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第二章 彼のために・・・自分のために・・・唇へのキスはしない・・・
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「J’s Bar」
大学の知り合いに連れてきてもらった店だった。
こぢんまりとしたアットホームな雰囲気。店を切り盛りするママの気取りのない性格に惹かれて、いつのまにか店の常連の一人になっていた。
亮が入り口から入って来た時、桂は「うわっ!」と心の中で叫んでしまったのを良く覚えている。
-自分の理想が洋服を着て歩いている…。
一目で彼に魅せられていた。
涼しげな目元。精悍な男らしい鼻筋の通った顔立ち。
長身のスラリとした体躯。自分の体を誇示するよな、キビキビとした動き。彼の姿の一つ一つに眼を奪われていた…。
慣れた様子でカウンターに腰掛け、ママと気安く笑顔を浮かべながら会話を弾ませていた。彼の良く通る低い声がとても心地よかった…。
それからJ’sにもっと頻繁に通うようになっていた。
さりげなくママから彼の事を聞き出し、彼が来る日にあわせて自分も店に顔を出すようにしていた。
店の隅で僅かなアルコールを楽しみながら、彼の姿を見詰める。
それが、ここ1年の桂の楽しみだった。
程なくして彼の隣にもう一人の男性の姿を見るようになった。
亮とはまた違った意味でハンサムな端正な面差しの男性だった。亮と言葉を交わす雰囲気、熱く絡み合う視線…全てが、二人が恋人同士だと言う事を語っていた…。
少しだけ胸がチクリと痛んだ…。それでも彼を見詰めていられれば幸せだった…。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
数メートル先で亮が桂の姿を認めたようだった。気難しげな表情が一瞬和らいで、桂に笑顔を見せる。
「悪い。遅くなった。待った?」
亮は一応恋人モードに入っているらしい。
彼の笑顔を見て桂も微笑んで「いえ…俺も今来たところです」と答える。それを聞いて亮が「良かった」と表情を綻ばせた。
「店予約してあるんだ。ここから車で15分位のところだから。」
ごく自然に桂の腰に手を当て押し出すようにする。亮の掌の熱さをスーツ越しに感じて、桂の鼓動が早くなった。慌てて動揺を押し込めて、亮を見上げるとドモリながら訊ねる。
「タクシーですか?」
桂の腰に相変わらず手を添えたまま、亮が「イヤ」と答える。
雑踏の中を器用に桂を誘導しながら歩を速める。
「俺の車…。この先に止めてあるから。駐禁切られるとヤバイんだ」
彼の車…助手席に俺が座るのか…?
想像だにしなかった展開に桂の心拍数がどんどん上がる。
山手通り沿いにサーブのメタリックシルバーの車が停めてあった。無造作に助手席のドアを開けると、亮は桂を押し込んだ。
ぎこちない動きで桂は助手席のシートに体を預ける。クラクラして失神しそう…。
亮も乗り込むとすかさずエンジンを掛ける。緩いエンジン音が響いて、車体が滑らかに走り出した。
慣れた手つきでギアを変えながら、交通の流れに乗る。それまで黙りがちだった亮が口を開いた。
「今日…来てくれて…」
突然語尾が消えて、え?と桂が亮の横顔を見た。
彼は前を見据えたまま、少し躊躇うように口を開きかけては、また引き結ぶ。ぎこちない沈黙が車内に満ちた。
「…どうしよう…何か言わないと…」
沈黙にいたたまれなくて何かを喋ろうと焦るのだが、肝心の言葉がこんな時に限って桂には思い浮かばない。
リナだったら、朝飯前で洒落た言葉の一つや二つ、会話を弾ませるような事を言えるのだろうが…あいにく桂にはそんなセンスは無かった。
仕方なく、亮が言いかけた言葉を知りたいと思って聞き返す。
「なんですか…?」
一瞬亮の耳元が赤くなったような気がした。相変わらず前を見たままハンドルを操る。しばらくして亮が今度こそ口を開いた。
「今日…来てくれてありがとう。来ないかと思ったよ。俺…少し強引だったから…」
今度こそ気のせいではなく、首筋から耳元まで真っ赤に染めながらボソリと亮がそう言った。
それを聞いて桂の胸が温かくなる。自分と同じ不安を彼が感じていてくれた事が分かって喜びが胸の中に押し寄せてくる。
例えごっこでも、愛情が無いと分かっていても、気持ちは通い合わせたかったから…。
桂はニコッと笑みを浮かべると、亮を見ながら答えた。
「いいえ…。俺の方こそ、誘って頂いて嬉しいです。ありがとうございます。」
言った桂を、亮はチラリと横目で視線を送る。
