馬に蹴られても死んでなんてやらない【年下αの魔性のΩ略奪計画】

水沢緋衣名

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第九章

第二話

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「…………もう無理です。辛い…………私もうやめたい…………」
 
 
 事務所のソファーに身体を預け、綾乃ちゃんが嘆く。
 操さんがお休みを取り早一週間、嘉生館の従業員は疲労困憊していた。
 大女将はとてもきっちり仕事をこなすが、その分お小言が多い。そして何より口がキツイのだ。
 
 
「綾乃ちゃん、もう少しだけ頑張って………!!あと少しで操さん、きっと帰ってくるから………!!ね!!」
 
 
 林さんは愚図る綾乃ちゃんを励まし、頭を優しく撫でる。
 けれど綾乃ちゃんは溜め息を吐き、思いつめた様な表情を浮かべた。
 
 
「でも………あの地上げ屋連中の嫌がらせが酷い状態で………操さんに嘉生館に戻って来てほしくないんですよね………」
 
 
 操さんが居ない嘉生館に、もう既に二回も地上げ屋の二人は顔を出した。
 そしてその夜になると、嘉生館の門に嫌がらせをするのだ。
 最近は門への嫌がらせだけではなく、でっち上げられた嘉生館の悪評を流される事も屡々。
 過去の操さんの仕事の写真が、事務所に送りつけられてきたのも記憶に新しい。
 嫌がらせのバリエーションも段々と増えていっている気がする。
 
 
「………それは、私も同感だわ…………」
 
 
 林さんはそう言いながら、深く溜め息を吐く、
 操さんのいない最近の嘉生館の事務所は、まるで葬式の様になっていた。
 
 
「私、操さんに逢いたい…………」
 
 
 綾乃ちゃんの嘆きに対して、林さんも横さんも相槌を打つ。
 けれど俺はそれを聞きながら、こう感じていた。
 
 
 俺の方が操さんに逢いたい………。ていうか、倒れて以来逢ってない…………。
 
 
 一週間も操さんの姿を見ていないなんて、今までじゃあり得なかったと思う。
 更に言えば佐京と侑京の姿さえ見ていない。
 大女将に問いかけてみた所、佐京と侑京は避難のつもりで嘉生館に呼んでないそうだ。
 確かにあの地上げ屋がうろついている最中に、あの二人に来ては欲しくない。
 操さんのみならず、佐京と侑京の存在の大きさを、俺は今とても噛み締めている。
 どうやったら状況を打破できるのかなんて、相も変わらずに解らない儘だ。
 
 
 壁掛けの時計を見上げると、早番の俺の終業時間を過ぎていた。
 操さんのいない嘉生館の一日の勤務は、驚くほどに長い時間に感じられる。
 
 
「お疲れ様です。上がります…………」
 
 
 事務所から出て社員寮に向かい、作業着から着替えて外に出る。
 大女将の小言に対する耐性は、俺には大分あるけれど、操さんが居ない事でストレスが山積みだ。
 今日は気分転換に町に繰り出そうと、外に出る支度をし始めた。
 ふとカレンダーを見れば、クリスマス迄あと10日を切っている。
 別にデートをする予定はないけれど、操さんの顔が見れたらいいと思っていた。
 
 
 外に出てぶらぶら商店街を闊歩していると、ありとあらゆるお店にシャッターが閉まり、休業のお知らせが並んでいる。
 閉店の所もあれば、辛うじて長期休業の所もある。
 このままじゃこの町自体が死んでしまってもおかしくない。けれど、それが奴等の狙いなんだろう。
 町さえ殺してしまえば、見せられた企画書に書いてあった様な、大きなテーマパークは作れる。
 無力さを噛み締めた俺は街に出た事さえも後悔する。こんな寂しい景色が見たくて、部屋を出た訳では無い。
 
 
「……………辛すぎんだろ、こんなの…………」
 
 
 思わず独り言を呟いて、嘉生館に向かってトンボ帰りを始める。
 海の一望出来る道を通り、ぼんやりと黄昏ていた。その瞬間俺の携帯電話が、けたたましく鳴り響く。
 俺の携帯に電話を掛けてくる人間なんて、早々滅多にいない。
 この間かかって来た電話は間違い電話だった。
 うんざりした気持ちで携帯を取り出し、着信の主を確認する。
 すると其処には『穂波操』の文字が浮かび上がった。
 俺は慌てて通話ボタンを押して、携帯を耳に近付けた。
 
 
「もしもし!?!?操さん!?!?お元気ですか!?!?」
 
 
 俺が慌てて携帯に向かって叫ぶと、電話の向こうから鈴を転がした様な笑い声が響いた。
 正真正銘の、俺の好きな操さんの声だ。
 
 
『やだぁ………虎ちゃん大袈裟。元気だよぉ、大丈夫……!!
この間の事もあったし、電話掛けちゃった。この間はごめんねぇ………!!!』
 
 
 一週間ぶりに聞いた操さんの声に、思わず泣き出しそうになる。
 声を聞いただけで愛しくなって、今すぐにでも逢いたいと思う。
 明るい声をしているけれど、無理して笑ってはいないだろうかと心から心配になる。
 
