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第二章 破綻
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しおりを挟む喋り方と声で、それが誰なのかはすぐにわかったけれど、声を掛けられるまでその存在に全く気付かなかったところは、俺や兄ちゃんの不覚だったとしか言いようがないし、気配を消すことに長けているその人物のことを
(忍者かよ……)
と不気味に思ったりもした。
「う……鵜飼?」
「なぁ~、真実ちゃん。お前と真弥って家の中で一体どういう生活送ってんの?」
「はあ? 何でそんなことお前に教えてやんなきゃなんねーんだよ。っつーか、抱き付くなぁっ!」
声の主は兄ちゃんのセフレの一人、鵜飼先生だった。
ほんと、図体がデカいこの人の存在に、どうして声を掛けられるまで気付かなかったのか謎過ぎる。
それだけ俺と兄ちゃんが二人だけの世界に浸っていたことになるのかもしれないけれど、この学校の中で一番警戒しなければならない危険人物の存在を察知できないようじゃ、俺もまだまだって感じだよな。
兄ちゃんの身に迫る危険を感知できなければ、兄ちゃんを守れないっていうのに。
俺と兄ちゃんの後ろからにゅっと現れた鵜飼先生は、俺には目もくれず兄ちゃんを後ろから抱き締めると、兄ちゃんの首に顔を埋めながら、兄ちゃんに頬擦りしていたりする。
「~……」
その様子は見るもおぞましい光景で、俺の背中には――いや、俺の全身には身震いするくらいの悪寒が走った。
「はぁ~……この抱き心地がほんと最高。マジで癒されるわ~。やっぱ痩せてギスギスの女より、真実ちゃんくらいのボリュームがあった方が、抱き締めてて気持ちいいよなぁ~」
「俺はてめーの抱き枕じゃねぇんだよっ! 気色悪いこと言ってねーで離れろやっ!」
「そうつれないこと言うなよ。俺と真実ちゃんの仲だろ?」
「どういう仲だっ!」
俺は全身がぞわぞわして鳥肌が立っているというのに、当の本人達はそれが当たり前のようなやり取りをしていた。
まあ、当たり前っちゃ当たり前なんだろうな。何せこの二人の関係ってセフレなんだから。鵜飼先生が兄ちゃんを抱き締めることも、兄ちゃんが鵜飼先生に抱き締められることも、極々自然に行われる日常ってやつなんだろう。
ただ、それを目の前で見せられている俺としては鬱陶しくて堪らない。もちろん、兄ちゃんじゃなくて鵜飼先生が。
あまりの鬱陶しさに思わず手が出てしまいそうな勢いだ。
「ん~? それ、真弥の前で言っていいのぉ? 俺と真実ちゃんが本当はどういう関係なのか」
「言えるもんなら言ってみろよ。てめーの発言次第ではここが血の海だぞ」
「怖いなぁ。でも、俺がそう簡単に真実ちゃんにボコられると思ったら大間違いだよ? 俺は遠山とは違うからな」
「あいつの名前まで出すんじゃねーよっ!」
あのさぁ、二人とも俺がいること忘れてない? 一応俺、二人の関係については知らないことになっているんだけど。
それなのに、この二人の会話ときたら、もう自分達はそういう仲だって言っているようなものだし、鵜飼先生が遠山先生の名前を出してしまったことで、遠山先生と兄ちゃんの関係まで暴露しているようなものじゃん。
「たとえばほら、真弥にこの噛み痕つけられる前、俺が真実ちゃんに何したか憶えてる?」
「っ⁉」
あー……ついにそういうことまで言っちゃいますか。
鵜飼先生は兄ちゃんだけに聞こえる声で言ったつもりだったのかもしれないが、兄ちゃんの耳元で甘く囁く鵜飼先生の声は、二人のすぐ傍にいる俺の耳にもしっかり届いていた。
「お前、何言って………ま……まさかっ……!」
今の今まで鵜飼先生相手に頗る強気な態度を取っていた兄ちゃんは、鵜飼先生に意味深な言葉を囁かれて動揺していた。
どうやら兄ちゃんは鵜飼先生にキスマークをつけられたことには気付いていなかったみたいだけど、鵜飼先生の意味深な発言には身に覚えがあるんだろう。
