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第1章 大賢者様の秘書になりました
18.5.今だけは、雨音に溺れて
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「……うーん」
重たいローブを脱ぎ捨てて、シャツにベストといった楽な服装で長椅子にひっくり返る。
眺めていた書類がへにゃりと顔にかかるのも鬱陶しくなって、そのままぽいと机の上に放ってしまった。
仕事が頭に入ってこない。
今頃ロイアーの授業を受けているであろう梨里のことが、どうしても気になってしまう。
少し前から授業が始まって、最近の彼女は忙しそうだった。
毎回、授業を終えて昼食を持ってこの部屋へ帰ってくると、決まって嬉しそうに今日覚えたことを話してくれる。
だから、本人が嫌がっている……ということはないのだろうけれど。
マナペンで字が書けるようになったとはしゃいでいたのは微笑ましかったし、歴史書を書き取りして、この国のあれこれについて勉強出来たと笑っていた時もあった。
毎日ロイアーに提出させている授業の報告書には、梨里がとても一生懸命に励んでいることが綴られている。
確か今日は、時間があれば開放書架のほうを案内する、という予定だったような。
……あの開放書架を見た彼女は、一体どんなことを思うのだろうか。
がっかりしては、いないだろうか。
あの場所は、彼女の理想の図書館に近い場所になれているのだろうか。
開放区画の管理は全てロイアーに任せきりだから、たまに魔術で外の様子を窺うくらいでしか知らない。
ちょっとだけ、心配だった。
「……なーにしてんだ」
そうやってぼんやり天井を眺めいていたところ、部屋に入ってきた黒い猫に呆れた目で見られてしまった。
「アルト、梨里は?」
「知らん。ロイアーともうまくやれてるみたいだし、開放区画でまで俺がくっついてなきゃいけないこともねーだろ」
「まぁ、そうなんだけど……」
「なんだよ、辛気くさい顔して」
……相変わらず口の悪い使い魔だ。
「リリーがロイアーから指導を受けること、許可出したのお前だろうが」
「まぁね。……あんな風にお願いされたら、許可しないわけにいかないじゃないか」
「確かに。あれで許さないなら鬼か悪魔だな」
「彼女には、嫌われたくないからね……」
「だろうな」
知った風にふんと鼻を鳴らす使い魔がちょっと憎たらしい。
ごろんと寝返りを打ってアルトに背を向ける。背後からは、ちょっとした溜息が聞こえてきた。
「……アルト、梨里さん無理してない?」
「大丈夫だ。まぁ大分一生懸命にはなってるみたいだが、夜はきちんと寝てるし勉強ばかりってわけでもない。本人も楽しんでる」
四六時中一緒にいるアルトがこう言うのだから、きっと大丈夫なのだろうけれど。
……俺が心配していることは、本当はもっと別のところだったりする。
「……まぁ、お前が心配してるところは、そこじゃないか」
ばっちりのタイミングで再び溜息をつくアルトに、少しだけ居心地が悪くなる。
自分はこうもわかりやすい性格をしていただろうか。
「心配するな、あいつ、ちゃんと続き書いてるから」
「なら、いいけど」
すとっと小さな足音がして、アルトの気配が近づいてきた。俺が寝転がる長椅子に乗り上がってくると、前足でぺしぺしと背中を叩かれる。
「心配になるのも無理ないけど、ちゃんと仕事はするんだぞ。恋煩いじゃあるまいし」
「そんなんじゃない」
「まぁ似たようなもんか」
「だから違うってば」
本当に失礼な使い魔だな。
「どこが似てるっていうんだ」
「どこがって……。だってお前、あの子を秘書にしたのだって、全部お前自身のためだろう?そこの理由を考えたら、対象がちょっとアレかもしれんが、ほぼ違いも何もないだろうに」
「うるさいな。違うったら違うんだよ」
いつまでもこんなやりとりを続けるのも嫌だし、仕事をしようにも頭に入ってこない。
ちらりと時計に目を向ければ、彼女が帰ってくるまであと2時間ほどだった。
他に何も手に着かないなら、読書でもしようか。
大きく息を吐きながら、わざと腕を振るように動かして長椅子から立ち上がる。
「うおっ?!」
不意を突かれて長椅子から転がり落ちた黒猫には見向きもしないで、執務机に向かった。
机の下。奥の方の影になっている部分に手を伸ばして、その場で指先をくるくると回す。
解錠の魔術が発動して、カチャリと小さく音が聞こえた。
「……ってぇなぁ。って、なんだよ、結局それか」
椅子の上に陣取ったアルトが、俺がごそごそ取り出した本を見て呆れ声を上げた。
「もうほんとうるさいな、ちょっと静かにしてて」
ぴしゃんと不機嫌に返せば、アルトはようやっと口を噤んだようだ。
様子を窺えば、椅子の上にあったクッションに埋もれて丸くなっている。梨里の迎えの時間まで居眠りを決め込むようだ。
静かにしててくれるなら、それでいい。
手元にある文庫本は、何度も読み返して開き癖もついているのだけど、大切に扱っているおかげでまだまだ綺麗なものだ。
なんの飾り気もない、白い表紙に黒いインクでシンプルにタイトルが印刷されただけの文庫本。
そのタイトルは、『雨の音』。
薄くもなければ厚くもない、飾り気のないただの文庫本で――俺の宝物だ。
楽な姿勢で椅子に腰掛け直して、そっとページをめくる。
しっとりとした雨の音がどこかから聞こえ始めた感覚は、この本を開くといつも訪れる心地の良いもの。