 
「良かった………!!」
『なるべく頑張って早く復帰したいんだけどさ、大女将が何だかとても五月蝿くってぇ………』
 
 
 嫌がらせが悪化している事を、大女将は操さんに話していないんだと気付く。
 これを伝えていない事は、あの人なりの思いやりなんだと思う。
 操さんの言う通り大女将は不器用な人だ。けれど、とても優しい人だ。
 
 
「…………ゆっくりで大丈夫ですよ!!俺達頑張って嘉生館、守っておきますから………!!」
 
 
 俺は綺麗な言葉を紡いで、操さんに投げかける。
 嫌がらせが酷い状態になっている事を、操さんに知らせる訳にはいかない。
 
 
『有難う虎ちゃん………』
 
 
 操さんからの電話を切り、嘉生館に向かって歩き出す。
 ほんの少しだけでも声が聞けて良かったと思う反面、逢いたい気持ちに拍車が掛かる。
 声を聞いたら逢いたい。抱きしめて肌に触れてキスをしたい。
 逢いたくて逢いたくて逢いたくて仕方ないと、心から思う。
 
 
「ああ、滅茶苦茶好きだなぁ…………」
 
 
 思わず声に出して感情を吐き出す。愛しさに潰されてしまいそうだと、遠くの海を見つめて思った。
 
 
***
 
 
 嘉生館に戻り厨房の前を通りがかると、何やら声が聞こえる。
 また林さんたちが井戸端会議をしているんだろうなと、ぼんやり思っていた。
 
 
「………俺は、誠さんのいた時代に戻りてぇよ………」
 
 
 板さんがそう言ったのを聞いた俺は、思わず聞き耳を立てる。
 すると板さんの言葉に続き、林さんが宥める様に答えた。
 
 
「でも仕方ないでしょう??もう、誠治さん此処に居ないんだから………。
そりゃあ、私だって同じ気持ちよ…………。
あの人が居たら、絶対に今起きてるおかしなことなんて、赦さなかった…………」
 
 
 全く同じことを、操さんも言っていたなと思い出す。
 そう思った瞬間に何だか怒りが込み上げてきた。
 誠治さんがそもそも操さんを置き去りにして、旅に出た事から全てが始まったのだ。
 誠治さんが此処に居ないから、操さんは寂しい思いを滅茶苦茶するし、変な地上げ屋が攻め入ってくる。
 彼が嘉生館に居てくれさえすれば、こんな事にはそもそもなっていないのだ。
 口口に「誠治さんが居れば」と話す嘉生館の面子を見ていると、とっとと戻ってきやがれと思う。
 
 
 ていうか俺が誠治さんを探し出して、嘉生館に連れ戻せばいいんじゃないか?
 
 
 東京にだったら敏腕の探偵だっているし、意外に人を探す事は簡単だ。
 彼を探し出す事さえ出来れば、多少は何かが変わる気がした。
 けれど彼が帰ってきたら、俺と操さんの恋愛ごっこも終わりだ。もう操さんと今までの様には関われない。
 でも操さんの幸せを考えたら、それでも構わないとさえ思った。
 操さんが幸せに笑ってくれるならなんでもいい。隣に俺が居なくても構わない。
 
 
 操さんが幸せである事が、俺にとっては総てだ。
 
 
「…………あの、誠治さんって人の事、俺に教えてくれませんか………??逢いたいんです………」
 
 
 そう言いながら、林さんと板さんの前に姿を現す。
 すると二人は気まずそうな表情を浮かべ、いきなり黙り込んだ。
 教えて欲しい。どうしても彼について、情報が欲しい。
 彼さえ戻ってきてくれれば、全てが正常に回りだす筈なのだ。
 
 
「いや………虎くん………それは…………」
「あのね、虎ちゃん…………」
 
 
 言い淀む板さんと林さんが、困った様に顔を見合わせる。すると俺の背後から、声が聞こえた。
 
 
「そんなに誠治に逢いたいんやったら、すぐにうちが逢わせたるわ……………」
 
 
 振り返れば其処には、紫色の着物を着た大女将が立っている。
 大女将は俺の手を掴んで、嘉生館の廊下を歩きだした。
 そのまま大女将は嘉生館の外に出て、タクシーを捕まえて俺を無理矢理押し込む。
 暫くそのまま車に揺られていると、タクシーはとある場所に辿り着いた。
 
 
 其処は近くにある、小さな寺だった。
 
 
 大女将は寺墓地の方へと俺の腕を引っ張りながら、ある事を語り始める。
 
 
「誠治はホンマに話を聞かへん子で、最初は嘉生館仕切るの嫌やって駄々迄こねて…………。
αとαの間に生まれた子供なんて、聞かん坊なのはしゃあないけど、そのうち悪い仕事もする様になってな……………。
この町を仕切って治安は守ってくれたけど、うちは誇れへんかった。
………啖呵切って迄嘉生館から離れた癖に、のこのこΩ連れて帰って来たんや…………肺にわざわざ爆弾抱えて…………」 
 
 
 立派な墓石を前に、気丈な大女将が涙を流す。大女将は震える声色を抑え、こう言った。
 
 
「布施誠治。ウチのどうしようもない、クソ息子…………。佐京と侑京が生まれる前に死んだ…………」
 
 
 俺は墓石の前で、言葉を失い座り込む。
 俺の中にあった疑問点は、最も最悪な形で点と点が線で繋がった。
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