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そろそろ別の仕事をしに行きなさい、と優しく促され、幸音はぴょこんと頭を下げて下がっていった。必死に背伸びしているような姿に、笑いが込み上げる。かみ殺しきれなかった笑いが漏れるが、千歳は咎める事なく微笑んでいた。
「可愛いな」
「ええ。それはもう」
可愛がっているのが分かる表情で、幸音が退出した方向を見つめていた千歳。しかし、すぐに居住まいを正し、俺の方に視線を向けてきた。
「何だ?」
「誠に勝手ながら、御身がお持ちになられていた物を一つばかり拝借し、屋敷の者に持たせました」
「というと?」
千歳の性格からして、拝借の意味は勝手にモノにしたという事ではないだろう。先を促すと、安堵したように笑んだ。
「貴方様を見つけた場所が、増水した川の近くと聞き及びましたので。貴方様の事を証明するであろう物を持たせ、川を遡らせております。運良ければお連れにお会いできるのでは……と」
「なるほど」
俺の事を証明するものが無ければ、従者たちも相手にしないだろう。一方で、俺を誘拐したという嫌疑もかけられる可能性もあるが、従者たちとしては俺の安否を確認するのが第一優先となる以上、警戒しながらでもついてくる可能性が高い。良い考えだ、と頷いて見せると、千歳は僅かに頭を下げた。本当に謙虚な姫である。
彼女はそのまま持っていた布や薬を俺の近くまで押しやり、腰を据えた。包帯などを変えるつもりだろう、とあたりをつけて起き上がると、かなり良くなっているのが実感できた。
「ゆっくりと。お体に障ります」
「ああ」
そっと背に手を当ててくれるのに任せ、体を起こす。久しく来ていなかった白い単衣が寝乱れ、そのまま肩から滑り落ちた。それをいい事に、千歳は黙って交換を始めた。少しばかり目元が赤いのは、羞恥だろうか。年頃の娘が、上半身とはいえ若い男の裸を見て恥じらわないはずがない。それでも、手当をしてくれる様に、俺の胸のあたりが熱くなった。
「今しばらくお待ちくださいませ。川を上ったあたりで誰にもお会いできなかった場合には、都の神宮司邸に向かうよう申し付けております」
「迎えが早くて今日明日。場合によっては数日、か」
首肯する千歳。てきぱきと交換して再び単衣を着せかけてくれたその手を、思わず取った。目を白黒させる千歳の顔を覗き込んだ。
「また来てもいいか。今度は此度の礼の品を持参しよう」
「……そのお言葉だけでも勿体のうございますれば」
その時の俺は、ただ千歳は遠慮しているだけだと軽く考えていた。その為、何が良いかを考えて浮かれていたのだ。それを見抜かれたのか、そっと俺の体を横たえた千歳は、困ったような顔で微笑み、布団を丁寧に掛けた。そのままそっと俺の目元に手を伸ばし、覆う。暗闇に閉ざされた俺の世界に届いたたった一つのモノは。
「もう二度と、お出でになってはなりませぬ」
これまでにない昏く固い声で、何処か従わざるを得ないような、そんな重い声だった。
結局、迎えが来たのはその日の夕暮れだった。運よく従者と遭遇できたらしく、涙ながらの彼らが引いてきた馬車に乗って俺は屋敷を後にすることとなったのだ。
「……また来ても、いいか」
未練がましく一言尋ねる俺に、彼女は黙って微笑んで首を振るだけだった。そのまま楚々とした動作で膝を折り、指をついて頭を下げた。明確な別れの挨拶だった。
俺は後ろ髪をひかれつつも馬車に乗り込み、屋敷を出た。じっと窓の外を見つめ、少しずつ小さくなる屋敷を目に焼き付けていた。
こうして、彼女との初めての邂逅は、幕を閉じた。
「可愛いな」
「ええ。それはもう」
可愛がっているのが分かる表情で、幸音が退出した方向を見つめていた千歳。しかし、すぐに居住まいを正し、俺の方に視線を向けてきた。
「何だ?」
「誠に勝手ながら、御身がお持ちになられていた物を一つばかり拝借し、屋敷の者に持たせました」
「というと?」
千歳の性格からして、拝借の意味は勝手にモノにしたという事ではないだろう。先を促すと、安堵したように笑んだ。
「貴方様を見つけた場所が、増水した川の近くと聞き及びましたので。貴方様の事を証明するであろう物を持たせ、川を遡らせております。運良ければお連れにお会いできるのでは……と」
「なるほど」
俺の事を証明するものが無ければ、従者たちも相手にしないだろう。一方で、俺を誘拐したという嫌疑もかけられる可能性もあるが、従者たちとしては俺の安否を確認するのが第一優先となる以上、警戒しながらでもついてくる可能性が高い。良い考えだ、と頷いて見せると、千歳は僅かに頭を下げた。本当に謙虚な姫である。
彼女はそのまま持っていた布や薬を俺の近くまで押しやり、腰を据えた。包帯などを変えるつもりだろう、とあたりをつけて起き上がると、かなり良くなっているのが実感できた。
「ゆっくりと。お体に障ります」
「ああ」
そっと背に手を当ててくれるのに任せ、体を起こす。久しく来ていなかった白い単衣が寝乱れ、そのまま肩から滑り落ちた。それをいい事に、千歳は黙って交換を始めた。少しばかり目元が赤いのは、羞恥だろうか。年頃の娘が、上半身とはいえ若い男の裸を見て恥じらわないはずがない。それでも、手当をしてくれる様に、俺の胸のあたりが熱くなった。
「今しばらくお待ちくださいませ。川を上ったあたりで誰にもお会いできなかった場合には、都の神宮司邸に向かうよう申し付けております」
「迎えが早くて今日明日。場合によっては数日、か」
首肯する千歳。てきぱきと交換して再び単衣を着せかけてくれたその手を、思わず取った。目を白黒させる千歳の顔を覗き込んだ。
「また来てもいいか。今度は此度の礼の品を持参しよう」
「……そのお言葉だけでも勿体のうございますれば」
その時の俺は、ただ千歳は遠慮しているだけだと軽く考えていた。その為、何が良いかを考えて浮かれていたのだ。それを見抜かれたのか、そっと俺の体を横たえた千歳は、困ったような顔で微笑み、布団を丁寧に掛けた。そのままそっと俺の目元に手を伸ばし、覆う。暗闇に閉ざされた俺の世界に届いたたった一つのモノは。
「もう二度と、お出でになってはなりませぬ」
これまでにない昏く固い声で、何処か従わざるを得ないような、そんな重い声だった。
結局、迎えが来たのはその日の夕暮れだった。運よく従者と遭遇できたらしく、涙ながらの彼らが引いてきた馬車に乗って俺は屋敷を後にすることとなったのだ。
「……また来ても、いいか」
未練がましく一言尋ねる俺に、彼女は黙って微笑んで首を振るだけだった。そのまま楚々とした動作で膝を折り、指をついて頭を下げた。明確な別れの挨拶だった。
俺は後ろ髪をひかれつつも馬車に乗り込み、屋敷を出た。じっと窓の外を見つめ、少しずつ小さくなる屋敷を目に焼き付けていた。
こうして、彼女との初めての邂逅は、幕を閉じた。
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