ニート 終末 人間兵器

沢谷 暖日

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第一章 ニートがニードとされる方法

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『午後七時のニュースをお送りします。──本日、七月二十三日午後三時頃、直径四十メートルほどと思われる小惑星が沖縄県那覇市上空で爆発しました。沖縄県の南部をほぼ全て巻き込む爆発で、推定死亡人数は三十万人以上とされています。専門家から見ても今回のような小惑星の落下は、過去に類を見ない異例の事態だということで──』
 まだ夢を見ているかと錯覚するようなニュースに、箸を持つ手は止まっていた。
 小惑星。三十万人の死。しかも沖縄県で。
「なに、それ」
 思わず口を衝いた言葉に、対面に座る母さんが首を傾げる。
「知らなかった? 今日はもうそのニュースで持ちきり」
「さっき起きたから。……そう、だったんだ」
 テレビにはヘリからの中継の様子が映し出される。
 夕焼けに照らされた丸焦げの街並みは、僕が知っている沖縄とはまるで違う景色だった。
 CGで作り出された映像なのではないかと疑ってしまうほどに。
 それは、決して受け入れ難い映像だった。
「…………」
 ただ、僕には関係のないことだ。
 だって僕は今夜、自殺を決行するのだから。
「ねぇ。兄ちゃん」
 晩御飯もあと少しになったところで、妹の玲奈が冷ややかな声で僕を呼んだ。
 僕は『またか』という思いで「なに?」と返事をする。
「バイトは応募してみた? してないよね、その様子だと」
「だって……怖いから。責任とか、色々」
「はいはい。いつもその言い訳。だけどさ、兄ちゃんの同年代だって真面目に働いてるんじゃないの? 母さんたちに迷惑とか思えない? 恩返ししようって気にはならない? どうせ隕石のニュース見て、少しワクワクしてるんじゃないの?」
 玲奈はいつもこれだ。だけど今日は二割増しで辛辣な気もする。
 ともあれ妹は正論を言っている。だから僕は、自殺をするのだ。
 親不孝か親孝行かは分からない。だが、少なくとも親の負担は減る。
「…………成瀬」
 父さんの声。
 僕はいつの間にか下を向いていた顔を上げる。
 父さんは柔らかい笑顔を僕に向けていた。
「成瀬だって頑張ってるもんな。父さんは迷惑だって思ってないよ。母さんもきっと同じだ」
 その言葉に、母さんは「そうよ」と力強く頷く。
 父さんはそのまま玲奈に向き直り、こめかみに皺を寄せた。
「玲奈。お前には、後で話がある」
「なんで? 私、正論しか言ってないけど」
「玲奈。受験が近くてイライラする気持ちは分かるけどな──」
「だってさ! おかしいと思わない!? 父さんと母さんは、兄ちゃんを拾って上げた身なんだよ!? 普通は働くよ! ニートなんてするわけがないよ!」
 玲奈に気圧されたか、それとも正論だったからか、父さんは口を噤んだ。
 食卓に生まれた沈黙を埋めるように、母さんが声を上げて泣き出す。
 玲奈も目元が滲んでいて、僕もいつの間にか涙を零していた。
「………………」
 そう。僕がいるから、こうなる。
 僕がニートだから、こうなってしまう。
 なら僕が働けば万事解決なのだ。
 だけどやっぱり、怖いものは怖い。
「……ごめん」
 僕はそれだけを言い残して、足早に部屋へと戻った。
 布団に潜り、涙を拭き取って、僕がどうしてこうなったのかしばし思い返す。
 恐らく一番の理由は、短大から四年制大への編入試験を失敗したことにあるだろう。
 人生の夏休みと評される大学生活を終え、そのまま不登校になるようにニートになり、バイトをする気も起こせないまま四ヶ月弱を過ごして、僕は──。
 ──ブー。
 突如として、スマホの通知が思考に割って入った。
 誰かと思えば、ネッ友のアカサタからだった。
 ──ナル氏。今日もニートの自分に傷心中か?
