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風太と美晴と菊水安樹

竜を斬った少年

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 それは誰も知らない、風太が美晴の“憧れ”になるまでの話。
 
 * * *

 ◇ (わたし=美晴) ◇

 『きゃははは! えーっ、ウソー?』

 クラスの女の子たちが、友達同士の輪を作って笑い合っている。みんなで楽しくおしゃべりしてるだけなら、それは平和で微笑ましいことなんだろうけど……。

 『やばっ、聞こえちゃうよ! もっと声小さくして、ヒソヒソ……』

 話題はきっと、わたしのこと。小声で話すということは、だいたい良くないこと。いくらヒソヒソ声で話していても、こっちを何度もチラチラ見ているものだから、ウワサの標的はそれが嫌でも分かってしまう。
 
 (なんで……? どうしてみんな、わたしの悪口……)

 原因なんて分からない。顔がブサイクなせいなのか、自分でも気付かないうちに何か悪いことをしてしまったからなのか、ヒトと同じように会話ができないからなのか。結局は、ただ『キモいから』の一言に尽きるのかもしれない。
 昔から、みんなに避けられてると感じることは何度かあった。男子からも女子からも、それは低学年の時も中学年の時も、満遍まんべんなく。先生にわざと無視されることもあった。しかしそれにしても、最近(5年生の二学期が始まってから)は、避けられる以上に、嫌悪けんおのような態度を示されるようなことが多くなった気がする。陰口を叩かれる機会も増えたと思う。

 これって、もしかして、イジメ……?
 あんまりそれを認めたくはなかったので、とにかく考えないようにしようと、心の奥底へ押し込んだ。自分がいじめられっ子だと自覚してしまうと、学校に行くことさえ辛くなってしまう気がしたから。

 *

 『みはるねえさん! えほんよんでー!』
 「うん……! 今日は……何を……読んでほしいの……?」
 
 この子は藤丸フジマルちゃん。フズリナ保育園に通う、4歳の小さな女の子。天然パーマの髪と、いつも腰に提げている新聞紙の剣が特長。過去にいろいろあって意気投合し、現在は図書館で会うたびにこうして一緒に遊ぶようになった。

 『えーっと、それじゃあー、きょうのえほんはー』
 「ふ、藤丸……ちゃん……? 絵本を……読む前……に……、ちょっとだけ……いいかな……?」
 『えっ? なんですか?』
 「あの、いつも……やってる……みたいに……。アレを……」
 『ああ! あれですか! いいですよ! やりましょー!』
  
 アレ。少し恥ずかしいので、わたしはアレと呼んでいる。

 「藤丸……ちゃんっ……」
 『えへへ。みはるねえさーんっ』

 アレとはつまり、ハグのこと。どうしようもなく辛くなった時、わたしはこれをしてしまう。小さな子は体温が高く、抱いているとなんだか落ち着く。藤丸ちゃんは優しいので、わたしがぎゅっと抱いて甘えると、ぎゅーっと抱き返してくれる。

 「ふぅ……。あ、ありがとう……藤丸ちゃん……」
 『こちらこそ、ありがとうですっ! みはるねえさんっ!』
 
 わたしには藤丸ちゃんがいる。どんな傷も、この子がやしてくれる。
 小5にしては情けないことかもしれないけど、そう思うことで、わたしはなんとか心のバランスを保っていた。

 「じゃあ、そろそろ……えほんを……」
 『あれ? みはるねえさんのかばんのなかに、なにかはいってる……? これ、なんですか? みはるねえさんっ!』
 「あっ……! そ、それは……! わたしが……書いてる……小説……!」
 『えーっ! みはるねえさんっ、しょーせつ、かいてるんですか!?』
 「う、うん……」

 偶然、藤丸ちゃんはわたしのカバンの中にある一冊のノートを見つけてしまった。それは誰も知らない、わたしの秘密のオリジナル小説(の第一巻になる予定のノート)だ。どこかに発表する予定とかはないけど、自分の読書以外の趣味として、日記をつけるみたいに最近少しずつ書き始めた。

