
「後で何か甘い物でもお持ちします。まずはゆっくりとお休み下さいませ」
 片付けが終わると、汚れ物が入った籠とお盆を持って綾乃は部屋を出て行った。
 沙耶は再び1人になり、また心細くなってくる。綾乃は心配いらないと言ったが、不安は完全に拭いきれていなかった。
 何かを引っ掻くようなような音がしてドアが開き、アレクサンダーが部屋に入ってきてベッドの側に寝ころぶ。おそらく綾乃が連れてきてくれたのだろう。
「アレク……」
 沙耶が手を伸ばすと、頭を撫でてもらいたいのか、犬は体を起こして近寄ってくる。
「私ね、あなたと一緒なのよ……」
 犬を相手に愚痴っても仕方ないのだが、心にため込んでいた物を口に出せて少し気分が落ち着いてきた。不安は尽きないけれども、母を助けるためには他に選択肢が無いのだ。義総に愛想を尽かされないように自分で努力するしかない。
「どうしたら……」
 色々考えてみるものの、お腹が膨れたのと気分が落ち着いたのとで瞼がだんだん重くなってくる。昼夜なく義総に抱かれてやはり疲れていたのだろう。
 犬の頭から手を離すと、沙耶は起こしていた体をゆっくり横たえて目を閉じた。


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5日間籠ってました。

義総「それでも足りない!」
綾乃「沙耶様の体を壊すおつもりですか!?」
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