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第5章 高志の気持ち

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 翌朝、水曜日、僕は食パンマンションの前で凛を待った。マンションの一階部分が駐車スペースになっていて、エントランスに続いている。じっとしていると寒いので、体を震わせたり軽く飛び跳ねたりしていたけど、凛はなかなか出てこなかった。駅の方からやってくる糸高生がみんな変な目で僕を見ていく。
 星条旗マフラーに顔半分を埋めてようやく凛が出てきた。
「あんたが待っててくれるなんてめずらしいね。オハヨ」
「いつもより遅くないか?」
「へんなやつがいるなって、ちょっと隠れて見てた」
「おかげで恥かいたじゃんか」
「じゃあ、あたしも飛び跳ねてやるからさ」
 凛が気をつけの姿勢のままジャンプする。バネでできたおもちゃみたいにそのままの姿勢で前に進んでいく。
「ペンギンみたいでかわいい?」
「普通に歩かないと遅刻だよ」
「あんたも一緒にやりなよ」
 僕はごほうびに魚を投げてやるような動作をした。下からと上からで二匹だ。
「飼育係か」
 凛が笑って普通に歩き始めた。今日は機嫌が良くてなによりだ。
 僕は並んで歩きながら昨日の出来事を話した。先輩が消えてしまった話だ。
「ふうん、消えちゃったんだ」
 凛は白い息を細く吐きながらつぶやいた。
「つまらない男だって思われたんじゃないの」
「そうなのかな」
 先輩と一緒にいる時間は決してつまらない時間ではなかった。でもそれは僕が勝手に居心地の良さを感じていただけなのだろうか。相手からはつまらないと思われていたのか。
「昨日の夜、先輩の写真見てたんでしょ」
 確かに僕は昨晩ずっと先輩の写真を眺めていた。電灯を消して布団の中に入ってもずっと眺めていた。暗い部屋の中でスマホだけが光っていた。無表情な先輩が、僕だけに微笑みかけてくれているように思えた。
 でも、僕が眺めていたのは、先輩の写真だけじゃない。この前凛と僕と二人で撮った写真も見ていたんだ。また凛に言えない秘密ができた。
 返事をしないでいると、凛が僕の顔をのぞき込む。
「写真見ながらエッチなこと想像した?」
「しないよ。そんなこと」
「ホントかなあ」
 凛の写真のことを思い出していたせいで、誤解されてしまった。
「あたしのおかげですてきな先輩の写真が手に入ったんだろ。感謝しろよ」
 そうか、だから写真を撮って送れって言ってたのか。
「ありがとう」
「素直だな。つまらん男。男としてつまらん」
 言い方変えて二度も言うなよ。
 昨日先輩と渡った歩行者用踏切のところまで来た。渡るわけでもないのに凛が立ち止まる。
「あんたさ……」
 凛が言いよどむなんてめずらしい。凛が続きを言おうとした瞬間、踏切の警報機が鳴り始めた。朝の時間帯は糸原始発も含めて上下線六本ずつ電車が通るので、この踏切はしょっちゅう鳴っている。福岡空港行きの電車が通過するときにこの踏切にいれば遅刻する心配はない。朝の時計代わりだ。糸原駅を発車した電車が速度を上げて近づいてくる。パアンと警笛を鳴らして通過していく。騒音の中で、凛が僕の耳に向かって怒鳴った。
「あんた、まふゆ先輩、好きなの?」
 電車が通り過ぎて静かになる。僕らは並んで歩いた。凛は僕の返事を待っているのか、何もしゃべらない。
「きのう、高志と楽しかった?」
 凛が機関車みたいな白い息を噴き出して笑う。
「あたしの質問に答えろよ」
 僕がまた黙っていると、凛が鞄で僕のお尻を軽く押した。
「うちらはパフェ食ったよ」
「写真で見たよ」
「あいつさ、パフェ、あーんしてくれた」
 え? マジで?
「でもさ、ライオンに生肉やるより怖いとか言いやがんの。ガストがサファリパークになっちまったとかって言ってさ」
「照れてるんだよ、たぶん」
「で、あんたは?」
「分からないよ。きれいな人だなとは思うけど。好きとかそういうのとかは分からない」
「はっきりしねえ男だな。高志もだけどさ」
「わからないんだよ。先輩っていう人がどんな人なのか」
 凛が僕の言葉にうなずく。
「不思議な人だってのは確かにそうだよね」
 先輩のことを考えれば考えるほど分からなくなる。名前以外何も知らないし、どうしていなくなってしまったのかも分からない。
 今日も会えるだろうか。
 ふと気づくと、凛が僕の顔をのぞき込んでいた。
「先輩のこと考えてたんだ?」
 今朝はどうも返事をしにくいことばかり聞かれる。凛が微笑む。
「いい顔してるよ、あんた」
 予鈴が鳴ったので僕らはあわてて昇降口に駆け込んだ。
 教室まで来ると高志が入り口に立って僕らを待っていた。
「なんだよ、今日は遅いな」
「まあね。あたしがちょっと遅れちゃってね」
 高志がつまらなそうに背伸びをする。
「あーあ、今朝は凛様に気合い入れてもらってねえから調子出ねえや」
「やってやらない。ずっと寝てな」
「なんだよ。昨日アーンしてやっただろ」
 凛が高志の膝の裏を蹴った。
「おまえ黙ってろよ」
 カックンと崩れ落ちる高志はうれしそうだ。
「おっす、ありがとよ」
 昨日はパフェの写真送ってきたし、さっきは自分から僕に話したくせに、高志にはばらされたくないのか。凛の気持ちはよく分からない。
 凛が自分の席に行ってしまうと、入り口に立ちふさがるようにして高志が僕に小声で言った。
「昨日はサンキューな」
「きのう?」
「気をつかって俺たち二人だけにしてくれたんだろ」
「いや、そういうわけでもないんだけど」
「俺さ、あいつのこと、けっこうマジなんだ」
「あいつ?」
「だからさ」
 高志が口ごもる。
 え? 凛?
「え、好きなの」
「バカ、声でけえよ」
 知らなかったよ。そんなことになっていたなんて。
「いつから?」
「まあずっと前から仲は良かっただろ」
 そりゃそうだけど。
「なんかさ、最近、ちょっといい感じになってきたじゃん、あいつ」
「いい感じって?」
「かわいいとかさ、ちょっと女っぽいとか。いちいち言わせるなよ」
 高志、眼鏡買えよ。逆にどんどん男っぽくなってないか。
「おう、みんな席に着け」
 担任の朝倉先生が来て話が終わってしまった。
 高志の気持ちに僕は全然気がつかなかった。
 凛はどう思っているんだろう。嫌いってことはないのは確かだから、できるならうまくいってほしいな。
 分からないことがどんどん増えていく。
 そうだ。
 大事なことを忘れていた。
 試験範囲も分からないんだった。
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