 まるで僕の心を見透かしたようなメッセージだった。
 アカサタはニート歴三年目で、僕と同じ二十歳だ。
 いつも僕の相談役になってくれているが、しかし今は返信をする気力も残されていない。
 なんならもう、返信することは今後一切ないのかもしれないのだ。
「…………」
 やっぱり自殺をするべきだ。
 そう決意が固まってからは早かった。
 ベッドから起き上がると、身支度もそこそこに僕は家の外を目指した。
 リビングでの話し合いの声を無視して、僕はそっと玄関のドアを開ける。
「……あっつ」
 その刹那、むわっとした夏の熱気が僕を襲った。
 スマホを見れば、どうやら今は四十四度もあるらしい。
 その暑さだけで、自殺はやっぱりやめにしようかと思わされる。
 つまり、僕の決意はそれまでということだった。
「…………」
 空を見上げれば、沢山の星が煌めいていた。
 それは、あの日の空によく似ていた。
 十年前、超大型地震が日本を襲った『七・一九』のあの空に。
 僕は『七・一九』が大嫌いだった。
 なにせあの日僕は、あまりにも無力だったから。
 家の下敷きになった家族の叫び声が段々と小さくなっていくのを、ただ呆然と聞くことしかできなかった。もしかしたら、助ける術はあったのかもしれないのに。
 だけど。そんな僕は十年経った今、もっと無力になってしまった。
 やっぱり僕は、この世に必要ない人間だ。
「…………」
 僕はゆっくりと、夜の町への一歩を踏み出した。


 どこへ向かうかなんて決めていなかった。
 テキトーな山の中にでも入れば、手頃な飛び降りスポットでも見つかるだろう。
 僕は歩みを進める。住宅街を抜けた先の川沿いを歩き、惰性で辿り着くのはかつて通っていた中学校。職員室からの光を横目に、学校の塀を沿って、最後に裏山へと辿り着く。
「……ここなら」
 いい場所が見つかるだろう。と、僕は裏山へと足を踏み入れる。
 歩を進めるごどに枝の悲鳴が足音から聞こえ、靴下とズボンの隙間にチクチクとした痛みが走る。なだらかだった坂道は途端に勾配を増し、運動不足の僕はいつの間にか息を切らしていた。そして小さな虫が身体を這い出したところで、僕は帰ろうか真剣に悩んだ。
 所詮僕の決意なんて、その程度で揺れ動いてしまうものなのだと失笑する。
 しかし、その事実がなんとなく悔しくて、僕は歩みを再開させた。
「──はぁ、はぁ」
 電波塔が見えてきた。
 恐らくここが、この裏山の最高地点だろう。
 すでに僕の全身は汗でびしょびしょに濡れていた。
 パタパタとシャツで仰ぎながら、僕はその場でしゃがみ込む。
「……ふぅ」
 木々の隙間から、月明かりが見えた。
 その光を頼りに、僕は飛び降りできそうな場所がないか見回す。
 見当をつけた場所へ、しゃがんだまま近づいてみた。
「わ──」
 思わず声が出る。
 その場所は険しい崖になっていた。
 ギリギリまで近づいてみても、少なくともこの暗さでは下の方は見えない。
 多分ここから飛び降りたら、少なくとも大怪我を負うことになるだろう。
 考えるだけで身震いする。同時に自殺がバカバカしいことに思えてきた。
 といっても帰る気には中々なれない。もうしばらくここにいよう。
「…………」
 思うと、小学生の頃は裏山でよくお話ししていた。
 同級生兼、僕の初恋である桜庭霧子さんと一緒に。
 場所こそは違うが、ここはあの裏山に似ていた。
 目を瞑れば、あの日々のことが脳に蘇ってくる。
 一番記憶に残っているのは、彼女と最後に話したあの日だ。
 彼女はあの日、突然に僕に不可解な問いを投げた。
 その内容は、今でもはっきりと覚えている。
 ──もし明日、世界が滅びるとしたら、どうする?
