25 / 171
第1章 大賢者様の秘書になりました
22.王子様と大賢者様
しおりを挟む
「焔さん?今、何か――」
言いましたか?と続けようとした私を、焔さんが被りを振って制した。
「いや、何も。――そうだな、よく似ている」
「?」
意味も分からないまま首を傾げる。と、そこへまた青年から強気というか、偉そうな声が飛んできた。
「おい!無礼だぞ、この俺が声を掛けているというのに!」
「殿下!お待ちください殿下!」
遠くここにいてもぷんぷん怒っていそうな雰囲気が伝わってくる青年の後ろにある人だかりから、見慣れた青い制服が飛び出してきた。
「なんだロイアー、俺は今あの不審者どもにだな……」
「恐れながら殿下、彼らは不審な者では御座いません」
聞き覚えのある声は、シャーロットのものだった。
と、いうことは、シャーロットが今日対応しなければならなくなった来客、というのがあの青年なのだろう。
……ん?
待ってほしい。今、シャーロットは青年のことを――殿下って呼ばなかった?
「不審者ではない、と。それなら誰だというのだ。あんな風にローブをすっぽりと被って、怪しいだけではないか」
「そのローブのお方は、大賢者イグニス様で御座います。隣の者は、彼の秘書をしているリリーです」
「……大賢者、だと?」
ふたりの会話を遠く聞きながら、脳の処理が少しずつ現状に追いついてくる。
つまりあの偉そうな青年がこの国の王子様で、なぜか薬草園に来たその王子と鉢合わせてしまった、と。
「おい!お前達こちらに来い!」
青年の声に咄嗟に焔さんを見る。
「ど、どうしましょう……」
「面倒だけど……大丈夫。僕が何とかするから、梨里さんは傍にいてね」
「は、はい」
少し肩を竦めてそう言うと、焔さんはゆっくりと丘を下り始めた。こんな時でも、足場の急なところでは手を差し出してくれるので、それを頼りながらなんとか薬草畑の辺りまで戻ってくる。
集団の近くまで、焔さんは臆することなくスタスタと歩いて行ってしまうので、私はびくびくしながらその背に隠れるように縮こまった。
「遅い!」
正面まで来た私たちに、青年がフンと鼻を鳴らした。
それに対して焔さんは、礼をするでもなく跪くでもなく、クスクスと笑う。
「若い内からそんなに短気だと、禿げますよ」
「禿げ……はぁ?! な、なんだと!」
「イグニス様……!」
ロイアーが青年の少し後ろで、青ざめた顔で声を上げる。
そんなふたりを前にしても、焔さんは相変わらずのマイペースだ。
「無礼も何も。君より遙かに年上なものだから、構わないでしょう? 我が友の末裔だ。遠い孫みたいなものだからね」
「……本当に、あの大賢者なのか?」
「ああ。イグニスだ。君は?」
「俺は、オルフィード国国王が第1子、ライオット・フェリオ・オルフィードだ」
焔さんの穏やかな声に、幾分か落ち着いたらしい青年が渋々といった風に答えた。
この国の第一王子ライオット。
蜂蜜色のブロンドの髪が優しくウェーブしている柔らかそうな髪に、少しだけきりりとつり上がった形の眦。白い肌に整った顔立ちは、まさしく物語の中の王子、という姿。
薄紫の瞳はどこか優しそうだけれど、薄い色ながら綺麗な宝石のように煌めいていて、意思の強さを感じた。
焔さんの後ろからこっそりと見ていたつもりだったのだが、その瞳と不意に視線がかち合ってしまってびくりと小さく飛び上がった。
「で、お前は?」
「あ、えと……リリー、と申します……殿下」
結局どうしていいかわからないまま、それだけ言ってばっと頭を下げた。
地面ばかりになった私の視界にすっと、焔さんのローブの裾が揺れる。
「彼女は僕の秘書です。それじゃ、挨拶も済んだしこれで――」
するりと背に伸びてきた焔さんの手に促されて、そのまま彼らの横を通り過ぎようとした。
――のだが。
「待て!」
許されなかったらしい。
王子の制止の声に、焔さんが小さく溜息をついたのが聞こえた。
「確かに本物の大賢者だというなら、俺へのその無礼も、咎められるものではないのだろう。だが――そのような怪しいフードを被ったままで顔すら見せないなど、俺は信じられない。そもそも大賢者がこんな場所をうろついている訳がないだろう」
