夏の嵐

宝楓カチカ🌹

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姫宮 樹李

01.

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 幼い頃から、誰に対してもほとんど感情が動かなかった。

 先天的なものもあっただろうが、いわゆる普通の家庭で育たなかったので、それも理由の一つだったのかもしれない。
 物心ついた頃には母親はおらず、僕にとっての父は、「自分に衣食住を提供し教育を施す人」、そういった認識でしかなかった。
 加えて、小学校という名称の教育機関は面倒臭いの一言に尽きた。
 なにしろ猿でもわかる問題を懇切丁寧に教えられる時間が、長いのだ。
 不必要な行為を繰り返しては、教師に怒られて泣く子ども。
 数十名しかいない狭い空間で、天下を取ったとばかりに騒ぐ子ども。
 同レベルの相手を陥れては、優越感に浸る未熟な子ども。
 そして、子ども相手に本気になるいい年こいた大人の多いこと。
 入学してから早々で、自分にとって必要な空間だとは思えなくなっていた。
 それでもそこに通っていたのは、「家庭教師で十分」という訴えを父に却下されたからだ。
 父曰く──将来的に社会で生きていくためには、他者に倣い「学校」というものに通っていた方が何かと便利である、と。
 おまえは幸い才にも満ち溢れいずれ会社のトップに立つ男なのだから、経歴に傷を残すなと。
 なるほどと納得した。父の言うことも一理ある。
 確かにそれなりの地位に付いた時に、「小学校は通っていません」じゃ恰好が付かない。
 姫宮家の人間たるもの、常に完璧でなくては。
 それに中学校はエスカレーター式の、県内トップクラスの私立に行くことが決定している。
 例え時間の無駄だろうが、小学校ぐらい通えばいいだけだ。
 それに、決して短くはない6年間だ、無意味なものとならないよう努力はしよう。
 他者からの評価というものは、未来の自分の評価に直結する。
 自分の経歴をより良いものにするためには、何よりもまず他者から見た自分の価値を上げる必要がある。
 自分の価値を高めるために、最も効率の良い方法は「笑顔」だった。
 しかも笑顔は一番簡単だ。無駄な労力を微塵も使わない。口角を常に上げ続けていればいいのだから。
 それに加えて、一般的に親切だと言われている行動や言動を繰り返していけば、自分の評価は自動的に上がっていく。
 これほどまでに、効率的な近道は他になかった。
 だから笑顔は、僕にとってこの退屈な日々を生きていく上で必要不可欠な武器だった。
 それに、自分にとって有益にはならないと判断した無意味な知識も必要ない。
 なので記憶に残す必要があるものと、破棄しても構わないものを、常に脳内で選別していた。
 破棄すべき最たるものは、どうでもいい同級生の顔と名前だった。
 男児も女児も等しく、全員が同じ顔に見える。
 人の形をしてよく動き喋っている人形たち。
 必要であれば、名札を盗み見ればいいだけだ。人形一つ一つにだって名前はついているのだから。
 もちろん覚えることは可能だが、そもそも覚える気が皆無だった。
 重ね重ね、僕は脳内で右に利益、左に不利益とでこの世の事象全てを天秤にかける。
 わざわざ左側に傾くことがわかっていることにまで、時間を割いている暇はない。
 面倒臭い。それに無駄だ。



 だからこの瞬間、僕は初めて目の前の生き物を認識した。



「おまえってさ、なんで楽しくもねぇのにずっと笑ってんの?」
「──え?」

 咄嗟に、ぱちぱちと瞬きをしてこてんと首を傾げる。
 そこにいたのは、膝小僧や頬にヤンチャの証の絆創膏を貼り付け、安っぽい半そでと半ズボンを着た馬鹿っぽい「小学生男児」。
 明らかに、相手をする価値もない生き物だ。
 話しているだけで天秤が左側に傾きそう。

「どういう、こと? 僕いっつも楽しいよ?」
「一緒にいるあいつらのことだって、別に好きじゃねぇんだろ?」

 何故バレているのか。
 これまで顔に出したつもりはなかったはずなのに。

「ええっ、どうしてそんなこと言うの? 皆のこと、僕本当に大好きだよ?」
「じゃあなんでそんなウソの顔してんだよ」
「嘘の顔って?」
「うーん、なんて言やいいのかな……」

 髪色が少し明るめの生き物は、これまた馬鹿っぽく考え込んだあと。

「あ、そうだ、歪な顔だ!」
「──いびつ?」

 これだ! と言わんばかりに、歯を見せて笑った。

「うん。あ、ほらその顔、やっぱり歪じゃん! 考えてることと本当の顔がぜんっぜん合ってないっつーか……変だよ。なんで?」

 本当に、ただただ疑問に思っていることを聞いているだけです……みたいな、能天気なアホ面。
 この瞬間、僕は生まれて初めて自分以外の生き物に対して怒りを覚えた。

 ──歪? この僕の顔が、歪だって?

 だから力任せにボールの入った鉄カゴを蹴り上げ、目の前の生き物を強く突き飛ばしたのも、ほとんど反射的な行為だった。

「い、ッぅ、ってえぇ!」

 名前も知らない生き物が、痛みに呻きながら立ち上がれないでいる。

「うるさい」

 冷たく吐き捨てれば、その生き物はぽかんと僕を見上げた。

「ひめみや?」
「うるさい、黙れ」

 名前を呼ばれることさえ忌々しい。
 まだ何をされたのかわかっていないのか、やけに睫毛の長い生き物がぱちぱちと瞬きをした。
 きょとんとした顔に、余計に腹が立つ。

「たかがβ如きが……調子に乗るなよ」

 僕は転がったボールすらそのままで放置し、呆けたままぺたんと座り込む生き物をひと睨みしてから教室を後にした。



 やってしまった、と。
 自分の行動を潔く省みたのは、家に帰ってからだった。








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