 別にそれだけであれば、ただの疑問なのだと思う。
 だが、あろうことか翌日に『七・一九』が日本を襲ったのだ。
 世界は滅びなかったにせよ、僕はあの時たしかに世界の崩壊を悟った。
 つまるところ桜庭霧子さん──彼女は未来を予知していたのでは、と思う。
 それを確かめる術はもう無いけど、このことは今でもたまに思い返しては疑問に思っていた。
 ──ブー。
 スマホが思考を遮る。
 取り出して確認すれば母からの連絡だった。
『成瀬は散歩中かな? もうすぐ雨が降るみたいだから早く帰ってきてね! あと成瀬、今日デザートあるの忘れてたからそれも食べてね!』
 可愛いスタンプも添えられている。
 文面は明るいが、急にいなくなった僕を心配してくれてるのが伝わり胸が痛んだ。
 空を見上げれば、いつの間にか雲が月を覆っている。どうやら本当に雨が近いらしい。
 けれど未だ、帰る気にはなれない。だがいずれ帰らなければいけない時はくる。
「はぁ……」
 僕は溜息を一つ吐き、立ち上がろうと足に力を込めた──だが。
「うわっ──!」
 土台がしっかりしてなかったのか、僕は足を滑らせてしまう。
 僕の身体はそのまま、崖下へ吸い込まれるように投げ出された。
 次に、浮遊感と恐怖が身体を纏った。
 ──死ぬ。
 本能でそう思った。
「あ──ぁ──」
 いやだ。いやだ。
 いやだ。いやだいやだいやだ。
「────」
 ひどく後悔した。
 どうしてこんな場所にきてしまったのだろう。
 最初から自殺する気なんて、きっと一つもなかったのに。
 せめて母さんに何か返信をしてやればよかった。
 目を閉じて最後に思ったのはそんなことだった。
「────っ」
 衝撃を受ける。
 次に感じたのは圧倒的な熱だった。
 だがその熱は、僕から発せられている熱では無かった。
「あ。…………え?」
 今の状況が僕には全く理解できなかった。
 僕は恐る恐ると目を開ける。
「…………?」
 絶句した。目の前に広がる光景が信じられなかった。
 僕は浮いていた。地面の数メートル上に留まってふわふわと。
 だが、別に死んだわけではないということは、肌に伝わる熱で明らかだった。
 そして次に僕は『誰かが僕の身体を支えてる』ことに気が付いた。
 お姫様抱っこをするように、僕の身体は誰かに包まれていた。
 熱の発生源はその誰かかららしく余計に頭が混乱する。
 訳の分からないまま、僕と『それ』は高度を上げ、先いた場所へ頼りなく着地した。
 降ろされた僕は荒くなる呼吸を抑えながら、恐る恐ると立ち上がり『それ』をみる。
「あ……」
 そこにいたのは女性だった。多分僕と同い年くらいだろう。
 肩まで伸ばした真っ直ぐな髪の毛。長いまつ毛に切れ長の目。
 彼女のその部分のみに焦点を当てれば、誰しもが美人と彼女を評するだろう。
 だが、彼女はどう見たって『普通』では無かった。
 ──なんだ、これは。
 彼女の背中から、何かが、突き出ていたのである。
 鳥の翼のようにも、蝶の羽のようにも見える、そんな何かが。
 目が離せない。その刹那、背中のソレはガシャンガシャン。と、そんな稚拙な効果音を出すようにして、彼女の背中へ隠された。さながら、変形ロボットが元の姿に戻るように。
「あ────」
 少なくとも、目の前のソレは人間では無い。
 目の前の現実が、その事実を僕に突きつける。
 なのに……なのに彼女は──よく似ていたのだ。
 僕の初恋の──桜庭霧子さん、その人に。
「……き、りこ。さん?」
 思わず口に漏らしてから、僕は安堵からか地面に倒れ込んだ。
「おはようございます。佐々木成瀬さん」
 彼女が返したのは機械のように淡々な声。
 対する僕は声帯が萎縮したかのように、まともに声が出せなかった。
