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第二章 破綻
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しおりを挟む「なぁ、あれってお前の仕業?」
五月も中旬になれば、暖かいというよりも暑いと感じる日が増えてきた。
そして、気温が上がると暑がりな兄ちゃんの露出が増える。
気温が二十五度を超えてしまうと、兄ちゃんはシャツのボタンを二つ目まで外し――もそも、一番上のボタンは一年を通して留めていない――、鎖骨の下まで露わにして過ごすのが常だった。
うちの学校は教師にネクタイ着用を強制していないから、兄ちゃんは基本的にネクタイを締めることもない。
そんな兄ちゃんがシャツのボタンを二つも外していると、それはもう女子が大喜びになる。
今日は特に天気が良く、日中の気温も二十七度まで上がったから、兄ちゃんは当然シャツのボタンを外し、襟を豪快に開いているわけだけど、そんなことをしているせいで、昨日俺に噛みつかれた痕が丸見えになっていた。
もちろん、兄ちゃんの首にくっきりと残る噛み痕はすぐ生徒達に気付かれ、誰が兄ちゃんの首にそんな痕をつけたのかも話題になったんだけど
(何で隠さないんだよっ!)
って話じゃね?
そんなに首元を露出させて噛み痕を見せびらかしていれば生徒からの視線は免れないし、生徒の間で「誰がつけた痕?」って話題になることはわかりきっているはずなのに。
(ひょっとして、俺への当てつけですか?)
昨日、いきなり兄ちゃんの首に噛みついた俺の行動を非難するために、兄ちゃんはわざと噛み痕を見せつけるような真似をしているとか?
兄ちゃんの首に噛み痕なんかがついていれば、当然「誰がつけたの?」って俺が聞かれる羽目になる。そうなると俺が困ることがわかっているから、兄ちゃんはあえて自分の首を晒して、俺がつけた噛み痕をみんなに見せびらかしているのかもしれない。
つまり、俺は兄ちゃんから仕返しをされていることになる。
「じゃあ誰の仕業だよ。あんなくっきり残る噛み痕つけるとか、相当独占欲が強い人間の仕業じゃん。常軌を逸してるよ。お前の兄貴、今は付き合ってる女いないって話じゃなかった?」
「だから、俺は知らないってば。気になるなら直接本人に聞けよ」
「俺が聞けるわけねーだろっ!」
今日、二時間目に数学の授業があった俺のクラスでも、休み時間になるたびにその話題が出ていたし、俺はしつこいくらい与一から犯人を聞かれていた。
多分、自分が得た情報を女子に流して、女子から情報通だと思われたいんだろう。
自分が女と話したいがために、俺を利用するのはやめて欲しいものだ。
まあ、クラスのほぼ全員の女子は既に俺から犯人を聞き出そうとした後だし、中には
「神崎先生の首に噛み痕とかヤバくない? めっちゃエロいよね」
「ほんと。キスマよりエロく見える」
「ってかさ、この時期からシャツのボタン外してる神崎先生見られるの最高」
「授業どころじゃないよね。鎖骨エロいし。胸筋ヤバくて興奮する」
噛み痕をつけたのが誰なのか――なんてことには興味がなく、露出の増えた兄ちゃんに大喜びしている女子も多いみたいだけど。
兄ちゃんがちょっとシャツのボタンを外しただけで、「エロい」と喜ぶ女子って何なんだろう。
というか、うちのクラスの女子って兄ちゃんの話で盛り上がっている時は、常に「エロい」を連発しているような気がする。
俺の兄ちゃんはそんなにエロいのか?
