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それからも、ガイザールは治療院に日参する。
夢で見た少女と思しき面影、あるいはトニアスが口にした呪いを解いたかもしれない第三者の姿を探しているのかもしれない。
探し出して、どうしたいのかは分からない。
とりあえず、礼は言いたい。
だが、自分は感謝を伝えるためだけに、いるかどうかも分からない恩人を探しているのだろうか。
なぜ?
なんのために?
我ながら馬鹿げている気がするとガイザールは思うものの、会わなくては、会うべきだという切望が日に日に募ってゆく。
またしても使いで城に来ていたサイシャは、今、城内の治療院にいた。
夢見が悪くて明け方まで寝られず、ボンヤリした状態で歩いていたらうっかりつまずいてしまったのだ。
打ち付けた膝を押さえて蹲っている所に、見張りの兵が通りかかり、親切な彼に治療院へと連れて来てもらった。
何人もの治療士が次々に運び込まれる怪我人や病人の治療に当たる忙しない部屋の一番奥で、サイシャは申し訳なさそうに小さな体をさらに小さくして、怪我の手当てを受けている。
その時、こちらに向かってくる足音を耳にした。力があって体格のいい者を想像させる、猛々しい足音だった。
バッと扉が大きく開き、入ってきたのはガイザールである。
「失礼する。皆は、そのまま治療を続けてくれ」
そう言って、彼はさっきよりも幾分静かに足を進めた。
この治療院は勤務時間や曜日によって、働く者が変わる。ガイザールはこれまでに顔を合わせていない治療士に会いに来たのだ。
予想だにしない人物の登場に、サイシャはますます身を縮める。
「あら、消毒液がしみた?」
傷口の汚れを拭きとっていた治療士が、彼女の様子に気付いて声をかけた。
「い、いえ。大丈夫です」
母親と同じくらいの年齢に見える治療士に小さく微笑んで、サイシャは首を横に振る。だが、彼女の意識は治療士たちの間を縫って歩くガイザールへと向けられていた。
ガイザールに自分の正体は知られていないはずだ。もし、すでに情報を得ていれば、即座に家を割り出され、なんらかの音沙汰が届いているはず。
それがあの月夜の出会いから二週間近く経った今でも、家や職場の孤児院に軍人が顔を出さないところを見ると、彼はまだ知らないということだ。
それでも、聖狼様の加護を受け、人並み外れた感覚を持つガイザールであれば、サイシャの顔を見て、なにか気付いてしまうかもしれない。
――お願い。こっちに来ないで……。
サイシャは祈るように両手を握り、息を殺してガイザールが出ていくのを待つ。
彼は治療士たちと短い会話を交わすものの、全員ではない。面識のある者は除外しているのだ。
運がいいことに、サイシャの治療に当たっている者は、既にガイザールの質疑を受けていた。
緊張で胸が張り裂けそうになっていると、「邪魔したな」と言って、ガイザールが扉に向かって歩き出す。
彼の足音を耳で拾ったサイシャは、思わず、「よかった……」と、零してしまった。
その瞬間、ガイザールは足を止め、ハッとしたように振り返る。それから探るように、じっくりと室内を見回す。
サイシャは彼から顔を背け、ひたすら俯いていた。
ガイザールの視線を受けても他の者たちは気にすることもなく、サイシャだけがひどく緊張している。
心臓が限界まで早鐘を打ち、壊れてしまいそうだ。
――もう、行ったかな?
様子を窺おうと、入り口にチラリと視線を向ける。
そこで、サイシャは本当に心臓が壊れたかと思った。
なんと、ガイザールがこちらを見ていたのだ。
二人の間には何人もの治療士が忙しそうに横切るものの、ガイザールの視線は人影に遮られることなく、真っ直ぐにサイシャを捉えていた。
咄嗟に俯くサイシャ。
――知られた!?
こめかみに嫌な汗が滲む。
ところが、ガイザールはなにも言わずに、その場から去って行ったのだった。
――なぜ、あの少女が気になるのだろうか。あの子は治療士ではないのに。
ガイザールは治療院で目にした少女のことが忘れられずにいた。
小柄で華奢な彼女は、十五、六歳といったところか。同じ年頃の少女に比べて表情に乏しく、やたらと委縮していたようだった。
その容姿は愛らしい部類に入るのだろうが、心の内に秘めた諦めのようなものが、せっかくの愛らしさを損なっていたように思う。
見るからに儚い様子が庇護心を煽り、そのせいで自分は気になっているのだろうか。
「……いや、違うな」
思わず漏らした言葉に、自分自身が驚いた。
違うとは、なにに対して物なのか。
なぜ、自分はそんなことを口にしてしまったのか。
もう一度あの少女に会えば、答えは出るのだろうか。
夢で見た少女と思しき面影、あるいはトニアスが口にした呪いを解いたかもしれない第三者の姿を探しているのかもしれない。
探し出して、どうしたいのかは分からない。
とりあえず、礼は言いたい。
だが、自分は感謝を伝えるためだけに、いるかどうかも分からない恩人を探しているのだろうか。
なぜ?