 なんで僕の元に来たのか。助けたのか。背中から生えていたのはなんなのか。僕なんかの時間をもらって、彼女になんの利益があるのか。気になることは溢れるほどにあったのに。
「貴方の時間を、ほんの少しだけ私にくださいませんか?」
 彼女の言葉なんてとっくに頭には残らなくて、意識は遠くなってゆく。
 倒れた僕の体が、遠い意識の向こうで誰かに抱えられた。
 そのまま僕は、どこかに運ばれてゆく。
 僕は──どうなるのだろう。
 だけど、少し時間をあげるくらい、別にいい。
 死にそうな僕を、助けてくれたのだから。
 それに、今日はちょうど家に帰りたくなかったから。
 親には帰ってから、ちゃんと謝って、うん。今度こそバイトを始めよう。
 きっとこれは、いつものような衝動的な思いではないはずだ。
「…………」
 雨が降り出した。
 ひどく冷たい感触を肌に残して、僕は意識を手放した。
            ※
 多分、それは夢だった。死んだはずの家族が出てきたから。
 小学生の僕を、父さんが抱き寄せて、母さんが呆れたように笑い、構ってくれないと妹が泣いていた。多分これは、僕がちょうど十歳になった頃の記憶だったと思う。
 父さんが十年後の僕に思いを馳せていた。十年後はサッカー選手か、ピアニストか、だとか僕がつまらない男になるとは決して思っていないようだった。それでも結局習ってたサッカーもピアノも中途半端になって『七・一九』で全て僕は失ってしまったのだけど。
 『七・一九』が無ければ、それさえ無ければ、僕はずっとそう思っている。
 そしたらずっと、こんな幸せが続いたのだ。
 僕はもっと良い大学を出て、良い企業に就職していたはずだ。
 だから全部全部『七・一九』が悪いんだ。
「僕が大人になったら、みんなを旅行に連れて行くね」
 夢の中で僕が言っていた。
 父さんと母さんは、やけに嬉しそうにして、妹はあまりピンと来ていなかった。
「ありがとうな、成瀬」
 やめてくれよ。父さん。
 もうこんな夢、見せないでくれよ。
 家族はもう、この世にいないんだから。
          ※
 知らない天井を実際に見る機会があるとは思わなかった。
 重い上半身を起こして周りを見れば、そこはやけに質素な部屋だった。
 白い壁、白い床、白いベッド、本当にそれのみで構成されているようで、窓すらもついていない。一体どうしてこんな場所にいるのか思案すると、徐々に記憶が蘇ってくる。
「…………霧子、さん」
 そうだ。僕は裏山の崖から落ちたところを、霧子さんによく似た人(人かも怪しい)に助けられて、気を失ってから──おそらく、この場所に運ばれてしまったのだろう。
 だけど、思えば思うほど、彼女の背中から生えた羽は夢のような光景だった。
 もしかしたら本当に夢だったのかもしれないが、それでも今でも肌に僕を抱き抱える彼女の感触が残っている。つまるところ、あの光景は本当に現実だったのだ。
「……っしょ」
 ベッドから完全に身体を起こす。
 しかしどうしてか、身体が重かった。
 いつもと違う時間帯に起きたかもしれない。
 というかそもそも、今は一体何時なのだろう。
 部屋に時計は無いし、スマホも見つからない。
 せめて、霧子さん、もしくはこの建物の関係者を探さないと。
 そして問い詰めよう、ここはどこか、どうして僕はこんな場所にいるのか。
 加えて聞けるものなら、霧子さんが何者かということも。

 僕は部屋のドアへと歩みを向け、僕はゆっくりとそのノブを回す。
 ドアは普通に開いてくれて、次に目に映ったのは奥に続く長い廊下だった。蛍光灯の光は薄暗くて頼りなく、そして廊下に嵌められた窓の外を見て、僕は今が夜だと知った。もしかすると一日中眠っていたのかもしれない。なら尚更、早く帰らねばと僕は廊下を進む。
