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《第19章》 ― お前の態度が俺を不安にさせるんだ…。早くこの不安から解放されたい…。―
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亮の不機嫌さや怒りっぽさに慣れたジュリオでもさすがに今は驚いていた。
「騒音は嫌いです。もう少し静かにドアを開けて頂けないですかね」
ジュリオにデザイン画の配色を確認していたクリエイティブの女性スタッフは、いつも以上にピリピリした雰囲気でジュリオの部屋に入ってきた亮に恐れをなしてそそくさと部屋を辞する。その様子を、ふぅとため息を吐きながら見送るとジュリオは亮にそう皮肉を言った。
「……ただろ…」
「はい?」
亮がボソッと呟くのを聞き逃してジュリオはドアの前で立ち尽くしたままの亮に訊ね返した。
次の瞬間返事とばかりに空を切って亮の拳が自分めがけて飛んでくるのを認識すると、ジュリオは慌てて飛び上がって体を避けた。
亮の拳がヒュッと言う鋭い音と共に空を切って、デスクの上に飾ってあった磁器のブックエンドにぶちあたる。
ジュリオは亮の拳から逃げた体の体勢を整えると、ガチャンと音を立てて床に砕け散ったそれを見やった。
次に少し息を荒げながら、目の前でワナワナと体を震わせている亮に視線を戻した。
「一体何なんだ!!」
日本語で話すことも忘れて、ジュリオは素の状態で、イタリア語で亮を詰った。
一体何が起きているのかジュリオは理解できずに混乱したまま、亮を驚いて見つめた。
目の前でまだ握り締めた拳と肩を震わせている亮は、瞳に怒りの色を光らせたままジュリオを鋭く睨んでいる。
「一体何なんだって聞いているんだ!俺はこんな事される筋合い無いぞ!!」
ジュリオの語気鋭い口調に亮がぱっと顔を上げると、ジュリオに掴みかからんばかりの勢いで口を開いた。
「大ありさ!!お前言っただろう!余計な事言いやがって!!!俺たちの事掻き回してそんなに楽しいのか!!!」
一気に高ぶる感情を爆発させて、亮は怒鳴った。その言葉に今度はジュリオが驚きを忘れてきょとんとする。
気持ちを落ち着けさせるように額に手を当てて、亮の言葉の真意を探るように目の前の怒りに駆られた親友を見つめた。
「言ったって…私が…誰に…何を…ですか?」
ジュリオの言葉が日本語に戻った事で、それまできりきりした張り詰めた緊張感が漂っていた雰囲気がフッと崩れた。
亮はまだ怒りで呼吸を荒げながら、ジュリオを睨みつけたまま食いしばった唇から低く声を絞り出した。
「か…桂に…。健志の事を…」
ようやく亮の怒りの原因に思い至ったジュリオは、冷静さを取り戻すと今度は冷ややかに亮を見つめた。
「タケシが戻って来ることですよね?どうして、言ってはいけないのですか?」
ジュリオの言葉に今度は亮が気まずげに視線を逸らした。
「言う……」
亮の口から出かかった言葉は、彼の揺れる心中そのままに頼りなく立ち消えていってしまう。
そんな亮を諌めるような瞳で見ると、ジュリオはソファを指し示して亮に座るように促した。
それまでの勢いが影を潜めてしまったように、おぼつかない足取りで亮はのろのろとソファに腰掛ける。
そんな亮にホッと安心した息を吐くと、ジュリオはコーヒーを秘書に内線で命じた。内線を切って振り返りながら萎れたままの亮を見つめる。
「言う…つもりはなかった…ですか?リョー?」
ズバリとジュリオに問われて、亮は唸るようにあぁ、と答えた。
「私はあなたがとっくにカツラに告げたと思っていました」
自分も亮の目の前に座りながら、相変わらず黙ったままの親友を眺める。
どうして、こうも亮は桂の事になると不器用になってしまうのか…?