 『しょーせつって、おとながよむほん、ですよねっ!? みはるねえさん、すごーいっ!』
 「い、いや……まだ……書き始めたばっかり……で……! というか……、文章も……めちゃくちゃだし……。全然……進んでない……から……」
 『でも、みはるねえさんが、おはなしをつくるんですよねっ!? すごいすごーいっ!』
 「そ、そんなこと……ないよ……」
 『かんせーしたら、まるによみきかせてくださいっ! おねがいしますっ!』 
 「それは……別にいいけど……」
 『やったーー!!! たのしみ~!』

 藤丸ちゃんの勢いに押され、わたしは完成したら披露ひろうする約束をしてしまった。約束してからとても恥ずかしくなったけど、藤丸ちゃんはとびっきりの笑顔で喜んでいるので、今さら断るわけにもいかない。

 「……」

 完成したら。と、藤丸ちゃんは言ったけど、そもそも完成するかどうかは、わたしにも分からない。正直に言うと、小説を書いてる時は現実の辛いことを全部忘れられるから趣味にしてるだけで、物語を完結させようなんて熱い気持ちは込めてない。本当に、ただのきまぐれというか、現実逃避げんじつとうひ。期待しないで、できればこの小説のことは忘れて……!

 『わくわく! まだかな~! みはるねえさんのおはなし!』
 「……」

 少しだけ、がんばってみようとわたしは思った。
 
 *

 「少年騎士団……ウィンドナイツ……!」
 
 タイトルが決まった。まずはノートの表紙に、マジックペンで『少年騎士団ウィンドナイツ』と書いた。
 
 (物語の舞台は、魔物やドラゴンが生きるファンタジー世界の、とある王国……! 十二歳以下の男子で構成される王国騎士団『ウィンドナイツ』の少年団長が主人公で、魔物に襲われる街を救ったり、悪のドラゴンからお姫様を助けたり……)

 おおまかなストーリーも決まった。しかし、わたしの快進撃もそこまでだった。

 「つ、続きが……! 書け……ない……」

 右手がぴたりと止まってしまった。
 やる気はある。創作意欲はしっかりあるけれど、アイデアがそれ以上湧いて来なかった。いつか、テレビの取材を受けた小説家の人が言ってた『面白い小説を書くための材料は、豊富な人生経験の中にある』という言葉は、本当だったのかもしれない。ようするに、今まで家と学校を往復してきただけのわたしの人生は、とても浅いのだ。
 
 「主人公の……会話シーン……。団員たちと……話す……何気ない……日常の……ひとコマ……」

 書けない。十二歳の男の子の自然な会話が分からなかった。
 それでもなんとか続きを書いては見たものの、やっぱり違和感しかなくて、書いては消しての繰り返しになってしまった。創作に行き詰まると、いつも辛い現実はわたしの目の前にやってきた。

 「うぅっ……ううぅっ……。書けない……よぉ……」

 今日もまた、学校で陰口を言われた。きっと明日も言われる。辛くて、苦しくて、悔しかった。たとえ小説が完成したとしても、その現実は何も変わらない。ただただ虚しく、情けなかった。逃避することすらできず、机に伏してひたすら泣いてしまうことも多くなった。

 そんなある日。

 「……」

 気をまぎらすため、その日のわたしは読書に没頭していた。教室でも本を読み、放課後も図書室に行ってずっと本を読んでいた。それでも心は晴れなくて、焦りや苛立いらだちは止まらなくて……。
 そして突然、わたしは何かの気配に気がついて、フッと顔をあげた。

 『なかなかやるな。健也』
 『お前もな。風太』
 
 男の子が二人、図書室の机でカードゲームをしている。その光景こそが、わたしにとっての初めての“風太くん”だった。

 『でも、おれは勝つ! 手札から、暗黒将軍シュバルツを召喚! 健也のレッドファイアドラゴンに攻撃!』
 『なにっ!? お前、まだそんなカードを……!?』
 『竜を斬り裂け! 漆黒の刃!』
 
 わたしが初めて見た風太くんは……竜を斬っていた。まるで、わたしが書いている物語の中の、少年騎士のように。

 『甘いぞ風太。ドラゴンの効果により、お前の手札を全て墓地へ』
 『えっ……!? や、やっぱり、今の攻撃はナシで』

 ただのカードゲーム。男子がよくやってる遊びで、わたしはルールなんか何も知らない。それなのに、竜を斬った男の子がなんだかとても興味深くて、わたしはその姿をじっと見つめていた。

 (あっ……!)