確かに彼の言うとおり、焔さんはいつもすっぽりローブを被ってしまっているから怪しいと言われても仕方はないかもしれないのだけど……。
今までは、なんというか焔さんもよくある引きこもりの類いなんじゃないかと勝手に思っていたから、私自身『焔さんが人との接触を極力避けるため』という名目で愛用しているこのフードに慣れきってしまっていたようだ。
この王子様は、焔さんが大賢者だということが半信半疑らしい。
「生憎と、このフードが気に入っているんだよ」
「ふざけたことを。もし中が別の人間だったとしても、その恰好ではわからないではないか。それに俺は、大賢者は800年生きた老人だと教わっているぞ。お前の声は全然しわがれていないじゃないか」
「そんなこと言われても困るな。僕は僕だから」
「いい、もう、茶番に付き合う気などない。今ここでそのフードを下ろせ」
「……えぇー……」
焔さんが本気で嫌そうな声を出すと、王子は――あろうことか、ぐっと焔さんのフードの端を握りしめた。
「僕はな、城にある初代ザフィア王と大賢者の肖像画を見たことがある。顔を見れば、お前が偽物かどうかすぐにわかるぞ」
ぐぐぐ。
「わ、ちょっと……はぁ、これだから子供は……人の嫌がることするなって教わらなかったの?」
ぐぐぐ。
「……な、なんだこのフード、びくともしな……っておい!腕に力ありすぎだろうお前ほんとうに老人か?!」
「さっきから人のことを老人扱いばかりして……。ちょっと教育がなってないんじゃない?」
「なんだと!」
……これは、どうしたものだろう。
王子は焔さんのフードを近づくで脱がせようとしているようで、フードの端を掴んだ手にはだいぶ力が入っているようだが、彼が言うようにフードはひらりとも動かない。
よく見れば、呆れたように応じながら彼の腕にそっと触れている焔さんの手のひらの辺りに、紅い光の粒がふわふわ舞っている。
なるほど、フードを脱がされたくなくて、魔術を使っているらしい。
さっきまで、『僕がなんとかするから』なんて言っていたはずの焔さんだが、今はもう王子と言い合いをするばかりになっている。
言い合いは子供の喧嘩のような内容になってきているし、周囲に視線を向けてみれば、王子の従者らしき人たちも困ったような顔を見合わせている。
この国の王子と大賢者では、誰も口を挟んで良いのかどうか判断がつかないでいるようだ。
「お前諦めが悪いな!この国の王子である俺が、顔を見せろと、言ってるんだっ!」
「さっきから嫌だと言っているだろう、いい加減にしなさい」
「王子の俺に、無礼な口調は、するな……!」
王子の方は、力の入れすぎなのか多少息切れしてきている。
ここまでびくともしない焔さんのフードを、諦めない気力はすごいと思うけれど……さすがにこれは、誰かが止めなければいけないのではないだろうか。
そんなやりとりを続けているうちに、いつの間にか時間が経っていたらしい。
遠くから聞こえてきたのは、お昼の鐘の音だ。
当事者ふたり以外の人たちが、その音に気づいて顔を見合わせたり囁き合ったりしているが、やはりだれも、シャーロットでさえ口出しできずにいるようだ。
と、そんな中シャーロットがすすっと静かに私のほうへと動いた。
視線が合って小さく手招きされる。
1,2歩動いて彼女の隣に移動すると、シャーロットにがしっと腕を捕まれた。
「ちょっとこれ、どうなさいますの」
「どうって……シャーロットさん、止めてくださいよ……」
「相手は王子とイグニス様ですのよ?! 私ではとても割って入るなんてできませんわ……!」
小声でひそひそと会話をしているが、シャーロットは私の腕を掴む手に力を入れて必死に言いつのってきた。
「ここであのおふたりに声を掛けられるのは、貴女だけですわリリーさん」
「え、ええ?!」
「貴女はイグニス様の秘書ですもの、大丈夫ですわ。さあ!」
「ちょっと……!」
ぐっとシャーロットに背を押されて、未だに言い合いを続けているふたりの方へと押し出される。
「う、わあ!」
そっちに行きたくない気持ちと押された勢いとでバランスを崩した私が、足もつれされてふたりの方へと倒れ込んだ。
「あっ」
ぶつかっちゃうごめんなさいごめんなさい――っ!
