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第2章

18.道は見えない

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 ローゼはフェリシアと共にジェラルドの部屋を後にした。

 今はひとりでいたい気分だった。考えをまとめたいからという理由で彼女と別れようとすると、フェリシアはローゼの手を取る。

「でも、何かご用ができたときは、いつでもわたくしの部屋を訪ねてくださいませ。留守だったときは部屋の中で待っていてくださって構いませんわ。鍵は開けておきますから」

 彼女の気遣いは嬉しかったので、ローゼは黙ってうなずいた。
 
 しかし部屋へ戻っても、何かをしたくなるわけでもない。そもそも何も考えたくはなかった。結局レオンとの会話も上の空のままでぼんやりしていると、昼過ぎにダスティ・ハイドルフ大神官が呼んでいると言って神官が訪ねて来た。
 ローゼはため息をついて聖剣と共に部屋を出る。もちろん、何の話だか見当はついていた。

 ハイドルフ大神官の部屋へ入ると、老齢の大神官はローゼへ一礼する。

「急に来ていただいて申し訳ない。どうぞ、そちらへ」

 部屋の端にある長椅子を示されたので、ローゼが聖剣を腰から外して座ると、正面の椅子にハイドルフ大神官も腰かけた。
 間にある机には既に茶の準備がされており、カップからはゆらゆらと湯気が立ち上っている。来る時間を見越して準備していたのかもしれない。

 しばらくの沈黙があった後に、大神官は口を開いた。

「レスター神官の行方をご存じありませんかな」

 やはりこの話か、とローゼは思った。
 しかし大神官は、ローゼがアーヴィンに会ったことを知って呼んだわけではないだろう。単に姿が見えなくなったので尋ねているに違いない。

「何かあったのですか」

 とりあえず大神殿側の情報を聞いてみようと、否定も肯定もせずに問いかけてみる。ローゼが驚いていないことに何かを感じたようではあるが、ハイドルフ大神官は話しだした。

「レスター神官の行方が分からないのです。会合があったのですが姿を見せなかったので、滞在している部屋に神官が呼びに行きました」

 しかしアーヴィンの姿は無かった。荷物もあり、馬屋を確認すればグラス村から乗って来た馬もいる。しかし探しても大神殿内で姿を見たものはおらず、門からの退出記録もない。
 そこで、事情を知る者がいないかどうかを確認するために、まずは彼の知り合いから話を聞いているところなのだ、とハイドルフ大神官は語った。

 どこまで話して良いものか悩み、いたずらに聖剣の柄を撫でる。その様子を察知したレオンが言った。

【全部話してやれ】

 そこでローゼは、昨日の夜に様子がおかしかったこと、その後ジェラルドと一緒に城下へ行き、貴族の屋敷前で彼を見かけた話をしておいた。
 聞き終わった大神官は、そうでしたか、と言って黙る。

 沈黙の中、風が窓を揺らす音だけが響いた。しばらくして大神官が口を開こうとしたその時、扉が叩かれ、1人の神官が布でくるまれた荷物を持って入ってきた。

 神官が退出した後、ハイドルフ大神官は荷を確認する。少し悩んで、ローゼのところへ持ってきた。机の上に置いて、再度荷をひらく。

 中には鮮やかな青の神官服があった。
 さらに一枚の紙が添えられており、そこには

 『残してきたものについては、お取り計らいのほどよろしくお願いいたします。申し訳ありません』

 と書かれている。
 やや乱れた様子の筆跡だが、それでもアーヴィンの字であることは間違いなかった。

「これは」

 とローゼは呟く。

「一時的にいなくなるわけではなく、もう戻るつもりがない、ということでしょうか」
「おそらく」

 と、ハイドルフ大神官も沈痛な面持ちでうなずいた。



   *   *   *


 ハイドルフ大神官の部屋を退出したローゼは客間へ戻ろうとして思い返し、そのまま神殿騎士見習いの寮を訪ねた。
 フェリシアは自室にいて、扉を叩くとすぐに開けてくれる。その様子は、まるで来るのを待っていたかのように見えた。
 
 ローゼの表情を見て何か良くないことがあったと察したらしく、何も言わずにただ中へと促す。言われるまま椅子に座ると、黙ってお茶を淹れてくれたので、カップに入った温かいお茶を見ながら、ローゼは呟くように言った。

「ジェラルドさんの言ってたことは正しかったみたい」
「どういうことですの?」

 そこで先ほど、ハイドルフ大神官の元へ荷と手紙が届いた話をする。フェリシアは静かに聞いていた。

「だから本当に、戻ってくることはないんだと思う」

 そう言ってローゼはため息をついた。

「……何があったのかは知らないけどさ。どうしてこんなに急いで連れて行くのかな。貴族ってここまで神殿のことをないがしろにするもの?」

 アーヴィンはグラス村の神官だ。今はミシェラが代理でいるとはいえ、彼女はあくまで一時的に行っただけ、まさか長期にわたってアーヴィンがいなくなるなど想定もしていないだろう。つまり彼は、役目を放りっぱなしでいなくなったも同然だ。

