大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

18.国立大図書館リブラリカ

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 ちょっとした不安な気持ちが、足取りを重くする。
 何が不安なのかと問われれば、この図書館の一般開放区画が私の理想の図書館とどれだけの違いがあるのか。それが気になってしまっているのだ。
 私が元の世界で図書館勤務をやめてしまった理由も、今の気持ちに少しだけ関係してくる。
 元の世界で実際に勤務した図書館の姿。
 それはどうしても――私の理想とはだいぶかけ離れたものだった。
 当時の私は、図書館という場所がどんなところなのか、勝手に期待をして、現実と理想の落差に勝手に落胆してしまったのだ。
 焔さんから秘書の話をもらったあの日。カフェで向かい合って座っていた焔さんは、私の図書館の理想を聞いて、僕の図書館ならおそらく、と言ってくれた。

 ……私は、あの頃と何も変わっていない。自分勝手だ。

 おそらくまた、落胆してしまうかもしれないことを少しだけ恐れている。
 焔さんがくれた私の職場は、あの最奥禁書領域だ。
 あの場所は、私の理想通りの環境だったけれど、この国の人々も多く利用するような一般開放された区画までそうとは限らない。
 悶々と考えながらロイアーの背を追いかけ歩いていると、少しして先を行く彼女の足が止まった。
 少し先に見えている扉よりも随分手前で止まるので、どうしたんだろうと首を傾げていると、綺麗な金髪が揺れて、振り返った彼女がこくりとひとつ頷いた。

「大丈夫ですわ」
「え?」

 まるで私の心を読んだような言葉に驚く。

「大丈夫です。リリーさんは不安なご様子ですけれど、ご安心なさって。ここは、オルフィード国建国当時から存在する大賢者様のお膝元。誇り高き国立大図書館リブラリカです。一般開放区域は私の管轄。素晴らしい環境であると、この私が、保証致しますわ」

 揺るぎない自信が込められた言葉が、静かに心に響いた。
 誇りを持って心から発せられたのがよくわかる。
 彼女の言葉は私の中で、きらきらと光を振りまくように輝いた。
 無意識に少しだけ、こわばっていた肩から力が抜ける。

「ほむ……マスターから、何か聞きましたか?」
「ほんの少しだけ、ですわ。貴女が貴女の世界で、図書館という存在にがっかりしたことがあるようだ、とお話を聞いただけです」
「そう、ですか。……ありがとうございます。ロイアーさんの今の言葉で、私、ちょっと安心できた気がします」
「ならばよろしいのです。……少し背が丸まってしまってますわね。ほら、しゃんと伸ばして」
「はい」
「では、いきますわよ。――この先が、一般開放区域。主に、市民の皆様へ開放している場所です」

 廊下の突き当たりにある扉に数歩近づいて、ロイアーが手をかける。
 扉の両脇には物語に出てくる騎士のような甲冑を着た男性達が立っていて、揃って扉をくぐる私たちへと頭を下げていた。

「お静かになさってね。――ようこそ、リブラリカ一般開放書架へ」

 静かな声で言ったロイアーがそっと横にずれると、開け放たれた扉の先にはすごく広くて明るい空間が現われた。
 ちょうど今いる場所は吹き抜けのロビーになっていて、はるか高い位置にある天井はガラス張りになっている。今日は晴れているから、ロビーには燦々と太陽の光が降り注いでいた。
 広い楕円形のロビーには大きめのカウンターが設置されていて、見慣れた制服の職員たちが利用者を相手に対応しているようだ。みんな小声でひそひそと話をしているため、まったくうるささがない。
 そんなロビーから少し奥へと視線を向けると、そこから先はずっと奥まで、何層ものフロアがあるようだった。
 吹き抜け側から見える限りでも、各階層ぎっしりと本棚が並んでいて、それなりに多くの人が本棚の間を行き来しているのが見える。
 壁面に大きめに取られた窓ガラスからは中庭の植物が見えて、その付近には読書席も多い。
 ドーム状のその場所は、紛れもなく大図書館といった様子だった。

「わ……」

 目を丸くしてキョロキョロする私を、ロイアーは満足そうに見つめていた。

「この一般開放書架の所蔵冊数は約1,000万冊です。オルフィード国民なら、手続きをすれば利用することができますが、手続きにも簡単な審査がありますの。利用権さえあれば、書架の本は自由に読んで頂けますし、貸し出しを希望する方へはカウンターにて対応をしておりますわ」
「い、いっせんまんさつ……!」

