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140.beloved⑧
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今日は平日だったけれど明日からお休みだから街には人が溢れていた。どこからか流れてくるクリスマスのBGMに、気持ちが浮かれるのは私だけじゃないと思う。
「ヤダ...遅れちゃう!」
よりによってこんな日に仕事がたて込むなんて、うちの課長はクリスマスイブの特別さを知らないのかなと、ため息をしつつ更衣室で身支度を済ませる。いつもより予定より遅く終わった分、お化粧直しを軽くすることができ、待ち合わせの場所へと向かう。私は人混みの中を歩くのがどちらかと言うと下手な方。なるべく急ぎ足で、人波に流されないように避けながら歩くけれど、いつの間にか自分の思い通りに進めなくなる。以前は、手を繋いで歩いてもらった事もあったけれど、その手の感触は忘れていた。
「すみません、お待たせしちゃって!」
はぁはぁと息が上がってしまい、胸を撫でながら整える。先に来ていた吉田さんは会社帰りのせいかスーツ姿。いつもお休みの日に会っていたからスーツ姿は少し新鮮だった。
「三浦さんは、時間ギリギリになるといつも走ってくる。(笑)でも、転んで怪我するといけないから、連絡してくれさえすれば慌てなくていいからね」
「...すみません」
私がまた謝ると、彼は口角をふっとあげた。
「あと、今日はすみませんはなし」
そんなキッパリ言うわりには、吉田さんの雰囲気が、いつもより柔らかくて甘い気がする。
...今日はクリスマスイブだから?
「じゃあ、行こうか」
ここから吉田さんが予約してくれたお店は、近くみたいで。私は吉田さんとはぐれないように、先をゆく彼の姿を目で追いながら、再び人混みの中へと戻る。途中で、何度かはぐれそうになったけれど、その都度、彼は立ち止まって待っててくれた。
本当に吉田さんは、穏やかで優しいひと。この人は黙って私の元から消えることはないと思う。
※※※
吉田さんといると楽しい。
今日はいつもよりも美味しくて豪華な食事を食べているというのに、話が尽きなくて。食べるのと話すのが忙しくて、困った。多分、それは趣味の話とか自分の好きなもののを一緒に共有できているから。
楽しい話をしてくれる涼しげな口元、それに、こんな私を優しく見つめてくれる眼差し。
今までそんなに意識した事はなかったけれど、本当に素敵な人だった。
こんな風に素敵な男性を見るのすら恥ずかしくて、目が合うともっと恥ずかしくて、俯いてしまった自分はどこにもいない。それだけ私も経験値を積んだし私は大人になった。だから、吉田さんとこんな穏やかな時間を過ごせていると、思っていた。
そうこうしているうちに楽しい時間は終わり、吉田さんはいつもみたいに私を駅まで。今日の吉田さんはずっと饒舌だったけれど、私を駅まで送ってくれる道すがら言葉少なになり。私たちは言葉を交わすことなく、時間が遅くなって人が疎らになった街路樹の下を歩く。
その途中に広場みたいな所があり所々にクリスマスの装飾が施されて、暗がりの中でのイルミネーションがとても綺麗に見えた。それに少し見惚れてしまうと吉田さんが気がついて。
「三浦さんはこういうのが好きなんだ。それならあそこのベンチが空いているから少し見てみようか?」
誘われるままにそのベンチに座ると、近くで見たイルミネーションは、遠くから見るより断然綺麗でウットリする。
「...綺麗ですね。何だか時間を忘れて夢中で見入っちゃいそうです」
「うん、そうだね。でも...俺は」
今日の三浦さんの方が気になるけどね、と吉田さんは目を細めた。その笑顔を見てしまったらちょっと胸が苦しくなる。
「あ、あの...終電がなくなると困りますから、帰りましょうか」
私が慌てて立ち上がると、吉田さんは同じように立ち上がったけれど動こうとはしていなくて。
「吉田さん...?」
私が不安げに彼の顔を覗き込むと、吉田さんは私から目を逸らそうとせずに、真剣な表情を浮かべる。それから重い口をようやく開いた。
「...ずっと言おうと思ってなかなか言えなかったけれど」
そう言って、躊躇いがちになりながらも私に示してくれた好意は明確だった。
「俺と結婚を前提に付き合ってもらえませんか?」
『お付き合いしましょう』
何となく今日はそんな事を言われるのかなと思っていたから、一足飛びの『結婚』という言葉に現実味がなくて。私が俯いて黙ってしまったものから、吉田さんは困ったのだと思う。困惑してしまっている私に対して、彼は真摯な態度で話を続ける。
「そ、その...結婚というのは勢いで言ったわけじゃなくて。ただ、最初の出会いが合コンだったから、いい加減な気持ちだと思って欲しくなくて...真面目に三浦さんとお付き合いしたいと思っています」
私は終始無言で彼の言葉を受け止めていた。それでもずっと俯いて黙ったままだったから、吉田さんは私が顔を上げるまでずっと待ってくれていた。喉がカラカラに渇いたみたいになかなか言葉が出なくて、それでもようやくの思いで。
「...吉田さん、私」
こんな優しくていい人は、きっともう私の前には現れない。
何より結婚相手にするならこんな人がいいと私はずっと望んでいたはずだった。
この人の手を取れば、幸せになれる?
