大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

21.薬草畑に吹く風は

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 休日が明けてから、シャーロットやオリバーとは毎日のようにお茶を一緒に楽しむ仲になっていた。
 いつのまにか、午前中にシャーロットからリブラリカ職員の仕事について教えを受け、午後はいつもの机でのんびり読書をして過ごし、夕方くらいになると食堂に自然と集まってお茶会をする、という流れがいつの間にかできあがっていたのだ。
 リブラリカ自体がものすごく広い職場なので、そんな場所で働きながらも大体同じくらいの時間に集まってお茶をする、なんて。まるで学生か何かのようにも思えるそれが、気づけば梨里にとって、毎日の楽しみになっていた。



 週も中ばを過ぎた、天気の良い朝。
 朝食の後片付けをしていた私の隣で、焔さんがぽん、と手を叩いた。

「そうそう、梨里さんの今日の授業、僕が担当するからよろしくね」
「えっ?」
「リブラリカにお客さんが来ることになって、ロイアーがそっちの対応しなくちゃいけないから、今日は授業ができませんって連絡があったんだ。幸い、今日の授業内容は僕でも教えられることだから、僕が変わりに先生することになったよ」

 突然のことだが、来客というなら仕方がない。シャーロットの副館長としての仕事ぶりは、授業を受けるようになってからよく知っていた。
 それにしても、焔さんに先生をしてもらえるなんて思ってもいなかった。

「そうなんですか……。焔さんに教えて頂くなんて、なんだかすごいことになっちゃいましたね」
「大賢者様だからね、ふふ」

 大袈裟なように言って腕を組んだ焔さんと顔を見合わせて、お互い小さく吹き出した。
 ここのところは食事の時くらいしか焔さんと話せていなかったし、先生をしてもらえるなんてすごく楽しみだ。
 さっきは冗談めかして言ったけれど、大賢者様に先生をしてもらうって……すごく贅沢なことだ。

「よろしくお願いします、焔先生」
「うん。さて、今日はリブラリカの裏手にある薬草園に行くから、梨里さんも外出の準備をしてね」

 焔さんもこの状況に浮かれているらしく、うきうきと黒いローブを羽織って珍しく外に出る気満々のようだ。

「薬草園、ですか?」
「そう、今日の授業は薬草についてだよ」

 こてんと首を傾げる私に、焔さんは整った顔でちょっといたずらっぽく微笑んだ。
 今日は焔さんの部屋にアルトを残して、珍しく二人で外出だ。
 しばらく歩いて、最奥禁書領域の扉の一つをくぐる。
 焔さんに続いて足を踏み出せば、ブーツが石畳を踏んで固い音を立てた。
 この扉は、リブラリカの建物の裏手側に繋がっていたようだ。
 建物と白い石壁に挟まれた、まさに裏庭と呼ぶにふさわしい場所に、ぽつぽつと薬草畑が続いていた。
 薬草の香りがする風がふわりと頬を撫でていく感触に、そういえばこちらの世界でリブラリカの外へ出るのは初めてだな、となんとなく思った。

「さて、それでは授業を始めよう」

 ゆっくりと前を歩く焔さんの後ろについて歩きながら、私はマナペンとノートを取り出した。
 貴重な大賢者様の授業だ。一言一句逃さずいなければ、と意識を集中する。

「ここが見ての通り、リブラリカの薬草園だ。栽培されているのは約30種類の薬草。全て本の管理に使うもので、専門の職員が管理している」

 しゃらり、しゃらり。
 いつも最奥禁書領域から出るときと同じように、フードを目深に被った焔さん。彼が薬草畑の間を歩く度、ローブの飾りが微かな音を立てる。

「効能は、虫避けや湿気避けのほかに、大分部分が妖精避けに使われる。今からどの種類が何に使うものなのか説明していくね」
「はい、お願いします!」

 日陰に作られた畑をぐるっと回りながら、薬草ひとつひとつの簡単な説明を受け懸命にノートに書き留めていく。
 焔さんの授業は、なんというかとても簡潔だった。
 過不足無くすらすらと説明される内容はどれもわかりやすく印象に残りやすい。
 それでいて淡々としているから、メモさえ間に合えば次々と休む間もなく講義が続いていく。
 大分早いスピードで講義は進んでいき、あっという間に最後の一種類まで終わっていた。

「――と、いうわけで、今ので最後だよ。大丈夫だった?」
「はい!とてもわかりやすかったです、ありがとうございます!」
「それならよかった。時間があるときに、薬草の組み合わせについて自分でも復習しておいてね」
「はい」

 一息ついてやっとノートから顔を上げると、講義に集中して下ばかり向いていた間にだいぶ奥まったところのちょっと小高い丘になっているところに来てしまっていた。

「あれ?ここは……」

 振り返って見れば、薬草畑は緩やかな丘の斜面に作られていたようだ。少し遠くの方に、最初にくぐってきた扉が見える。
 白い石壁に沿うようにして隆起した小さな丘は、今いる場所よりもう少し登れば、壁の上と繋がっているようだった。