 尋ねられたフェリシアは首をかしげて答える。

「本来でしたら、どんな理由があれ、すべてを放って行くことはありえません」
「急かしたりはしないんだ?」
「ええ。その辺りは暗黙の了解がございますわ。神殿と国は密接な関係にありますもの。きちんと手順を踏んで、その後、家に戻られますわ」

 ただ、とフェリシアは続ける。

「シャルトス家ですから、例外もありえるかもしれませんわね」
「そっか……」

 結局はそこに行きつく。
 
 神殿にも、王家にも、どうにもできない公爵家。
 フェリシアが呟いていた言葉をローゼは思い出す。

 「よりによって」

 本当にどうして。
 よりによって、そんな面倒な家に。

 シャルトス公爵家は何のために彼を戻したのだろう。
 そして彼自身も、一体何を考えているのだ。

 荷物も馬も残したままなのに。
 王宮から立ち去るときだって、誰にも、ローゼにも、何も言わず……。

 そこまで考えてローゼは首を振る。

 ――理由を探る必要はない。彼が戻らないことだけは確定なのだ。

 いつの間にかうつむいていたらしい。ローゼは顔を上げると、わざと明るい調子で言った。

「まあ、しょうがないか。今までの話からすると、ジェラルドさんの言う通り忘れるしかないよね」

 言いながら窓の外を見る。先ほどは湿った風が吹いていた。夜には雨になるかもしれない。

「……さて、あたしも準備しなくちゃ」
「何かございますの?」
「儀式も終わったし、いつまでも大神殿にいるわけにはいかないなって。明日にでも出発するよ」

 ローゼはそう言って、フェリシアへと視線を移す。

「フェリシアにはここまで、本当にお世話になっちゃった。何かと頼ってごめんね」
「どちらへ行かれますの」

 ローゼの言葉には答えず、フェリシアは質問を投げかける。ローゼは少し下を見て考えた。

「そうねえ、まずは――」
「北ですわね」

 怪訝そうに顔を上げたローゼに、フェリシアは繰り返す。

「ローゼは北へ行きますわね?」
「行かないよ」

 ローゼはきっぱりと否定した。

「なんか怖そうじゃない。初心者のあたしはもっと簡単な場所から――」
「いいえ、ローゼはまず、北へ行くんです。そしてあの方にお会いしますの」
「何言ってるの、フェリシア。無理よ」
「それでもローゼは北へ行かなくてはいけませんわ」

 ひたすら北と言い続けるフェリシアの目を見て、ローゼはゆっくりと言う。

「ねえ、冷静に考えてよ。今度の相手は公爵家よ? グラス村の時みたいに、アレン大神官相手じゃないんだから」

 それを聞いたフェリシアは椅子から立ち上がり、ローゼが座っている横に来て膝をつく。

「そうですわね……以前、アレン大神官様にお会いするのを邪魔されたときは、わたくしやお兄様がお手伝いできました。でも今度は無理ですわ。あの公爵家には、神殿も王家も関与出来ません」

 ローゼは苦笑する。

「だから無理だって結論になったじゃない。……あたしも、忘れるつもり」
「いいえ、いいえ、それはいけません、ローゼ」

 フェリシアはローゼの手を取った。

「どうやって会えば良いのかわたくしにも分かりませんわ。でもローゼは会わなくてはいけません。どんな形であれ、もう一度会わなければ一生後悔します。それだけは分かりますわ」

「そんなむちゃくちゃなこと言われても困る――」

「ローゼ。このままですとあの方は北へお住まいになります。おそらくご本人が領内……いいえ、もしかしたら城からもお出ましにならない可能性があります」

 フェリシアが覗き込む。紫の瞳は真剣な色を帯びていた。

「神殿も、王家も。神官1人のために、シャルトス公爵家に対して働きかけたりはいたしません」

 何も言わないローゼを見て、フェリシアは続けた。

「それともローゼが、もう絶対にお会いしたくないんですの?」

 ――会いたくない?

「……そんなわけないでしょ」

 フェリシアの言葉を聞いて、ローゼの目に涙があふれてくる。

「でも、こんな、どうしようもない……」

 会いたいと言って会いに行ける相手でなさそうなことは、ローゼにも良く分かった。

「神殿で手出しできなくて、王家で手出しできなくて、なのに、あたしだけで何ができるの」

 事情があって二度と会えないなら、せめて最後に何か言えたのにという思いはある。しかしもう、どうにもならない。ローゼにできるのは、諦めることだけだ。

「こんなことになるなら……」

 その先は言葉にならない。
 フェリシアが立ち上がり、ローゼを抱きしめてくれた。
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