冬に鳴く蝉

橋本洋一

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コドク町にて

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「コドク町は『二十年前の物の怪』のせいで作られた――貧民街だ」

 蝶次郎は隣を歩く瀬美に、経緯を説明する。彼自身、口に出すのも恐ろしく、語るのもおぞましい暗い事情を言うのは、背筋が凍る思いだった。しかし瀬美には話しておかねばならない。だからなけなしの勇気を振り絞って蝶次郎は続けた。

「いや、貧民街というより流刑地だな。あそこの住民は何の職にもありつけない。何の援助も受けられない。見捨てられた人々が集まる場所なんだ」
「彼らと『二十年前の物の怪』との関係はなんでしょうか?」

 瀬美の問いに蝶次郎は暗い顔で答えた。

「つまり『二十年前の物の怪』に立ち向かえなかった家臣たちの家族や子孫が追放されたところだ。もちろん、田畑などなく食物などありはしない。初めは全員餓死すると思われたが、生きようと決意したら人間はしぶといものだ。近くにいた獣や魚、時には虫すら食べて彼らは生き残った」

 怠惰に暮らしている蝶次郎には想像もできないほど、厳しい生活を営んでいるコドク町。
 きっと凄惨な行ないを多くの者がしていたのだと思うと改めてぞっとする。
 蝶次郎は「今ではすっかり無法地帯になっている」と瀬美に言った。

「殺人を犯した者や他藩を追放された者など、行き場のない人間が集まっている。ほとんど悪人しか住んでいない」
「無法地帯だからこそ、捕まる可能性が低い。それゆえ悪人が集まるということですね」
「ご名答だ。したがって、天道藩の人間はコドク町に近づかない。よっぽどなことがない限りな」

 蝶次郎は足を止めた。隣の瀬美も数瞬の狂い無く止まった。
 目の前に広がるのは、澱んだ空気漂う町――コドク町。
 崩れた家、いや小さな廃屋がところどころある。まばらだが人がいて、一様にうなだれているか、しゃがみこんでいた。夕刻前だが真夜中のような不気味な静かさ。

 町を仕切る塀はなく、門すらない。ただぽつんとある――見捨てられた場所。
 蝶次郎は「今一つ訊ねる」と最後に瀬美に問う。

「本当に良いんだな? ここから先、どんな目に遭うのか分からないぞ?」
「イエス。タダシを連れ帰るとたまさんに約束しました。それは守らねばなりません」
「俺だって――」

 連れて帰りたいと蝶次郎が言いかけたとき、瀬美は彼の顔辺りに手を出した。
 鈍い音が辺りに広がる。思わず目をつぶった蝶次郎。恐る恐る目を開けると、瀬美が何かを握りしめていた。

「無法地帯というよりも、危険地帯ですね」

 瀬美が静かに手を開いた――ぼとりと落ちる石。
 蝶次郎の顔面に向かって投石されたのだ。もし当たり所が悪ければ……

「……なんで町だ。これじゃあいくら命があっても足りないぞ」
「ご安心ください。私が蝶次郎様をお守りします」

 ごくりと生唾を飲み込んだ蝶次郎の前に、瀬美は機械的に立った。
 すると廃屋から十数人の男たちが現れる。
 コドク町の住人は無気力に見つめるだけで、何も言わないし何もしない。

「へへへ。女だ。それも上物だ!」
「なんだあ? そこの青瓢箪みてえなお侍さんは? 顔色悪いぜえ」
「こりゃあ楽しめるかもなあ!」

 十数人のごろつきは口々にいやらしいことや見下したことを言いつつ、下種な欲望を満たしに蝶次郎たちに近づく。錆びた刃物や太い木の棒を弄びながら、二人に襲い掛かるのだと誰の目からも分かった。

 瀬美がさらに一歩進んで「お聞きしたいことがあります」とごろつきたちに問う。

「子犬を連れた殿方を探しています。ご存じの方はいますか?」
「はあ? 子犬? そんなの知らねえよ」
「逆に教えてくれたら、なんかくれるのか?」
「ていうか、知っていても教えねえよ」

