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8章【そんなに惚れ直させないで】

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 日課となった家事を終えた後、ツカサは自室に戻っていた。

 扉を閉めて、鍵をかける。
 そのままツカサは、フラフラとおぼつかない足取りで歩む。


「…………ん、で……っ」


 その両足から、力が抜けた時。


「──なんで、変わろうとするんだよ……ッ!」


 ツカサはその場にへたり込み、慟哭のような叫びを上げた。

 ──『変わらないで』と言ったのに。

 ──それに対して、カナタは頷いていたというのにだ。


「どうしてっ、なんで……なん、で……なんでだよッ!」


 ツカサは僅か欠片ばかりでも、カナタを誰にも渡したくない。

 周囲がなにを言おうと、それはあくまでもツカサにとって【意に介する必要もない他人】の価値観。
 そんなもの、ツカサには必要ない。

 カナタの意見と自分の意見さえあれば、この世界は構築されるのだから。

 カナタの悩みは、ツカサのもの。
 カナタの好きなものや嫌いなものも、ツカサだけが知っていたらそれでいい。

 形のない未来に不安を抱え、明確な姿も見えない他人に対し、カナタは怯えていた。
 ツカサにとっては取るに足らない事象に対し、カナタは受け止められるだけの器を持っていなかったのだ。

 それなのに、カナタはマスターに打ち明けた。
 そして明日になれば、リボンを首に巻いたカナタは、出会ったばかりのリンにも打ち明けるのだ。


「ウソ吐き、ウソ吐きっ、ウソ吐きウソ吐きウソ吐きッ!」


 マスターには、偏見がない。
 カナタと会ったことがないにしても、マスターの妻も同様の反応を示すだろう。
 根拠はないが、リンもおそらくカナタに理解を示す。

 とどのつまり、カナタの理解者が増えてしまう。

 ──カナタの理解者は、ツカサ一人だけで十分だというのに。


「裏切り者ッ、浮気者ッ、ウソ吐きッ、ウソ吐きッ!」


 カナタのことを理解する者が増えるということは、カナタに好意を寄せる者が増える可能性と繋がる。

 純真な好意を向けられて、カナタが無碍にできるはずがない。
 そうなると、ツカサはどうなる?

 ──カナタと同じ【好き】が言えないツカサは、どうなるのだろうか。


「カナちゃんなんか、カナちゃんなんか……ッ!」


 一言では形容できない憎悪が、ツカサの心を黒く塗り潰す。

 無垢なカナタは、ツカサの本質を正しく理解できていないのだろう。
 だからこそ、カナタはいつだって無意識のうちに油断し続けている。

 たとえば、鍵をかけても毎朝ベッドの中にツカサがいた理由。
 ツカサが合い鍵を持っていることを、カナタは僅かばかりも疑ったことがないのだから。

 今すぐその合い鍵を使い、カナタの部屋に侵入したとして。
 ツカサは抵抗を受けることなく、カナタを殺すことができるだろう。

 しかし、寸でのところで理性が働く。

 ──カナタのことを、殺す。

 それはつまり、カナタにとって【怖いこと】だ。

 ──カナタを、怖がらせる。

 それはつまり、カナタからの嫌悪に繋がる。


「カナちゃんから、嫌われる……っ?」


 唯一、ツカサが恐れること。
 常軌を逸した狂気を内包するツカサにとって、唯一の恐怖は……あまりにも、幼稚なもの。

 ──それは、カナタに嫌われることだった。


「……イヤ、だ……っ。あの子を手放すなんて、絶対にイヤだ……ッ!」


 握手に応じてくれたあの日の【運命】を、カナタに否定されるかもしれない。
 優しいカナタが、ツカサに二度と笑みを向けてくれなくなるかもしれないのだ。

 それだけが、ツカサにとって最大の懸念だった。




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