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第1章 大賢者様の秘書になりました
17.紅茶と淑女と恋のお話
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始まったロイアーの指導は、舞踏会までの時間が少ないせいで詰め込み気味になってしまった。
覚えることも山のようにあるのだけれど、ロイアーはひとつひとつ丁寧に教えてくれるので、本当に有り難い限りだ。
しかも私の指導をしながら、自身でも書類を持ち込んで仕事をこなしている。私の向かいで華麗な書類捌きを見せる彼女は、副館長としても優秀なんだろうなと私ですら思うほど真剣で厳格に見えた。
初日にマナペンを使えるようになってから、数日かけてこちらの世界の文字の書き取りしていた私は、なんとか基本的な文字についてはたどたどしくも読み書きができるようになった。
「一度、休憩に致しましょうか」
「はい、あ、お茶用意しますね」
「ありがとうございます」
手元の書類が一段落ついたのか、向かいの席でロイアーさんがほっと小さく息を吐いた。
毎回モニカが用意してくれる良い香りのお茶をカップへ注いで差し出すと、綺麗な指先が受け取ってくれる。
こうして勉強の合間にお茶をするのも、毎回のことになっていた。
しかし。
なんだか今日は、彼女の様子がいつもと違っていた。
いつもは静かにお茶を楽しんでいるロイアーが、何故かそわそわしている。
「……?」
あれ、と首を傾げた瞬間、ちらりとこちらの様子を窺う彼女と、ばっちり目が合ってしまった。
こほん、と誤魔化すような咳払いの後、ロイアーがティーカップを置いて、またちらりとこちらに視線を向けてくる。
「あの……?」
「リリーさん」
「はい?」
「以前からお聞きしたかったのですが、貴女、イグニス様とはどういうご関係ですの?」
「…………。へ?」
――待って。今、なんて言われたの?
あまりにも突拍子のないことを聞かれた気がして、ぽかんと口を開けて彼女を見つめてしまった。
「ですから、貴女とイグニス様は、その……、男女の仲なのか、と。お伺いしたのです」
……残念ながら、気のせいではなかったみたい。
混乱して固まっている私に、彼女がじろりと据わった目を向けてきた。
「そんな間抜けなお顔、さらしてはいけませんわ。品がなくてよ」
「わ、はい!すみませんでした!」
慌ててその場で居住まいを正す。そろそろと視線を向けると、彼女はまだじっとこちらを見ていた。
これは、返答を待たれている……んだよね。
「え、ええと……。マスターと私は、もともと本屋の店員と常連客で。本好き同士話が合う知り合い……?くらいの関係、だと思うのですが……」
「なるほど、男女の仲ではありませんのね」
あっさりと納得してもらえたことに、ほっとするのもつかの間。
「では、貴女自身はあの方のことどう思ってらっしゃいますの?」
「!?」
いけない、油断して口をつけていた紅茶が大惨事になるところだった。
すんでのところで堪えはしたものの、淑女の振る舞いとしてまた怒られてしまいそうなので、慌ててハンカチを口元に当てる。
今日は突然どうしたことだろう。
いつも凜として、副館長としての仕事を見事な手腕で片付けていく彼女が、驚きの発言を連続している。
これは、所謂。
「え……っと。恋の話……?」
はっとしてももう遅い。口から出てしまった心の声に狼狽える私を、彼女はさも当然のように見つめた。
「ええ、恋のお話です。淑女なら当然の話題でしょう?」
そうでございましたか。
確かに、こういう貴族のお嬢様同士ってそんな話で盛り上がってるイメージがあるけれど……。
この数日、休憩時間ですら無言でしゃんとしていた彼女しか知らなかったので、世間話のような気安さで恋の話を投げられるのはちょっと、いやかなり驚きだ。
「それで?貴女はあの方のこと、どう思っていらっしゃるの?」
「えっと……と、特に……?」
「特に?」
ちょっとした冷や汗のようなものを感じるのは、気のせいだろうか。
「あの……。すごく、素敵な方だと思っています。尊敬、みたいな気持ち……でしょうか」
「ええ、理解できますわ。あの方は本当に素晴らしい方ですから」
