螺旋邸の咎者たち

センリリリ

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5. 新天地

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 三十分ほど車は走り続け、いつしか高台にある住宅街へと入っていった。
 通りすがる家々はみんな敷地が広く、長い塀で視界がずっと遮られているようなところも、何か所もあった。
 好奇心からスマホで現在地の住所を調べて、納得する。
 大々的な再開発の成功で、十年くらい前から、高級住宅地としてよく話題にのぼるようになった地域だ。
 近くには大きな川と有名な公園があって、緑の多いのんびりした土地なのに、すこし出れば大きな幹線道路がある。
 さらには南を通る私鉄が駅を新設したのが十五年ほど前で、それからどんどん人口が増えて利便性も上がってるらしい。
 そんな話を、テレビのランキング番組で見たことがある。
 今通ってきたところの感じだと、ほとんどが広い庭つきの大きな一戸建て。ごくたまにあるマンションらしき建物にしても、低層タイプのゆったりした造りのものだった。

(こりゃ、ご近所づきあいが大変そう)

 ただ、それを見たあたしの感想はといえば、そんな庶民的なものしか出てこない。

(泣ける)

 車はやがて、手入れの行き届いた植え込みに囲まれた家の裏手へと回った。
 大きなシャッターがまず目につく。たぶんこれがガレージなんだろう。その右脇に、小さなドアがある。
 井沢さんはその前にあたしを降ろすと、自分もいったん降りて、インターホンを押す。勝手口のようだ。
 返事があり、すぐにエプロンをした中年の女性が姿を現した。

「じゃあ、あとはお任せします。では」

 井沢さんは荷物を降ろしたあと、ぺこりと頭を下げると、また車に乗りこんだ。
 ガレージに入れるのかと思ったら、向きを変える。
 どうやら、このまままた牧園さんのところに戻るみたいだ。
 あたしはわざわざ来てくれたお礼を言いたかったんだけど、井沢さんの運転技術があまりに素晴らしすぎるのか、車はあっという間に来た道を引き返して、すぐに見えなくなってしまった。

「いらっしゃい。あなたが沖津さんね」

 中年の女性が、背を向けていたあたしに声をかけてくる。
 落ち着いてはいるが、元気さが滲み出てくるような声音だ。

「はい」

 あたしは返事をしながら身体の向きを変え、しっかりと向き合った。

「私は土谷つちや志麻。ここの家政婦やってます」

 にこにこしながら名乗ってくれる。

「はじめまして。沖津棗です。よろしくお願いします」

 あたしは丁寧に頭を下げた。
 なにしろこれからお世話になる、職場の先輩だ。相手からは大げさに思われるかもしれないが、きちんとするのが礼儀というものだろう。

「まあ、堅苦しい挨拶はこのくらいにしましょうか。お昼は?」

「あの……。まだです」

(そう言えば、食べるの忘れてた)

 家を出るまで忘れものがないか何度も確認しているうちに時間がきてしまったし、途中でなにか買いたいと申し出るのも、緊張のせいかすっかり忘れていた。

「あらら。簡単なものでいいなら、用意できるけど。それでいい?」

「そんな。お手数でしょうから、なにか買いに行きます」

「まあまあ。今日のところは疲れてるでしょ。遠慮しないで」

 土谷さんはそう言いながら、よいしょ、と荷物を抱えあげ、そのまま先に立って勝手口を入っていく。

「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えます」

 その背中に急いでついて行きながら、荷物を受け取ろうとしたが土谷さんはそのまま、すたすたと家のなかに入ってしまった。

「まあまあ、そんな杓子定規にならずに、さあ、入って、入って」

 荷物を降ろして、手招きしている。
 なんだか気さくそうな人だ。ちょっと安心した。
 入るとすぐに、大きなキッチンになっていた。
 食器棚や冷蔵庫、システムキッチンに至るまで、白と銀を基調とする統一されたデザインになっていて、まるで清潔さと整然さの見本のようだ。
 調理器具も、よく手入れのされたものがきちんと並んでいて、百均で買った安物が並んでた、あたしのアパートとは大違い。
 ガス台やオーブンは壁際にあるけど、部屋の真ん中に大きな調理台がある。アイランド式、というやつだと思う。
 そしてその調理台脇に椅子が並んでいる。

「ここが調理台兼使用人の食事用のテーブルなんだけど、どうする、ここで食べる? もし嫌なら、自分の部屋まで持っていってもいいわよ」

 土谷さんは荷物を入口の脇に置いてから、そう訊いた。

「あ、大丈夫です。ここで食べます」

 もしかしたら、立派なテーブルセットじゃないので、気を遣ってくれたのかもしれない。
 でもあたしからしたら、今まで住んでたボロアパートの折り畳み式テーブルに比べたら、ぜんぜんレベルアップした環境だ。