狼狽え、動揺した末、俺の顔を見て真っ青になっていた。
多分、俺が急に兄ちゃんの首に噛みついた本当の理由も理解したんだろう。
本当は兄ちゃんだって疑問に思っていたはずなんだ。
『何で俺、いきなり真弥に噛みつかれたんだ?』
って。
できればこうなる前に、兄ちゃんにはその理由ってやつに思い至って欲しかったんだけど、そうならなかったからこその今だよな。
「や……嘘だろ……え? ってことは……え……?」
可哀想なくらい混乱している兄ちゃんに、俺はどんな顔をしてあげればいいかわからない。
ただ、混乱している兄ちゃんは兄ちゃんでめちゃくちゃ可愛かった。
だけど、少しずつ状況を理解してきた兄ちゃんは、ただただ青褪めて混乱する状況からも抜け出して、我を取り戻すなり
「鵜飼、てめぇ……マジでぶち殺すっ!」
血の気が引いて真っ青になっていた顔を今度は真っ赤にしながら、鬼の形相になって鵜飼先生に大激怒だった。
しかしながら、鵜飼先生の方は
「こらこら。口が悪いのも程々にしろよ? 怒ってる真実ちゃんも可愛いけど、俺、泣いてる真実ちゃんも大好きなんだぜ? あんま乱暴な口ばっか利いてると泣かせちまうぞ?」
そんな兄ちゃんにも怯むことはなく、むしろ余裕な態度だった。
こういうやり取りを見せられると、兄ちゃんより鵜飼先生の方が一枚上手って感じがするし、普段俺のことを子供扱いしている兄ちゃんも、年上の鵜飼先生には子供扱いされているんだな、って思っちゃうな。
っていうか、兄ちゃんって鵜飼先生の前で泣いたりなんかするの? 俺の前では一度も――父さんや母さんが死んだ時でさえ、兄ちゃんは俺の前で涙なんか流さなかったのに?
もっとも、鵜飼先生がどういう意味で兄ちゃんを「泣かせる」と言っているのかは定かじゃないけどな。
もしかしたら、俺が思っている意味とは違う意味での「泣かせる」なのかもしれない。
「だ……だ……誰がてめぇの前でなんか泣くかよっ! 真弥の前で変なこと言うなっ!」
何かもう、兄ちゃんが思い通りにならなくて癇癪を起している子供みたいになっちゃってるけど、きっとこれが二人の関係性ってやつなんだろうな。
鵜飼先生にとって兄ちゃんはさぞかし可愛くて仕方がない存在なんだろうから、鵜飼先生は兄ちゃんのことをこれでもかってくらいに甘やかし、その代わりに時々虐めて兄ちゃんの反応を見て楽しんでいるに違いない。
でもって、兄ちゃんは兄ちゃんでこれまで人に甘えることがなかったから、時々意地悪はされるものの、自分を好きなだけ甘やかしてくれる鵜飼先生のことが満更嫌いではない。
むしろ、何をやっても許してくれるからこそ、兄ちゃんも好きなだけ鵜飼先生に暴言が吐けるんだろうな。
ほんと、俺にとっては全く面白くない関係だけど、この二人を見ていると
『いっそのこと付き合っちゃえば?』
って言いたくなるくらい、投げ遣りな気持ちになってしまう自分がいる。
もちろん、それは一時的に自棄を起こしている俺の感情なだけであって、本当に兄ちゃんが鵜飼先生と付き合ってしまったら、俺は何としてでも二人を別れさせようと躍起になるけどね。
「ふぅ~ん。やっぱ弟には知られたくねーか。俺と真実ちゃんの関係」
「だからぁっ! 真弥の前でそういうこと言う…………っ⁉」
この二人の痴話喧嘩をいつまで見せられるのだろう――と思っていた俺は、兄ちゃんの言葉を遮り、俺の目の前で兄ちゃんの唇を奪った鵜飼先生に、全身の血がサーっと引いていった。
おいこら。俺の目の前で兄ちゃんに何してくれてんだ。
「~っ! おまっ……お前ぇっ! 何つーことしやがるんだっ!」
突然のことであっさり鵜飼先生に唇を奪われてしまった兄ちゃんだったけど、その後の対応は素早かった。
自分が鵜飼先生にキスをされていると理解した兄ちゃんは、慌てて鵜飼先生の身体を押し返し、信じられないものを見るような目で鵜飼先生を見上げていた。
たまたまこの場にいるのが俺と兄ちゃん、鵜飼先生の三人だけだったから良かったものの、誰か他の人間に見られでもしたらどうするつもりなんだよ。どう言い訳するつもりだ?