 わたしの中で、何かが繋がった気がした。
 もう読書に集中なんてできない。わたしの目は、その男の子の仕草や振る舞いを観察することに必死だった。

 『はい、おれの勝ち。風太もまだまだだな』
 『うわーーっ! おれの負け!? うぐぐぐ……!』
 『ほら、おれの荷物持てよ。負けた方が持って帰る約束だろ』
 『なあ、もう一戦やらないか? もう一回だけ頼む健也!』
 『今日はもうおしまいだ。家に帰って、雪乃と練習試合してろよ』
 
 できあがっていく。できあがっていく。わたしの頭の中で、小説の続きがどんどん書き上がっていった。
 男の子たちが図書室を出た後、わたしも急いで家に帰った。家に着いたら、すぐに勉強机に向かい、『少年騎士団ウィンドナイツ』を開いてシャーペンを握った。

 (書ける……! と、止まらないっ……! 文章を書く手が、止まらないっ……!)

 あの男の子と小説の中の主人公を重ねると、自分でもびっくりするくらい軽やかに物語が進んだ。今まで、こんなことは一度もない。

 「はぁ……はぁ……! すごい……!」
  
 しばらく書いていると指が痛くなったので、無理やりペンを置いた。すると、長い距離を走り終わった後みたいに、息が上がり、汗をたくさんかいた。

 「ふふっ……」

 自然に笑っていた。とても、とても、とても嬉しかった。
 体は震えていた。恐怖や怒りなんかじゃなくて、純粋な喜びで。

 (名前……なんだっけ? フウタ、だっけ? 隣のクラスの人かな?)

 ベッドに横になりながら、あの人のことを思い出す。
 もっと見たい。ずっと見ていたい。そう願った。わたしにとっての主人公はきっと、あの人なのかもしれない。

 (フウタ……くん……)

 その日から、わたしの心の中には常に風太くんがいるようになった。

 *

 「みんな早く逃げろ。鬼が来るぞ……!」

 これが、わたしの小説の主人公のセリフ。街の人々を避難させて、自分独りで一つ目鬼サイクロプスへと立ち向かう前の言葉。

 『みんな早く逃げろ。鬼が来るぞ……!』

 これが、風太くんが実際に言ったセリフ。昼休みに友達と鬼ごっこしてる時に言った言葉。

 わたしは観察を続けた。晴れた日は、図書室の窓から外を見降ろすと、グラウンドで元気に遊んでいる風太くんが必ずいる。そして、勝手に風太くんのセリフを使い、わたしは小説を書いた。わたしの中のイメージは、もう完全に「風太くん=小説の主人公である少年騎士」だった。

 (風太くんなら……『ここはおれに任せて先に行け!』って、言うかな)
 
 『ここはおれに任せろ! 健也たちは先に行け!』
 
 (ふふっ。やっぱり……!)

 観察を続けて、風太くんのいろんなことが分かってくると、今度は順序が逆転した。つまり、風太くんが次に言いそうなセリフを、わたしはだいたい当てられるようになったのだ。偶然というには信じられないくらい、わたしが言ってほしいと思うセリフを、風太くんは口に出して言ってくれた。

 「……」

 強くて、勇敢で、優しい騎士。仲間想いで、いつも一生懸命で、かっこいい。いつしかわたしは、その少年騎士に“憧れ”という感情を持っていた。地味で根暗で可愛くもない女だけど、わたしはあの人に憧れてしまった。

 *

 「はぁっ、はぁっ……!」
 
 クラスでの陰口は、ついに本格的なイジメへと変わった。小箱こばこ蘇夜花ソヨカという転校生の女の子が中心となり、女子のグループがわたしをいじめるようになった。今日は、彫刻刀ちょうこくとうでおでこに大きな傷をつけられた。
 