「ここは、リブラリカが出来る前からある小さな丘なんだ。ほら、この壁はね、お城の城壁の一部なんだよ」
「城壁……お城って、オルフィード国のってことですか?」
「そう、この国の王様がいる、お城。リブラリカは、城壁沿いに作られているんだよ。半分はお城の敷地内で、開放区画の部分は城壁面から少しだけ市街地にはみ出して作られているんだ」
「なんだかすごいですね……。お城の一部だけど、城下の人たちにも開放されてる、ってことでしょうか」
「うん、正解。……そうだ、せっかくここまできたんだし、城壁に登っていこうか」
「え?!」

 ちょっと驚いて、自分で思うより大きな声が出てしまい慌てて口を手で押さえた。
 確かにあと少し登れば城壁の上に出られる。それは見ればわかるのだけど、そもそも城壁って……登ってしまっていいのだろうか。
 わたわたと慌てる私の視界に、すっと手が差し出された。
 綺麗な手から辿るように視線を上げれば、いつの間にか被り方が浅くなったフードから焔さんの優しい笑顔が覗いている。

「ほら、おいで」

 柔らかな声で、そんな笑顔で手を差し伸べてくるのは、何かの罠なのではないだろうか。
 だって、躊躇う気持ちなんて根こそぎ奪われてしまう。

「……は、い」

 吸い寄せられるように、少しだけまだ躊躇したまま白く綺麗な指先にそっと触れると、温かく手を握られた。
 どきん、と心臓が1度だけ高鳴る。
 包み込まれるような大きな手のひらに、優しく引かれるまま歩き出す。
 その先にはもう道らしき道はなくて、焔さんと2人、青々とした下草を踏みしめて丘を登った。
 城壁と合流している部分まではすぐだった。
 引き寄せられる方へと歩いて、私のブーツがやっと城壁の白い石を踏む。

「――ああ、懐かしいな」

 焔さんの低い呟きが頭上に降ってきて、釣られるように顔を上げ――そこに広がる光景に、言葉をなくした。

「――っ!」

 城壁は、随分と高い位置だったらしい。
 その場所はちょうどお城の敷地の端、丘というよりちょっとした高さの山の上のようになっていて、そびえ立つ城とその周りに広がる城下町を一望することができた。
 天気は快晴。
 雲一つない抜けるような青空がどこまでも続いていて、白い石で出来た城壁や城下の町並みが輝いている。
 ふわっと通り抜けた風はちょっとだけ強かったけれど、温かくて優しかった。

「これが、オルフィード国の王都だよ」
「……すごい、ですね」

 感動してそんな言葉しか出てこない私の隣で、黒いローブがふわりと翻る。
 風に煽られる髪を抑えながら、隣の焔さんに視線を向ける。微かにはためくフードの中で彼は、遠くを見るようなものすごく切ない目と……そして優しい表情をしていた。

「僕もね、久々に来たんだよ。……ここからの眺めは、全然変わらないな」

 そう呟く言葉までもが少しだけ掠れていて、聞いているこちらの胸がぎゅっと締め付けられた。

「変わらないって、ずっと昔と……ですか?」
「うん。ずっと……ずっと昔、この国ができてすぐの頃と、変わらない」

 この国ができてすぐ、ということは……約800年前のことを思い出しているのだろうか。
 焔さんの綺麗な黒い瞳が、眩しげに細められる。その中にちらりと、紅い光が見えた気がした。

「この場所は、僕と友人のお気に入りの場所だったんだ。よく二人で見に来ていたんだよ」
「焔さんのお友達、ですか?」

 聞いていいことなのかわからなくて、それでもちょっとだけ、焔さんから語られる彼の過去を知りたい気持ちが強くて。
 小さな声で控えめに問いかけると、彼の瞳が嬉しそうに煌めいた。

「ああ。……大切な、友人だったんだ」

 彼をこんなに優しい表情にさせるなら、その人は焔さんにとって本当に大切な人だったのだろう。
 なんだか少しだけ――ほんの少しだけ、ちりりと胸が騒ぐのは、どうしてだろう。

「君も、知ってるはずだよ。あいつは有名人だからね」
「えっと……」

 約800年前の焔さんの友人で、有名人で、私でも知ってるって……。
 頭の中に思い浮かんだのは、先日勉強したばかりのオルフィード国の歴史書。

「……あ!」

 そうだ。
 この国を作ったのは、焔さんひとりじゃない。
 旧オルガ国に反乱を起こした中心人物だった王子がいたはずだ。
 後にオルフィード国初代王となった反乱の王子のために、大賢者イグニスはあの戦いと建国に尽力した。

「それって――」

 優しくこちらを見下ろし待っていてくれる焔さんを仰いで、その名を口にしようとした刹那。

「――そこで何をしている?」

 私の答えは、不意に背後から掛けられた声に遮られた。
 焔さんが浅くなっていたフードを深く被り直したのと、私が振り向いたのが同時くらい。
 城壁よりもっと下の薬草畑のあたりにちょっとした人の集団がいて、そこから一歩前へ出た蜂蜜色の髪の青年が、腕組みをしてこちらを睨んでいるようだった。
 少なくとも、リブラリカの職員ではない。マントやら飾りやらがついた、やたら豪華な服を着ているようだ。

「え……」

 何事かと困惑する私の隣で、フードの奥から焔さんが何かを呟いたが――風にさらわれて、その音は聞き取れなかった。







「――ザフィア?」


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