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第13章 約束

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 その日、久しぶりに僕は勉強をした。
 明日は試験最終日で英語表現だけだ。いまさら一科目やったところでなんにもならないけど、心穏やかに取り組めるのはいいことだ。
 先輩にはスマホで連絡を入れてみたけど、返信もなく、既読もつかなかった。
 紙ケースをはずして、消しゴムに刻んだ『真冬』という文字を撫でた。自分のしていることが恥ずかしくて情けなかったけど、僕にできることは他に何もなかった。
 翌朝、食パンマンションの前まで来ると凛が待っていてくれた。
「オハヨ、朋樹」
 いつもの情景だ。高志の失敗からほんの一週間くらいのことなのに、ずいぶん久しぶりに感じる。
「やあ、昨日は、あれからどうしたの」
「別に何もないよ。高志とうちの前まで一緒に帰って来ただけ」
「へえ、そうなんだ」
「朝ごはんにね、残ったクロワッサン食べてきたんだ」
「ああ、昨日のやつか」
 凛が何か言いかけて、口を塞ぐようにアメリカ国旗マフラーを巻き直した。
「なんだよ、どうした?」
「ん、いや、あのね」
 巻いたマフラーをまたずらして口を出す。
「チューなんてしなかったよって言おうとしたんだけど、また面倒なことになるから言うのをやめただけ」
「ああ、そういうことか」
 自然に笑いあった。ただのジョークにできる雰囲気がもどってきたんだ。
「でも、つきあってるんだから、いいんじゃないの?」
「まだつきあってないじゃん。コクられたわけじゃないし。それはね、あいつにちゃんと言わせるの。それくらいちゃんとしないんだったら、あたしつきあわないんだ」
 そうか、よく考えてみたら、高志が謝罪して仲直りしただけか。
「朋樹もさ、先輩にはちゃんといいなよ。女の子は、そういうところ大事だから」
「先輩から連絡なくてさ」とスマホに既読がつかないことを話した。
「幽霊だからね。今日の帰りとか、また会えるでしょ」
「幽霊と会えるのが当たり前だと思うのもへんだよな」
「でも、朋樹の大事な先輩だからね。あたしもいろいろ相談に乗ってもらったんだし。お礼言いたいな」
 あれは相談だったんだろうか。話をするだけでも気分が紛れて良かったのか。女子の相談というのはそういうものなのかもしれないな。
 校門まで来ると、高志が立っていた。
「おう、朋樹、オッス」
「めずらしいね。待ってたの?」
 凛が少し首をかしげながら声をかけた。
「オハヨ、高志」
「おはよう、凛。今日もかわいいな」
「ハア? 何言ってんの」
 高志は真顔だ。
「ちゃんと自分の気持ちを伝えようと思ってさ」
「そういうのはあんたにはまだ早いよ」
 凛が鞄を振り回す。高志の背中にぶつかる。
「お、今朝もありがとうよ」
「何か違うんだよな」と凛が首をひねる。
「朝からアツイね」と僕は横から口を挟んだ。
「うるせーよ、朋樹、寒いに決まってんだろ。もうすぐ冬至だぞ。ユズ湯に沈めてやるからな」
 凛が元気になった。口の悪いのも戻ってきた。
 何か安心する。
 高志が僕の肩をつかむ。
「サンキュー、朋樹」
「なんだよ、らしくないな。落とし物の泉から出てきた『きれいな高志』みたいだぞ」
「うん、俺、ピュアに生まれ変わったんだ」
 また調子に乗ってるよ。これだから失敗を繰り返すんじゃないかよ。
 まあ、僕も人のことを笑えない。失敗と言えば、その日の試験もさっぱりだった。いつもの学校の雰囲気が戻ってきたといっても、それとこれは別だ。ちょっとやったくらいで、英語の試験で奇跡なんか起こるわけがない。
 赤点じゃなければいいや。ようやく全科目終了だ。
 試験が終わって昇降口を出たところで高志がつぶやいた。
「俺、ヤバイかも。二年生になれなかったらどうしよう」
 そこまでひどいのかよ。
 凛が鞄を振り回して高志の尻を叩く。
「あんた、あたしの後輩になったら、一生頭上がらなくなるね」
「一生世話してくれるんなら、むしろその方がいいけどな」
「バカとはつきあわないよ」
「だってさ、ここんところ勉強どころじゃなかっただろ」
「何、あたしのせいだって言うの」
「いや、俺のせい。おまえに迷惑かけたのも、俺の頭が悪いのも」
 高志が素直に頭を下げた。
「うーん、何か違うんだよな」と凛が首をひねる。「高志さあ、あんた、馬鹿な方がいいよ。真面目なのは似合わないよ」
「なんだよ、それ。どうしろっていうのさ。俺、真面目におまえのことが好きなんだぜ」
 まわりの糸高生が二人に注目している。
「あんたね、こんなところで言うんじゃねえよ。そういうところが馬鹿だって言うんだよ」
 凛がまた鞄を振り回す。高志が避けて僕の膝に当たる。痛いよ。大事故だよ。
「ごめん、朋樹」
「大丈夫だよ」
 僕は無理に笑顔を返した。なんか、きのうからぶたれたり殴られたり突き飛ばされたりぶつけられたり、災難続きだな。お祓いでもしてもらうか。
「それより、これから二人はどうするの?」
「えへへ、デート」と凛が微笑む。今度は高志の方が照れて背中を向けている。
 なんだよ、お似合いかよ、おまえら。
「ああ、じゃあ、僕はここで」
