死に戻りの王子妃は今度こそ溺愛を逃さない

海辺ユジン

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 ベルナルドがリュカの部屋を訪ねてきたのは、その日の晩のことだった。

 窓辺に立って、ぼんやりと夜空を眺めていたリュカは、突然の来訪に驚いた。部屋に差す月明かりが彼の整った顔立ちを際立たせている。

「どうしたんだ、こんな時間に部屋に来るなんて」

 部屋の入口に立つ彼に尋ねてから、ひょっとして抱きに来たのだろうかと不埒なことを考えた。薬で抑えてはいるものの、期間的にはまだ発情期の最中だ。抱き合えば、この身体は簡単に疼き出すだろう。

 期待に胸が鳴るのを感じた。自分のやるべきことを思えば、当然受け入れるべきじゃない。だけど本当に迫られたら、リュカには拒む自信がなかった。

「君に紹介したい子がいるんだ」
「……は?」

 若干熱を持ち始めていた身体が瞬く間に冷えた。礼儀正しいベルナルドが、誰かのことを「子」なんて呼び方をしているのは初めて見た。それほどまでに親密な関係なのだろうか。そんな相手をどうしてリュカに紹介するのか。妻である自分が二人の関係を簡単に受け入れてくれると思っているのだとしたら、あまりに浅はかではないか。

 ワン! という鳴き声が扉の向こうからして、リュカは思わず硬直した。聞き覚えのある声に先ほどとは全く違う期待が膨れ上がる。

 リュカの落ち着かない心を感じ取ったらしいベルナルドが、小さく笑って扉を開いた。廊下に立っていたマークルの手から小さな身体が放たれる。戸惑うように部屋の中を見渡しながら、ぽてぽてとこちらに向かって歩いてきた。小さくて真っ白な身体に、くりくりとした瞳。間違いない。

(リール……っ!)

 待ちきれずに自分から駆け寄ってしまった。愛らしい子は少し驚きつつも大人しく腕の中に抱かれてくれる。顔を埋めると柔らかな毛に包まれて、涙が込み上げてしまった。

「つい先程、知人から引き取ってきたんだ。たくさん子犬が産まれて、手に負えなくなっていたらしい」

 感動の再会にしばらく浸ってから、得意気に話すベルナルドを不思議に思った。

「お前、犬は苦手じゃなかったか?」
「なっ……え、う……どうしてそれを……」

 一度目の人生でリュカの代わりにリールを育てていた経験が、今度の人生に影響した……というわけではないらしい。彼の狼狽え具合を見るからに、今も相当な苦手意識があるようだ。部屋の入口に立ったまま、けっしてこちらには近付いてこない様子からしても間違いないだろう。それなのに、どうして。

 考えずとも、もう分かっていた。彼は、リュカと愛犬を引き離してしまったと思っているのだ。寂しがる妻を少しでも元気づけたくて、苦手な犬を迎え入れる決意をした。それは間違いなく身勝手なエゴで、人間の都合でしかなくて、リュカが避けなくてはいけないと思っていた事象そのもので、だけど、彼の優しさが詰まった行動でもあった。

「心配せずとも、犬の飼い方についてきちんと知人から話を聞いてきた。苦手意識は確かにあるが、けっして嫌いなわけではない。……その、昔、犬に追いかけられたことがあって、それで少し、ほんの少しだけ、苦手なだけだ」

 まくし立てるようにそう言われて、リュカはおかしくなる。再び柔い毛に顔を埋めて、ふ、ふふ……と笑みをこぼした。くすぐったそうにリールがもがく。また顔を上げ、ベルナルドに微笑みかけた。

「それは初耳だ。使用人たちは誰もその話を知らないらしい。彼らに広まれば、殿下の可愛いエピソード集に真っ先に付け足されるだろうに」
「殿下の可愛いエピソード集……?」

 戸惑う彼に向けて、リールを放った。察しの良い犬が彼めがけて駆け抜けていく。

「うわっ! ちょ、ちょっと、待って、待ってくれ! まだ! まだ心の準備が!」
「心の準備もできていないのに犬を迎え入れたのか? 感心しないな。犬を飼うということがどういうことか、お前は全く分かってない」
「いや、そ、それは……とにかく! こ、この子を一旦抱き上げてくれないか? 頼む、頼むよ……」

 足元で尻尾を振り乱すリールを、ベルナルドは泣きそうな顔で見つめている。こんなに小さい子に怯える姿が可哀想で可愛かった。もう少し眺めていたくて敢えて無視を決め込むと、「マークル!」と従者に向けて助けを求め出した。なんだか気に入らなくて、さっさと可愛い愛犬を抱き上げる。

(俺の前で俺以外を頼るな、バカ)

 腹いせにリールとキスをする。湿った鼻が可愛くてたまらない。ちらりと彼を見やると、よほどほっとしたのか、目を瞑って深呼吸を繰り返していて、ちっともこちらを見ていなかった。また腹が立って、リールを抱いたまま彼に近付く。目を開けて即、不安気な顔をされた。

「ほら、お前の家族なんだろ? 優しく撫でてやれよ。大丈夫、この子は賢い」

 リュカの腕の中で大人しくしている姿に、少しだけ安心したらしい。恐る恐る手を伸ばして、頭の毛に触れ始める。その柔らかさに彼の口元が緩んだ。

「な? 可愛いだろ」
「あ、ああ……こうして触れる分には、平気かもしれない」
「いつかはちゃんと抱きしめてやれよ。さっきも言ったけど、お前の家族なんだから」

 強調してしまうのは、自分が飼うわけではないと自分に言い聞かせるためだった。自分はあと数年で死んでしまうのだ。可愛がれば可愛がるほど、置いていくのが辛くなる。寂しい思いをさせてしまう。再びこうして出会ってしまったけれど、根っこの気持ちはやはり揺るがない。

 ぎこちなくリールを撫でていた手が、もっと覚束無い手つきでリュカに伸ばされた。指先で頬を撫でられてどきりとする。

「……君にとっても家族だ。僕の家族は、君の家族でもあるのだから」

 優しい目はどこか寂しい目でもあった。ベルナルドは気付いているのかもしれない。リュカが一線を引こうとしていることに。家族になろうとしていないことに。あと数年で妻が死んでしまうだなんて知らない彼は、ただリュカが心を開いてくれていないと、そんな風に思っているのかもしれない。

(俺だって……俺だって、お前たちと家族になりたいよ。ずっと一緒にいたいよ)
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