なんのために?
我ながら馬鹿げている気がするとガイザールは思うものの、会わなくては、会うべきだという切望が日に日に募ってゆく。
またしても使いで城に来ていたサイシャは、今、城内の治療院にいた。
夢見が悪くて明け方まで寝られず、ボンヤリした状態で歩いていたらうっかりつまずいてしまったのだ。
打ち付けた膝を押さえて蹲っている所に、見張りの兵が通りかかり、親切な彼に治療院へと連れて来てもらった。
何人もの治療士が次々に運び込まれる怪我人や病人の治療に当たる忙しない部屋の一番奥で、サイシャは申し訳なさそうに小さな体をさらに小さくして、怪我の手当てを受けている。
その時、こちらに向かってくる足音を耳にした。力があって体格のいい者を想像させる、猛々しい足音だった。
バッと扉が大きく開き、入ってきたのはガイザールである。
「失礼する。皆は、そのまま治療を続けてくれ」
そう言って、彼はさっきよりも幾分静かに足を進めた。
この治療院は勤務時間や曜日によって、働く者が変わる。ガイザールはこれまでに顔を合わせていない治療士に会いに来たのだ。
予想だにしない人物の登場に、サイシャはますます身を縮める。
「あら、消毒液がしみた?」
傷口の汚れを拭きとっていた治療士が、彼女の様子に気付いて声をかけた。
「い、いえ。大丈夫です」
母親と同じくらいの年齢に見える治療士に小さく微笑んで、サイシャは首を横に振る。だが、彼女の意識は治療士たちの間を縫って歩くガイザールへと向けられていた。
ガイザールに自分の正体は知られていないはずだ。もし、すでに情報を得ていれば、即座に家を割り出され、なんらかの音沙汰が届いているはず。
それがあの月夜の出会いから二週間近く経った今でも、家や職場の孤児院に軍人が顔を出さないところを見ると、彼はまだ知らないということだ。
それでも、聖狼様の加護を受け、人並み外れた感覚を持つガイザールであれば、サイシャの顔を見て、なにか気付いてしまうかもしれない。
――お願い。こっちに来ないで……。
サイシャは祈るように両手を握り、息を殺してガイザールが出ていくのを待つ。
彼は治療士たちと短い会話を交わすものの、全員ではない。面識のある者は除外しているのだ。
運がいいことに、サイシャの治療に当たっている者は、既にガイザールの質疑を受けていた。
緊張で胸が張り裂けそうになっていると、「邪魔したな」と言って、ガイザールが扉に向かって歩き出す。
彼の足音を耳で拾ったサイシャは、思わず、「よかった……」と、零してしまった。
その瞬間、ガイザールは足を止め、ハッとしたように振り返る。それから探るように、じっくりと室内を見回す。
サイシャは彼から顔を背け、ひたすら俯いていた。
ガイザールの視線を受けても他の者たちは気にすることもなく、サイシャだけがひどく緊張している。
心臓が限界まで早鐘を打ち、壊れてしまいそうだ。
――もう、行ったかな?
様子を窺おうと、入り口にチラリと視線を向ける。
そこで、サイシャは本当に心臓が壊れたかと思った。
なんと、ガイザールがこちらを見ていたのだ。
二人の間には何人もの治療士が忙しそうに横切るものの、ガイザールの視線は人影に遮られることなく、真っ直ぐにサイシャを捉えていた。
咄嗟に俯くサイシャ。
――知られた!?
こめかみに嫌な汗が滲む。
ところが、ガイザールはなにも言わずに、その場から去って行ったのだった。
――なぜ、あの少女が気になるのだろうか。あの子は治療士ではないのに。
ガイザールは治療院で目にした少女のことが忘れられずにいた。
小柄で華奢な彼女は、十五、六歳といったところか。同じ年頃の少女に比べて表情に乏しく、やたらと委縮していたようだった。
その容姿は愛らしい部類に入るのだろうが、心の内に秘めた諦めのようなものが、せっかくの愛らしさを損なっていたように思う。
見るからに儚い様子が庇護心を煽り、そのせいで自分は気になっているのだろうか。
「……いや、違うな」
思わず漏らした言葉に、自分自身が驚いた。
違うとは、なにに対して物なのか。
なぜ、自分はそんなことを口にしてしまったのか。
もう一度あの少女に会えば、答えは出るのだろうか。
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