わたし女優になります! ~フローラ=バウマンには夢がある~

春野こもも

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第1章

5.ある日のジークハルト <ジークハルト視点>

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 ジークハルトがフローラと初めて一緒に朝食を取った朝のこと。
 彼は食事の後ダイニングから出て行こうとしてふと振り返り、再び彼女の瞳をじっと観察した。
 フローラは席を立ちにっこり笑うと、「いってらっしゃいませ。」と言って見送ってくれた。

(それにしても私に対する執着のなさはいっそすがすがしいな。)

 そう自嘲しながらジークハルトは城に向かった。




「副団長、ご婚約おめでとうございます。」

 声をかけてきたのは団員のハンスだ。一緒にいた騎士団長のコンラートがジークハルトの顔を見るなり声をかけてきた。

「よお、バウマン領への旅はどうだった?婚約者はなかなか綺麗な娘だそうじゃないか。」

「ああ、まあ……。何で知ってるんです?」

「いや、第3部隊長のニクラスの妹だと聞いてな。可愛い娘だと隊の中で噂になってるそうだ。」

「まったく暇人が……。ほら団長、書類が溜まってるんですからさっさと仕事してくださいね。」

「お、おう、分かった。今度嫁さん連れてこいよ。」

 まだ婚約者だ、と心の中で呟きながらジークハルトは執務室で書類仕事を片づけ始めた。




 ジークハルトは噂通り多くの女性と浮名を流している。しかしその噂が全てが正しいというわけではなかった。
 暗部を統括する彼には、飽くまで諜報活動の一環として標的の貴族の女性に近づいて情報を得るという目的があった。
 ただ女性が好きというのも確かで、プライベートな付き合いをする相手も何人かはいた。

 そんなジークハルトにとってフローラのようなタイプは初めてだった。無表情なわけではないのに何を考えているのか分からない。
 あのくらいの年頃の令嬢は大体彼を見ると、話しかけるのをためらって頬を染めながら遠くから見つめてくるか、逆に家の力を前面に押しだして積極的に接触してくるかのどっちかなのだ。
 ただ彼にとっては、フローラが従順であり、自分のすることに口を出さないのであれば何を考えていようと構わない。構わないのだが……。




 その日ジークハルトは仕事で午前中に町のほうへ視察に来ていた。

(ん? あれは……。)

 町の広場の向かい、劇場の近くに一人たたずんでいる少女に思わず目を止めた。
 クリーム色のシンプルなワンピースに身を包み、周りをきょろきょろ見渡している。ジークハルトを前にしているときよりも幼げに見えるその少女は、どう見てもフローラだ。
 その姿を見て今朝から彼の中に芽生えていた違和感が、明確にその存在を主張し始めた。
 あれはフローラに間違いない。一体あそこで何をしているのだろうか。屋敷で見るのとはまるで違う彼女の明るい表情に、彼は驚きを隠せない。

(どういうことなんだ? ……別人、じゃないよな。)

 ジークハルトが地味だと評していたフローラの印象とはまるでかけ離れている。頬を薔薇色に染め、その瞳は未来への希望を胸いっぱいに抱えたように潤んできらきらしている。彼女は全くこちらに気づいていないようだった。
 そのまましばらく見ていると、彼女は広場を横切りどこかへ向かって歩き出した。どこへ向かうのか気になってこっそりついていこうとしたが、そこで部下のハンスがジークハルトに声をかけた。

「副団長、どこに行くんです? もう戻らないと会議に遅れてしまいますよ。」

 ハンスの言葉を聞いてチッと舌打ちし、フローラの追跡を諦めて「今から戻る。」と告げた。一体どこに向かっていたのか、どうしてあんなに楽しそうだったのか。彼女の行動が大いに気になるところではあったが、後ろ髪をひかれながらも城へ戻った。




 残業を終えた後、ジークハルトは城を出て贔屓のレストランへ向かう。
 待ち合わせに来ていたのはアルトマン伯爵夫人である。彼女の夫は財務官の一人であり、最近羽振りがよいと噂の男だ。
 彼女のドレスや装飾品を軽く一通り眺めた後、その瞳を見つめ実に妖艶な笑顔を浮かべながら言葉を紡いだ。

「こんばんは、アルトマン伯爵夫人。今夜は貴女をエスコートできて光栄です。ドレスもアクセサリーも素敵ですが、貴女の美しさの前ではどんな装飾品も霞んでしまいますね。」

「まあ、ジークハルト様。お上手ですわね。どうぞ私のことはエレオノーラと呼んでくださいませ。貴方のような殿方とご一緒させていただけて本当に光栄ですわ。」

 アルトマン伯爵夫人はこれでもかという程大きな宝石のついた指輪を嵌めた手で、ジークハルトの腕を取ってしなだれかかった。だが彼の頭の中にあるのは、彼女が身に着けているドレスを含めた装飾品の数々の総額がいくらになるかということである。
 この夫人だけでこれだけの金が動いているのを考えると、アルトマン伯爵は一体どれだけの国庫の使い込みをしているやら。
 若干の頭痛を感じながらも蠱惑的な笑みを浮かべたまま、ジークハルトは夫人とともに夜の町を歩き始めた。



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