 「ううぅっ……!」

 でも、お母さんには頼れない。幸い、わたしは前髪が長かったので、おでこの傷はなんとか隠すことができた。とにかく今はじっと耐えて、蘇夜花ちゃんたちがイジメに飽きるのを待つしかない……。

 「ひぐっ……ぐすんっ……」

 心の傷も深かった。
 小説を書き、小説を書き、ひたすら小説に熱中して忘れようとした。もうすぐ物語は最終章。ずっと大切に積み上げてきた少年騎士団のお話を、綺麗に終わらせなければならない。学校でのことなんて、気にしてる場合じゃない。

 (主人公の幼なじみのお姫様……。魔王の軍団に捕まってしまうけど、少年騎士団ウィンドナイツが助け出すの……)
 
 セリフをつけていく。

 (『おれがお前を守る。だから、もう泣くな』)

 言いそう。すごく、あの人が言いそうなセリフ。これに決定。
 きっと、泣いてるお姫様を安心させるために、そのセリフを言うと思う。でも、泣いてるお姫様って、誰のことだろう? 主人公は風太くんだとして、お姫様のモデルはどこから出てきたのか……。

 (えっ……?)

 今、泣いて助けを求めてる人。

 (い、いやっ……! そ、それは、ない……! そんな物語はダメ……! 気持ち悪すぎっ……!)
 
 わたしはベッドに飛び込んで、頭から布団を被った。
 いくら作者の欲求が表れる創作とはいえ、それはない。絶対にない。そんなことしちゃダメだと思う。

 (あ、ありえないから……!)

 しゃべったこともないクセに。自分から声もかけられないクセに。なんだかドキドキしてしまって、その日はなかなか眠れなかった。

 *

 『おれがお前を守る』
 「……!?」

 ある日突然、風太くんはそのセリフを口にした。が、もちろんそれは、一度も会話したことがない戸木田美晴なんかにではなく、風太くんの幼なじみである春日井雪乃という女の子に、だった。

 『おれがお前を守るから、最後までセーフだったら、絵の具セット貸してくれよ』
 『えーっ!? やだよ風太くんっ!』
 『頼む雪乃っ! 5時間目に図工があること忘れてたんだ!』
 『忘れてくるのが悪いんでしょー!?』
 
 昼休みの、ドッジボールの最中での言葉だった。
 風太くんが『守る』と言った相手は、雪乃ちゃんのこと。二人は兄妹のようにいつも仲良しだから、そうなるのは当然で、何もおかしいことはない……。

 「……」

 その後のわたしは、ずっと放心状態だった。魂が入っていない人形のように、手を動かし、足を動かした。学校が終わって家に帰り、自分の部屋のベッドにドサッと倒れて、そこで初めて冷静になった。

 「あはは……。バカ……みたい……」

 雪乃ちゃんに対する嫉妬しっととかそういう気持ちはなく、ただ、情けなくて恥ずかしかった。ほんの少しでも自分をお姫様だと思ったことが、本当に愚かだった。どうして自分が、風太くんにそんな言葉をかけられるなんて、勘違いしてしまったんだろう。

 「……」

 体に力が入らない。

 「はぁ……」

 ため息と共に、やる気が抜けた。藤丸ちゃんには本当に申し訳ないけど、小説なんてどうでもよくなってしまった。
 少年騎士は自分の国のお姫様を守るけど、隣の国の奴隷の少女を助けてはくれない。見ず知らずの会ったこともない人なんだから、それは当たり前。物語の流れ的にも、お姫様を助けてハッピーエンド以外の結末は不自然だと思う。それは、頭では分かっているのに……。

 (もう、いいよね……)

 わたしは『少年騎士団ウィンドナイツ』を最終章の途中で打ち切り、カギ付きの引き出しの中にしまった。何かの拍子に飛び出してこないように、そこに封印しておこうと誓った。

 「風太……くん……」

 全部忘れてしまいたかったけど、“憧れ”の気持ちだけは忘れられなかった。消えないその想いを胸に抱き、わたしを待ち受ける過酷な運命に対しての最後の希望として、あの人の名前を心に刻んだ。

 ◇ ◇ ◇

 * * *
 
 (はっ……!?)

 風太が目を覚ました場所は、美晴の部屋のベッドの上だった。  
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