雨に濡れた庭園で、彼女の瞳が映すもの

神凪凛薇

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 次に目が覚めた時、傍らに居たのは彼女ではなく、幼い娘だった。年の頃としては、12、3だろうか。幼さを残す面立ちとは若干不似合いな大人びた衣。結い上げられた黒髪が彼女の動きに合わせてユラユラ揺れている。

 「娘……いや、妹、か?」

 小さな体でせっせと働いている少女を見て、俺は思わず呟いていた。ピクリと肩を跳ね上げた少女は振り向き、目を見張った。俺が起きた事をしり、そろそろとにじり寄ってきた。まるで人見知りの子猫のような仕草に、笑いをかみ殺しながら様子を見ていると、恐る恐る少女は俺の額に手を伸ばした。子供特有の少し高い体温が、壊れものに触るように触れてくる。

 「熱も下がったし、体の調子も大分よくなった。お前の姉のお陰だな」

 驚かさないように声を掛けると、少女は困惑したような顔で首を振った。どういう意味だ、と首を傾げると、少女はパクパクと口を動かした。しかし、その口から出てくるはずの可憐な声が一片も出てこない。

 「……もしかして、声が出ないのか?」

 はたと思い至り尋ねてみると、少女はコクリと頷いた。

 「耳が聞こえない、という感じではないな。声が出ないだけか?」

 もう一度訪ねると、深く頷かれた。何等かの理由で声が出ないだけのようだ。すると、少女は再び俺の額に指先を触れ、次に何処かを指さした。そのまま己を指さすと首を振る。身振り手振りで話をしようとする少女の意図をくみ取るべく、思考を巡らせた。

 「……俺を診ていたのはあくまでお前の姉、という訳か?」

 こんな所だろう、と辺りをつけて聞いてみると、少女は一度縦に首を振った後、横に振った。伝わるかな、と不安そうな色で大きな瞳を染め上げた少女を一瞥し、天井に目を向ける。先の動作は首肯、後の動作は否定として。会話の流れ的に肯定、否定したという事だろう。この場合は。

 「俺を診ていたのは千歳。千歳はお前の姉ではない」

 すると、少女は嬉しそうに笑って大きく頷いた。どうやらあっていたらしい。伝わった事が嬉しいのか、俺の頭をそっと撫でてくれる。普段ならば振り払う所だが、愛らしい様子に俺の口元も綻んでいく。そして、ふと疑問が浮かぶ。

 「って事は、お前は一体?」
 「その娘は我が家に奉公に来ている幸音ゆきねに御座います。幼いときから口がきけず、当家の前で倒れていたのを助けた縁で働いてもらっています」

 すっと障子が開き、千歳が姿を現した。ぱっと顔を明るくした少女――幸音が駆け寄ろうとするが、途中でピタリと動きを止めて楚々とした動きで指をついた。千歳の動作によく似ている。クスクス笑った千歳が中に滑り込んできて、幸音の前に膝をつく。

 「幸?神宮司様に粗相をしていませんね?」
 「ああ。面倒を見てくれた上に話相手もしてくれた。いい使用人だな」

 是と答えたいが、万一にも粗相があったら。そんな風に思ったのか、小首を傾げた体勢で動きを止めた幸音に吹き出した俺は、変わって返答した。千歳も咎めるつもりなど無かったのだろう。ふわりと笑って幸音の頭を撫でた。心底嬉しそうな顔で受け入れている幸音を見て、先程俺の頭を撫でたのはそれが理由か、と笑う。

 「幸音……幸か。可愛らしい」
 「ええ。名前も分からなかったので、そう名付けました。音を紡げずとも、この娘は幸せを招いてくれますもの。それに、今以上に豊な音色を望まずともこの子と会話できますゆえ」
 「たしかに」

 簡単な身振りであっても、きちんと意志を伝えてくる幸音。少しのふれあいでも、口がきけない事を全く気にさせなかった。笑顔で触れ合う美しい二人を、目を細めていた俺は、何気なく呟く。

 「幸音ゆきねゆき、という事は、そなたは千歳ちとせ……いや、せんと言ったところか?」
 「ええ、まぁ。人によっては然様に呼ばれる方も」

 穏やかに微笑む千歳。その傍らで幸音が身を乗り出す。パクパクと口を動かし、何か伝えようとしている。

 「あーっと。……"え"?いや、"せ"。……"む"……"ん"、か?……"し"、"い"、……"ひ"?"え"、口を閉じて"え"だから、"め"か?えー……"あ"?"か"?"さ"?……"さ"ね。で、また口を閉じて……"ま"、だな?」

 首肯と否定を確認しつつ、一つ一つの音を拾い上げていく。読唇術でも習うか、と詮無き事を思いつつ、振り返る。

 「あー……。ああ、"千姫様"か?」

 そろそろ謎当てをしている気分である。伝わって満足そうな幸音の頭をぐりぐり撫でつつ、笑った。千歳に視線を向けると、微苦笑していた。微かに頷く所を見るに、千姫と呼ばれていたのだろう。

 「なるほどな。なら、俺も千姫と呼ぼう」

 目を輝かせる幸音と笑い合って決める。千歳も満更ではないのか、ご随意に、と呟いたきり微笑むだけ。ころころと表情の変わる、言葉を持たないお喋りな少女に付き合って会話が弾む。

 邪気の無い会話は、俺の心を知らず知らずのうちに癒していた。
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