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14. いなくなった子 1
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その夜、あたしは爽希さんに話があると言って呼ばれた。
夕食を終えた後のことだった。
最近、爽希さんは早めに帰ってくることが増えたらしい。
だから、三人で夕食を取ることは、かなり日常になっていた。
ただ、食卓での会話はほとんど雲雀さんとあたしのあいだだけで、爽希さんは食べ終わるとさっさと螺旋階段の上の部屋へと行ってしまうのだけど。
だから、わざわざ呼びつけられたりしたのは、初めてのことだった。
螺旋階段を上がるのも、そうだ。
濃い色の木の手すりと、スチールの支柱、白木のステップでできているそれは、なんというか、デザインが洗練されすぎていて、まるで結婚式場にある写真を撮るためのセットのようでもある。
最初はちょっとうっとりしながら進んでいたけど、途中からだんだん疲れてきた。
(だって、あまりにも長い)
心の中で愚痴りながら、爽希さんについていく。手すりがあたしの感覚的だとちょっと低くて頼りがいがなく、それもなんだか昇りにくさに拍車をかけている。
でも爽希さんは慣れているせいか、軽い足取りでどんどん先を行く。
(こっちにも、エレベーターつければいいのに)
金銭的には、充分可能だろう。
なのに、なんだってこんなに効率の悪い造りになっているのか、ぜんぜん理解できなかった。
雲雀さんが車椅子のせいか、他の場所はむしろ徹底したバリアフリー構造になっているっていうのに。
最後のあたりになると、あたしの額にはわずかとは言え汗が浮かんでいた。
そして、そこまでしてようやく着いた部屋は。
あっけないくらいに、小さいものだった。
「どうぞ」
爽希さんは紳士的な口調でそう招いてくれたけど、なんだか、二人きりになるとちょっとした閉塞感を感じるような狭さだ。
ここは本当に事務的なことなんかをするだけの部屋らしく、古めかしい木製のデスクと、黒い大きな金庫があるだけ。飾りめいたものもなにもないし、なにより生活感がない。
まあ、爽希さんの寝室は別にあるから、ここに生活用品はあまり必要ないのだろう。ちなみに、そっちは雲雀さんの部屋の向かいにある。
部屋の天井の灯りすらなく、デスクの上にランプがあるだけの部屋は薄暗く、まるで洞窟かなにかのよう。
(爽希さん、こんな暗い部屋で、持ち帰った仕事をいつもしてるのか)
(物好きというか、なんというか……。リビングやあっちの部屋は、ガラスが多用されてたりして、めちゃくちゃ明るいのに)
でも、ここでふと思い出す。
そういえば、面接を受けたオフィスもそんな感じじゃなかったっけ。
(単なる好みか。ごちゃごちゃしてるのが好きじゃないのかな。同情して損した)
そんなことを考えていると、この部屋に唯一ある椅子を勧められた。つまりデスクの椅子だ。爽希さんはというと、デスクの端に寄りかかる。
「芙蓉さんに、お会いになったそうですね」
「ああ……」
あの感じ悪いおばさん。思い出してもなんだか胸がモヤモヤする。
「なにか失礼なことを言われなかったですか」
「いえ、私に対しては別に……」
言い方から、まあすくなくとも、爽希さんもあの女性にいい印象を持ってないことはわかった。
「あの女は、僕たちを恨んでいるんです。息子が、この家で死んだから。……いや」
爽希さんは遠い目になる。
「違いますね。もっと、前からだ。母を押しのけて正妻に収まったのに、父が母を愛することをやめなかったから」
(おぉ……、なんだかややこしい話になってきたぞ)
正直、そんな因習めいた話がこの家に絡んでいるのは、不思議な気がした。
そういうどろどろしたものは、もっとこう、古めかしい造りのお屋敷に住む人たちのあいだで起きることだという、勝手な思い込みがあった。
「でも、あの、亡くなったって、どうして……」
あたしはつい、訊いてしまった。
だって聞き流すには、あまりにも大きな出来事だろう。
「事故です。そこの、螺旋階段から落ちて……」
「えっ」
(まさか、今通ってきたばかりの場所が、現場だったなんて)
あたしが黙ったままでいると、爽希さんが言葉を続けた。
「雲雀が中学を卒業した頃でした。当時の家政婦が手引きして、芙蓉さんの息子を、家の中に入れたんです。そしてその時家にいた雲雀を脅してこの家の権利書を手に入れようとした」
