〜Marigold〜 恋人ごっこはキスを禁じて

嘉多山瑞菜

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第八章 ―もっと…楽で楽しい恋愛がしたかった…—

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 桂はおどおどと目の前にそびえるビルを見上げた。

 紅葉坂を登りきった所に急に表われたモダンなオフィスビル。いかにも切れ者…イヤ桂が勝手にそう思っているだけなのだが…といった人達が忙しく出入りする、そのビルの入り口を桂は見つめる。

 どう考えても自分がそこへ入って行くのは場違いな気がして躊躇われていた。でも…約束の時間まで後5分しかない。

「イヤ…似合う似合わないは別にして…約束だし…。遅刻すると…怒られる…」

 桂は言い訳をあれこれ自分の中で列挙すると、意を決してビルの中へ入って行った。
 
—俺の知り合いに日本語教えてくれよ—
 
 事の起こりは亮のこの一言だった。風邪が治って、すっかり俺様モードに戻った亮は、風邪を引いて以来、当然のように桂のマンションに入り浸るようになっていた。

 それでも桂は必至で抵抗してなるべく部屋に来させないように努力していたのだが…。

 もちろん、デートもするし亮の部屋で食事もするし映画も見るし夜も過ごす。亮の部屋の方が快適だからだ。

 ただ…桂が今日は遣り残した仕事があるから逢えないとか…今日は家に帰るとか言うと、亮は決まって「じゃ…俺が桂の部屋に行く。仕事の邪魔しないから…。」と言っては桂の部屋に入り込む。

 追い返せよ…と一応桂も自分に突っ込んで見るのだが、部屋に来たら、約束通り妙にちんまりと大人しくしている亮に何も言えず…しかも寂しがりやだから…傷つけたくない…甘やかしたい…と言うのが桂の心情だったりして…桂的にも、やっぱり亮と一緒に少しでも長く居たくて…。

 お陰で桂が黙々と授業の準備をしている側で、亮は桂の本を読み漁っているか、桂の仕事を眺めているのが、お約束のようになっていた。

 その日も桂は授業で「~ている。」と「~てある。」どう違う?と質問されて、色々例文を並べて説明したのだが、今までの教え方ではいまいち学習者の完璧な理解に遠かった為、もう一度資料を調べて効果的な指導の仕方をあれこれと考えていたのだ。

 亮は、その日も桂の部屋に押しかけては、桂があぁでもない、こうでもないとやっているのを飽きもせず眺めていたのだが、ふと思いついたようにその一言を口にした。

「え…?山本の知り合いに…?」

 意外な言葉に桂が手を止めてクッションを抱えて、寝っ転がっている亮を見つめた。あぁ…そう。亮が当然と言わんばかりに答える。

「でも…俺…日本人には教えないけど…」

 桂の答えを聞いて亮が眉根を寄せる。

「あのなぁ…桂。俺だって桂の仕事が外国人をターゲットにしているって事は理解しているつもりだけど」

 不機嫌そうに言う亮に、桂は慌ててゴメン…。と謝った。何しろ亮を怒らせると…後が怖い…。

「俺の会社で雑貨デザインを担当しているイタリア人なんだ」

 取り敢えず機嫌をなおして亮が続ける。

 へェ…それで?イタリア人と聞いて俄然興味が沸いた桂が話の続きを促した。

「来週から1年の予定で来日する。本人が少し日本を拠点にしてデザイン活動をしたいとお望みでね。どうも自分のデザインに和のテイストを取り入れたいらしくて…」

「へぇ…スゴイな。その面倒を山本が見るのか?」

 もともと亮は会社の経営に携わっている。煩雑な会社経営の業務以外にも、自身がプロデュースしたイタリア雑貨のショップの経営やPR活動なども幅広く手がけている。

 もちろん商品の選定や輸入、通関手続きまで自分ですると言っていた。ただでさえ多忙なのに、所属デザイナーの来日の面倒までみるのかと思うと、桂は改めて亮は仕事が本当に出来るのだと…驚嘆の念で亮を見つめた。

 桂の反応に気を良くした亮がニッコリ微笑みながら続ける。

「あぁ。まぁ長い付き合いなんでね。本人は日常会話は困らない程度に話せるんだけど…。本人が、なんだっけ?日本語なんとかテストを受けたいって言っているんだ。それで日本語学校に通わせろってご要望でね」

 日本語なんとかを思い出せないらしく、考え込むように亮は言った。その表情が可笑しくて桂は笑いながら亮の言葉を補ってやった。 

「日本語能力試験だ…。多分」

 亮が、そう…それだ。とパッと表情を明るくして同意する。

「なんか…1級を受けるって張り切ってたぜ。プライベートでも桂は教えるのか?」

 桂は自分を優しく見つめる亮を見返しながら答える。自分の一番誇れる仕事を期待されるのが、とても嬉しくて…少し照れくさかった…。

「うん。プライベートでも教える。ぜひやりたい…。やらせてくれよ」

 亮の役に少しでも立ちたくて…亮に少しでも関わっていたくて…。

 そして、もちろん新しい外国人学習者と出会いたくて…桂は嬉しそうに笑うと、そう答えていた。

 亮は、その桂の笑顔を面映そうに見つめると、耳朶まで赤くして「ん…サンキュ。」と一言呟いた。
 
 それが、今、桂がこのビルに来た理由だったりする。
 
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