「でも、こ……恋、とか。そういうんじゃない、かな、って……」
「あら……。貴女、変わってますのね」
何故そんな珍しいものを見つけたような顔をしてらっしゃるのでしょうか……。
「変わってます、か?」
「ええ。この数日で、オルフィード国の歴史について文字のお勉強をしながらお教えしましたでしょう? あの方が、どんなに偉大な方なのかということも理解できたはず」
「それは……はい。よく、理解できていると思います」
そう。ここ数日で文字の練習がてら書き取りをしていたのは、オルフィード国の歴史書。
文字の練習を兼ねて、ロイアーからの講義も交えながら誰もが学ぶこの国の歴史を学んだ。
歴史書にはこうあった。
約800年前、大陸の広い領土を持っていた旧オルガ国は隣国と戦争をした。
その戦争には勝ったものの、直後から王が悪政を強い始めた。
王に対し当時の王子が反乱を起こし――結果、戦争や反乱によって多くを焼き尽くされた土地に、新たに出来た国。
それがオルフィード国。
王子の反乱に手を貸し、その後の建国にも類い希なる膨大な知識と魔力をもって尽力したのが、大賢者イグニス――焔さんその人だ。
初代王となった、反乱の王子ザフィアは大賢者に深く感謝し、王都に巨大な国立図書館を造り彼へ贈った。
その図書館がここ、国立大図書館リブラリカだ。
焔さんは本当に、この国にとってとてつもないほど偉大な、800年以上の時を生きている伝説の大賢者様なのだ。
毎日へにゃりと柔らかな微笑みで一緒に食事をしている人物が、そこまで人だということが頭ではわかっていても、未だに理解できていない気もする。
それでも彼の偉業は、この国の歴史書にしっかりと書き記されていたのだ。
「貴女に贈ったあの絵本。この国では、誰もが幼い頃に嗜む物語なのですが……この国に生まれた女性は皆、1度はイグニス様に恋をする――と、言われておりますのよ」
物思いに沈む私の意識が、ロイアーの静かな声に引き戻される。
「勿論私も、あの方に恋を致しましたわ。私はロイアー家に生まれましたから、幼い頃は他の皆様よりもずっと強く恋しておりましたの」
話を聞いて、ああ、と納得してしまう。
焔さんに会うときの彼女の表情が明るくて嬉しそうなのは、そういうことなのか。
「良い機会ですから、ロイアー家についても少し、お話しておきましょう。地位ある女性ならば、それぞれの貴族の家についても、知識が必要です」
カチャリとティーカップを置く小さな音がした。彼女が話そうとしてくれていることを忘れずメモしたくて、急いでマナペンを取り出す。
私の準備が出来た頃を見て、ロイアーは一つ頷いてくれた。
「ロイアーの家の起こりは古く、オルフィード国建国にも関わっていたとされる名門貴族です。建国の際に初代ザフィア陛下とイグニス様にお仕えしていたことから、国立大図書館リブラリカが完成した際、イグニス様を補佐する副館長のお役目を賜りました。代々の家長はそれぞれの代で一番優秀な女性が務めておりまして、現在の家長は私の母です」
ざっとメモを取りながら、納得する。
普段から美しく所作まできっちりとしている彼女は、生粋の貴族のお嬢様というわけだ。
「建国後からつい最近までのおおよそ800年間、イグニス様は外界との接触を断っておられました。必要な書類をお渡ししたり、直接お姿を拝見できるのは唯一、副館長を務めるロイアーの家のものだけだったのです。――ですから幼い頃の私は、この国の誰も会うことのできないあの方に、自分ならば近づけるのだと、幼心に思っていたのです」
「そうだったんですね……。だから私にも、その……マスターを慕う気持ちがあるのかと質問されたのですね」
「貴女はもう幼くはないとはいえ、あの方のお側にいる人ですもの。歴史を知り、彼の偉大さを知ることで、恋する気持ちが芽生えるのでは、と思ったのですが……。リリーさんはそう単純な方でもないのですね」
「あ、あはは……」
ちょっと反応に困って、つい笑顔で誤魔化してしまった。
そんなに単純な性格……ではないつもりだけど、彼女のようなしっかり者というわけでもないから、……なんとも言えない。
焔さんには憧れている。あんなに本を好きな人、めったにいないだろう――と、思っている。
実際顔は良いし、すごくストレートなところがあるから、たまにどきっとさせられることはあるけれど……これは、そういう気持ちではないはずだ。