確かに、俺も兄ちゃんのことをエロいと思う今日この頃だけど、別に俺はどんな時でも兄ちゃんをエロいと思っているわけじゃない。
「何だ。真弥じゃないんだ。俺はてっきり真弥と真実さんが喧嘩して、勢い余った真弥が真実さんに噛みついたのかと思ったのに」
「……………………」
兄ちゃんの首についた噛み痕を誰もが性的な目で見ている中、純粋無垢な日向だけがそうじゃない目で見ていたようだ。
そして、その見方があながち間違いではないことに俺はギクッとしてしまう。
正確に言えば、俺と兄ちゃんは喧嘩なんかしていないけれど、兄ちゃんの首にキスマークらしきものを見つけてしまった俺が、怒って兄ちゃんの首に噛みついた――というのが事実だからな。日向の勘が正しいと言えば正しい。
でも、だからといってやっぱり認めるわけにはいかないよな。俺が兄ちゃんの首に噛み痕をつけたってことを。
昼休みになり、日向や与一とお昼を一緒に食べた後の俺は、いつまでも噛み痕のついた首を晒しているであろう兄ちゃんに、シャツのボタンを留めるよう言うため、教室を出て兄ちゃんを探した。
「兄ちゃんっ!」
職員室がある一階の廊下を足早に歩いていると、ちょうどトイレから出てきた兄ちゃんの姿を見掛けたから、俺は慌てて兄ちゃんを呼び止めた。
「お? どうしたぁ?」
相変わらずシャツのボタンは外したままで、兄ちゃんの首についた噛み痕は丸見えである。
「~……」
自分でつけておいていうのも何だけど、確かに兄ちゃんの首に噛み痕がついているのは何かエロい。こんな姿で校内をうろつかせるわけにはいかない、と思ってしまう。
「つーか、学校ではなるべく〈先生〉って呼べよ」
「じゃあ神崎先生」
「ん?」
「ちゃんとシャツのボタン留めてくださいっ!」
「おぉっ?」
教師という立場もあって、俺は兄ちゃんに日頃から「学校では先生って呼べ」って言われてはいるんだけど、物心ついた頃から兄ちゃんのことはずっと「兄ちゃん」って呼んでいる俺にとって、咄嗟に「神崎先生」という言葉は出てこない。
だから、今みたいに兄ちゃんに指摘された時だけ兄ちゃんのことを「神崎先生」って呼んでいるんだけど、呼び方を変えたところで俺が兄ちゃんの弟であることに変わりはない。普通の生徒にはできないことも、弟の俺にはできることだってある。
俺は呼び止めた兄ちゃんに手を伸ばし、二つ目どころか三つ目のボタンまで外している兄ちゃんのシャツのボタンを全部留めてやった。
何で外したボタンの数が増えてるんだよ。昼休みだからって胸元まで晒していいと思ってるわけ?
三つ目のボタンまで外しちゃったら、兄ちゃんの盛り上がった胸まで見えちゃってるじゃん。誰か誘惑でもしてんの?
「んだよっ! 休み時間くらいいいだろ?」
冬でも一番上のボタンまで留めない兄ちゃんは、俺の手にシャツのボタンを全部留められたことが甚く気に入らない様子だった。
そりゃね、俺だって兄ちゃんの服装にいちいちケチをつけたくはないけど、今日はダメだ。
もう既に生徒の間では充分話題になっているだろうけど、これ以上兄ちゃんのエロい首元をみんなに見られたくない。
「休み時間云々の前に、ちょっとは隠そうって気がないわけ?」
「あ? 何を?」
「だからっ! 首についてるその噛み痕だよっ!」
わざと惚けた振りをしているんだろうか。まさか俺が兄ちゃんの首につけた噛み痕の存在を忘れている――なんて言わないよな?
「はあ? お前がつけたんだろ。何言ってやがる」
別に忘れているわけじゃなかった。だったら何で隠さないのかを教えて欲しいわ。
「確かにそうだけどっ! でも、そんなもんが兄ちゃんの首についてたら生徒の間で話題になるじゃんっ! ってか、うちのクラスではもう充分話題になってんのっ!」
「別にいいだろ? 疚しいもんじゃねーし。素直に言やいいじゃねぇか。俺がつけました、って」
「どんな弟だよっ! 言えるわけないだろっ! 俺が変人扱いされるわっ!」
「変人っつーより駄犬だけどな」
「兄ちゃんっ!」
やっぱ俺への仕返し――ってことでいいのかな。そういう理由でもなきゃ、いくら人にどう思われようが気にしない兄ちゃんでも、自分の首につけられた噛み痕なんか見せびらかさないよな。
「あのなぁ、一応兄ちゃんまだ怒ってんだからな? 俺の首にこんな痕つけやがって」
「だから、それはごめんって」
「昨日風呂で散々温めてみたけどちっとも消えねぇしよぉ。かといって、絆創膏貼って隠すのも変だろ? キスマーク隠してると思われても嫌だし」
「まあ……」
「だったらいっそのこと見せびらかして、お前を困らせてやろうかと」
「どうしてそういう意地悪な発想になるんだよ」
兄ちゃんの首についた噛み痕をみんなに見られ、拗ねたいのはこっちだっていうのに。俺にシャツのボタンを全部留められた兄ちゃんの方が、よっぽど不満そうな顔をして拗ねていた。
拗ねた兄ちゃんも可愛いっちゃ可愛いんだけどさ。だからって今日は見逃してあげられないよな。