 一瞬目眩がしたように感じてしまった。
 1,000万冊。なんて途方もない量だろう。

「あら。大賢者様の最奥禁書領域には、ここなんて比べものにならないほどの所蔵があるはずでしたけれど」
「……そう、なんですかね……?私も、あの領域を自由に歩けるわけではないので、実際どのくらいの本があるのかよく分からないですが……。確かにあそこは、ものすごい量の本がありますね」
「そちらに比べたら少ないとは思いますが、これがこの国最大の図書館です。ここの他に、禁書庫の本も合わせるとさらに多くの所蔵がありますわ」
「上手く言えないんですけど……なんというか、本当にすごいです!こんなに沢山の本……わくわくします!」
「……お気に召して頂けたならいいのですけれど」

 ちょっとだけ私から視線を逸らしながらも、ロイアーの頬がちょっとだけ赤く染まっている。
 誤魔化すようにこほんと小さく咳払いをして、彼女はくるっと踵を返してしまった。

「……さ、少し歩きますわよ」
「はい! お願いします」

 ゆったりと歩くロイアーの後について館内を歩いて回る。
 館内には、子供向けの絵本や難しい学術書、小説や図鑑も、本当に沢山の分野の本があるようだった。
 目がいくつあっても足りないくらいなのだが、あまり辺りを見回してばかりもいられない。
 歩きながら、ロイアーが時々小声で説明をしてくれるので、気を抜かずにマナペンで書き留めていく。
 職員の制服の色とそれぞれの所属について、分類ごとの大まかな本のある位置。館内でのちょっとした決まり事。
 ゆっくり見て回るのは、今度の休日にしよう。
 固く心に決めて、今だけは授業に集中する。
 色々なことを聞きながら歩いている最中、壁際に綺麗な浮き彫りのされた木製の扉が現われて、ふと視線を奪われた。
 それに気づいたロイアーが、ああ、と頷いてくれる。

「それは、魔力を使って動く昇降機です。大型の魔道具の一つですわ」
「昇降機……」

 所謂エレベータみたいなものだろうか。

「重い本を持って館内を移動するのは大変ですから、職員はこちらを利用しています。もちろん梨里さんもお使い頂いてもよろしいですのよ。……良いですわ、この機会に使用方法もご説明しておきましょう」
「はい!ありがとうございます」
「よろしいですか、ご使用になりたいときには、まずこちらの部分にマナジェムをかざしてくださいませ。すると、扉が開きますので――あら?」
「え?」

 昇降機の扉の脇にある何やら彫り込みがされた金属板に、ロイアーさんが自分のマナジェムをかざす。
 するとすぐに、扉は開いた――のだけれど。

「う……うえええ」

 扉が開いた先にある昇降機の中を見て、二人揃って顔を見合わせてしまった。
 そこでは、小さな子供がうずくまって泣いていたのだ。
 子供は開いた扉に気づくと、はっとぐしゃぐしゃになった顔を上げてこちらに突進してきた。

「あ、ちょっと……!」
「う、ううう」

 真正面にいたロイアーのスカートに突撃した子供は、ひしっとへばりついている。

「あぁ、もう……ちょっと、あなた」

 ぐっと子供の両手を握ってスカートから外すと、ロイアーは小さく溜息をついてしゃがみ込み、子供に目線を合わせた。

「男の子がそのように涙を見せるものではありませんわ。ほら、もう怖くありませんからしゃんとなさい」
「う……」

 ロイアーが制服の内側から取り出したハンカチでその子の顔を拭いてやると、子供も少しは落ち着いたようで、ぐずりながら頷いた。

「え、ええと……迷子、かな?」

 私も少し身をかがめて問いかけてみると、その子はこくんと頷いた。
 見た感じ、10歳になるかならないかくらいの歳だろうか。
 着ている服は高級とは言わないまでもちゃんとしていて、よく見れば胸元に薄い色合いのマナジェムらしきものもつけている。
 ロイアーから以前聞いた、市民の中でも魔力を持っている裕福層の子供――というところだろうか。

「本、見てたら……そこの綺麗な扉が開いたから、面白そうで入って……そしたら、扉、閉まって、真っ暗に……」
「職員か利用者が使ったあとに、潜り込んでしまったようですわね……。いけませんわよ。そのマナジェムの色を見る限り、あなたの魔力では昇降機は動きません」
「う、ごめん、なさい……」
「誰にも失敗はあるものです。子供ならば、きちんと学んで繰り返さないようにすればいいだけですわ」

 ロイアーはそう言って、握ったままだった子供の手をぽんぽんと撫でた。

「さあ、もう泣き止みましたわね。今日はご両親といらっしゃったの?」
「う、うん、お父さんと……」
「では、カウンターへ参りましょう。お父君も心配していらっしゃるでしょうし、職員から連絡を差し上げるように致しますから」
「うん……あの、ありがとう」
「お礼をきちんと言えるのは、とても良いことですわ。……リリーさん、そういうわけですので、一旦ロビーへ戻りますわよ」
「あ、はい!」