「まぁよろしいですわ。……私だって、あの方に本気で手が届くと思っているわけではありませんし」
言いながらふわ、と見せられた微笑みは、私が見たことのある彼女の表情の中で、一番柔らかくて年相応の女性に見えるものだった。
「貴族の家のお話については、まだまだ沢山ありますの。時間が合いそうでしたら、食堂でお茶をご一緒したときにしましょう」
「え」
突然のことに、目を丸くする。
聞き間違いでなければ今、彼女からお茶に誘われたような気がするのだけど。
視線を向ければ彼女は、わずかに頬を染めて可愛らしくふいっと明後日の方を向いた。
「なんですの、その反応は。……午後に貴女も、たまに食堂でお茶をしていらっしゃるそうじゃありませんか。時間が合うようなら、同席してさしあげても良いと言っているのです。……少しは喜んだらいかがですの?」
さっきからどんどん、私の中にあったロイアーという女性の人物像が、がらがらと音を立てて崩れていっている。
もちろん悪いことじゃない、のだけれど。もっと厳格な人だと思っていたから、急に親しみやすさを感じて戸惑ってしまう。
今まで彼女には、あまり良くない印象を持たれていたように思ってしまっていたから、なおさらだった。
「……この数日、貴女の学ぶ姿を見ていましたけれど、とても真剣に取り組まれている様子が見て取れました。私が渡した本の扱い方も、いつもとても優しくて丁寧でしたし……本が大好きだという貴女の姿勢が、伝わってきましたの。私、本に誠実な方は嫌いじゃありませんのよ」
彼女にしては珍しく、小さめの声でもごもごと続けられた言葉にとても嬉しくなる。
「ロイアーさん……」
「あ、貴女と私は歳も近そうですし、ちょっとくらい、仲良くしてあげないこともないと思っただけですから!それだけです!」
照れてそんなことを言うのだから、素直じゃない人だなと、思わず笑みが零れた。
彼女はきっと、とても温かい人だ。
「ありがとうございます、ロイアーさん。……お茶、是非。楽しみにしてます」
「……それなら、良いのですけど……」
あからさまにほっとしたような顔をしているロイアーは、ひとつ咳払いすると机の書類を片付けて音もなく席を立った。
「時間はまだありますわね。文字については大分覚えられたようですし、今後は授業の度に本を渡すように致しますから、それで自主練習をなさってください。今日の残り時間で、リブラリカの一般開放区画をご案内いたします」
「……はいっ」
やっと、この図書館の『表の顔』部分を見ることができるようだ。
淡い期待と――同じくらいのちょっとした不安を抱えて、私は手早く机の上を片付けた。
覚えることも山のようにあるのだけれど、ロイアーはひとつひとつ丁寧に教えてくれるので、本当に有り難い限りだ。
しかも私の指導をしながら、自身でも書類を持ち込んで仕事をこなしている。私の向かいで華麗な書類捌きを見せる彼女は、副館長としても優秀なんだろうなと私ですら思うほど真剣で厳格に見えた。
初日にマナペンを使えるようになってから、数日かけてこちらの世界の文字の書き取りしていた私は、なんとか基本的な文字についてはたどたどしくも読み書きができるようになった。
「一度、休憩に致しましょうか」
「はい、あ、お茶用意しますね」
「ありがとうございます」
手元の書類が一段落ついたのか、向かいの席でロイアーさんがほっと小さく息を吐いた。
毎回モニカが用意してくれる良い香りのお茶をカップへ注いで差し出すと、綺麗な指先が受け取ってくれる。
こうして勉強の合間にお茶をするのも、毎回のことになっていた。
しかし。
なんだか今日は、彼女の様子がいつもと違っていた。
いつもは静かにお茶を楽しんでいるロイアーが、何故かそわそわしている。
「……?」
あれ、と首を傾げた瞬間、ちらりとこちらの様子を窺う彼女と、ばっちり目が合ってしまった。
こほん、と誤魔化すような咳払いの後、ロイアーがティーカップを置いて、またちらりとこちらに視線を向けてくる。
「あの……?」
「リリーさん」
「はい?」
「以前からお聞きしたかったのですが、貴女、イグニス様とはどういうご関係ですの?」
「…………。へ?」
――待って。今、なんて言われたの?