 フロアマップは見つからないので、とりあえず手探りに進む以外方法はなさそうだった。だが、どうしても人の気配は感じない。僕が先までいた場所以外にも部屋はあったようだが、整備はされているだけで使われてはいないようだった。いよいよ、この場所が不可解に思えてくる。僕がこの場所に連れてこられた意味、考えても考えても答えに辿りつかない。
 階段を降りる。廊下を進む。階段を降りる。行き止まってから、引き返す。
 大体十分は歩いただろうか。足が疲れてきたそんな頃、僕はオレンジ色の光が漏れている扉を見つけた。救われるような思いで僕は駆け足で光の元へと向かう。
 ──コンコンコン。
 扉を叩く。
「すみません。誰か、いますか?」
 声を飛ばす。
 だが、十数秒待っても返事は来なかった。
 痺れを切らした僕は「失礼します」とその扉をそっと開いてみる。
 そして、僕は────息を呑んだ。
 ──なんだ、これ。
 眼前には、視界に収まりきらないほどの巨大な機械が鎮座していた。
 ピロピロとゲーム音に似た音を、いくつもの複雑に絡み合った機構が奏でている。
 素人目でもそれは、ただの機械ではないと理解ができた。同時に、この場所は病院でも一般的な施設でもない、それ以上の何かしらの施設だということも。
「──ここは、一体」
 少し部屋を歩いてみる。
 天井が高く、部屋もでたらめに広い。
 ドアの外側からじゃ全く見当もつかない内装をしている。
 これは、何を目的とした機械なのか。見れば見るほど頭が混乱する。
 コントロールパネルのようなものに表示された数字の羅列も僕には理解ができない。
 もしかすると、僕はとんでもない場所に連れてこられてしまったんじゃ?
 そう思ったところで、僕の背後に人の気配があることに気がついた。
「見られちゃったね。成瀬くん」
 同時にかけられた声に、僕は「ひっ」と情けない声と共に全身を跳ねさせた。
「もう少し後だと思ってた。身体の調子はどうですか?」
 僕は数拍間を開けて、背後にいる人物の正体に気が付いて、振り向く。
 僕に声をかけたのは案の定──霧子さんだった。
 だけど彼女は、少し前に裏山で見た彼女とはまるで別物だった。
「起きてくれてよかった。少し、外に出て話そっか」
 彼女はにこりと微笑む。
 今の彼女は、僕が小学生の頃に話した彼女と、とてもよく似ていた。
 僕は曖昧に頷くと、その手を引かれ部屋の外へと連れていかれる。
 しばらく歩いた先にあったベンチに腰を下ろして、彼女は一つ息を吐いた。
「わかってる。成瀬くん。今、すごく混乱してるよね」
「う、うん。……聞きたいことがたくさんありすぎて」
「そうだよね。だけど私も少しびっくりなんだ。ともかく久しぶり、成瀬くん」
 彼女は柔和にはにむと「会えて嬉しい」と語尾に加えた。
 こんな訳の分からない状況なのに、心臓がドキリと跳ねる。
 僕の初恋の人だ。当然のことといえば当然のことなのかもしれない。
「えっと、小学生の頃ぶり、だよね。それこそ『七・一九』以来」
「うん。私も成瀬くんも引っ越しちゃったからね。だから、運命の再会だね」
「あれ? 僕が引っ越したこと知ってたっけ? あ、僕の変わった苗字も知ってたよね」
「知ってるよ。親から聞いて」
「……親から」
 少し、違和感を覚える。
 だが今はそれ以上に気になることがありすぎた。
 僕は質問をとりあえず一つに絞り、それを問うてみる。
「あの、一つ聞いていい? ……ここは、どこなの?」
 すると彼女は一瞬眉をぴくりと反応させたように見えたが、本当に一瞬だったので気のせいだったかもしれない。気付けば彼女はまた笑って、なんでもないことのように言った。
「自衛隊の建物だよ。知ってたっけ? 私、親が自衛隊の人でさ」
「あ、うん。それは聞いたことがある。霧子さん、よく親の愚痴言ってたから」
「そうなの。それでまぁ今は、訳あって私もここにいて」
「えっと。それって──」
 霧子さんの、あの変な体が関係していたりする?