何度も感じた不思議な思いのまま亮の顔を見つめる。当の親友は、なぜか瞳に怯えたような色を浮かべたまま落ちつかな気に、ジュリオを見つめていた。
「…言いたくなかった…」
ポツリと呟かれた亮の本音…弱弱しいそれにジュリオが苦笑を浮かべた。
「言いたくないという気持ちと、言わなきゃいけないという責任は違いますよ」
難しい日本語を操ったな、と内心自己満足でほそく笑みながらジュリオは亮に言った。
「…分かってるさ…」
「分かっていません。あなたはカツラに対してフェアではないです」
分かってるさ…分かっている…だけど、桂を傷つけるぐらいなら…言いたくなかった…。
でも、そんな自分の気持ちはやっぱり桂を傷つけることにしかならなくて…。
内心で葛藤し続ける亮の姿をジュリオは静かに見つめた。
「カツラ…ショックを受けていました」
その言葉に亮がピクッと体を震わせた。顔を上げて、自分も傷ついたような表情でジュリオを見つめる。
「でも…カツラ…あなたが良かったって…。タケシが帰ってくる事喜んでいるだろうって…」
その言葉に亮が「くそっ」と罵声を漏らした。両手で顔を覆って、深い溜息を吐き出す。
「…なぜ…言いたくなかったのですか?」
「桂は…俺から離れる事しか考えていない…」
肩を軽く竦めて、ジュリオは続きを促した。疲れきったような口調で亮が重い口を開いて言葉を継いだ。
らしくない思いつめたような暗い表情のまま、ジュリオの顔をみる。
「俺と桂はスタートが間違っていた…。俺が…健志の帰国まで恋人代わりをしろって言ったから…。だから、桂は自分をセックス・フレンドだって思い込んでいる」
そこまで一気に言ってから、亮は苦々しく表情を顰めた。
…言うつもりはなかった。…
…こんなつもりじゃなかった。…
……いつも「つもりじゃなかった」って…俺は後悔ばかりしているな…。思ってくすっと自嘲の笑いを漏らした。
そんな亮をジュリオは気の毒そうに見つめると、訊ねた。
「タケシの帰国を言ったらカツラはどうしますか?」
ふぅと亮は疲れたように溜息を吐いた。
「桂は自分の役目が終わったと決めつけるさ。健志がもどったから、自分はもう用済みだって…な。そして…」
最悪の事態を想像して、亮はぶるっと背中を震わせた。
「…そして?」
ジュリオの続きを促す言葉に、亮は顔色を青ざめさせると抑揚のない低い声音で呟いた。
「俺の前から、姿を消す…」
あまりにも分かりきってしまった答えに、亮はヒステリックな笑い声を上げた。突然笑い始めた亮をジュリオがびっくりしたように呆然と見つめた。
「ははっ…。笑っちまうぜ。桂は絶対に消えるんだ。ごっこは終わったって、言ってさ。俺の前から…俺がどんなに止めても…、絶対に…消えちまう…」
語尾が頼りなく消え、代わりに亮は低く唸るとやりきれないまま、デスクを叩いた。カランと乾いた音がして、デスクに乗っていたボールペンが床に落ちる。それを拾いながら、ジュリオは亮に優しく話しかけた。
「リョー、私前に言いました。素直が肝心と。先にカツラに自分の気持ちをちゃんと言ったほうがいいです。カツラに好きと言うんです。そうすれば、カツラはあなたから離れないでしょう。カツラはあなたのことを…」
「言うなっ!ジュリオ。言うな…」
亮はジュリオの言葉を甲高い声で遮った。ジュリオの言いたいことは分かっている。でも、それを今ジュリオの口から聞きたくはなかった。
亮は自分を憐れみに満ちた瞳で見つめる親友をまっすぐに見返した。
「お前の言いたいことは分かってる。何もかも分かっているさ。でも、今俺は自分の気持ちを言うつもりはない」
「カツラがあなたから離れても…ですか?」
ジュリオの脅し文句に亮は首をゆっくりと左右に振った。
「あいつを愛人にしたくないんだ…。それが俺に出来る唯一の桂への真実なんだ」
亮の言葉を理解出来ないといった表情でジュリオが首を傾げて見せた。
さすがのジュリオにも難しすぎたかと、亮は苦笑を浮かべながら、言葉を継ぎ足した。
