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第16章 糸原奈津美トークショー
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下のイベントスペースで歓声があがる。吹き抜けの五階まで響いてくる。僕は下を見た。トークショーが始まっていた。
司会者が登場して、ゲストを紹介する。
「今日のゲスト、まず一人目は地元福岡県出身の糸原奈津美さんです。どうぞ」
イベント会場のステージに糸原奈津美が登場する。拍手が起こるが、観客の数からするとまばらな感じだ。
「そして、小倉赤丸・末吉のお二人です。どうぞ」
拍手や歓声がわき起こる。さすがテレビで見ない日はないというくらいのお笑いコンビだ。同じ観客とは思えないほどの盛り上がりようだ。
「いやあ、どうも小倉赤丸です」
「小倉末吉です、どうもです」
観客が落ち着いたところで司会者がマイクを構えた。
「今日はお二人の秘密についてネット書き込みから質問してみたいと思います」
「ムムム、僕ら秘密なんてありませんけどね」
「九州ゆかりのタレントとして地元愛を売り物にしているお二人ですが、なんと、お二人とも小倉出身ではないそうですね」
会場から薄い笑いが起こる。
「いや、これはね、秘密ではなくて、むしろ僕らネタにしてるくらいですからね」
「そうなんですよ。僕ら出身は下関です」
「じゃあ、山口県ですね」
「そうなんですよ」
「じゃあ、どうして小倉なんですか」
「それはもう、二人とも大学が小倉だった。それだけです」
「僕ら大学の落語研究会でコンビを組んでたんですよ。で、デビューするときに師匠に名前を付けていただこうということで、お願いしに行ったら、おまえら小倉の大学だから小倉でいいだろって」
「結構いい加減なんですよ、うちの師匠」
「で、師匠が豚骨ラーメンはこってりが好きだから赤丸だろと。僕はあっさりバリカタが好きなんですけど、師匠には逆らえないということで」
「え、じゃあ、本当は小倉白丸だったかもしれないんですね」
「そうなんです。で、末吉さんは、師匠が顔を見て、おまえは運がないから、大吉を狙うと一発で終わる。末永く活躍できるように末吉にしろってことになったんですよ」
赤丸の紹介話を聞きながら、司会者が末吉の方を向く。
「赤丸さんに比べると師匠の愛情を感じるエピソードですね」
末吉が頭をかきながらうなずく。
「うん、でもね、毎年お正月におみくじを引くじゃないですか。で、ふつう大吉が出ると喜ぶものですよね。僕の場合、ものすごくガッカリされるんですよ。大吉かよって。凶より運が悪いんじゃないかって思いますよ」
「それは微妙ですね」
「微妙とか言わない」
「すみません」
この「微妙とか言わない」というやりとりはテレビでおなじみの小倉コンビのお約束ネタだ。
会場が大いに盛り上がる。うまく小ネタを回収できたからか司会者もちょっとホッとしたような表情をしている。
「僕ら下関から毎日電車で通ってたんですよ」
「二人で関門海峡を渡りながらネタの相談とかしてね。ま、迷惑にならないように小声でしたけどね」
「ただ、男二人が顔を寄せ合ってずっとひそひそやってるから、かえって怪しかったかもしれないですけどね」
「おもしろいこと考えるからどうしてもお互いにやにや笑っちゃうわけですよ」
「それは変に思われますね」
「僕らスペースワールドでバイトしてたこともあるんですよ」
「ちょうどJRの駅ができた頃でね。通いやすくていいじゃんかってことで」
「何かイベントとかお笑い関係のお仕事をなさってたんですか」
「いや、清掃係ですね」
「地味ですね」
「地味とか言わない」
「すみません」
二発目のお約束が決まって、大きく目を見開いた小倉赤丸が「クゥーッ!」と親指を立てると、また場内がわく。
ここで小倉赤丸が横でやりとりを眺めているだけだった糸原奈津美に話を振った。
