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本編
13,愛する天使に出会った日
しおりを挟む初めて出会ったあの日の衝撃を、私は生涯忘れない。
伯爵の足に抱き着いて、そわそわと体を震わせながら此方を覗く彼。初対面の私に恐怖があったのだろうが、それを凌ぐほどの子供ながらの好奇心。
ちらりと見えた彼の姿が、私の中に激震を走らせた。
「ほらクルト、前に出てご挨拶しなさい」
「…ぅ、ちち、うえ…」
催促する伯爵が、クルトの背に手を当てて軽く前に押し出す。
緊張した面持ちで振り返って伯爵を見上げるクルト。
寂しがり屋の小動物のようなその反応に、その場の全員が心を射抜かれたことだろう。
事実、伯爵はそんな我が子を見下ろして「くっ…」と自身を抑えていた。精一杯心を鬼にしたことが伝わる切羽詰まった声に、彼以外の全員が気付いていた。
厳しい表情――周囲から見れば何ら厳しくは無いが――を父から向けられた彼は、ビクッと悲しそうに眉を下げながらも此方に向き直る。
そんな彼の背後で、伯爵はオロオロと慌てたように表情を二転三転させていた。大方、冷たい父親だと誤解されることに焦りを抱いたのだろう。
一方で、父親に冷たく突き放された…と思い込んでいる彼は、悲痛な表情を浮かべながらも凛と背を伸ばして顔を上げた。
後ろ向きな表情を仕舞い込み、不格好ながらも愛らしい笑みを向けて近付いて来る。
華奢で弱々しく儚げなのに、それでも気丈に自らを凛として見せるその姿勢が、庇護欲を確実に擽ってきた。
「…っ…く、くると、あーべる、です。あーべる伯爵家の、次男、です…」
所々たどたどしく紡がれるその言葉。
だらしなく緩みそうな頬に力を入れ、何とか威厳ある表情を保った。だがその所為で余計に近寄り難い雰囲気にしてしまったかもしれない。
緩む表情筋に無理やり力を入れると、どうやら私は怒っているように見えてしまうらしい。身内や友人から何度かそう聞いた。
だがこの場面は仕方無いだろう。鼻の下を伸ばし緩々の顔を見られて幻滅されたらどうする。
男は頼り甲斐がある方が好意を寄せられ易いと聞いたことがある。ならばだらしない姿は見せられまい。
「…。…フィリエル=ザヴァルト」
「ふぃ、ふぃりえる様…よろしく、おねがい致します…っ」
「………………」
「フィリエル…!返事をしろ…!」
「ぁ……あぁ」
名を名乗って直ぐ、天使の如き朗らかな笑顔が返ってくる。
余りに純粋無垢で清らかな笑顔だった為に、思わず昇天してしまいそうになった。
魂が体から抜ける前に、慌てた様子で父が声を掛けてくれたので助かった。
しかし口から出たのは無愛想な返事のみ。
もっと気の利いたことを返せれば、彼からの好感度はこの一時で大きく跳ね上がっただろうに…惜しいことをした。
元来、緊張すれば言葉が出なくなる癖があった。表情も硬くなるが故に、誤解されることがしばしば…いや、中々の頻度であった。
その癖をよりにもよって彼の前で…誰も悟れぬ程の小ささで溜め息を吐いた。
「……………」
「……………」
どちらも名乗り終えてしまったが為に、この先何をすれば良いのか全く分からなくなってしまった。
自己紹介…か?やはり好みを聞き合うのが無難だろうか。
というより先ずは彼を座らせたい。いつまでも立たせていては疲れてしまうやもしれない。こんなにも華奢な体躯だ、少しの疲労で倒れてしまう可能性があるのでは無いか。
「……………」
だが言葉が出てこない。
「座ろう」の一言が出てこないのだ。
これはもうフォローして貰うしか無いか…とプライドを抑えて父を見上げると、何やら瞳を輝かせて頷く父上と目が合った。
小さくグッと拳を握って見せる父上。
瞳に宿った意思は何となく読める。応援するような感情がその瞳からは読み取れた。
なるほど、父に頼ることなく自ら動いてみせよということか。流石父上だ、期待に応えねば男が廃る。
「ぁ………」
「っ……」
「――…!」
応えるべく口を開こうとしたその時、突然彼の様子が変わった。
浮かんでいた愛らしい笑顔は硬くなり、僅かに冷や汗も流している。どうしたのかと問う前に、彼の体がグラリと傾いた。
全てが遅く見えた。まるで時が速さを鈍らせているかのように。
目の前に倒れ込んだ彼を、私は直前で強く抱き込んだ。
「クルト…!……っ」
あれだけ出なかった声が、驚く程軽く飛び出た。
心配で彼の顔を覗き込もうと少し屈む。屈もうとして、固まった。
抱き留めた彼の両手が、私の背に回されて強く抱き締められていたからだ。
まるで離れたくないとでも言うように。
私を逃がさないとでも言うように、強く。
「おや」
「ほう…」
「あらあら」
「まぁ…!」
私と彼の両親、互いの親が何やら興奮したように声を上げている。
かく言う私もピタリと固まった体で彼を抱き締め続けているが。
黄色い声を上げながら騒いでいる大人達を背後に、私は彼の頬に手を添えて顔を覗き込んだ。
「…っ」
火照った顔、潤んだ瞳。
年齢は一つしか離れていないと聞いていたが、それが信じられない程彼は小さい。抱き締めるとすっぽり収まってしまうくらい華奢だ。
守りたい、いや、守らなければならない。
この小さく儚げな天使は、誰かが守らなければ容易く手折られてしまうだろう。
きっとそう遠くない日に、若しくは既に、この子を狙う身の程知らずの羽虫が現れる。
「クルト…」
「…ぅあ、あ、あの…」
「クルト」
「ひぇ…っ」
怯えているのか…可哀想に…。
彼が恐怖を抱く必要など微塵も無い。これからは私が守っていくのだから。
小さな体をガクガク震わせるクルトを、私は強い決意を込めて抱き締めた。
更に震えが増した彼に眉を下げて、今度は優しく背中を撫でてあげた。収まらない震えを宥めるのは、今日から私の役目になることだろう。
「―――…うぅ…こ、こわいぃ…」
腕の中で彼が何やらブツブツと呟いているが、残念なことにそれを聞き取ることは出来なかった。
天使をこの腕に抱いている事実に薄らと微笑む。
誰にも渡さない、誰にも害させない。
このまま婚約を進めようと話し合っている両親達を背に、震える彼の柔い髪に顔を埋めて頬を緩めた。
「……クルト…」
彼は私の。
私は彼のものだ。
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