彼女が帰ってくるまでの間だけ、この感覚に、いつものように深く溺れていようと思った。
重たいローブを脱ぎ捨てて、シャツにベストといった楽な服装で長椅子にひっくり返る。
眺めていた書類がへにゃりと顔にかかるのも鬱陶しくなって、そのままぽいと机の上に放ってしまった。
仕事が頭に入ってこない。
今頃ロイアーの授業を受けているであろう梨里のことが、どうしても気になってしまう。
少し前から授業が始まって、最近の彼女は忙しそうだった。
毎回、授業を終えて昼食を持ってこの部屋へ帰ってくると、決まって嬉しそうに今日覚えたことを話してくれる。
だから、本人が嫌がっている……ということはないのだろうけれど。
マナペンで字が書けるようになったとはしゃいでいたのは微笑ましかったし、歴史書を書き取りして、この国のあれこれについて勉強出来たと笑っていた時もあった。
毎日ロイアーに提出させている授業の報告書には、梨里がとても一生懸命に励んでいることが綴られている。
確か今日は、時間があれば開放書架のほうを案内する、という予定だったような。
……あの開放書架を見た彼女は、一体どんなことを思うのだろうか。
がっかりしては、いないだろうか。
あの場所は、彼女の理想の図書館に近い場所になれているのだろうか。
開放区画の管理は全てロイアーに任せきりだから、たまに魔術で外の様子を窺うくらいでしか知らない。
ちょっとだけ、心配だった。
「……なーにしてんだ」
そうやってぼんやり天井を眺めいていたところ、部屋に入ってきた黒い猫に呆れた目で見られてしまった。
「アルト、梨里は?」
「知らん。ロイアーともうまくやれてるみたいだし、開放区画でまで俺がくっついてなきゃいけないこともねーだろ」
「まぁ、そうなんだけど……」
「なんだよ、辛気くさい顔して」
……相変わらず口の悪い使い魔だ。
「リリーがロイアーから指導を受けること、許可出したのお前だろうが」
「まぁね。……あんな風にお願いされたら、許可しないわけにいかないじゃないか」
「確かに。あれで許さないなら鬼か悪魔だな」
「彼女には、嫌われたくないからね……」
「だろうな」
知った風にふんと鼻を鳴らす使い魔がちょっと憎たらしい。
ごろんと寝返りを打ってアルトに背を向ける。背後からは、ちょっとした溜息が聞こえてきた。
「……アルト、梨里さん無理してない?」
「大丈夫だ。まぁ大分一生懸命にはなってるみたいだが、夜はきちんと寝てるし勉強ばかりってわけでもない。本人も楽しんでる」
四六時中一緒にいるアルトがこう言うのだから、きっと大丈夫なのだろうけれど。
……俺が心配していることは、本当はもっと別のところだったりする。
「……まぁ、お前が心配してるところは、そこじゃないか」
ばっちりのタイミングで再び溜息をつくアルトに、少しだけ居心地が悪くなる。
自分はこうもわかりやすい性格をしていただろうか。
「心配するな、あいつ、ちゃんと続き書いてるから」
「なら、いいけど」
すとっと小さな足音がして、アルトの気配が近づいてきた。俺が寝転がる長椅子に乗り上がってくると、前足でぺしぺしと背中を叩かれる。
「心配になるのも無理ないけど、ちゃんと仕事はするんだぞ。恋煩いじゃあるまいし」
「そんなんじゃない」
「まぁ似たようなもんか」
「だから違うってば」
本当に失礼な使い魔だな。
「どこが似てるっていうんだ」
「どこがって……。だってお前、あの子を秘書にしたのだって、全部お前自身のためだろう?そこの理由を考えたら、対象がちょっとアレかもしれんが、ほぼ違いも何もないだろうに」
「うるさいな。違うったら違うんだよ」
いつまでもこんなやりとりを続けるのも嫌だし、仕事をしようにも頭に入ってこない。
ちらりと時計に目を向ければ、彼女が帰ってくるまであと2時間ほどだった。
他に何も手に着かないなら、読書でもしようか。
大きく息を吐きながら、わざと腕を振るように動かして長椅子から立ち上がる。
「うおっ?!」
不意を突かれて長椅子から転がり落ちた黒猫には見向きもしないで、執務机に向かった。
机の下。奥の方の影になっている部分に手を伸ばして、その場で指先をくるくると回す。
解錠の魔術が発動して、カチャリと小さく音が聞こえた。
「……ってぇなぁ。って、なんだよ、結局それか」
椅子の上に陣取ったアルトが、俺がごそごそ取り出した本を見て呆れ声を上げた。
「もうほんとうるさいな、ちょっと静かにしてて」
ぴしゃんと不機嫌に返せば、アルトはようやっと口を噤んだようだ。
様子を窺えば、椅子の上にあったクッションに埋もれて丸くなっている。梨里の迎えの時間まで居眠りを決め込むようだ。
静かにしててくれるなら、それでいい。
手元にある文庫本は、何度も読み返して開き癖もついているのだけど、大切に扱っているおかげでまだまだ綺麗なものだ。
なんの飾り気もない、白い表紙に黒いインクでシンプルにタイトルが印刷されただけの文庫本。
そのタイトルは、『雨の音』。
薄くもなければ厚くもない、飾り気のないただの文庫本で――俺の宝物だ。
楽な姿勢で椅子に腰掛け直して、そっとページをめくる。
しっとりとした雨の音がどこかから聞こえ始めた感覚は、この本を開くといつも訪れる心地の良いもの。
彼女が帰ってくるまでの間だけ、この感覚に、いつものように深く溺れていようと思った。
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