もう、苦しい思いをしないで、楽になれる?
藤澤さん以上に彼を好きになれる?
こんな事を考える事すら無意味だったのは、頭ではわかりきっているはずなのに。彼に伝えた事は真逆の事。
「ごめんなさい...私にはずっと好きで忘れられない人がいます。だから...」
ごめんなさいと、もう一度繰り返した後、吉田さんに深く頭を下げて謝った。私には吉田さんに謝り倒す事しかできず、彼は「参ったな」と呟き、私を一言も責める事なく、1人で帰ってくれた。
残った私は、もう、どうしようもなく、ただ、冬の空を見上げる事しかできなくて。その冬の空は、初めて藤澤さんと一緒に見た同じ空のように思えた。
「藤澤さん...いま、どこにいるんだろ?」
久しぶりに彼の名を口にすると、見えていたはずの満天の星空の光がぼやけ始めてゆく。
「バカだよね。忘れるなんてできっこないのに...」
あんなに苦しくて辛かった別れだったけれど、彼と過ごした日々は幸せそのもの。誰かを好きになれば簡単に忘れられると思っていたのは、錯覚で、ずっと彼に心をとらわれていたまま、前へ進む事なんて少しも出来ていなかった。
12月24日のクリスマスイブ。
私はこれから先も藤澤さんの誕生日を忘れる事はないだろう。
「ヤダ...遅れちゃう!」
よりによってこんな日に仕事がたて込むなんて、うちの課長はクリスマスイブの特別さを知らないのかなと、ため息をしつつ更衣室で身支度を済ませる。いつもより予定より遅く終わった分、お化粧直しを軽くすることができ、待ち合わせの場所へと向かう。私は人混みの中を歩くのがどちらかと言うと下手な方。なるべく急ぎ足で、人波に流されないように避けながら歩くけれど、いつの間にか自分の思い通りに進めなくなる。以前は、手を繋いで歩いてもらった事もあったけれど、その手の感触は忘れていた。
「すみません、お待たせしちゃって!」
はぁはぁと息が上がってしまい、胸を撫でながら整える。先に来ていた吉田さんは会社帰りのせいかスーツ姿。いつもお休みの日に会っていたからスーツ姿は少し新鮮だった。
「三浦さんは、時間ギリギリになるといつも走ってくる。(笑)でも、転んで怪我するといけないから、連絡してくれさえすれば慌てなくていいからね」
「...すみません」
私がまた謝ると、彼は口角をふっとあげた。
「あと、今日はすみませんはなし」
そんなキッパリ言うわりには、吉田さんの雰囲気が、いつもより柔らかくて甘い気がする。
...今日はクリスマスイブだから?