……と強く目を閉じたけれど、私の身体はふわっと包み込むように支えられていた。
「おっと」
いつの間にか慣れきった薬草と本の香りが鼻腔を掠める。
はっと顔を上げれば、焔さんにばっちりキャッチされていた。
ふたりとも驚いたのか言い合いが止んでいて、王子でさえ、いきなり乱入してきた私を見たままぽかんとしていた。
こ、これはチャンス!……かも。
「も、申し訳ありません!躓いてしまって」
「ううん。リリー怪我はない?」
「はい!ありがとうございます、マスター」
そっと立たせてくれる焔さんの手から離れて、私はそのまま王子に向き直りスカートの裾を広げるようにして頭を下げた。
いつもシャーロットが見せてくれる、貴族式の礼だ。
「お話を遮ってしまい申し訳御座いません、殿下。また、重ねての無礼で大変……えっと、恐縮、なのですが、マスターにはこの後の予定があります。……ので、本日は失礼させてください、ませ」
こんな畏まった話し方、今までの人生で使った経験なんてないよ……!
頭を下げている以上、相手の顔は見えないし、反応もわからない。
緊張しきっている頭でどうにか記憶からそれっぽい言い回しを引っ張り出してくる。なんだかんだと、ファンタジー小説も沢山読んでいてよかったな……と頭の隅のほうでちらりと思った。
つっかえながらも、なんとか言い切った私を誰か褒めて欲しい。
「――ああ、そうだったね」
頭を上げるタイミングをすっかり逃して、そのままの姿勢でいる私の心の声を読んだんじゃないだろうか。
そんな事を思ってしまいそうなタイミングで、覚えのある温かな手のひらが、私の頭にぽんと乗せられた。
「午後の用事の為にも、早めに昼食を済ませなくちゃ。ありがとうリリー、行こうか」
「!はい!」
本当は午後になんの用事もない。咄嗟のでまかせだったのだけど、焔さんが察してくれたのか、話を合わせてくれて助かる。
そのまま流れるような仕草で手を引かれ姿勢を戻すと、まだぽかんとしたままだった王子と目が合った。
はっとした様子で我に返る王子に背を向けて、今度こそ焔さんに促されるまま、再び最奥禁書領域へと繋がった扉をくぐった。
「あっ!おい待て……!」
焔さんが扉を閉める寸前、こちらに手を伸ばして駆け寄ってくる王子が見えた。
ぱたん、と背後で静かに閉められた扉は、焔さんが何かしたからなのか。
勢いよく開けられることもなく、うんともすんとも言わず、静かにそこに佇んでいる。
「……ふはっ」
「っふ、ふふっ」
数秒してから焔さんと同時に顔を見合わせて、同時に吹き出してしまった。
「ふ、ふふ、ねえ見た? 梨里さん、あの顔」
「あはは、はい、あの、最後のお顔……っ。失礼かもですが、ちょっと、ふふ」
初めての焔さんの授業は新鮮で楽しかったけれど、あの王子の乱入によって、なんだか予想もしなかった形で終了した。
お互いひとしきり笑ってから、また王子と鉢合わせると面倒だから、という理由でアルトに昼食を取りに行ってもらった。
昼食の間も、別れ際の大分ムキになった、必死そうな王子の顔を思い出してしまって、焔さんと顔を見合わせてはこっそり吹き出す。
きっと王子は、今頃めちゃくちゃに悔しがっているのではないだろうか。
シャーロットには迷惑を掛けてしまったかもしれないけれど、王子のその後もどうしても気になってしまう。
あの後どうなったのか、今日のお茶の時間にでもシャーロットに聞いてみよう。
ちょっとした楽しみが出来たと、食後の紅茶を飲みつつくすりと笑みを漏らした。
言いましたか?と続けようとした私を、焔さんが被りを振って制した。
「いや、何も。――そうだな、よく似ている」
「?」
意味も分からないまま首を傾げる。と、そこへまた青年から強気というか、偉そうな声が飛んできた。
「おい!無礼だぞ、この俺が声を掛けているというのに!」
「殿下!お待ちください殿下!」
遠くここにいてもぷんぷん怒っていそうな雰囲気が伝わってくる青年の後ろにある人だかりから、見慣れた青い制服が飛び出してきた。
「なんだロイアー、俺は今あの不審者どもにだな……」
「恐れながら殿下、彼らは不審な者では御座いません」
聞き覚えのある声は、シャーロットのものだった。
と、いうことは、シャーロットが今日対応しなければならなくなった来客、というのがあの青年なのだろう。
……ん?
