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第五章 未知
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しおりを挟む七月に入り、一学期のテストも終わってしまうと、学校はもう夏休みモード全開って感じだった。
それはいい。俺だって一年の中で最も長い長期休暇を目前に、ついつい浮かれたい気分になっちゃうもん。
だから、教室の中が夏休みの話で持ちきりだったとしても、俺は一向に構わないんだけど……。
「なあ、最近どうよ」
「どうって? 何が?」
何が悲しくて、昼休みに鵜飼先生のいる体育準備室で、鵜飼先生と一緒に昼飯食わなきゃいけないんだろう。俺と鵜飼先生ってそんな仲じゃないはずなんだけど。
仲がいいどころか、兄ちゃんを巡って争っている最中だよな? それなのに、何でこの人は俺と一緒に昼飯なんか食いたがるんだよ。
昼休みを告げるチャイムが鳴ったと同時に俺のクラスにやって来て
『神崎。弁当持ってちょっと来い』
なんて俺を誘ってきてさ。俺を呼び出すのが常習になってんのかと思ったわ。
まあ、言うほど頻繁に呼び出されているわけでもないんだけど。
「何が? 俺がお前に〈どうよ〉って聞いたら、それはもう真実ちゃんとのことに決まってんだろ。馬鹿なの?」
「ぐっ……」
一言余計だっつーの。俺だってそれくらいわかるわ。わかるけど、何をどうだと聞かれているのかって話じゃん。
あんま年下虐めんなよな。いい大人がみっともねぇだろ。
「どうせ兄ちゃんのことを聞かれてることくらいわかるよ。ただ、何がどうだって聞かれてんのかがわかんねーの」
先生には敬語。それが生徒の常識ではあるけれど、最近の俺は鵜飼先生に対して敬語を使うことを忘れがちである。
いや。忘れているんじゃなくて使う気がない。だってこの人、俺に対する扱いがめちゃくちゃなんだもん。
俺の都合も考えずに俺を勝手に呼び出すし、俺への暴言も酷いし。そんな自分勝手な大人に敬語を使う必要はあるのかな? って。
俺が敬語を使わなくても、鵜飼先生は全然気にしていないみたいだから、俺も敬語を使う必要はないと判断した。
「だから、最近真実ちゃんとヤってんのかどうかだよ」
「……………………」
おい。昼飯食いながらする話じゃねーだろ。俺、今弁当箱開けたところなんだけど。
これから兄ちゃんが作ってくれた弁当を美味しく頂こうって時に、何でそんな話しなきゃいけないんだよ。
「まあ……週一でヤっちゃいるよ。それが定着しちゃってるし」
渋々といった感じではあるが、そう答えてしまう俺がいる。
別に今更隠すような相手ではないし。鵜飼先生は一応恋敵になるから、俺も少しは兄ちゃんとの仲をアピールしたいところがあるからな。
俺から「週一でヤってる」と聞かされた鵜飼先生は
「はぁぁぁぁ~……。やっぱ一緒に住んでると有利だよなぁ。俺も真実ちゃんと同棲したい。そうすれば、毎晩真実ちゃんとヤりたい放題だもんなぁ」
盛大な溜息を零したあと、恨みがましそうな目で俺を見てきた。
何だよ。また愚痴か? そんな愚痴を零されても俺は全く共感できないし、何とも思わないんだけど。
あと、俺は兄ちゃんと一緒に住んでいても、毎晩兄ちゃんとヤりたい放題になんかなっていない。
でも、そんな愚痴を零してくるということは、鵜飼先生って最近兄ちゃんとシてない? 兄ちゃんが本気で鵜飼先生との関係を終わらせようとしているってこと?
