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156≪国変え物語・16・惜別なんだけど≫
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てんせい少女
156≪国変え物語・16・惜別なんだけど≫
鶴松は髄膜炎だった。
幼児に多い病気で、二十一世紀でも子供の四人に一人が罹患するが、よほどの手遅れでない限り死ぬことは無い。
が、この時代に髄膜炎の治療法はない。よほど運のいい子が自然治癒するだけだ。
―― この子の死が、秀吉を癒しがたいほどに狂わせて慶長の役を起こすんだ ――
しかし、美奈への通告が遅れた。
美奈への秀吉の信頼は、他の御殿医師らの反発をかっていた。発病から四日がたっており、二十一世紀でも「よほどの手遅れ」の部類に属する。
「なぜ、もっと早くお知らせくださらなかったのですか!?」
「淀がの……そんなことはどうでもいい。なんとか鶴松を治してやってくれ!」
秀吉の濁した言葉で、だいたいの察しはついた。
美奈は、加藤、福島、黒田などの尾張閥の大名と仲がいいが、石田三成を筆頭とする近江閥の大名とは距離があった。淀君は近江閥の上に浮上している。そこに御殿医師らの反発である。これが四日の遅れになった。
「鶴松を死なせたら、そちの命は無いものと思え」
淀君は、冷たく宣告した。
鶴松を時間を超えて運べれば、あるいは助かったかもしれない。だが、時間を超えられるのは、美奈一人だけである。
「われら奥医師にも立場というものがある。そなたが治療にあたったということは内密じゃ、よいな」
御殿医師の親玉の正玄に釘をさされた。
「絶対助けます。邪魔だけはしないでください。鶴松君には、この国の命運がかかっているのです!」
正玄の顔も見ないで美奈は答えた。美奈は、とりあえず高くなった脳圧を下げた。このままでは治っても障害が残る。あとは脊髄注射をして、体力の維持である。
「御尊体に針を刺すとはなにごとか!」
正玄が怒鳴る。これでは治療ができない。
――オッサン、それ以上言うと、ここで発作で死ぬことになるぜ――
奥女中に化けた五右衛門が、正玄の背骨の間に針を突き刺している。
――これを、もう一寸打ち込めば、あんたは心の臓の発作そっくりに死ぬ――
正玄は黙った。五右衛門は美奈に向かって闇語りで話しかけてきた。
――必要なことがあったら言ってくれ。俺は針で人は殺せるが、助けることはできないからな――
――邪魔が入るのだけ止めて。あとは、この子の運と、時間の問題――
治療には丸二日かかった。途中邪魔が入ってはいけないので、美奈はずっと鶴松に付き添った。五右衛門は、時には淀君自身に化けて、美奈の治療を守った。
「かかさま……」
三日目に鶴松は意識を取り戻し、日本は大きな歴史上の失敗をしなくてすんだ。
「美奈、おまえは……時の流れを超えてやってきたんだな」
「さあ……でも、わたしの役割は終わったわ。放っておくと、日本は明を手に入れようとして朝鮮に出兵するところだった」
「俺も釜茹でにならずにすんだしな。これは豊臣のためか?」
「豊臣なんてどうでもいいの。政権を維持できるだけの組織も人のつながりもない。秀吉さんが死ねば……あとは、五右衛門さんたちの問題……ね」
「美奈……」
「あたし、そこの角を曲がったら消える。道頓さんには五右衛門さんから、よろしく言っておいて」
「ああ……」
美奈が築地塀の角を曲がった。五右衛門は、たまらなくなって反射的に後を追った。
築地の向こうには秋の枯葉が渦巻いていた。そこに飛び込めば美奈の後を追えるような気になった。
「美奈ああああああああああああああああああああああ!!!!」
五右衛門は枯葉まみれになって佇んだ。
156≪国変え物語・16・惜別なんだけど≫
鶴松は髄膜炎だった。
幼児に多い病気で、二十一世紀でも子供の四人に一人が罹患するが、よほどの手遅れでない限り死ぬことは無い。
が、この時代に髄膜炎の治療法はない。よほど運のいい子が自然治癒するだけだ。
―― この子の死が、秀吉を癒しがたいほどに狂わせて慶長の役を起こすんだ ――
しかし、美奈への通告が遅れた。
美奈への秀吉の信頼は、他の御殿医師らの反発をかっていた。発病から四日がたっており、二十一世紀でも「よほどの手遅れ」の部類に属する。
「なぜ、もっと早くお知らせくださらなかったのですか!?」
「淀がの……そんなことはどうでもいい。なんとか鶴松を治してやってくれ!」
秀吉の濁した言葉で、だいたいの察しはついた。
美奈は、加藤、福島、黒田などの尾張閥の大名と仲がいいが、石田三成を筆頭とする近江閥の大名とは距離があった。淀君は近江閥の上に浮上している。そこに御殿医師らの反発である。これが四日の遅れになった。
「鶴松を死なせたら、そちの命は無いものと思え」
淀君は、冷たく宣告した。
鶴松を時間を超えて運べれば、あるいは助かったかもしれない。だが、時間を超えられるのは、美奈一人だけである。
「われら奥医師にも立場というものがある。そなたが治療にあたったということは内密じゃ、よいな」
御殿医師の親玉の正玄に釘をさされた。
「絶対助けます。邪魔だけはしないでください。鶴松君には、この国の命運がかかっているのです!」
正玄の顔も見ないで美奈は答えた。美奈は、とりあえず高くなった脳圧を下げた。このままでは治っても障害が残る。あとは脊髄注射をして、体力の維持である。
「御尊体に針を刺すとはなにごとか!」
正玄が怒鳴る。これでは治療ができない。
――オッサン、それ以上言うと、ここで発作で死ぬことになるぜ――
奥女中に化けた五右衛門が、正玄の背骨の間に針を突き刺している。
――これを、もう一寸打ち込めば、あんたは心の臓の発作そっくりに死ぬ――
正玄は黙った。五右衛門は美奈に向かって闇語りで話しかけてきた。
――必要なことがあったら言ってくれ。俺は針で人は殺せるが、助けることはできないからな――
――邪魔が入るのだけ止めて。あとは、この子の運と、時間の問題――
治療には丸二日かかった。途中邪魔が入ってはいけないので、美奈はずっと鶴松に付き添った。五右衛門は、時には淀君自身に化けて、美奈の治療を守った。
「かかさま……」
三日目に鶴松は意識を取り戻し、日本は大きな歴史上の失敗をしなくてすんだ。
「美奈、おまえは……時の流れを超えてやってきたんだな」
「さあ……でも、わたしの役割は終わったわ。放っておくと、日本は明を手に入れようとして朝鮮に出兵するところだった」
「俺も釜茹でにならずにすんだしな。これは豊臣のためか?」
「豊臣なんてどうでもいいの。政権を維持できるだけの組織も人のつながりもない。秀吉さんが死ねば……あとは、五右衛門さんたちの問題……ね」
「美奈……」
「あたし、そこの角を曲がったら消える。道頓さんには五右衛門さんから、よろしく言っておいて」
「ああ……」
美奈が築地塀の角を曲がった。五右衛門は、たまらなくなって反射的に後を追った。
築地の向こうには秋の枯葉が渦巻いていた。そこに飛び込めば美奈の後を追えるような気になった。
「美奈ああああああああああああああああああああああ!!!!」
五右衛門は枯葉まみれになって佇んだ。
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