待ってほしい。今、シャーロットは青年のことを――殿下って呼ばなかった?
「不審者ではない、と。それなら誰だというのだ。あんな風にローブをすっぽりと被って、怪しいだけではないか」
「そのローブのお方は、大賢者イグニス様で御座います。隣の者は、彼の秘書をしているリリーです」
「……大賢者、だと?」
ふたりの会話を遠く聞きながら、脳の処理が少しずつ現状に追いついてくる。
つまりあの偉そうな青年がこの国の王子様で、なぜか薬草園に来たその王子と鉢合わせてしまった、と。
「おい!お前達こちらに来い!」
青年の声に咄嗟に焔さんを見る。
「ど、どうしましょう……」
「面倒だけど……大丈夫。僕が何とかするから、梨里さんは傍にいてね」
「は、はい」
少し肩を竦めてそう言うと、焔さんはゆっくりと丘を下り始めた。こんな時でも、足場の急なところでは手を差し出してくれるので、それを頼りながらなんとか薬草畑の辺りまで戻ってくる。
集団の近くまで、焔さんは臆することなくスタスタと歩いて行ってしまうので、私はびくびくしながらその背に隠れるように縮こまった。
「遅い!」
正面まで来た私たちに、青年がフンと鼻を鳴らした。
それに対して焔さんは、礼をするでもなく跪くでもなく、クスクスと笑う。
「若い内からそんなに短気だと、禿げますよ」
「禿げ……はぁ?! な、なんだと!」
「イグニス様……!」
ロイアーが青年の少し後ろで、青ざめた顔で声を上げる。
そんなふたりを前にしても、焔さんは相変わらずのマイペースだ。
「無礼も何も。君より遙かに年上なものだから、構わないでしょう? 我が友の末裔だ。遠い孫みたいなものだからね」
「……本当に、あの大賢者なのか?」
「ああ。イグニスだ。君は?」
「俺は、オルフィード国国王が第1子、ライオット・フェリオ・オルフィードだ」
焔さんの穏やかな声に、幾分か落ち着いたらしい青年が渋々といった風に答えた。
この国の第一王子ライオット。
蜂蜜色のブロンドの髪が優しくウェーブしている柔らかそうな髪に、少しだけきりりとつり上がった形の眦。白い肌に整った顔立ちは、まさしく物語の中の王子、という姿。
薄紫の瞳はどこか優しそうだけれど、薄い色ながら綺麗な宝石のように煌めいていて、意思の強さを感じた。
焔さんの後ろからこっそりと見ていたつもりだったのだが、その瞳と不意に視線がかち合ってしまってびくりと小さく飛び上がった。
「で、お前は?」
「あ、えと……リリー、と申します……殿下」
結局どうしていいかわからないまま、それだけ言ってばっと頭を下げた。
地面ばかりになった私の視界にすっと、焔さんのローブの裾が揺れる。
「彼女は僕の秘書です。それじゃ、挨拶も済んだしこれで――」
するりと背に伸びてきた焔さんの手に促されて、そのまま彼らの横を通り過ぎようとした。
――のだが。
「待て!」
許されなかったらしい。
王子の制止の声に、焔さんが小さく溜息をついたのが聞こえた。
「確かに本物の大賢者だというなら、俺へのその無礼も、咎められるものではないのだろう。だが――そのような怪しいフードを被ったままで顔すら見せないなど、俺は信じられない。そもそも大賢者がこんな場所をうろついている訳がないだろう」
確かに彼の言うとおり、焔さんはいつもすっぽりローブを被ってしまっているから怪しいと言われても仕方はないかもしれないのだけど……。
今までは、なんというか焔さんもよくある引きこもりの類いなんじゃないかと勝手に思っていたから、私自身『焔さんが人との接触を極力避けるため』という名目で愛用しているこのフードに慣れきってしまっていたようだ。
この王子様は、焔さんが大賢者だということが半信半疑らしい。