(うーん、えらい直接的な人だったんだな)
そういうことをするのに躊躇いがない人は、たしかにいるんだろう。品性がない感じは、芙蓉さんに通じる気もする。
「拒否した雲雀と揉み合っているうちに、手すりを越えてしまって、ふたり一緒に落ちました。雲雀があんな身体になったのは、その時の怪我が原因なんです」
「そんな……」
でも、そんなことなら、一方的に『人殺し』呼ばわりされるのは、なんだか理不尽な気がする。
「僕は連絡を受けて、急いで社から戻りました。でも、間に合わなかった。あの時、僕がもう少し早く帰ってこられてさえいれば、今頃、雲雀は……」
爽希さんは、なぜか顔を顰める。
いや、違う。
たぶん泣きそうになってるんだろうけど、そんな風に見える表情しかできないんだ。
「もともと、芙蓉さんは母や僕たちを、妾、妾の子、と目の敵にしていました。でもそれからは、さらに拍車がかかって……。僕からしたら、息子さんを亡くしたことは、気の毒だとは思います。でも、結局雲雀があんな目にあったのも、大基さんが原因なんだと思うと、こっちこそ相手を責めたいくらいだ」
「大基さん?」
「ああ。芙蓉さんの息子さんの名前です。僕より、数ヵ月年下でした」
(ということは、爽希さんたちのお父さんは、二股かけてたってことか)
ひどい奴だなあ、とは思うが、仮にも父親だ。
爽希さんにそれを言うのは控えた。
「僕たちは認知も受けてないし、父からもらったものなんて、せいぜい名前とこの家くらいです。ましてや向こうの財産を貰おうとか家を乗っ取ろうとかなんて、考えたことは一度もない。でも、芙蓉さんからすると、それが信じられないらしい」
(まあ、人は自分を基準に他人を判断するって言うしな)
あのちょっと品のない態度から想像するに、色々とがめつい性格をしている可能性は高そうだ。そうじゃない人がいるなんて、思いもつかないのだろう。
「そんな事情があるなんて、知りませんでした。今度見かけたら、すぐに追い払います」
「すみません。あなたには無関係なことなのに」
「いえいえ。私は雲雀ちゃんのお世話係ですから。職務のうちだとも言えます」
あたしは胸を張ってみせる。
爽希さんは、またなんとも奇妙な表情になった。
「本当に、あなたは不思議な人ですね」
感激してくれているのか、呆れているのか、よくわからない言葉だったけど、あたしは前者に解釈することにした。
夕食を終えた後のことだった。
最近、爽希さんは早めに帰ってくることが増えたらしい。
だから、三人で夕食を取ることは、かなり日常になっていた。
ただ、食卓での会話はほとんど雲雀さんとあたしのあいだだけで、爽希さんは食べ終わるとさっさと螺旋階段の上の部屋へと行ってしまうのだけど。
だから、わざわざ呼びつけられたりしたのは、初めてのことだった。
螺旋階段を上がるのも、そうだ。
濃い色の木の手すりと、スチールの支柱、白木のステップでできているそれは、なんというか、デザインが洗練されすぎていて、まるで結婚式場にある写真を撮るためのセットのようでもある。
最初はちょっとうっとりしながら進んでいたけど、途中からだんだん疲れてきた。
(だって、あまりにも長い)
心の中で愚痴りながら、爽希さんについていく。手すりがあたしの感覚的だとちょっと低くて頼りがいがなく、それもなんだか昇りにくさに拍車をかけている。
でも爽希さんは慣れているせいか、軽い足取りでどんどん先を行く。
(こっちにも、エレベーターつければいいのに)
金銭的には、充分可能だろう。
なのに、なんだってこんなに効率の悪い造りになっているのか、ぜんぜん理解できなかった。
雲雀さんが車椅子のせいか、他の場所はむしろ徹底したバリアフリー構造になっているっていうのに。
最後のあたりになると、あたしの額にはわずかとは言え汗が浮かんでいた。
そして、そこまでしてようやく着いた部屋は。
あっけないくらいに、小さいものだった。
「どうぞ」
爽希さんは紳士的な口調でそう招いてくれたけど、なんだか、二人きりになるとちょっとした閉塞感を感じるような狭さだ。
ここは本当に事務的なことなんかをするだけの部屋らしく、古めかしい木製のデスクと、黒い大きな金庫があるだけ。飾りめいたものもなにもないし、なにより生活感がない。
まあ、爽希さんの寝室は別にあるから、ここに生活用品はあまり必要ないのだろう。ちなみに、そっちは雲雀さんの部屋の向かいにある。
部屋の天井の灯りすらなく、デスクの上にランプがあるだけの部屋は薄暗く、まるで洞窟かなにかのよう。