大体、この学校は兄ちゃんにとって安全な場所ってわけでもないんだ。この学校には兄ちゃんを付け狙う不届き者が二人もいるし、兄ちゃんを性的な目で見る輩もそのへんにうじゃうじゃいるんだ。
兄ちゃんは実際に手を出されたこともあるんだから、もう少し危機感や警戒心、貞操観念というものをしっかり持った方がいい。
そうじゃなきゃ、この先兄ちゃんのセフレが増えていく一方になっちゃうかもしれないじゃん。
既に二人も兄ちゃんにセフレがいる事実だって俺は勘弁して欲しいと思っているのに、そこから更に兄ちゃんのセフレが増えちゃったら、俺はもう兄ちゃんを監禁するしかなくなる。
兄ちゃんを俺と二人だけで住む家の中に閉じ込めて、誰の目にも触れさせないようにしたくなっちゃうじゃん。
「つーかさぁ、お前は兄ちゃんにシャツのボタンを留めさせるために、わざわざ教室出てきたのか?」
「そうだよ」
「暇かよ。高校生活なんてわりとあっという間なんだからよぉ。もっと高校生としての時間を楽しみな」
「兄ちゃんの学校における服装や態度だって、高校生の俺には大きく影響してくるんだよ。そのへんをもうちょっと自覚してもらえないかな」
「確かに。それは一理あるな」
「もう……」
全く……。こっちは教師としての兄ちゃんの立場を悪くしないよう、学校での生活態度には気を遣っているっていうのにさ。兄ちゃんはてんで自由だから困っちゃうよ。
まあ、何にも囚われないって感じの自由さが、兄ちゃんの格好良さでもあるんだけれど。
「にしても、兄ちゃんの首につけた噛み痕を人に見られたくないなんて、お前、結構独占欲が強いっつーか、彼女ができたら束縛するタイプか?」
「なっ……!」
何つーことを言い出すんだ。今そういう話なんかしていなかったじゃん。
確かに、俺は兄ちゃんの首についた噛み痕を他人に見られたくないと思っているのは事実だけどさ。でも、それって何も独占欲や束縛がどうのこうのってことじゃなくて……。
いや。俺が兄ちゃんに対して強い独占欲を抱いていることは事実だし、今し方「兄ちゃんを監禁するしかなくなる」なんてことを考えてしまっていた俺は、おそらく好きな相手は束縛してしまう傾向にもあるんだろう。
でも、それは今する話じゃないよな?
「そういやお前、兄ちゃんに構って貰えなくなるのは嫌なんだよなぁ? それってつまり、兄ちゃんには自分だけの兄ちゃんでいて欲しいってことだよなぁ?」
「ちょっと! 何で今そういう話なんかすんのっ⁉ 恥ずかしいからやめろよっ!」
「恥ずかしい? 兄ちゃんの首にこんな恥ずかしい痕つけた奴が何言ってんだ。恥ずかしいのは兄ちゃんの方だぞ」
「だったら隠せよっ! これ見よがしに見せびらかしたりしないでさぁっ!」
「別に見せびらかしたりなんかしてねぇよ? ただ俺、暑いのはどうも苦手だし、首元窮屈なのも嫌なんだよ。お前だってそれくらい知ってんだろ?」
「そうだけど……」
くそー……今日の兄ちゃんはやけに意地悪だな。俺に噛みつかれたことが相当面白くなかったらしい。
でも俺、ちゃんと謝ったじゃん。昨日は兄ちゃんもそれで許してくれたと思ったんだけどなぁ……。
兄ちゃんはあまり根に持つタイプの人間じゃないはずだけど、場合によっては根に持つこともあるんだ。
「まぁ~た、何て顔してんだよ、お前は。意地悪して悪かった。だからそんな顔すんな」
「兄ちゃんの馬鹿たれ……」
「へいへい。兄ちゃんが意地悪で馬鹿だったよ。だから泣くな」
「泣いてねーしっ!」
「おっと。そりゃ悪かった。でも、お前がそういう顔すると、ついつい泣いてるように見えちまうんだよな」
「そう簡単に泣かねーよ。俺ももう子供じゃねーんだから」
「そうだったなぁ」
兄ちゃんにシャツのボタンを留めさせようと思っただけなのに、とんでもない目に遭った気分だ。
でも、これでちゃんと仲直りできたって感じだし、兄ちゃんも今日はもう首元を晒すほどシャツのボタンを外す気がなさそうだから良しとする。
俺としては、もっと平和的に問題を解決したかったけれど、兄ちゃんが俺に対してここまで意地悪な行動に出ることは珍しく、それだけ俺は兄ちゃんを怒らせてしまっていたってことなんだろう。
普通に考えてみれば、いきなり首に痕がつくほど強く噛みつかれたら誰だってムカつくものだしな。
今朝、改めて自分の首を鏡で見た兄ちゃんは、俺に噛みつかれた時の痛みが蘇ってきて、俺に仕返ししようと思ったのかもしれない。
でも、これでもうお互い恨みっこなしって感じで和解した俺と兄ちゃんだったんだけど――。
「ふぅ~ん……。やっぱその派手な噛み痕、弟の真弥につけられたものだったのか」
俺と兄ちゃんが和解したタイミングを見計らっていたかのように、俺と兄ちゃんの間に割って入ってきた人間がいた。
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