 今日は母親の仕事が休みで、家で昼ご飯を食べることになっていた。
「朋樹も先輩に会えると良いね」
「うん、いろいろ探してみるよ」
 僕はため池沿いの道の分かれ目で二人に手を振って別れた。
 とりあえずスマホに連絡を入れてみた。
 すぐに既読がついた。どこにいるんだろうか。
 スマホが震える。写真だ。ブランコだ。
 若松神社に僕は急いだ。
 歩行者用踏切まで来たら、警報が鳴って遮断機が下りた。
 昨日、高志と凛と三人で騒ぎを起こしたことが嘘のようだ。電車が通過する時、僕は何となく背中を向けた。やましいことのある人間のすることだな。通過して去っていく電車に僕は頭を下げた。昨日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。
 神社の裏口から境内に入ると、ブランコを揺らして先輩が僕を待っていた。
 最初の頃とは違って、素敵な笑顔で迎えてくれた。僕は隣のブランコに座った。
「今日はこっちですか」
「私はここにいる」
 知り合って一週間くらいで、表情がこれほど変わるものなのか。気持ちが通じ合うというのはこれほど楽しいことなのか。凛と高志の件も解決して、昨日までの重苦しい空気が一変したし、僕の毎日もこれからずっと明るいものになるような気がした。
「先輩、凛と高志が仲直りできたんですよ」
「そうか」
「それで、僕ら四人で遊びに行こうという計画があるんですけど、先輩も行けますよね」
「それは約束というものか」
「そうです」
 先輩は無表情になって黙ってしまった。
 僕はブランコを軽く揺らしながら返事を待った。
 スマホが震えた。凛だった。
『先輩に会えた?』
『今若松神社で話してる』
『行けるって?』
 僕は先輩にスマホの画面を見せた。
「どうですか?」
「私はそれでいいが」
 僕はうれしさのあまりブランコから立ち上がりそうになって腰を浮かせたけど、少し落ち着いてまた座った。
「先輩は未来の約束を覚えていられるんですか」
「祈れ」
「祈る?」
「おまえが私にいて欲しいと思うなら私はそのときにそこにいるだろう」
 祈るのか。
 幽霊と約束するのって、結構大変なことなんだな。
「とりあえず、凛に連絡しますね」
 僕はスマホに『OKだって』と返信した。すぐにスマホが震えた。
『やったじゃん、おめでとう』
 おめでとうか。確かにデートの約束だからな。もう一度スマホが震えた。
『こんどの日曜日でいいよね』
 結局、日曜日に糸原駅の改札口で待ち合わせることになった。
 僕は先輩にスマホを示して了解をもらった。
「じゃあ、日曜日、楽しみにしてます」
「そうか」
 若松神社を出て、ブロック塀の飾り穴からのぞいてみたら、もう先輩はいなかった。僕に会うためだけに出てきてくれたような気がしてうれしかった。でも、そもそも、消えない方がもっとうれしいんだよなと、心の中で自分にツッコミを入れてしまった。いつでも一緒にいられたらいいのに。
 急に凛と高志がうらやましくなってしまった。今頃二人で何しているんだろうか。仲良くしているといいな。
 僕は歩行者用踏切を渡って家に帰った。
 急に決まったデートだけど、お金がなかった。この前先輩の分までランチ代を払ったら、本当にすっからかんなのだ。ふだん早弁してパンばかり買っていたのがいけなかった。計画性のなさがこういうところで重荷になるとはね。
 考えてみたところでどうにもならないので昼ご飯を食べ終わったところで母親に相談した。
「あのさ、こんど学校の知り合いと博多に行くんだ。お金ほしいんだけど」
 茶を飲みながら湯気の向こうで母親が僕をにらむ。
「お小遣いあげてるでしょ」
「早弁して昼にパン買って食べてるからなくなった」
「デート?」
「四人で行く」
「凛ちゃんも?」
「そう」
 母親が財布を出した。
「クリスマスとお年玉の分先渡しでいいならあげるけど」
「分かった」
 僕の目の前に一万円札が置かれた。
「ありがとう」
 母親が財布をしまいながら言った。
「あんたが凛ちゃんとつきあうなんて、大きくなったもんだね」
「ちがうよ。凛と高志だよ」
「じゃあ、あんたは?」
 僕はどう説明したらいいのか分からなかった。親に幽霊とつきあうなんて言えない。
「先輩と仲良くなれそうなんだ」
「へえ、年上と、あんたが」
 母親は茶を飲みながらいろいろ聞きたそうな顔をしていた。
「失礼の無いようにしなさいよ。相手が年上だからって甘えちゃって責任の取れないようなことはしないでよ」
「何の話だよ」
「あんただって、そういう年頃になるんでしょうよ。高校生だって、やることやったらできちゃうんだからね」
 勘弁してよ。母親に言われるのはキツイ。
「でも、あんた、凛ちゃんに感謝しなさいよ」
「何を」
「いつも凛ちゃんと一緒だったから、少しは女の子の扱い方とかも教えてもらったわけでしょ」
「あいつは女子という感じじゃないよ」
「本当は好きだったんでしょ」
「まあ、仲のいい友達だよ」
 母親は素っ気なくうなずいて席を立つと食器を洗い始めた。お金だけ手に入ったら、用はない。僕はさっさと退散した。
 もう二度と母親に相談しなくても良いように、無駄遣いをやめてちゃんとお金を貯めておこうと思った。
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