死ぬ前に君と。

maru1002

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第2話 コンビニとリスト

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 そのコンビニは、深夜でも決して混まない。
 派手なチェーン店ではなく、昔ながらの小さな店で、
 店員も商品も、いつもとあまり変わらない。

 だからこそ、僕にとって都合がよかった。

 誰にも話しかけられず、誰にも注目されない。
 ただ淡々と、コーヒーとパンを買って帰るだけの場所。

 そのはずだった。

 自動ドアが開くと、冷たい空気と蛍光灯の白い光が、一度に押し寄せてくる。
 聞き慣れたチャイムの音。

 店内をひととおり見渡し、いつものように菓子パンの棚の前で立ち止まる。
 甘すぎないものを一つと、紙パックのコーヒーを一つ。

 レジに向かおうとして、ふと足が止まった。

 コピー機の前に、人影があったからだ。

 フードのついていない薄手のコート。
 髪をひとつに結んで、コピー機の天板に何枚かの写真を並べている女の子。

 見覚えのある横顔だった。

 踏切で、電車に近づきすぎていた子だ。

 あのときと違って、今日は線路もないし、電車もない。
 コピー機の前でじっと写真を見ている姿は、
 さっきまで別人のようにも見える。

 関係のないことだ。
 僕はそう自分に言い聞かせ、視線を少しだけ外す。

 この街で暮らしていれば、同じ顔に二度出会うことくらいある。
 わざわざ話しかける理由もなければ、話しかけられる筋合いもない。

 レジに向かおうと一歩を踏み出した、その瞬間だった。

「ねぇ、君」

 自動ドアでもレジでもない、
 その声が、自分に向けられているのだと理解するのに、一拍かかった。

 振り返ると、コピー機の前の彼女がこちらを見ていた。

 真正面から、まっすぐに。

 さっき踏切で見たときと同じ目だ。

「……私、ですか」

 思わず、口調がいつもの癖で丁寧になる。

「うん。
 さっき、踏切でじーっと見てた君」

 彼女は、さらりと言った。

 やはり、覚えていたらしい。

「失礼しました。
 無作法だったのでしたら、謝ります」

「謝るんだ。おもしろいね、君」

 彼女はそう言って、コピー機の天板に並べた写真を、指先でとんとんと叩いた。

「ちょっと見てくれる?」

「……何を、ですか」

「これ」

 そこには、同じ女の子の写真が、四枚並んでいた。
 笑っているもの、少しだけ横を向いているもの、真顔に近いもの。

 全部、彼女自身の顔だ。

「どれがいちばん、“遺影”に向いてると思う?」

 遺影。

 コンビニの蛍光灯の下、その言葉は妙に生々しく聞こえた。

「……不謹慎な話題ですね」

「ね。でも、ちゃんと決めときたいじゃん。
 死ぬ前にやりたいことリストのひとつに、“遺影は自分で選ぶ”って入ってるんだよね」

 彼女は悪びれもせずに言った。

 冗談なのか、本気なのか。
 判断に迷う声のトーンだった。

「君なら、どれにする?」

 写真はどれも、少しだけ違う表情をしていた。

 どれも、それなりに「よく撮れている」と言えるかもしれない。
 けれど、どれも完璧ではない。

 僕は、一枚ずつ視線を滑らせながら考える。

 コンビニの空調の音が、やけにうるさく感じられる。

「……右から二番目、ですかね」

 しばらくして、僕はそう答えた。

「他のものよりも、まだ自然に笑えているように見えます。
 あまり作り込まれている写真だと、見る人が落ち着かないでしょうから」

 彼女は一瞬だけ黙り、それからふっと笑った。

「やっぱ君、面白いね」

「そうでしょうか」

「うん。
 普通、“遺影”とか言われたら引くか、適当に“どれでもいいんじゃないですか”って言うのにさ。
 ちゃんと見て、ちゃんと理由つけて選ぶんだ」

「質問されたので、考えただけですよ」

「そういうところ」

 彼女はコピー機の横に置いていたノートをつかみ、僕のほうへ向き直った。

「ねぇ君。時間ある?」

「……特に急ぎの用件は、ありませんが」

「よかった」

 彼女はノートの表紙をぱたんとひらく。

 そこには、大きく手書きでこう書かれていた。

 ──『死ぬ前にやりたいことリスト』。

「これ、私のやつ。
 さっき言った“遺影選ぶ”のも、この中のひとつ」

 ページには、びっしりと小さな文字が並んでいた。
 海に行く、祭りに行く、映画館に行く、人にご飯を作る──
 それは特別なものというより、
 どこにでもある「普通」の願いごとのように見えた。