「桂は俺の恋人なんだ。だから、恋人として迎えに行く。その前に俺は蹴りをつけなきゃいけないんだ…」
言って、亮の脳裏に頑なな健志の冷たい面差しと、はにかんだ笑みを浮かべる桂の表情が浮かんでは消えた。
全てを…終わらせなきゃ…何も始まらない…。
フッと息を吐き出して亮はジュリオを見つめた。全てを終わらせる為の毅然とした態度を装いながら。
「俺が健志と会う間、桂を頼む。あいつを見ていてくれよ」
ジュリオは傲慢さが影を潜めた亮の真剣な言葉に、もう一切口出しはすまいと、決めながらただ黙って頷いていた。
「騒音は嫌いです。もう少し静かにドアを開けて頂けないですかね」
ジュリオにデザイン画の配色を確認していたクリエイティブの女性スタッフは、いつも以上にピリピリした雰囲気でジュリオの部屋に入ってきた亮に恐れをなしてそそくさと部屋を辞する。その様子を、ふぅとため息を吐きながら見送るとジュリオは亮にそう皮肉を言った。
「……ただろ…」
「はい?」
亮がボソッと呟くのを聞き逃してジュリオはドアの前で立ち尽くしたままの亮に訊ね返した。
次の瞬間返事とばかりに空を切って亮の拳が自分めがけて飛んでくるのを認識すると、ジュリオは慌てて飛び上がって体を避けた。
亮の拳がヒュッと言う鋭い音と共に空を切って、デスクの上に飾ってあった磁器のブックエンドにぶちあたる。
ジュリオは亮の拳から逃げた体の体勢を整えると、ガチャンと音を立てて床に砕け散ったそれを見やった。
次に少し息を荒げながら、目の前でワナワナと体を震わせている亮に視線を戻した。
「一体何なんだ!!」
日本語で話すことも忘れて、ジュリオは素の状態で、イタリア語で亮を詰った。
一体何が起きているのかジュリオは理解できずに混乱したまま、亮を驚いて見つめた。
目の前でまだ握り締めた拳と肩を震わせている亮は、瞳に怒りの色を光らせたままジュリオを鋭く睨んでいる。
「一体何なんだって聞いているんだ!俺はこんな事される筋合い無いぞ!!」
ジュリオの語気鋭い口調に亮がぱっと顔を上げると、ジュリオに掴みかからんばかりの勢いで口を開いた。
「大ありさ!!お前言っただろう!余計な事言いやがって!!!俺たちの事掻き回してそんなに楽しいのか!!!」
一気に高ぶる感情を爆発させて、亮は怒鳴った。その言葉に今度はジュリオが驚きを忘れてきょとんとする。
気持ちを落ち着けさせるように額に手を当てて、亮の言葉の真意を探るように目の前の怒りに駆られた親友を見つめた。
「言ったって…私が…誰に…何を…ですか?」
ジュリオの言葉が日本語に戻った事で、それまできりきりした張り詰めた緊張感が漂っていた雰囲気がフッと崩れた。
亮はまだ怒りで呼吸を荒げながら、ジュリオを睨みつけたまま食いしばった唇から低く声を絞り出した。
「か…桂に…。健志の事を…」
ようやく亮の怒りの原因に思い至ったジュリオは、冷静さを取り戻すと今度は冷ややかに亮を見つめた。
「タケシが戻って来ることですよね?どうして、言ってはいけないのですか?」
ジュリオの言葉に今度は亮が気まずげに視線を逸らした。
「言う……」
亮の口から出かかった言葉は、彼の揺れる心中そのままに頼りなく立ち消えていってしまう。
そんな亮を諌めるような瞳で見ると、ジュリオはソファを指し示して亮に座るように促した。
それまでの勢いが影を潜めてしまったように、おぼつかない足取りで亮はのろのろとソファに腰掛ける。
そんな亮にホッと安心した息を吐くと、ジュリオはコーヒーを秘書に内線で命じた。内線を切って振り返りながら萎れたままの亮を見つめる。
「言う…つもりはなかった…ですか?リョー?」
ズバリとジュリオに問われて、亮は唸るようにあぁ、と答えた。
「私はあなたがとっくにカツラに告げたと思っていました」
自分も亮の目の前に座りながら、相変わらず黙ったままの親友を眺める。
どうして、こうも亮は桂の事になると不器用になってしまうのか…?