(爽希さん、こんな暗い部屋で、持ち帰った仕事をいつもしてるのか)
(物好きというか、なんというか……。リビングやあっちの部屋は、ガラスが多用されてたりして、めちゃくちゃ明るいのに)
でも、ここでふと思い出す。
そういえば、面接を受けたオフィスもそんな感じじゃなかったっけ。
(単なる好みか。ごちゃごちゃしてるのが好きじゃないのかな。同情して損した)
そんなことを考えていると、この部屋に唯一ある椅子を勧められた。つまりデスクの椅子だ。爽希さんはというと、デスクの端に寄りかかる。
「芙蓉さんに、お会いになったそうですね」
「ああ……」
あの感じ悪いおばさん。思い出してもなんだか胸がモヤモヤする。
「なにか失礼なことを言われなかったですか」
「いえ、私に対しては別に……」
言い方から、まあすくなくとも、爽希さんもあの女性にいい印象を持ってないことはわかった。
「あの女は、僕たちを恨んでいるんです。息子が、この家で死んだから。……いや」
爽希さんは遠い目になる。
「違いますね。もっと、前からだ。母を押しのけて正妻に収まったのに、父が母を愛することをやめなかったから」
(おぉ……、なんだかややこしい話になってきたぞ)
正直、そんな因習めいた話がこの家に絡んでいるのは、不思議な気がした。
そういうどろどろしたものは、もっとこう、古めかしい造りのお屋敷に住む人たちのあいだで起きることだという、勝手な思い込みがあった。
「でも、あの、亡くなったって、どうして……」
あたしはつい、訊いてしまった。
だって聞き流すには、あまりにも大きな出来事だろう。
「事故です。そこの、螺旋階段から落ちて……」
「えっ」
(まさか、今通ってきたばかりの場所が、現場だったなんて)
あたしが黙ったままでいると、爽希さんが言葉を続けた。
「雲雀が中学を卒業した頃でした。当時の家政婦が手引きして、芙蓉さんの息子を、家の中に入れたんです。そしてその時家にいた雲雀を脅してこの家の権利書を手に入れようとした」
(うーん、えらい直接的な人だったんだな)
そういうことをするのに躊躇いがない人は、たしかにいるんだろう。品性がない感じは、芙蓉さんに通じる気もする。
「拒否した雲雀と揉み合っているうちに、手すりを越えてしまって、ふたり一緒に落ちました。雲雀があんな身体になったのは、その時の怪我が原因なんです」
「そんな……」
でも、そんなことなら、一方的に『人殺し』呼ばわりされるのは、なんだか理不尽な気がする。
「僕は連絡を受けて、急いで社から戻りました。でも、間に合わなかった。あの時、僕がもう少し早く帰ってこられてさえいれば、今頃、雲雀は……」
爽希さんは、なぜか顔を顰める。
いや、違う。
たぶん泣きそうになってるんだろうけど、そんな風に見える表情しかできないんだ。
「もともと、芙蓉さんは母や僕たちを、妾、妾の子、と目の敵にしていました。でもそれからは、さらに拍車がかかって……。僕からしたら、息子さんを亡くしたことは、気の毒だとは思います。でも、結局雲雀があんな目にあったのも、大基さんが原因なんだと思うと、こっちこそ相手を責めたいくらいだ」
「大基さん?」
「ああ。芙蓉さんの息子さんの名前です。僕より、数ヵ月年下でした」
(ということは、爽希さんたちのお父さんは、二股かけてたってことか)
ひどい奴だなあ、とは思うが、仮にも父親だ。
爽希さんにそれを言うのは控えた。
「僕たちは認知も受けてないし、父からもらったものなんて、せいぜい名前とこの家くらいです。ましてや向こうの財産を貰おうとか家を乗っ取ろうとかなんて、考えたことは一度もない。でも、芙蓉さんからすると、それが信じられないらしい」
(まあ、人は自分を基準に他人を判断するって言うしな)
あのちょっと品のない態度から想像するに、色々とがめつい性格をしている可能性は高そうだ。そうじゃない人がいるなんて、思いもつかないのだろう。
「そんな事情があるなんて、知りませんでした。今度見かけたら、すぐに追い払います」
「すみません。あなたには無関係なことなのに」
「いえいえ。私は雲雀ちゃんのお世話係ですから。職務のうちだとも言えます」
あたしは胸を張ってみせる。
爽希さんは、またなんとも奇妙な表情になった。
「本当に、あなたは不思議な人ですね」
感激してくれているのか、呆れているのか、よくわからない言葉だったけど、あたしは前者に解釈することにした。
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