「そう。じゃあ、そこに座って。ありあわせのものだけど、すぐに出すから」

「あの、教えてくれれば、自分でやっても……」

「いいのいいの。あなたの仕事は家事じゃないから。まあ、そのうち手伝ってもらうこともあるかもしれないけど」

「そうですか……。じゃあ、その時は遠慮なく声かけてくださいね」

「あら、ありがとう」

 土谷さんは嬉しそうだ。
 そして言葉通り、本当にすぐに食事が出てきた。
 マグロの刺身の切り落としに大葉とネギ、山芋の短冊切りを和えたもの。京がんもと筍の煮たもの。それにポテトサラダとみそ汁。
 さらには自家製漬物に温かいごはんと、家庭料理に慣れてないあたしには、嬉しいメニューだった。
 お茶も出してくれて、そのときに自分のぶんも淹れて、土谷さんは正面に座った。

「雲雀ちゃんには、もう会ったの?」

「まだです。お名前だけは、お兄さんから伺いましたけど」

「ああ、爽希さんね。じゃあ、今すぐじゃなくて、お茶の時間にご挨拶する? ひとりで集中して色々とお勉強するのがお好きなんで、わざわざ中断させてまで、っていうのも、あんまりおススメできないのよね」

「ああ、じゃあ、そうします」

 アドバイスがありがたい。

「食べたらいったんひと休みして、そうしたらこの家をひととおり案内しておくわね。爽希さんに頼まれてるので」

「ありがとうございます。助かります」

 どうやら、この家に勤めているのは、あたし以外だとこの土谷さんと井沢さんだけのようだ。まあ、広い家とはいえ、兄妹のふたり暮らし。あまり沢山の人間を雇ってもかえってやることがないのだろう。
 そうやって、あたしは土谷さんと世間話をしながら、楽しく食事を終えた。
 食器洗いだけは申し出て自分でやったあと、階下にあるという割り当ての部屋に案内してもらった。



 荷物を片づけ、ベッドに座ると、改めてあたしは部屋を見回した。
 六畳ほどの広さの洋間で、ベッドがひとつ、テーブルと椅子がひとつずつ、そして壁一体化してるタイプのクローゼット。
 収納は他にもベンチにもなるようなタイプの背の低いチェストがひとつあり、ベッドの下にも引き出しがついている。
 トイレと風呂は土谷さんと共同で、部屋の奥のドアから繋がっているそうだ。
 シンプルでこぢんまりとはしてるけど、仮の住まいとしてはなかなか悪くない。ちょっとした安ホテルくらいの感じだ。
 建物じたいは住み込みの人用住居とキッチン、ということで、庭を迂回する通路で、牧園さん兄妹の住む本邸と繋がっているということだった。
 ベッドに寝転がると、洗濯したてのシーツが気持ちいい。
 マットや上掛けも干してくれたらしく、ふわふわだ。
 さらには、きれいな色の端切れをきれいに繋げた布まで掛けてある。
 たしか、キルトとかいうやつだ。オレンジやピンクといった暖色系のパステルカラーが主で、なんとなく作った人の温もりのようなものが垣間見える。

「はぁぁ……」

 あたしは大きく深呼吸し、寝具が自分の体温で快適な温度になってきたのを楽しむために、ちょっとのあいだ目を閉じた。
 大きく取られた曇りガラスの窓の向こうは、すぐに道路になっている。
 でも、通り抜けのむやみにスピードをあげた車や、配送のトラックなんかが行き交うわけでもないので、ものすごく静かだ。
 そんな些細なことですら、今まで住んでた雑然というか騒然というか、そういう環境とは違う。
 空気ですらいい香りがしてきそうだった。
 それで、いつのまにか、ちょっとうとうとしてしまったらしい。
 でもすぐに目が覚めたのは、頬にかすかに風が当たるのを感じたからだ。

(いけね、窓、開けっぱなしだったかな)

 そう思い、慌てて身体を起こした。
 前に住んでたのは安アパートの二階だったから、戸締りにはいつも気をつけてた。その癖が残っていたらしい。
 よく考えたら、窓なんて、最初から開けてもいなかった。

(もしかして、どこからか隙間風でも吹き込んでるのかも)

 あたしはそう思い、部屋を見回す。
 ただ、そこでちょうど土谷さんが呼びに来た。
 ドアのノックの音に、あたしはあわてて、スカートやブラウスに寝転がった痕の皺がないか確認し、急いで部屋を出る。
 それで、ふと感じた違和感みたいなものは、すぐに忘れてしまった。
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