「でね」

 彼女は、ノートを片手に持ったまま、僕の顔を覗き込む。

「君には、これに付き合ってほしいの」

「……なぜ、私なんですか」

 踏切で、何かを言ったわけでもない。
 電車から助けたわけでもない。
 さっきの遺影の話だって、ただ質問に答えただけだ。

「踏切で、何も言わなかったから」

 彼女は即答した。

「“危ないですよ”とか、“やめなよ”とか、誰もが言いそうなこと、ひとつも言わなかったでしょ。
 じーっと見てただけ」

「……それは」

「そういう人、けっこう好きなんだよね。
 他人の人生に、簡単に踏み込んでこない感じ」

 彼女はノートをペンでとんとんと叩く。

「でも、さっきはちゃんと遺影選んでくれた。
 そのバランス、ちょうどいい」

「光栄なのかどうか、判断に困りますね」

「でしょ。だから、君に決めた」

 僕の返事を待たずに、彼女は勝手に話を進める。

「これから、この“死ぬ前にやりたいこと”を、ちょっとずつ一緒にやってく。
 嫌って言っても無駄」

「……随分と強引ですね」

「強引って言えるくらいの元気、君にもあったんだ」

 彼女は楽しそうに笑った。

 その笑顔は、さっき踏切で見たものよりも、幾分か柔らかい。

「でもね、ひとつだけ条件」

「条件、ですか」

「うん。
 “これから一緒に色々やる”って前提で、まず最初にやってほしいこと」

 彼女はノートの端に、さらさらと何かを書き足した。

 ペン先が止まり、僕に見せるようにノートを傾ける。

 そこには、こう書かれていた。

 ──31.君に敬語やめさせる。

「……今、増えましたよね」

「うん。さっき思いついたから。
 死ぬ前にやりたいことなんて、増えてもいいでしょ?」

「そんな気軽に増やしていい類のものなんでしょうか、それは」

「そういうところ。
 ねぇ君、“これから”付き合ってくれるならさ──」

 彼女は、少しだけ真面目な顔をした。

「私には、敬語やめて」

「……急に言われても、難しいですね」

「ほら、また“ですね”って言った」

 彼女はくすっと笑う。

「君さ、自分で思ってるより、そのしゃべり方、距離あるよ。
 友達みたいなことしようとしてるのに、他人行儀すぎ」

「友達、ですか。
 出会って二回目の人に言われるとは思いませんでした」

「二回目で十分。
 踏切とコンビニで会ったら、もう十分“知り合い”でしょ」

 彼女は、僕の目をまっすぐ見た。

「私ね、君が“危ないですよ”って言わなかったの、わりと気に入ってるの。
 だから、その君に、ちゃんと“うるさい”とか“勝手だな”とか言われてみたい」

「……無茶な願望ですね」

「でしょ。
 だから、リストに入れるくらいには大事なこと」

 彼女はノートをぱたんと閉じた。

「名前、まだ言ってなかったね」

 そう言って、少しだけ胸を張る。

「私は、咲良(さくら)。君は?」

「……冬馬(とうま)です」

「俳優の方と同じ……?」

「いえ、冬に馬と書いてとうま」

「ふゆうま……とうま。
 ふーん。君っぽい」

 どういう意味なのか分からない。

 咲良は、満足げに頷いた。

「じゃあ冬馬。
 まず第一のリスト、決まり」

「第一……?」

「“君に敬語やめさせる”。
 今日から練習開始ね」

「……了解、です」

「ほら、また“です”って言った」

 咲良は笑い、コーヒー棚のほうを顎で指した。

「とりあえず、コーヒー買って外出よ。
 私、君の“タメ口”聞けるまで帰らないから」

「随分と、面倒な人に捕まってしまった気がします」

「それ、今のところいちばん好きな君のセリフかも」

 そう言って、咲良はコピー機の上の写真を一枚つまみ上げた。

 右から二番目の、自分の笑顔の写真。

「遺影は、とりあえずこれにしとく。
 でも、できればもうちょっと“生きてる顔”増やしてから、最終決定したいな」

 冗談めかして笑うその顔が、
 写真の中の笑顔より、ずっとちゃんと「生きて」見えた。

 僕はそのことを、口には出さない。

 ただ、コンビニの自動ドアが開く音を聞きながら、
 心のどこかで、ため息に似たものをひとつ落とした。

 ──本当に、面倒な人に捕まってしまったのかもしれませんね。

 そう思いながら。
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