そんな淡い期待に胸が膨らむ俺だったけれど
「こっちは定期的になんて無理なんだよなぁ。真実ちゃんの気分や都合もあるし。先週は何とか二回ヤったけど、その前の週は一回もシてねぇし、今週もまだなんだよなぁ。お前のせいで、真実ちゃんが俺と距離取ろうとしてくるし」
とか言う鵜飼先生にイラッとした。
ちゃんとヤってんじゃねーか。しかも、週二は俺より多いじゃん。それで何溜息とか吐いてんの? 俺に喧嘩売ってるとしか思えないんだけど。
そもそも、付き合ってもいない兄ちゃんとセックスできるだけでもありがたいと思えよ。兄ちゃんは今、鵜飼先生や遠山先生との関係を清算しようと奮闘している真っ最中だってのに。
いや。本当に奮闘しているのかどうかは謎だけどな。だって兄ちゃん、未だに全然二人との関係を終わらせられていないんだもん。結局は欲望に負けてるってことなのかも。兄ちゃん淫乱だから。
でも、一応終わらせようとは思っているみたいで、鵜飼先生や遠山先生に何度もその話をしているのに、二人とも全然聞き入れてくれない――とも言っていた。
兄ちゃんの頑張りを無駄にしたくないから、あまり兄ちゃんを急かさず、もやもやしつつも事の成り行きを見守ることにしているんだけど、この状況は一体いつまで続くのか――という不安はある。
それに、仮に兄ちゃんが二人との関係に終止符を打ったとして、その後は俺をどうするつもりなのか――という不安もあるんだよなぁ……。
あの二人との関係を清算して、俺だけのものになってくれるならいいけど
『次は真弥との関係を終わらせるか』
なんて思われたら堪ったものじゃない。
週末になると兄ちゃんとセックスをするのが定番になっちゃいるけれど、兄ちゃんって本当は俺のことどう思っているんだろう。
兄ちゃんに聞いてみたいとは思うけど、怖くてなかなか聞けないんだよなぁ。
「はぁ……」
今の兄ちゃんとの生活はとても幸せではあるが、この先のことを考えると不安で、どうしても溜息が零れてしまう。
唐突に溜息を零す俺に、鵜飼先生が
「それは何の溜息だよ。俺が鬱陶しいって溜息か?」
また面倒臭い感じで絡んできた。
ちげーよ。申し訳ないけど俺、あんたのことなんか微塵も考えてなかったわ。
確かに、兄ちゃんにちょっかい出すのをやめてくれない鵜飼先生や遠山先生の存在は鬱陶しいし苛つくけど、俺の頭の中はほぼほぼ兄ちゃんのことでいっぱいだ。他のことを考えている余裕なんてない。
「そういう卑屈な感じで絡んでくんのやめてよ。俺、別にそんなこと考えてたわけじゃねーし」
今の鵜飼先生の発言を肯定してしまうと、益々面倒臭いことになるのはわかりきっている。
だから、そうじゃないことを伝えると
「じゃあ何の溜息だよ。お前ほど恵まれた環境の人間に、溜息吐く理由なんてないだろ」
完全に僻みが入った言葉を返された。
ほんと、面倒臭い大人である。
「あのなぁ、俺だって色々考えることはあるんだよ。そりゃあんたからしてみりゃ俺は恵まれた環境なのかもしんねーけど、兄ちゃんって俺のことどう思ってんのかわかんねーし。今後俺とどうするつもりなのかもわかんねーもん。溜息くらい出るわ」
これは弱音を吐いていることになってしまうんだろうか。
でも、鵜飼先生だって俺に愚痴を零してくるんだから、俺だって鵜飼先生に弱音の一つや二つ吐いてもいいんじゃないかと思う。
俺は鵜飼先生より十歳も年下だし。鵜飼先生は仮にも教師だ。ちょっとくらい生徒の悩みを聞いて、先生らしいアドバイスをしてくれてもいいと思う。
ところが
「それは俺や遠山に喧嘩売ってんのか? こっちは真実ちゃんに〈そろそろこういうのやめたい〉って言われながら、どうにか言葉巧みに真実ちゃんを丸め込んでセックスしてんだよ。そういう話も出ていなけりゃ、真実ちゃんと一緒に暮らして、週一ペースで真実ちゃんとセックスしているお前に、今後の心配をする必要があんの?」
兄ちゃんが俺とどうなりたいのかが未定の俺に、鵜飼先生は容赦なかった。
ま、最初から期待なんかしていなかったけどな。この人が俺に優しい言葉を掛けてくれるなんて思っていなかった。
確かに、俺は兄ちゃんと今後どうするつもりなのかって話はしていない。俺が怖くて聞けないのもあるが、兄ちゃんも今はそんなことを考えている様子がない。