「生憎と、このフードが気に入っているんだよ」
「ふざけたことを。もし中が別の人間だったとしても、その恰好ではわからないではないか。それに俺は、大賢者は800年生きた老人だと教わっているぞ。お前の声は全然しわがれていないじゃないか」
「そんなこと言われても困るな。僕は僕だから」
「いい、もう、茶番に付き合う気などない。今ここでそのフードを下ろせ」
「……えぇー……」
焔さんが本気で嫌そうな声を出すと、王子は――あろうことか、ぐっと焔さんのフードの端を握りしめた。
「僕はな、城にある初代ザフィア王と大賢者の肖像画を見たことがある。顔を見れば、お前が偽物かどうかすぐにわかるぞ」
ぐぐぐ。
「わ、ちょっと……はぁ、これだから子供は……人の嫌がることするなって教わらなかったの?」
ぐぐぐ。
「……な、なんだこのフード、びくともしな……っておい!腕に力ありすぎだろうお前ほんとうに老人か?!」
「さっきから人のことを老人扱いばかりして……。ちょっと教育がなってないんじゃない?」
「なんだと!」
……これは、どうしたものだろう。
王子は焔さんのフードを近づくで脱がせようとしているようで、フードの端を掴んだ手にはだいぶ力が入っているようだが、彼が言うようにフードはひらりとも動かない。
よく見れば、呆れたように応じながら彼の腕にそっと触れている焔さんの手のひらの辺りに、紅い光の粒がふわふわ舞っている。
なるほど、フードを脱がされたくなくて、魔術を使っているらしい。
さっきまで、『僕がなんとかするから』なんて言っていたはずの焔さんだが、今はもう王子と言い合いをするばかりになっている。
言い合いは子供の喧嘩のような内容になってきているし、周囲に視線を向けてみれば、王子の従者らしき人たちも困ったような顔を見合わせている。
この国の王子と大賢者では、誰も口を挟んで良いのかどうか判断がつかないでいるようだ。
「お前諦めが悪いな!この国の王子である俺が、顔を見せろと、言ってるんだっ!」
「さっきから嫌だと言っているだろう、いい加減にしなさい」
「王子の俺に、無礼な口調は、するな……!」
王子の方は、力の入れすぎなのか多少息切れしてきている。
ここまでびくともしない焔さんのフードを、諦めない気力はすごいと思うけれど……さすがにこれは、誰かが止めなければいけないのではないだろうか。
そんなやりとりを続けているうちに、いつの間にか時間が経っていたらしい。
遠くから聞こえてきたのは、お昼の鐘の音だ。
当事者ふたり以外の人たちが、その音に気づいて顔を見合わせたり囁き合ったりしているが、やはりだれも、シャーロットでさえ口出しできずにいるようだ。
と、そんな中シャーロットがすすっと静かに私のほうへと動いた。
視線が合って小さく手招きされる。
1,2歩動いて彼女の隣に移動すると、シャーロットにがしっと腕を捕まれた。
「ちょっとこれ、どうなさいますの」
「どうって……シャーロットさん、止めてくださいよ……」
「相手は王子とイグニス様ですのよ?! 私ではとても割って入るなんてできませんわ……!」
小声でひそひそと会話をしているが、シャーロットは私の腕を掴む手に力を入れて必死に言いつのってきた。
「ここであのおふたりに声を掛けられるのは、貴女だけですわリリーさん」
「え、ええ?!」
「貴女はイグニス様の秘書ですもの、大丈夫ですわ。さあ!」
「ちょっと……!」
ぐっとシャーロットに背を押されて、未だに言い合いを続けているふたりの方へと押し出される。
「う、わあ!」
そっちに行きたくない気持ちと押された勢いとでバランスを崩した私が、足もつれされてふたりの方へと倒れ込んだ。
「あっ」
ぶつかっちゃうごめんなさいごめんなさい――っ!