 そう聞こうとした寸前で、僕はその言葉を飲み込んだ。
 だけど彼女は僕が言おうとしたことを理解したらしい。
 溜息にも似た息を吐くと、彼女は「あはは」と今度は愛想笑いを浮かべた。
「私はちゃんと人間だよ。少し体を改造された、ただの人間。だから気にしないで」
「いや……気にするよ。どういうこと? 霧子さんは、いつからその体なの?」
「あはは。関係ないよ。成瀬くんには。……ほんとに、関係ないの」
 霧子さんは俯いた。不安げに、そして少しだけに不快そうに。
 やはり、彼女の体の一部は人間のものではないらしい。
 その理由は分からない。分かったところで、意味はないのだろうか。
 だけど、意味を知らない方が僕にとっても、彼女にとっても良いのかもしれない。
 今の彼女の暗い表情を見ると、そう思わされる。僕は別の問いを彼女に投げた。
「ならさ。どうして僕を、こんなところに連れてきたの?」
 これもまた攻めた問いだっただろう。
 だけど、これははっきりとさせておきたかった。
「うーん。なんだろう。ただ久しぶりに成瀬くんを見つけて、舞い上がっちゃったからかな。だからつい連れてきてしまったの。……ごめんね。もう、帰ろっか」
 霧子さんは尻すぼみに言うとベンチから立ち上がった。
 彼女の言葉は僕にとって嬉しいもののはずだったのに、何一つとして腑に落ちない。
 問いただしたい気持ちを抑え込んで、僕も彼女に倣いその場を立つ。
 と、彼女は思い出したかのように「そうだ」と自身のポケットを漁り出した。
「これ。成瀬くんのスマホ。裏山に落ちてたから」
「あ、ありがとう。よかった。電源は……さすがに切れてるか」
「ごめん。気が利かなくて。それより成瀬くん、電話番号聞いてもいい?」
「えっ? あぁ、うん。分かった」
 僕は問われるがまま電話番号を霧子さんに伝えた。
 それから僕は彼女に連れられ、建物の外に停められた自動車へ案内される。
 運転席には黒服の男性が座っており、僕は促されるまま後部座席へ腰を下ろした。
 僕を送ってくれるらしいが、どうやら霧子さんはここまでの見送りらしい。
「それじゃあ、さよなら。成瀬くん」
 少し冷たい対応だと感じたが、それでよかったんだと思う。
 これ以上、彼女に深入りする理由なんて僕にはなかったからだ。
 彼女には彼女の生き方と生活があるだろうし、ニートの僕が付け入る余地などそこにない。
「うん。さよなら。霧子さん」
 と。車のドアを閉めようと手をかける。
 だが霧子さんはその時「待って」と僕の手を止めた。
 数拍の間を開けて放たれた彼女の声は、微かに震えていた。
「ごめんね。成瀬くん。こんな……こんなことに、巻き込んでしまって」
 細めた目の隙間から、一筋の涙が伝ったように見えた。

 黒服の運転手に僕は家の住所を伝えたのだが、何か外の風景がおかしかった。
 普通であれば、自宅に近付くにつれ町の明かりが増えていくはずなのに、今は光がほぼ外に映らない。本当に家に向かっているのか不安だったが、車のナビを覗けばそれも杞憂なのだと思い知らされる。だが、時計を見てみても、今は寝る時間にはまだ早いのだ。
 疑問を抱きながらも、やがて車は僕の家の前で動きを止めた。
「あ、ありがとうございました」
 車に長居するわけにもいかないので、僕はそそくさと降車する。
 一呼吸置いて見上げた我が家の電気は、やはり一つも灯っていない。
 それは僕の家どころか、周りの家も、街灯の明かりすらも同様に。
 だとしたら考えられる可能性は一つしかない。