「奈津美ちゃんは今度主演映画が公開されるそうですね。今日から告知解禁だそうです」
「え、この流れから急にいいんですか」
「よかーとです」と、またお約束の一言が決まる。
場内の乾いた笑いに糸原奈津美もスマイルで返す。
「よくないですよ」
「いやね、僕らさっき裏で打ち合わせをしてたんだけど、三十後半のおっさん二人の話からどうしても奈津美ちゃんの青春映画の話につなげるのは無理ってことでね。ま、無理矢理でいっか、と」
「えー、あきらめないでくださいよ」
「でも奈津美ちゃんのピュアな魅力があふれでた映画になっているそうじゃないですか。ぜひ、みなさんもね、劇場に足を運んで福岡県出身のタレントさんを応援してあげてくださいよ。僕らは下関出身ですけどね」
小倉赤丸の言葉に、糸原奈津美も観客に頭を下げた。
「春休み公開の映画『冬来たりなば春遠からじ』です。ここの劇場でも上映しますので、どうかみなさんよろしくお願いします」
まばらな拍手が起こる。
小倉末吉がつっこむ。
「ナツミちゃんなのに春映画なんですね」
「みなさんお間違えのないように」
「いやいやロングランで夏までやってるかもしれませんよ」
「ありがとうございます」
糸原奈津美が赤丸・末吉に深く頭を下げた。
「小倉赤丸・末吉のお二人、そして、糸原奈津美さんでした。どうもありがとうございました」
司会者がまとめて短いトークショーが終了した。
観客が散っていく中で、先輩は立ち止まったままだった。
「思い出したぞ。私はあの者の代わりに死んだのだ。あの者に起こるはずだった災いをすべて引き受けたのだ」
「村島奈津美という人は死んだんじゃないんですか」
「糸原奈津美に生まれ変わったのだろう」
ああ、そういうことなのか。
だから過去の経歴を隠しているのか。隠されてしまっているのか。先輩がキャナルシティを知っているのも、村島奈津美か糸原奈津美として来たことがあるからなんだろう。
「あの者に私の姿を見られてはいけない。あの者に災いがすべて戻ってしまう」
先輩は柔和な笑顔を僕に向けて、手を差し出した。
「朋樹、どこか別のところへ行こう」
それはとてもあたたかな手だった。
司会者が登場して、ゲストを紹介する。
「今日のゲスト、まず一人目は地元福岡県出身の糸原奈津美さんです。どうぞ」
イベント会場のステージに糸原奈津美が登場する。拍手が起こるが、観客の数からするとまばらな感じだ。
「そして、小倉赤丸・末吉のお二人です。どうぞ」
拍手や歓声がわき起こる。さすがテレビで見ない日はないというくらいのお笑いコンビだ。同じ観客とは思えないほどの盛り上がりようだ。
「いやあ、どうも小倉赤丸です」
「小倉末吉です、どうもです」
観客が落ち着いたところで司会者がマイクを構えた。
「今日はお二人の秘密についてネット書き込みから質問してみたいと思います」
「ムムム、僕ら秘密なんてありませんけどね」
「九州ゆかりのタレントとして地元愛を売り物にしているお二人ですが、なんと、お二人とも小倉出身ではないそうですね」
会場から薄い笑いが起こる。
「いや、これはね、秘密ではなくて、むしろ僕らネタにしてるくらいですからね」
「そうなんですよ。僕ら出身は下関です」
「じゃあ、山口県ですね」
「そうなんですよ」
「じゃあ、どうして小倉なんですか」
「それはもう、二人とも大学が小倉だった。それだけです」
「僕ら大学の落語研究会でコンビを組んでたんですよ。で、デビューするときに師匠に名前を付けていただこうということで、お願いしに行ったら、おまえら小倉の大学だから小倉でいいだろって」
「結構いい加減なんですよ、うちの師匠」
「で、師匠が豚骨ラーメンはこってりが好きだから赤丸だろと。僕はあっさりバリカタが好きなんですけど、師匠には逆らえないということで」
「え、じゃあ、本当は小倉白丸だったかもしれないんですね」
「そうなんです。で、末吉さんは、師匠が顔を見て、おまえは運がないから、大吉を狙うと一発で終わる。末永く活躍できるように末吉にしろってことになったんですよ」