……と強く目を閉じたけれど、私の身体はふわっと包み込むように支えられていた。
「おっと」
いつの間にか慣れきった薬草と本の香りが鼻腔を掠める。
はっと顔を上げれば、焔さんにばっちりキャッチされていた。
ふたりとも驚いたのか言い合いが止んでいて、王子でさえ、いきなり乱入してきた私を見たままぽかんとしていた。
こ、これはチャンス!……かも。
「も、申し訳ありません!躓いてしまって」
「ううん。リリー怪我はない?」
「はい!ありがとうございます、マスター」
そっと立たせてくれる焔さんの手から離れて、私はそのまま王子に向き直りスカートの裾を広げるようにして頭を下げた。
いつもシャーロットが見せてくれる、貴族式の礼だ。
「お話を遮ってしまい申し訳御座いません、殿下。また、重ねての無礼で大変……えっと、恐縮、なのですが、マスターにはこの後の予定があります。……ので、本日は失礼させてください、ませ」
こんな畏まった話し方、今までの人生で使った経験なんてないよ……!
頭を下げている以上、相手の顔は見えないし、反応もわからない。
緊張しきっている頭でどうにか記憶からそれっぽい言い回しを引っ張り出してくる。なんだかんだと、ファンタジー小説も沢山読んでいてよかったな……と頭の隅のほうでちらりと思った。
つっかえながらも、なんとか言い切った私を誰か褒めて欲しい。
「――ああ、そうだったね」
頭を上げるタイミングをすっかり逃して、そのままの姿勢でいる私の心の声を読んだんじゃないだろうか。
そんな事を思ってしまいそうなタイミングで、覚えのある温かな手のひらが、私の頭にぽんと乗せられた。
「午後の用事の為にも、早めに昼食を済ませなくちゃ。ありがとうリリー、行こうか」
「!はい!」
本当は午後になんの用事もない。咄嗟のでまかせだったのだけど、焔さんが察してくれたのか、話を合わせてくれて助かる。
そのまま流れるような仕草で手を引かれ姿勢を戻すと、まだぽかんとしたままだった王子と目が合った。
はっとした様子で我に返る王子に背を向けて、今度こそ焔さんに促されるまま、再び最奥禁書領域へと繋がった扉をくぐった。
「あっ!おい待て……!」
焔さんが扉を閉める寸前、こちらに手を伸ばして駆け寄ってくる王子が見えた。
ぱたん、と背後で静かに閉められた扉は、焔さんが何かしたからなのか。
勢いよく開けられることもなく、うんともすんとも言わず、静かにそこに佇んでいる。
「……ふはっ」
「っふ、ふふっ」
数秒してから焔さんと同時に顔を見合わせて、同時に吹き出してしまった。
「ふ、ふふ、ねえ見た? 梨里さん、あの顔」
「あはは、はい、あの、最後のお顔……っ。失礼かもですが、ちょっと、ふふ」
初めての焔さんの授業は新鮮で楽しかったけれど、あの王子の乱入によって、なんだか予想もしなかった形で終了した。
お互いひとしきり笑ってから、また王子と鉢合わせると面倒だから、という理由でアルトに昼食を取りに行ってもらった。
昼食の間も、別れ際の大分ムキになった、必死そうな王子の顔を思い出してしまって、焔さんと顔を見合わせてはこっそり吹き出す。
きっと王子は、今頃めちゃくちゃに悔しがっているのではないだろうか。
シャーロットには迷惑を掛けてしまったかもしれないけれど、王子のその後もどうしても気になってしまう。
あの後どうなったのか、今日のお茶の時間にでもシャーロットに聞いてみよう。
ちょっとした楽しみが出来たと、食後の紅茶を飲みつつくすりと笑みを漏らした。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
35
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる