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九
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大山側の使者に立ったのは、同じ薩摩出身の従兄弟であり、西郷隆盛の弟、西郷従道だった。口のまわりにたっぷりとひげを蓄えた農商務卿の登場に、家族一同、上を下への大騒ぎとなった。
さすがにここまでの政府高官が使者として現れては、門前払いできるものでもない。しかたなしに客間へ通したものの、家長である長兄、浩の態度には変化はなかった。
「薩摩のかたには、妹はやれません。私にも会津士族としての立場があります」
「会津士族として、ですか」
「ええ、そうです。我が山川家は、信州高遠の時代より八代ものあいだ、保科家にお仕えしてまいりました。祖父重英は家老の御役目をいただき、我々家族の者もみな、戊辰戦争の後は斗南で辛酸を舐めたのです」
至極ていねいな口調ゆえにかえって、怒りは浩のことばの端々にあらわれていた。こうした扱いを受けることは重々承知のうえだったのだろう。従道の顔色はまったく動かなかった。浩は続けた。
「なるほど、大山様は立派なかたでしょう。けれども、こちらにも意地がある。私個人としても、上官に妹をさしだしてご機嫌取りをした裏切り者よと、会津の同志に後ろ指をさされてはかないません。わざわざご足労いただいた農商務卿には申し訳ありませんが、これは一度お断りしたお話のはずです。お引き取り願いましょう」
その日はあっさりと引き下がった従道だったが、話はそこで終わらなかった。
「ごめんください」
数日後にまた、懲りずに大山の求婚の意思を伝えに来た従道に家族はみな困惑しながら、ふたたび断りを告げた。すると、従道はにかっと笑い、こう言った。
「お互いに会津士族、薩摩士族としてではなく、お話をさせていただけませんか」
「それはできぬ相談です」
にべもなく言う浩に、従道は熱心に説いた。
「仇敵と思えばこそ、断られるのでしょうが、いまもむかしも日本はひとつの島国です」
「藩閥のなかにいらっしゃるかたのことばとも思われない」
「確かに薩摩出の私が言うと説得力がないかもしれませんが、私は日本が国内で争う時代は終わらせるべきだと考えています。少将どののご弟妹はアメリカという大国をその目で見ていらしたはずです。我々が目配りをするべきなのは、同じ日本人のなかでいかにしてぬきんでるかなどと言った些末なことではなく、諸外国とどう関わっていくかなのです」
浩は少し身をずらし、捨松を見た。捨松は何も言わなかったが、従道の言うことに嘘はないと思った。
次兄の健次郎はその場にはなかったが、官費留学生としてエール大学で学んだ健次郎ならば、捨松と同じことを感じるに違いない。
「少将どのが会津を忘れられぬとおっしゃるならば、それでも構いません。けれど、こうして敵同士であった我々が結びつき、手を取りあう姿が模範となり、日本の将来を作ることになるのです」
従道はことばを切り、捨松に視線を投げ、それから、浩に戻った。
「いかがでしょう。いま一度、ご検討いただけませんか」
浩は下手に下手に出た従道の申し入れに、さすがにこころ動かされたらしい。腕組みをして畳のへりを見つめていたが、ゆっくりと深くうなずいて、相手を見据えた。
「わかりました」
耳を打ったことばに驚いたのは、浩を説き伏せていたはずの従道のほうだった。
「おお、それでは」
「誤解なさいませぬよう。再検討するだけです。妹をやるなどとは申してはおりません」
喜びかけた従道に、浩はすかさず釘を刺し、客が帰るや、行動に移った。
「健次郎を呼べ。いますぐ戻ってくるように伝えてくれ」
そう言って下男を走らせると、浩は捨松にむきなおった。母の目を気にして、縁側まで連れ出すと、小声で問うた。
「にしゃ、大山様に会ったことがあるのか」
「ええ。道で行き会ったことも、パーティでお会いしたこともあります」
「なじょ思った」
率直に尋ねかけられて、言いよどむ。
「あのう、それは、どういう意味ですの?」
「憎かったか?」
こう聞かれて、捨松は言い淀んだ。だが、兄に促されて、首を横に振った。
「いいえ、ちっとも」
「あのおかたが、鶴ヶ城に大砲を撃った。薩摩の西軍の砲兵隊長をつとめていたと聞いている。ほんじぇも、憎くはねえか」
大砲。そのことばでやっと、捨松は浩が何にこだわっていたのかを知った気がした。浩の妻は、撃ちこまれた砲弾によって亡くなったのだ。
憎くはない。短いひとことが、これほど重いとは思わなかった。捨松はまごついた。その隙を、浩がよもやつかないはずはなかった。
「……いいか、捨松。にしゃが大山様に嫁ぐということは、いまのようなことばを、会津出身の者から常日頃、投げかけられるようになるということだ。にしゃだけではない。時には山川家や周囲も陰口を叩かれる。並大抵の覚悟では許可できない」
捨松は目を見開いた。兄は、断る気なのだろうか。今日、検討すると言ったのは、ただ従道を追い返す口実に過ぎなかったのか。
「──お兄様、私」
遮るように、浩は続けた。
「俺はな、にしゃに任せようと思う。捨松が結婚したいというのならば、止めはしない。山川家として全力で支えよう。陰口など、笑い返してやる自信がある。斗南の日々に比べれば、これくらい、たいしたことではない」
そう力強く言い切ったあとで、ほんの少し気弱な調子で、浩は頬を指でひっかいた。
「だけんじょ、そうすると、健次郎も火の粉をかぶる。決断する前に、あいつにも意見を聞いておいてやろうと思ってな」
大学の研究室に籠もっていたという健次郎は、事の次第を聞くなり、肩をすくめた。
「それっぽっちのことで呼びだしたのかよ。捨松が自分の意思で決めたことなら、応援するに決まっているだろう」
それで、どうするのだと、母やふたりの兄から目で問われ、捨松はしばし悩んでから、考えを口にした。
「大山様と何度かデートをしてから決めてよろしいかしら」
場が一度静まりかえった。母と長兄は、「デート」の語が何を示すのかわからなかったらしい。健次郎だけがケタケタと笑った。
「アメリカ風だな! 先方に受け入れられるかはわからないが、悪くない案だ」
言ってから、母と浩にじとっとした目で見られ、健次郎は笑いの残った顔で、ていねいな説明を施した。
「デートというのは、男女がともに外歩きをして過ごすことです。捨松は、大山様がどういうお人柄かきちんと確かめてから結婚を決めたいと言っているんです」
デートの概念を理解しようとつとめながら、浩はきまじめに注文をつける。
「逢い引きみたいなものか。あまり人目につくようだと、困る。嫁入り前だからな」
「.んだ、はしたない」
母までうなずくのには参ったが、健次郎は違った。
「そのあたりは、先方に良策を考えていただきましょう」
そう言って笑うと、捨松にむきなおる。
「逆風は吹くさ。あたりまえだ。会津と薩摩だ。でも、アメリカでことばを覚えるのに必死だったころと比べれば、きっと格段に楽だよ。いまのおまえは日本語を忘れているだけのこと。思い出せば話せるさ。あとは、どうやって説明するかだけだからね」
励まされ、うなずく。まるで、捨松がすでに決めているこころのうちを、すっかりと見透かしているようなメッセージだった。
翌日には、従道を通じて、デートの提案が先方へと伝えられた。すぐに、承諾の返事があり、その五日後にはじめてのデートの日取りが決まったのである。
さすがにここまでの政府高官が使者として現れては、門前払いできるものでもない。しかたなしに客間へ通したものの、家長である長兄、浩の態度には変化はなかった。
「薩摩のかたには、妹はやれません。私にも会津士族としての立場があります」
「会津士族として、ですか」
「ええ、そうです。我が山川家は、信州高遠の時代より八代ものあいだ、保科家にお仕えしてまいりました。祖父重英は家老の御役目をいただき、我々家族の者もみな、戊辰戦争の後は斗南で辛酸を舐めたのです」
至極ていねいな口調ゆえにかえって、怒りは浩のことばの端々にあらわれていた。こうした扱いを受けることは重々承知のうえだったのだろう。従道の顔色はまったく動かなかった。浩は続けた。
「なるほど、大山様は立派なかたでしょう。けれども、こちらにも意地がある。私個人としても、上官に妹をさしだしてご機嫌取りをした裏切り者よと、会津の同志に後ろ指をさされてはかないません。わざわざご足労いただいた農商務卿には申し訳ありませんが、これは一度お断りしたお話のはずです。お引き取り願いましょう」
その日はあっさりと引き下がった従道だったが、話はそこで終わらなかった。
「ごめんください」
数日後にまた、懲りずに大山の求婚の意思を伝えに来た従道に家族はみな困惑しながら、ふたたび断りを告げた。すると、従道はにかっと笑い、こう言った。
「お互いに会津士族、薩摩士族としてではなく、お話をさせていただけませんか」
「それはできぬ相談です」
にべもなく言う浩に、従道は熱心に説いた。
「仇敵と思えばこそ、断られるのでしょうが、いまもむかしも日本はひとつの島国です」
「藩閥のなかにいらっしゃるかたのことばとも思われない」
「確かに薩摩出の私が言うと説得力がないかもしれませんが、私は日本が国内で争う時代は終わらせるべきだと考えています。少将どののご弟妹はアメリカという大国をその目で見ていらしたはずです。我々が目配りをするべきなのは、同じ日本人のなかでいかにしてぬきんでるかなどと言った些末なことではなく、諸外国とどう関わっていくかなのです」
浩は少し身をずらし、捨松を見た。捨松は何も言わなかったが、従道の言うことに嘘はないと思った。
次兄の健次郎はその場にはなかったが、官費留学生としてエール大学で学んだ健次郎ならば、捨松と同じことを感じるに違いない。
「少将どのが会津を忘れられぬとおっしゃるならば、それでも構いません。けれど、こうして敵同士であった我々が結びつき、手を取りあう姿が模範となり、日本の将来を作ることになるのです」
従道はことばを切り、捨松に視線を投げ、それから、浩に戻った。
「いかがでしょう。いま一度、ご検討いただけませんか」
浩は下手に下手に出た従道の申し入れに、さすがにこころ動かされたらしい。腕組みをして畳のへりを見つめていたが、ゆっくりと深くうなずいて、相手を見据えた。
「わかりました」
耳を打ったことばに驚いたのは、浩を説き伏せていたはずの従道のほうだった。
「おお、それでは」
「誤解なさいませぬよう。再検討するだけです。妹をやるなどとは申してはおりません」
喜びかけた従道に、浩はすかさず釘を刺し、客が帰るや、行動に移った。
「健次郎を呼べ。いますぐ戻ってくるように伝えてくれ」
そう言って下男を走らせると、浩は捨松にむきなおった。母の目を気にして、縁側まで連れ出すと、小声で問うた。
「にしゃ、大山様に会ったことがあるのか」
「ええ。道で行き会ったことも、パーティでお会いしたこともあります」
「なじょ思った」
率直に尋ねかけられて、言いよどむ。
「あのう、それは、どういう意味ですの?」
「憎かったか?」
こう聞かれて、捨松は言い淀んだ。だが、兄に促されて、首を横に振った。
「いいえ、ちっとも」
「あのおかたが、鶴ヶ城に大砲を撃った。薩摩の西軍の砲兵隊長をつとめていたと聞いている。ほんじぇも、憎くはねえか」
大砲。そのことばでやっと、捨松は浩が何にこだわっていたのかを知った気がした。浩の妻は、撃ちこまれた砲弾によって亡くなったのだ。
憎くはない。短いひとことが、これほど重いとは思わなかった。捨松はまごついた。その隙を、浩がよもやつかないはずはなかった。
「……いいか、捨松。にしゃが大山様に嫁ぐということは、いまのようなことばを、会津出身の者から常日頃、投げかけられるようになるということだ。にしゃだけではない。時には山川家や周囲も陰口を叩かれる。並大抵の覚悟では許可できない」
捨松は目を見開いた。兄は、断る気なのだろうか。今日、検討すると言ったのは、ただ従道を追い返す口実に過ぎなかったのか。
「──お兄様、私」
遮るように、浩は続けた。
「俺はな、にしゃに任せようと思う。捨松が結婚したいというのならば、止めはしない。山川家として全力で支えよう。陰口など、笑い返してやる自信がある。斗南の日々に比べれば、これくらい、たいしたことではない」
そう力強く言い切ったあとで、ほんの少し気弱な調子で、浩は頬を指でひっかいた。
「だけんじょ、そうすると、健次郎も火の粉をかぶる。決断する前に、あいつにも意見を聞いておいてやろうと思ってな」
大学の研究室に籠もっていたという健次郎は、事の次第を聞くなり、肩をすくめた。
「それっぽっちのことで呼びだしたのかよ。捨松が自分の意思で決めたことなら、応援するに決まっているだろう」
それで、どうするのだと、母やふたりの兄から目で問われ、捨松はしばし悩んでから、考えを口にした。
「大山様と何度かデートをしてから決めてよろしいかしら」
場が一度静まりかえった。母と長兄は、「デート」の語が何を示すのかわからなかったらしい。健次郎だけがケタケタと笑った。
「アメリカ風だな! 先方に受け入れられるかはわからないが、悪くない案だ」
言ってから、母と浩にじとっとした目で見られ、健次郎は笑いの残った顔で、ていねいな説明を施した。
「デートというのは、男女がともに外歩きをして過ごすことです。捨松は、大山様がどういうお人柄かきちんと確かめてから結婚を決めたいと言っているんです」
デートの概念を理解しようとつとめながら、浩はきまじめに注文をつける。
「逢い引きみたいなものか。あまり人目につくようだと、困る。嫁入り前だからな」
「.んだ、はしたない」
母までうなずくのには参ったが、健次郎は違った。
「そのあたりは、先方に良策を考えていただきましょう」
そう言って笑うと、捨松にむきなおる。
「逆風は吹くさ。あたりまえだ。会津と薩摩だ。でも、アメリカでことばを覚えるのに必死だったころと比べれば、きっと格段に楽だよ。いまのおまえは日本語を忘れているだけのこと。思い出せば話せるさ。あとは、どうやって説明するかだけだからね」
励まされ、うなずく。まるで、捨松がすでに決めているこころのうちを、すっかりと見透かしているようなメッセージだった。
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