あまりにも突拍子のないことを聞かれた気がして、ぽかんと口を開けて彼女を見つめてしまった。
「ですから、貴女とイグニス様は、その……、男女の仲なのか、と。お伺いしたのです」
……残念ながら、気のせいではなかったみたい。
混乱して固まっている私に、彼女がじろりと据わった目を向けてきた。
「そんな間抜けなお顔、さらしてはいけませんわ。品がなくてよ」
「わ、はい!すみませんでした!」
慌ててその場で居住まいを正す。そろそろと視線を向けると、彼女はまだじっとこちらを見ていた。
これは、返答を待たれている……んだよね。
「え、ええと……。マスターと私は、もともと本屋の店員と常連客で。本好き同士話が合う知り合い……?くらいの関係、だと思うのですが……」
「なるほど、男女の仲ではありませんのね」
あっさりと納得してもらえたことに、ほっとするのもつかの間。
「では、貴女自身はあの方のことどう思ってらっしゃいますの?」
「!?」
いけない、油断して口をつけていた紅茶が大惨事になるところだった。
すんでのところで堪えはしたものの、淑女の振る舞いとしてまた怒られてしまいそうなので、慌ててハンカチを口元に当てる。
今日は突然どうしたことだろう。
いつも凜として、副館長としての仕事を見事な手腕で片付けていく彼女が、驚きの発言を連続している。
これは、所謂。
「え……っと。恋の話……?」
はっとしてももう遅い。口から出てしまった心の声に狼狽える私を、彼女はさも当然のように見つめた。
「ええ、恋のお話です。淑女なら当然の話題でしょう?」
そうでございましたか。
確かに、こういう貴族のお嬢様同士ってそんな話で盛り上がってるイメージがあるけれど……。
この数日、休憩時間ですら無言でしゃんとしていた彼女しか知らなかったので、世間話のような気安さで恋の話を投げられるのはちょっと、いやかなり驚きだ。
「それで?貴女はあの方のこと、どう思っていらっしゃるの?」
「えっと……と、特に……?」
「特に?」
ちょっとした冷や汗のようなものを感じるのは、気のせいだろうか。
「あの……。すごく、素敵な方だと思っています。尊敬、みたいな気持ち……でしょうか」
「ええ、理解できますわ。あの方は本当に素晴らしい方ですから」
「でも、こ……恋、とか。そういうんじゃない、かな、って……」
「あら……。貴女、変わってますのね」
何故そんな珍しいものを見つけたような顔をしてらっしゃるのでしょうか……。
「変わってます、か?」
「ええ。この数日で、オルフィード国の歴史について文字のお勉強をしながらお教えしましたでしょう? あの方が、どんなに偉大な方なのかということも理解できたはず」
「それは……はい。よく、理解できていると思います」
そう。ここ数日で文字の練習がてら書き取りをしていたのは、オルフィード国の歴史書。
文字の練習を兼ねて、ロイアーからの講義も交えながら誰もが学ぶこの国の歴史を学んだ。
歴史書にはこうあった。
約800年前、大陸の広い領土を持っていた旧オルガ国は隣国と戦争をした。
その戦争には勝ったものの、直後から王が悪政を強い始めた。
王に対し当時の王子が反乱を起こし――結果、戦争や反乱によって多くを焼き尽くされた土地に、新たに出来た国。
それがオルフィード国。
王子の反乱に手を貸し、その後の建国にも類い希なる膨大な知識と魔力をもって尽力したのが、大賢者イグニス――焔さんその人だ。
初代王となった、反乱の王子ザフィアは大賢者に深く感謝し、王都に巨大な国立図書館を造り彼へ贈った。
その図書館がここ、国立大図書館リブラリカだ。
焔さんは本当に、この国にとってとてつもないほど偉大な、800年以上の時を生きている伝説の大賢者様なのだ。
毎日へにゃりと柔らかな微笑みで一緒に食事をしている人物が、そこまで人だということが頭ではわかっていても、未だに理解できていない気もする。
それでも彼の偉業は、この国の歴史書にしっかりと書き記されていたのだ。
「貴女に贈ったあの絵本。この国では、誰もが幼い頃に嗜む物語なのですが……この国に生まれた女性は皆、1度はイグニス様に恋をする――と、言われておりますのよ」
物思いに沈む私の意識が、ロイアーの静かな声に引き戻される。
「勿論私も、あの方に恋を致しましたわ。私はロイアー家に生まれましたから、幼い頃は他の皆様よりもずっと強く恋しておりましたの」
話を聞いて、ああ、と納得してしまう。
焔さんに会うときの彼女の表情が明るくて嬉しそうなのは、そういうことなのか。
「良い機会ですから、ロイアー家についても少し、お話しておきましょう。地位ある女性ならば、それぞれの貴族の家についても、知識が必要です」