多分、それよりはまず、鵜飼先生や遠山先生をどうにかする方が優先なんだろう。俺のことはその後で――っていうか、俺のことはどうとでもなると思っているんじゃないかな。
だから、手が掛かる鵜飼先生や遠山先生との関係に終止符を打つまで、俺との関係は保留にしている状態なんだと思う。性欲が強い兄ちゃんには、定期的にセックスできる相手が必要なんだと思うし。
でも、なかなか二人との関係が切れない兄ちゃんは、そろそろ俺との関係についても考え始めているかもしれない。
どうにもならない二人より、どうにかなりそうな俺との関係を先に終わらせた方が楽だ――と思っていたらどうしよう。
「あのさ、あんたのことは何となくわかるんだけど、遠山先生ってどんな人? 兄ちゃんとはどんな感じなの? 俺、遠山先生とほとんど喋ったことがないし、遠山先生がどんな人なのかも全然わかんないから、全くの未知なんだけど」
色々考えているうちに、どうしてもわからない気になる点が浮上してきた。
それは、〈遠山先生ってどんな人?〉という素朴な疑問で、遠山先生のことを全く知らない俺は、遠山先生について鵜飼先生に尋ねてしまっていた。
「はあ? 急に話が飛ぶな。遠山がどんな奴かなんて、俺もよくわかんねーよ」
俺に辛辣な言葉を浴びせたばかりの鵜飼先生は、俺が急に遠山先生の人柄を尋ねたものだから、すっかり拍子抜けした顔になっていた。
でも、鵜飼先生も遠山先生のことはよくわからないと言う。
同じ教師で、共犯関係でもあるはずの遠山先生のことを、鵜飼先生がよくわからないってどういうこと? 二人は兄ちゃんのことで色々話をすることもあるんじゃないの?
それなのに、よくわからないって何だよ。遠山先生ってそんなにミステリアスな人なの?
「あいつ無口だからなぁ。話すことと言ったら真実ちゃんのことくらいだけど、実際何考えてんのかはわかんねーんだよ。まあ、真実ちゃんにはめちゃくちゃ執着してるみたいだけどな」
「ふーん……」
以前、上村先生に兄ちゃんが言っていた言葉を思い出した。
鵜飼先生と親しい上村先生が、鵜飼先生に兄ちゃんのことを諦めさせるのは相当骨が折れるだろうと言った時、兄ちゃんは
『ぶっちゃけしつこさなら鵜飼より遠山の方がヤバそうなんだけど』
と、そう言っていた。
俺の目には遠山先生より鵜飼先生の方が厄介で、しつこそうにも見えるのに、兄ちゃんにとってはそうじゃないらしい。
兄ちゃんに鵜飼先生よりもヤバいと思わせる遠山先生とは一体……。
「遠山がどんな奴か知りたいなら、真実ちゃんに聞きゃいいだろ。多分、あいつのことを一番良く知ってんのは真実ちゃんだから。俺があいつのことで知っていることと言えば、顔がいいってことと、よくわかんねー奴だけど真実ちゃんが大好きってことくらいだ」
結局、鵜飼先生からは有益な情報を得ることができなかった。
この人、態度も図体もデカいわりにはあんま役に立たないな。
兄ちゃんに遠山先生のことを聞くのは気が引けるけど、遠山先生がどんな人なのかを知る必要があると思った俺は、俺の疑問を兄ちゃんに丸投げしてしまう鵜飼先生に呆れつつ
「そうしてみる」
とだけ答えておいた。
ほんと、何のためにもならない昼休みを過ごしてしまった。マジで時間の無駄。
鵜飼先生のせいで全然箸が進んでいない俺を見て
「何? お前腹減ってねーの? だったら俺がその弁当食べてやろうか?」
俺の弁当を兄ちゃんが作ってくれてることを知っているからか、俺の弁当を奪おうとしてきた。
誰のせいで食が進んでないと思ってんだよ。別に俺、腹が減ってねーわけじゃないんだからな。
「食うよっ! 今から食うのっ!」
勝手に人の弁当に手を伸ばそうとしてくる鵜飼先生から弁当を守ると、俺は鵜飼先生に背を向けて弁当を食べ始めた。
機嫌悪そうに弁当を食べる俺の背中を見て
「お前のそういうとこ、やっぱ真実ちゃんに似てるよな」
俺の背中に兄ちゃんの姿でも重ねているのか、無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。
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