 半円状に寄ってくるごろつきに蝶次郎は「お、おい。やばいんじゃないか……?」と焦っていた。まさかこんな大勢と対面するとは思わなかった。

「瀬美、どうする?」
「この方々に聞いても無駄でしょうね。さて、どうやって探しましょうか?」
「そんな悠長なこと言っている場合か!?」

 蝶次郎がおろおろしていると、血の気の多いせっかちなごろつきが、持っていた刃物で瀬美を切りつける――空振りした。

「おいおい! てめえ何してんだよ!」
「脅しのつもりなら帰れよ!」

 ごろつきたちの野次に対し、刃物を振るった男は不思議そうな顔をした。
 確実に切れるはずだったのに、避けられた気がする。
 そんな気がしてならない。

 事実、瀬美は最小の動きで避けたのだ。あまりに素早い回避だったので、傍目からは空を切ったように見えたのだろう。

「蝶次郎様。まずは安心してタダシを探せるように、この方々にはお帰りしていただくことにします。よろしいでしょうか?」
「え、あ、ああ……そう、だな……」
「ふざけたこと言ってんじゃあねえぞゴラア!」

 今度は素手で殴りかかってきた男――半身になんて回避する瀬美。それだけではなく、腕をとって一本背負いよろしく地面に叩きつけた。
 呻く男の腕を話しながら瀬美は「申し訳ございません」と頭を下げた。

「手加減はしたのですが、痛みがあるようですね。失礼しました」
「こ、この女、何者だ……?」
「ええい、全員でかかれば負けっこねえ! 行くぞ!」

 ごろつきたちは各々の得物を構えて、一斉に瀬美へと襲い掛かる。
 瀬美は下げていた頭を上げる。

「お元気なようで、何よりです。それでは――子守りの時間ですね」


◆◇◆◇


「そ、そいつは、蟻村だ……」

 十数人のごろつきをあっという間に鎮圧――瀬美にしてみれば寝かしつけた――瀬美の問いに、一人の男が息も絶え絶えに答えた。わざとこの男だけ意識を残していたのだろう。蝶次郎は改めて瀬美が人間ではないことを分からされた。

「その蟻村という方で間違いないのですね?」
「あ、ああ。顔に赤痣のあって不潔な奴は、そいつしかいねえ……間違いない……」
「どこにいらっしゃいますか?」
「町の北のほうの外れに住んでいる……一軒だけしかないからすぐに分かる……この道をまっすぐ行ったところだ……」

 瀬美は男を放すと「ありがとうございます」と深く頭を下げた。男は呻き声をあげてそのまま意識を失う。コドク町の住人たちは、瀬美を化け物のように見つめていた。

「蝶次郎様。タダシの居場所を見つけました。行きましょう」
「……そうだな。急ごう」

 瀬美の隣を歩く蝶次郎は「子守りが専門じゃなかったのか?」と小声で訊ねる。

「イエス。子守りが専門です。しかし蝶次郎様を守るために、戦闘用プログラムをインプットしております」
「ぷろぐらむ? いんぷっと?」
「簡潔に述べれば、私は戦闘の達人なのです」

 先ほどの戦いを見れば分かる。一撃で意識を刈った蹴りや昏倒に至らせる拳、そして相手を無力化させる柔術。武に秀でていない蝶次郎が見ても一級品だった。

「それは頼もしいな……」
「ありがとうございます」
「……なあ、瀬美。タダシのことだが、ずっとうちで飼っていいぞ」

 蝶次郎は気づいていた。瀬美が必死になってタダシを助けようとしたのは、たまとの約束だけではなく、彼女自身が助けたいと思うからだと。そのくらい愛着を持っているのだと。
 瀬美は「しかし、私には飼う資格がありません」と頑なに断った。

「安心しろ。瀬美が未来に帰っても、俺が面倒を見てやる」

 蝶次郎はいずれ瀬美が未来に帰るのだと思っていた。
 それが原因でタダシを飼えないのだと考えていたのだ。

「蝶次郎様、私は――」
「おっと。そこの家じゃないか?」

 蝶次郎が指さしたのは、先ほどの男が言っていた廃屋だった。
 本当に一軒しかなく、周りに家はなかった。
 コドク町の中でも、物寂しい場所である。

「行くぞ。タダシを連れ帰って、たまたちを安心させよう」
「イエス。そうしましょう」

 瀬美は言いかけた言葉をやめて蝶次郎に続いた。
 扉を開きながら「御免」と言って蝶次郎は中に入る。
 彼は、何の覚悟もしなかった。

「うっ。なんだこの臭いは……」

 むっとする鉄の臭い。窓が締め切っているため、立ち残っている。
 廃屋の奥、扉の正面に男――蟻村がいた。
 口をもごもごと動かしている。

「おい、お前。蟻村だな? タダシをどこに――」

 言いかけて気づく。
 辺り一面の血に。
 そして足元には毛――たくさんの毛。

「お、お前、まさか」

 蝶次郎が気づいたと同時に、蟻村は笑った。
 歯が、真っ赤に、染まっていた――
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