前を向いたままなので、彼の表情は見えなかったが、それでもまだ耳朶が赤く染まっているのを、桂は幸せな思いを噛み締めながら見つめていた。
大学の知り合いに連れてきてもらった店だった。
こぢんまりとしたアットホームな雰囲気。店を切り盛りするママの気取りのない性格に惹かれて、いつのまにか店の常連の一人になっていた。
亮が入り口から入って来た時、桂は「うわっ!」と心の中で叫んでしまったのを良く覚えている。
-自分の理想が洋服を着て歩いている…。
一目で彼に魅せられていた。
涼しげな目元。精悍な男らしい鼻筋の通った顔立ち。
長身のスラリとした体躯。自分の体を誇示するよな、キビキビとした動き。彼の姿の一つ一つに眼を奪われていた…。
慣れた様子でカウンターに腰掛け、ママと気安く笑顔を浮かべながら会話を弾ませていた。彼の良く通る低い声がとても心地よかった…。
それからJ’sにもっと頻繁に通うようになっていた。
さりげなくママから彼の事を聞き出し、彼が来る日にあわせて自分も店に顔を出すようにしていた。
店の隅で僅かなアルコールを楽しみながら、彼の姿を見詰める。
それが、ここ1年の桂の楽しみだった。
程なくして彼の隣にもう一人の男性の姿を見るようになった。
亮とはまた違った意味でハンサムな端正な面差しの男性だった。亮と言葉を交わす雰囲気、熱く絡み合う視線…全てが、二人が恋人同士だと言う事を語っていた…。
少しだけ胸がチクリと痛んだ…。それでも彼を見詰めていられれば幸せだった…。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
数メートル先で亮が桂の姿を認めたようだった。気難しげな表情が一瞬和らいで、桂に笑顔を見せる。
「悪い。遅くなった。待った?」
亮は一応恋人モードに入っているらしい。
彼の笑顔を見て桂も微笑んで「いえ…俺も今来たところです」と答える。それを聞いて亮が「良かった」と表情を綻ばせた。
「店予約してあるんだ。ここから車で15分位のところだから。」
ごく自然に桂の腰に手を当て押し出すようにする。亮の掌の熱さをスーツ越しに感じて、桂の鼓動が早くなった。慌てて動揺を押し込めて、亮を見上げるとドモリながら訊ねる。
「タクシーですか?」
桂の腰に相変わらず手を添えたまま、亮が「イヤ」と答える。
雑踏の中を器用に桂を誘導しながら歩を速める。
「俺の車…。この先に止めてあるから。駐禁切られるとヤバイんだ」
彼の車…助手席に俺が座るのか…?
想像だにしなかった展開に桂の心拍数がどんどん上がる。
山手通り沿いにサーブのメタリックシルバーの車が停めてあった。無造作に助手席のドアを開けると、亮は桂を押し込んだ。
ぎこちない動きで桂は助手席のシートに体を預ける。クラクラして失神しそう…。
亮も乗り込むとすかさずエンジンを掛ける。緩いエンジン音が響いて、車体が滑らかに走り出した。
慣れた手つきでギアを変えながら、交通の流れに乗る。それまで黙りがちだった亮が口を開いた。
「今日…来てくれて…」
突然語尾が消えて、え?と桂が亮の横顔を見た。
彼は前を見据えたまま、少し躊躇うように口を開きかけては、また引き結ぶ。ぎこちない沈黙が車内に満ちた。
「…どうしよう…何か言わないと…」
沈黙にいたたまれなくて何かを喋ろうと焦るのだが、肝心の言葉がこんな時に限って桂には思い浮かばない。
リナだったら、朝飯前で洒落た言葉の一つや二つ、会話を弾ませるような事を言えるのだろうが…あいにく桂にはそんなセンスは無かった。
仕方なく、亮が言いかけた言葉を知りたいと思って聞き返す。
「なんですか…?」
一瞬亮の耳元が赤くなったような気がした。相変わらず前を見たままハンドルを操る。しばらくして亮が今度こそ口を開いた。
「今日…来てくれてありがとう。来ないかと思ったよ。俺…少し強引だったから…」
今度こそ気のせいではなく、首筋から耳元まで真っ赤に染めながらボソリと亮がそう言った。
それを聞いて桂の胸が温かくなる。自分と同じ不安を彼が感じていてくれた事が分かって喜びが胸の中に押し寄せてくる。
例えごっこでも、愛情が無いと分かっていても、気持ちは通い合わせたかったから…。
桂はニコッと笑みを浮かべると、亮を見ながら答えた。
「いいえ…。俺の方こそ、誘って頂いて嬉しいです。ありがとうございます。」
言った桂を、亮はチラリと横目で視線を送る。
前を向いたままなので、彼の表情は見えなかったが、それでもまだ耳朶が赤く染まっているのを、桂は幸せな思いを噛み締めながら見つめていた。
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