 ロイアーが自然と子供の手を引いて歩いて行くのをぼうっと見ていたので、声を掛けられてやっと我に返った。
 ちょっとだけ、驚いていた。
 ロイアーの子供の扱いがとても上手で……こう言っては失礼かもしれないけど、すごく意外だったのだ。
 子供の手を引きながら、魔力のない人向けへと作られている階段をゆっくり降りていく。
 ロビーまであと少しというところで、どこかで聞いたことのある声が下の方から掛けられた。

「あれ……シャーロット?と……、え、秘書さん?」

 声の先を辿って、あ、と小さく声が漏れた。
 いつぞやの時に食堂で声を掛けてきた、赤毛に緑色の制服の青年が目を丸くしてこちらを見ていた。

「……ちょっと、何度言ったら改めますの。私のことは、ロイアーか副館長と呼んでくださいませんか、ブリックス」
「仕事なのはわかるけど、いつも固いな、シャーロットは」

 そうだ、確かなんとかブリックスって名前の人。
 ロイアーと幼なじみとかなんとか言ってたような……それにしては、ブリックスのほうは大分気安い態度だが、対するロイアーは眉をしかめて難しそうな顔になってしまっている。

「あの、お久しぶりです」

 何も言わないのもどうかと思ったので、挨拶をして彼へと頭を下げた。

「ああいえ、頭を上げてください。なんだか、その節は失礼しました。ご無沙汰してます」

 彼もまたぺこりと挨拶を返してくれたのでほっとしていると、ロイアーが首を傾げた。

「あら、お知り合いでしたの?」
「ちょっと前に食堂で話したことがあって……」
「なんでもない!なんでもないことなんだけどな!」

 説明しようとした私とロイアーの間に割り込んできたブリックスが、ぶんぶんと両手を振った。
 あの話をしたことは、ロイアー本人には黙っておきたいようだ。
 手を繋いだままだった子供がそわそわと身じろぎしたことで、ロイアーも子供の存在を思い出したようだった。
 ふうとまたひとつ溜息をついて、ロイアーは再びしゃがみこむと男の子に声を掛けた。

「この緑の男は、全然だめそうに見えますけれど、仕事はきっちりこなすので安心して大丈夫ですわ」
「え……ちょっと、おい」
「というわけです。ブリックス、この子昇降機に潜り込んでしまって迷子になってますの。後のことは頼みましたわ」
「ええ……これから昼休み……って仕方ないか。君、マナジェム持ってるね。今から親御さんに連絡するから、兄ちゃんと行こうか?」
「うん……」

 男の子は躊躇いがちにブリックスの差し出してきた手を握り、カウンターのほうへと連れられていった。

「これで大丈夫ですわね」

 その二人の背を見送るロイアーの視線が柔らかくて、思わずぽろりと本音が零れてしまう。

「驚きました……」
「え?」
「あ、えっと……すみません、ロイアーさん、子供の扱いがとても上手で……。あ、あの!私が、あんな風には絶対できないから、えっと、すごいなって……」
「……意外でした?」

 くすりと上品に笑った彼女は優しい表情で、遠くのカウンターにいるブリックスと少年を見つめて目を細めた。

「私、妹がおりますの。子供は素直で、好きなのです」
「妹さんと、仲いいんですね」

 ロイアーの柔らかい表情から察して、姉妹仲は良さそうだ。

「当然ですわ。可愛い自慢の妹達ですから。……機会があれば、貴女にも紹介しますわね」
「楽しみにしてます」

 嬉しそうな彼女の表情に、思わずこちらまで笑顔になってしまう。
 その時、遠くから控えめな鐘の音が届いた。近くに教会かなにかあるのだろうか。
 音を聞いたロイアーは、ふと壁面に掛かっていた時計を見上げた。

「お昼ですわね。今日の授業は、ここまでに致しましょう」

 どうやら、あの鐘はお昼頃に鳴るもののようだ。

「はい、今日もありがとうございました」
「次回からは、職員の仕事についてご説明致しますわね。……ああ、もうお迎えがいらしてますわ」
「?……あ、アルト」

 ロイアーの視線を辿ると、図書館の裏に通じる扉の前にアルトがちょんと座っていた。
 ひょんと揺れる尻尾が、催促しているようにも見える。
 食堂でお昼ご飯を受け取って、焔さんのところへ帰ろう。

「食堂までご一緒してもよろしいかしら?」
「はい、勿論です。行きましょう」

 明るく光が降り注ぐ図書館を、ロイアーと歩いて行く。
 扉をくぐる前に一瞬だけ振り返った開放書架は静かできらきらしていて、つい1時間ほど前までの不安なんて、きれいに吹き飛ばされてしまっていた。



 国立大図書館リブラリカ。
 あの日踏み出した一歩から出会えたこの場所なら、好きになれそうな気がする。
 久しぶりに感じた鮮やかな期待に、明るい気持ちで心が弾むようだった。


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