「じゃあ、行こうか」
ここから吉田さんが予約してくれたお店は、近くみたいで。私は吉田さんとはぐれないように、先をゆく彼の姿を目で追いながら、再び人混みの中へと戻る。途中で、何度かはぐれそうになったけれど、その都度、彼は立ち止まって待っててくれた。
本当に吉田さんは、穏やかで優しいひと。この人は黙って私の元から消えることはないと思う。
※※※
吉田さんといると楽しい。
今日はいつもよりも美味しくて豪華な食事を食べているというのに、話が尽きなくて。食べるのと話すのが忙しくて、困った。多分、それは趣味の話とか自分の好きなもののを一緒に共有できているから。
楽しい話をしてくれる涼しげな口元、それに、こんな私を優しく見つめてくれる眼差し。
今までそんなに意識した事はなかったけれど、本当に素敵な人だった。
こんな風に素敵な男性を見るのすら恥ずかしくて、目が合うともっと恥ずかしくて、俯いてしまった自分はどこにもいない。それだけ私も経験値を積んだし私は大人になった。だから、吉田さんとこんな穏やかな時間を過ごせていると、思っていた。
そうこうしているうちに楽しい時間は終わり、吉田さんはいつもみたいに私を駅まで。今日の吉田さんはずっと饒舌だったけれど、私を駅まで送ってくれる道すがら言葉少なになり。私たちは言葉を交わすことなく、時間が遅くなって人が疎らになった街路樹の下を歩く。
その途中に広場みたいな所があり所々にクリスマスの装飾が施されて、暗がりの中でのイルミネーションがとても綺麗に見えた。それに少し見惚れてしまうと吉田さんが気がついて。
「三浦さんはこういうのが好きなんだ。それならあそこのベンチが空いているから少し見てみようか?」
誘われるままにそのベンチに座ると、近くで見たイルミネーションは、遠くから見るより断然綺麗でウットリする。
「...綺麗ですね。何だか時間を忘れて夢中で見入っちゃいそうです」
「うん、そうだね。でも...俺は」
今日の三浦さんの方が気になるけどね、と吉田さんは目を細めた。その笑顔を見てしまったらちょっと胸が苦しくなる。
「あ、あの...終電がなくなると困りますから、帰りましょうか」
私が慌てて立ち上がると、吉田さんは同じように立ち上がったけれど動こうとはしていなくて。
「吉田さん...?」
私が不安げに彼の顔を覗き込むと、吉田さんは私から目を逸らそうとせずに、真剣な表情を浮かべる。それから重い口をようやく開いた。
「...ずっと言おうと思ってなかなか言えなかったけれど」
そう言って、躊躇いがちになりながらも私に示してくれた好意は明確だった。
「俺と結婚を前提に付き合ってもらえませんか?」
『お付き合いしましょう』
何となく今日はそんな事を言われるのかなと思っていたから、一足飛びの『結婚』という言葉に現実味がなくて。私が俯いて黙ってしまったものから、吉田さんは困ったのだと思う。困惑してしまっている私に対して、彼は真摯な態度で話を続ける。
「そ、その...結婚というのは勢いで言ったわけじゃなくて。ただ、最初の出会いが合コンだったから、いい加減な気持ちだと思って欲しくなくて...真面目に三浦さんとお付き合いしたいと思っています」
私は終始無言で彼の言葉を受け止めていた。それでもずっと俯いて黙ったままだったから、吉田さんは私が顔を上げるまでずっと待ってくれていた。喉がカラカラに渇いたみたいになかなか言葉が出なくて、それでもようやくの思いで。
「...吉田さん、私」
こんな優しくていい人は、きっともう私の前には現れない。
何より結婚相手にするならこんな人がいいと私はずっと望んでいたはずだった。
この人の手を取れば、幸せになれる?
もう、苦しい思いをしないで、楽になれる?
藤澤さん以上に彼を好きになれる?
こんな事を考える事すら無意味だったのは、頭ではわかりきっているはずなのに。彼に伝えた事は真逆の事。
「ごめんなさい...私にはずっと好きで忘れられない人がいます。だから...」
ごめんなさいと、もう一度繰り返した後、吉田さんに深く頭を下げて謝った。私には吉田さんに謝り倒す事しかできず、彼は「参ったな」と呟き、私を一言も責める事なく、1人で帰ってくれた。
残った私は、もう、どうしようもなく、ただ、冬の空を見上げる事しかできなくて。その冬の空は、初めて藤澤さんと一緒に見た同じ空のように思えた。
「藤澤さん...いま、どこにいるんだろ?」
久しぶりに彼の名を口にすると、見えていたはずの満天の星空の光がぼやけ始めてゆく。
「バカだよね。忘れるなんてできっこないのに...」
あんなに苦しくて辛かった別れだったけれど、彼と過ごした日々は幸せそのもの。誰かを好きになれば簡単に忘れられると思っていたのは、錯覚で、ずっと彼に心をとらわれていたまま、前へ進む事なんて少しも出来ていなかった。
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