赤丸の紹介話を聞きながら、司会者が末吉の方を向く。
「赤丸さんに比べると師匠の愛情を感じるエピソードですね」
末吉が頭をかきながらうなずく。
「うん、でもね、毎年お正月におみくじを引くじゃないですか。で、ふつう大吉が出ると喜ぶものですよね。僕の場合、ものすごくガッカリされるんですよ。大吉かよって。凶より運が悪いんじゃないかって思いますよ」
「それは微妙ですね」
「微妙とか言わない」
「すみません」
この「微妙とか言わない」というやりとりはテレビでおなじみの小倉コンビのお約束ネタだ。
会場が大いに盛り上がる。うまく小ネタを回収できたからか司会者もちょっとホッとしたような表情をしている。
「僕ら下関から毎日電車で通ってたんですよ」
「二人で関門海峡を渡りながらネタの相談とかしてね。ま、迷惑にならないように小声でしたけどね」
「ただ、男二人が顔を寄せ合ってずっとひそひそやってるから、かえって怪しかったかもしれないですけどね」
「おもしろいこと考えるからどうしてもお互いにやにや笑っちゃうわけですよ」
「それは変に思われますね」
「僕らスペースワールドでバイトしてたこともあるんですよ」
「ちょうどJRの駅ができた頃でね。通いやすくていいじゃんかってことで」
「何かイベントとかお笑い関係のお仕事をなさってたんですか」
「いや、清掃係ですね」
「地味ですね」
「地味とか言わない」
「すみません」
二発目のお約束が決まって、大きく目を見開いた小倉赤丸が「クゥーッ!」と親指を立てると、また場内がわく。
ここで小倉赤丸が横でやりとりを眺めているだけだった糸原奈津美に話を振った。
「奈津美ちゃんは今度主演映画が公開されるそうですね。今日から告知解禁だそうです」
「え、この流れから急にいいんですか」
「よかーとです」と、またお約束の一言が決まる。
場内の乾いた笑いに糸原奈津美もスマイルで返す。
「よくないですよ」
「いやね、僕らさっき裏で打ち合わせをしてたんだけど、三十後半のおっさん二人の話からどうしても奈津美ちゃんの青春映画の話につなげるのは無理ってことでね。ま、無理矢理でいっか、と」
「えー、あきらめないでくださいよ」
「でも奈津美ちゃんのピュアな魅力があふれでた映画になっているそうじゃないですか。ぜひ、みなさんもね、劇場に足を運んで福岡県出身のタレントさんを応援してあげてくださいよ。僕らは下関出身ですけどね」
小倉赤丸の言葉に、糸原奈津美も観客に頭を下げた。
「春休み公開の映画『冬来たりなば春遠からじ』です。ここの劇場でも上映しますので、どうかみなさんよろしくお願いします」
まばらな拍手が起こる。
小倉末吉がつっこむ。
「ナツミちゃんなのに春映画なんですね」
「みなさんお間違えのないように」
「いやいやロングランで夏までやってるかもしれませんよ」
「ありがとうございます」
糸原奈津美が赤丸・末吉に深く頭を下げた。
「小倉赤丸・末吉のお二人、そして、糸原奈津美さんでした。どうもありがとうございました」
司会者がまとめて短いトークショーが終了した。
観客が散っていく中で、先輩は立ち止まったままだった。
「思い出したぞ。私はあの者の代わりに死んだのだ。あの者に起こるはずだった災いをすべて引き受けたのだ」
「村島奈津美という人は死んだんじゃないんですか」
「糸原奈津美に生まれ変わったのだろう」
ああ、そういうことなのか。
だから過去の経歴を隠しているのか。隠されてしまっているのか。先輩がキャナルシティを知っているのも、村島奈津美か糸原奈津美として来たことがあるからなんだろう。
「あの者に私の姿を見られてはいけない。あの者に災いがすべて戻ってしまう」
先輩は柔和な笑顔を僕に向けて、手を差し出した。
「朋樹、どこか別のところへ行こう」
それはとてもあたたかな手だった。
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