 なんらかの理由で、この町全体が停電を起こしてしまったのだ。
「…………」
 玄関のドアを開けようとするが鍵がかかっている。
 インターホンを押してもダメだ。そもそも反応しない。
 まぁいいか。と、僕はドア横の花瓶を持ち上げ、敷かれていた鍵を手に取った。
 鍵を失くした際の救済措置が、まさかこんな場面で役に立つとは思わなかった。
 ──ガチャリ。
 静まり返った町に、ドアの開閉音はよく響く。
 僕はどこか慎重に家の中へと足を踏み入れた。
「母さん? 父さん?」
 呼んでみるが返事はない。それどころか、気配すらも感じなかった。
 とにかくスマホの充電だ。この町に何が起こっているか調べる必要がある。
 そう思い立ち、二階の自室に上がりモバイルバッテリーでスマホを充電する。
 一分弱で復活をしたスマホは、すぐに沢山の通知音を吐き出した。
 そしてその通知欄に表示されたニュースに、僕は思わず「は?」と声を漏らす。
『宮崎県に巨大隕石の落下。沖縄小惑星に引き続き異例の事態』
 宮崎県は僕の住む都道府県だ。
「……一体、どこに」
 概要を見れば、宮崎県の日南市に隕石が落下した、とのことだった。日南市は壊滅状態で、日南市の北側に位置する宮崎市も南部が多くの被害を受けているらしい。そしてどうやら、僕が住んでいる宮崎市の北部の被害は少なく済んだようだ。
 それは、不幸中の幸いと言わざるを得ない。
 だがこのニュースにはおかしな点があった。
「隕石落下日時は七月二十五日──」
 日付だ。確か今日は、二十四日のはず。
 と、僕はスマホのカレンダーを開いた。
 だがスマホが指し示す日付は──七月二十六日。午後九時半。
 おかしい。僕が裏山に登ったあの日は、確かに二十三日だった。
 スマホが間違いで無ければ、僕は施設内で三日も眠っていた、ということになる。
「…………」
 だが。それが真実なのだろう。
 僕の体はそれほどまでに疲れていたのかもしれない。
 なのに不思議とお腹は空いてなければ、喉も乾いていなかった。
 まぁいい。次は、親へのメッセージだ。多分、心配してくれているだろう。
 と。通知を見れば案の定だった。両親からいくつものメッセージが届いている。
『成瀬、今、どこにいますか? 私たちは今、市の体育館に避難しています。心配です』
『どうか頼む。帰ってきてくれ。気付いたら、返信してくれ』
 ……そうだ。僕には、こんな心配してくれている家族がいるんだ。
 にも関わらず僕は二十三日に、本気ではないとはいえ自殺をしようとした。
 霧子さんの助けが入らなければ、恐らく無事では済まなかったのだ。
 申し訳なさを覚えながらも、僕は彼らに返信をする。
『心配かけてごめん。僕は無事です。市の体育館ね。すぐ向かいます』
 返信をし、そしてもう一人から心配のメッセージが届いていることに気が付く。
 ネッ友のアカサタだ。しかも彼からも何十通と届いてる。
『ナル氏は宮崎住みだった気がするが、生きてるか? まさか死んでないよな?』
 彼にはかなり仲良くして貰ってるが、これほどまでに心配してくれてるとは思わなかった。両親同様に罪悪感を覚えながら返信を打ち、送信ボタンに手をかけた──その時。
 ──バリン。
 階下から何かが割れる音がした。
 だがその音は、皿が割れるような規模の小さい音ではない。
 それこそ、窓が強引に破られるような、そんな激しい音だ。
 もし破られたとして、誰にだ?
 家族なわけがない。そう思うと同時に嫌な予感がよぎる。
 ──強盗?