何度も感じた不思議な思いのまま亮の顔を見つめる。当の親友は、なぜか瞳に怯えたような色を浮かべたまま落ちつかな気に、ジュリオを見つめていた。
「…言いたくなかった…」
ポツリと呟かれた亮の本音…弱弱しいそれにジュリオが苦笑を浮かべた。
「言いたくないという気持ちと、言わなきゃいけないという責任は違いますよ」
難しい日本語を操ったな、と内心自己満足でほそく笑みながらジュリオは亮に言った。
「…分かってるさ…」
「分かっていません。あなたはカツラに対してフェアではないです」
分かってるさ…分かっている…だけど、桂を傷つけるぐらいなら…言いたくなかった…。
でも、そんな自分の気持ちはやっぱり桂を傷つけることにしかならなくて…。
内心で葛藤し続ける亮の姿をジュリオは静かに見つめた。
「カツラ…ショックを受けていました」
その言葉に亮がピクッと体を震わせた。顔を上げて、自分も傷ついたような表情でジュリオを見つめる。
「でも…カツラ…あなたが良かったって…。タケシが帰ってくる事喜んでいるだろうって…」
その言葉に亮が「くそっ」と罵声を漏らした。両手で顔を覆って、深い溜息を吐き出す。
「…なぜ…言いたくなかったのですか?」
「桂は…俺から離れる事しか考えていない…」
肩を軽く竦めて、ジュリオは続きを促した。疲れきったような口調で亮が重い口を開いて言葉を継いだ。
らしくない思いつめたような暗い表情のまま、ジュリオの顔をみる。
「俺と桂はスタートが間違っていた…。俺が…健志の帰国まで恋人代わりをしろって言ったから…。だから、桂は自分をセックス・フレンドだって思い込んでいる」
そこまで一気に言ってから、亮は苦々しく表情を顰めた。
…言うつもりはなかった。…
…こんなつもりじゃなかった。…
……いつも「つもりじゃなかった」って…俺は後悔ばかりしているな…。思ってくすっと自嘲の笑いを漏らした。
そんな亮をジュリオは気の毒そうに見つめると、訊ねた。
「タケシの帰国を言ったらカツラはどうしますか?」
ふぅと亮は疲れたように溜息を吐いた。
「桂は自分の役目が終わったと決めつけるさ。健志がもどったから、自分はもう用済みだって…な。そして…」
最悪の事態を想像して、亮はぶるっと背中を震わせた。
「…そして?」
ジュリオの続きを促す言葉に、亮は顔色を青ざめさせると抑揚のない低い声音で呟いた。
「俺の前から、姿を消す…」
あまりにも分かりきってしまった答えに、亮はヒステリックな笑い声を上げた。突然笑い始めた亮をジュリオがびっくりしたように呆然と見つめた。
「ははっ…。笑っちまうぜ。桂は絶対に消えるんだ。ごっこは終わったって、言ってさ。俺の前から…俺がどんなに止めても…、絶対に…消えちまう…」
語尾が頼りなく消え、代わりに亮は低く唸るとやりきれないまま、デスクを叩いた。カランと乾いた音がして、デスクに乗っていたボールペンが床に落ちる。それを拾いながら、ジュリオは亮に優しく話しかけた。
「リョー、私前に言いました。素直が肝心と。先にカツラに自分の気持ちをちゃんと言ったほうがいいです。カツラに好きと言うんです。そうすれば、カツラはあなたから離れないでしょう。カツラはあなたのことを…」
「言うなっ!ジュリオ。言うな…」
亮はジュリオの言葉を甲高い声で遮った。ジュリオの言いたいことは分かっている。でも、それを今ジュリオの口から聞きたくはなかった。
亮は自分を憐れみに満ちた瞳で見つめる親友をまっすぐに見返した。
「お前の言いたいことは分かってる。何もかも分かっているさ。でも、今俺は自分の気持ちを言うつもりはない」
「カツラがあなたから離れても…ですか?」
ジュリオの脅し文句に亮は首をゆっくりと左右に振った。
「あいつを愛人にしたくないんだ…。それが俺に出来る唯一の桂への真実なんだ」
亮の言葉を理解出来ないといった表情でジュリオが首を傾げて見せた。
さすがのジュリオにも難しすぎたかと、亮は苦笑を浮かべながら、言葉を継ぎ足した。
「桂は俺の恋人なんだ。だから、恋人として迎えに行く。その前に俺は蹴りをつけなきゃいけないんだ…」
言って、亮の脳裏に頑なな健志の冷たい面差しと、はにかんだ笑みを浮かべる桂の表情が浮かんでは消えた。
全てを…終わらせなきゃ…何も始まらない…。
フッと息を吐き出して亮はジュリオを見つめた。全てを終わらせる為の毅然とした態度を装いながら。
「俺が健志と会う間、桂を頼む。あいつを見ていてくれよ」
ジュリオは傲慢さが影を潜めた亮の真剣な言葉に、もう一切口出しはすまいと、決めながらただ黙って頷いていた。
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