兄ちゃんはまあ、鵜飼先生に手を出された側の人間だから被害者ってことで済むかもしれないけど、鵜飼先生の方はそういうわけにいかないよな。
教師として、生徒の前で不適切な行動を取ったということで、何かしらの罰は受けることになっていただろう。
兄ちゃんの身内である俺としては、教員免許の剥奪、及び、退職処分を希望したいところだ。
ほんと、マジで俺の兄ちゃんに何してくれてんだよ、って感じだし。
「何って……宣戦布告的な? だって真弥は俺に真実ちゃんを譲る気ねーみたいだし」
「ったりめーだろっ! 譲る、譲らない、以前の問題だっ! 俺は物じゃねぇし、お前のものになるつもりもねぇんだよっ!」
「そう言うなって。もう真弥の前でちゅーしちゃったんだしさ。俺との仲を素直に認めて、潔く俺と付き合っちゃえばいいじゃん。な?」
「だぁーかぁーらぁっ! 俺にそんなつもりはねぇって言ってんだろがっ! ほんっと話の通じねぇ奴だなぁっ!」
どうでもいいけど、この痴話喧嘩ってまだ続く感じ? 俺、そろそろ頭の血管が切れそうでヤバいんだけど。
兄ちゃんには兄ちゃんの考え方があって、兄ちゃんの生き方があることくらいは俺もわかってるよ。だから、俺がどんなに嫌だと思っていても、兄ちゃんが鵜飼先生のことが好きで、鵜飼先生と付き合うっていうなら、俺は兄ちゃんの気持ちを尊重して、二人の関係を認めてあげなきゃいけないんだと思う。
でもさ
「とか何とか言いながら、真実ちゃんも俺のことは満更嫌いじゃないだろ? もし、ほんとに俺のことが嫌いだっていうなら、俺と真実ちゃんの関係は一回きりで終わってたはずだもんなぁ?」
「そ……それは……」
「何だかんだと好きなんだろ? 俺とそういうことするの」
「っ……!」
これは何か違うって感じだよな。
兄ちゃんに隙があったのも悪いんだろうけど、その隙につけ込んで味を占めた鵜飼先生は、兄ちゃんを自分の思い通りに操る悪い大人にしか見えない。
「たまには素直になれって。ベッドの上じゃもうちょっと素直で可愛げあるだろ?」
「なっ……なっ……」
あー……これもうダメだ。完全にダメなやつだ。
さっき宣戦布告がどうだとか言っていたけれど、この人もう俺の前で兄ちゃんとセックスしてることを隠すつもりねーわ。
そりゃさ、俺だって事前にその情報は入手していたから、心の準備が全くできていなかったわけじゃないよ?
でもさ、実際俺の前でそういう話をされるのはすげームカつく。鵜飼先生に殺意が湧いてくるくらいにムカつく。
あと、鵜飼先生はいつまで兄ちゃんを抱き締めているつもりだよ。俺の前で兄ちゃんにベタベタ触んな。
「おいこらぁ。兄ちゃんに気安く触ってんじゃねーよ、クソ野郎」
怒りが頂点に達してしまうと、人は却って冷静になるものなのかもしれない。
俺の目の前でいつまでも兄ちゃんにベタベタ触る鵜飼先生に完全にキレた俺は、過去最大の怒りを込めた低い声でそう言い放つと、兄ちゃんを抱き締めている鵜飼先生の手を掴み、兄ちゃんから無理矢理鵜飼先生を引き剥がした。
「強っ! お前、力強っ!」
兄ちゃんみたいに逞しい身体になりたくて、気が向いた時には腹筋や腕立て伏せをしている効果があったようだ。見た目に大した変化はなくても、俺の身体にはそれなりに筋肉がついているみたいだった。
兄ちゃんから鵜飼先生を引き剥がす俺の力の強さに、鵜飼先生はちょっと驚いていたし
「し……真弥……?」
俺に助けてもらう形になった兄ちゃんも、少し意外そうな顔をして驚いていた。
「ってか、お前って怒るとそういう感じ? やっぱ兄弟だな。目つきと口調が真実ちゃんにそっくりじゃん」
まあ、俺の手で兄ちゃんから引き剥がされた鵜飼先生には、反省している様子が全く感じられなかったけれど。
ほんと、このオッサンどうしてくれようか。今日はたまたまおとなしく引いてくれたみたいだけど、俺に兄ちゃんとの関係を暴露した後の鵜飼先生は、今後も俺の前で兄ちゃんにちょっかいを出すようになるよな。
こうなってしまったら
「兄ちゃん。今日帰ったら家族会議な」
兄ちゃんと腹を割って話すしかない。
鵜飼先生とのことだけじゃなく、遠山先生との関係や、そうなった経緯を全部兄ちゃんから聞き出して、兄ちゃんに二人との関係をやめさせるしかない。
怒りに任せて怒鳴り散らすのではなく、静かに怒りを撒き散らす俺の迫力に気圧されたのか、俺にそう言われた兄ちゃんは
「…………はい……」
それはもう素直なものだった。
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