 その可能性は十分に有り得た。
 今この町に人はほとんどいないと推測できる。
 ならばそれに乗じて強盗を目論む人がいてもおかしくない。
 僕はスマホをポケットに仕舞い込み、窓辺へ歩みを寄せる。
 強盗であればこの二階にもくる可能性が高い。この家に身を潜められそうな場所が無いことを踏まえると、窓から抜け出すのが最善の策となるだろう。
 だが僕に、そのような勇気はない。
 今でも足は震え、呼吸は次第に荒々しさを増していた。
 なぜ僕は、昨日の今日で、変なことに巻き込まれてしまうのだろう。
 僕は必死に考える。この状況を打破する方法を、必死に、必死に、必死に──。
「…………!」
 しかし。考える時間は僕に残されていなかった。
 足音が、次第に近付いてきていたのだ。
 僕は脈打つ心臓をおさえながら、ドアの方へ向かう。
 もう僕にできるのは強盗の不意をつき全力疾走で逃げることのみだった。
 強盗ではない可能性が残されてはいるが、窓を破られたことを考えると薄い可能性だろう。僕は荒ぶる心臓と呼吸を抑える、やがて自室のドアがゆっくりと開かれて──。
「────!」
 僕は走り出した。
「だれだっ!」
 知らない男の、知らない声。
 目の端に映るのは、左手に握られた包丁。
 必死に逃げる。階段を駆け下り、靴も履かず玄関を飛び出す。
「だ、れかっ。だれか! 助けて!」
 叫ぶ。掠れた声で僕は叫ぶ。
 無意味だと知っていても叫ぶ。
「待てっ──!」
 強盗は僕を追っていた。
 捕まったらきっと殺される。
 包丁を持っていたんだ。そうに決まっていた。
「だれかぁ! 助けてぇ!!」
 二人分の足音が、無造作に混ざり合う。
 どっちが僕の足音で、不審者の音かなんて気にする余裕もない。
 身体が限界を迎えても、僕はそれを超えて走り続ける。
 それでもやっぱり、ニートに長距離走は向いていないらしかった。
 僕の本能が、己の足をピタリと止める。僕はもう、終わりを悟った。
「こいつ!」
 追いついた強盗が、僕の腕をしっかりと掴む。
 大人の男の力は思ったよりも強くて、僕の非力さを思い知らされた。
 そして、乱暴に掴まれた手を振られると、僕はそのまま地面に投げ出される。
「……や、やめ」
 立とうとしても腰が抜け、力が入らない。
 その時、初めて不審者に焦点を当てれば、彼からは明確な殺意を感じた。
 月明かりに照らされた左手の包丁が、ぎらりと鈍い輝きを放つ。
 寒気がした。間髪入れずに持ち上げられ包丁は、そのまま振り下ろされる。
「やだぁ!!」
 僕は情けない声を出し、目を閉じた。
 そして、その瞬間だった。
 ────バァン!!!!
 鼓膜を突き破るほどの轟音。
 全身を打ち付けるような衝撃。
 遠くなる現実の音。酷い耳鳴り。
 一瞬。そしてその先も、何が起こったのか分からなかった。
 ただ、僕が刺されることはなかった。だけど恐怖で目は開けない。
 僕の身体を生暖かい何かが這うように流れている。
 想像していた現実よりも、惨たらしい現実が、今そこにある気がした。
 僕はゆっくりと目を開く。
「──っ」
 強盗は、死んでいた。
「な……んだよ」
 そしてすぐ、自身の体の違和感に気が付く。
 僕の胸から、拳銃にも似た小さな鉄の塊が突き出ていた。
 全身に覆いかぶさるのは、べっとりとした不審者の血。
 血溜まりに沈むのは、空の薬莢。
「なんだよ、これっ!」
 叫ぶと、胸にある小さな鉄の塊は、静穏な機械音を立てながらパタリと体内へと仕舞われた。手を伸ばして胸を撫でてみても、触れられるのは僕の冷たい肌のみ。
 この場所から、確かに何かが突き出ていた。そしてそれは、体内に収められた。
 その刹那、背中から羽を生やしていた霧子さんのことが頭をよぎった。
 もしかしたら僕は、僕は、僕は──。
「うっ──」
 強烈な吐き気と、猛烈な嫌な予感が僕を襲った。
 身体はおかしいはずなのに、吐瀉物は人間のそれだった。
 暴れ出した心臓が、確かに僕の命を知らせてくれている。
 だけど。血の匂いがしなかった。
 血の匂いどころか、全ての匂いが。
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