カチャリとティーカップを置く小さな音がした。彼女が話そうとしてくれていることを忘れずメモしたくて、急いでマナペンを取り出す。
私の準備が出来た頃を見て、ロイアーは一つ頷いてくれた。
「ロイアーの家の起こりは古く、オルフィード国建国にも関わっていたとされる名門貴族です。建国の際に初代ザフィア陛下とイグニス様にお仕えしていたことから、国立大図書館リブラリカが完成した際、イグニス様を補佐する副館長のお役目を賜りました。代々の家長はそれぞれの代で一番優秀な女性が務めておりまして、現在の家長は私の母です」
ざっとメモを取りながら、納得する。
普段から美しく所作まできっちりとしている彼女は、生粋の貴族のお嬢様というわけだ。
「建国後からつい最近までのおおよそ800年間、イグニス様は外界との接触を断っておられました。必要な書類をお渡ししたり、直接お姿を拝見できるのは唯一、副館長を務めるロイアーの家のものだけだったのです。――ですから幼い頃の私は、この国の誰も会うことのできないあの方に、自分ならば近づけるのだと、幼心に思っていたのです」
「そうだったんですね……。だから私にも、その……マスターを慕う気持ちがあるのかと質問されたのですね」
「貴女はもう幼くはないとはいえ、あの方のお側にいる人ですもの。歴史を知り、彼の偉大さを知ることで、恋する気持ちが芽生えるのでは、と思ったのですが……。リリーさんはそう単純な方でもないのですね」
「あ、あはは……」
ちょっと反応に困って、つい笑顔で誤魔化してしまった。
そんなに単純な性格……ではないつもりだけど、彼女のようなしっかり者というわけでもないから、……なんとも言えない。
焔さんには憧れている。あんなに本を好きな人、めったにいないだろう――と、思っている。
実際顔は良いし、すごくストレートなところがあるから、たまにどきっとさせられることはあるけれど……これは、そういう気持ちではないはずだ。
「まぁよろしいですわ。……私だって、あの方に本気で手が届くと思っているわけではありませんし」
言いながらふわ、と見せられた微笑みは、私が見たことのある彼女の表情の中で、一番柔らかくて年相応の女性に見えるものだった。
「貴族の家のお話については、まだまだ沢山ありますの。時間が合いそうでしたら、食堂でお茶をご一緒したときにしましょう」
「え」
突然のことに、目を丸くする。
聞き間違いでなければ今、彼女からお茶に誘われたような気がするのだけど。
視線を向ければ彼女は、わずかに頬を染めて可愛らしくふいっと明後日の方を向いた。
「なんですの、その反応は。……午後に貴女も、たまに食堂でお茶をしていらっしゃるそうじゃありませんか。時間が合うようなら、同席してさしあげても良いと言っているのです。……少しは喜んだらいかがですの?」
さっきからどんどん、私の中にあったロイアーという女性の人物像が、がらがらと音を立てて崩れていっている。
もちろん悪いことじゃない、のだけれど。もっと厳格な人だと思っていたから、急に親しみやすさを感じて戸惑ってしまう。
今まで彼女には、あまり良くない印象を持たれていたように思ってしまっていたから、なおさらだった。
「……この数日、貴女の学ぶ姿を見ていましたけれど、とても真剣に取り組まれている様子が見て取れました。私が渡した本の扱い方も、いつもとても優しくて丁寧でしたし……本が大好きだという貴女の姿勢が、伝わってきましたの。私、本に誠実な方は嫌いじゃありませんのよ」
彼女にしては珍しく、小さめの声でもごもごと続けられた言葉にとても嬉しくなる。
「ロイアーさん……」
「あ、貴女と私は歳も近そうですし、ちょっとくらい、仲良くしてあげないこともないと思っただけですから!それだけです!」
照れてそんなことを言うのだから、素直じゃない人だなと、思わず笑みが零れた。
彼女はきっと、とても温かい人だ。
「ありがとうございます、ロイアーさん。……お茶、是非。楽しみにしてます」
「……それなら、良いのですけど……」
あからさまにほっとしたような顔をしているロイアーは、ひとつ咳払いすると机の書類を片付けて音もなく席を立った。
「時間はまだありますわね。文字については大分覚えられたようですし、今後は授業の度に本を渡すように致しますから、それで自主練習をなさってください。今日の残り時間で、リブラリカの一般開放区画をご案内いたします」
「……はいっ」
やっと、この図書館の『表の顔』部分を見ることができるようだ。
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