大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

32.王子様と大賢者様、再び

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 じろり、と見下ろされたライオット王子は、はっと我に返るとその場に座り直しながら、私を抱える焔さんをきらきらした目で見つめた。

「……信じられない。信じられないけど、本当に絵画とそっくりだ。……貴方が、あの大賢者イグニスなのだな」

 そういえば、今の焔さんはいつものローブを被っていないから、素顔のままだ。
 肝心の本人はというと、ちょっとだけ嫌そうにしかめた顔を隠しもせずに王子に向けていた。

「そうだって、前会った時にも言ったはずだけど」
「あの時は信じられなかったんだ。顔だって見えなかった。……そうか、俺はやっと、会えたのか……」

 しみじみと呟く声に合わせて、だんだんと王子の顔が嬉しそうにほころんでいく。
 あっと思った時にはもう、突然身を乗り出した王子は腕を伸ばし、焔さんへと縋り付いていた。
 驚いた焔さんががくんと揺れて、びっくりして私まで焔さんのベストにしがみついてしまう。

「うわっ」
「わっ」
「なぁ!俺、俺……ずっと貴方に会いたかったんだ……!」

 目を輝かせて縋り付いてくる王子に、焔さんは本気で嫌がり身を捩る。けれど、王子は王子で、必死に焔さんのズボンを握りしめているようだった。

「え、ちょっといきなり何、離せって」
「離すものか……!この時を、どれだけ待ったと思ってるんだ!」
「知らないよそんなこと!いいからちょっと離せってば!」
「大賢者!聞いてくれ、俺、俺はずっと……っ」

 すう、と大きく息を吸うライオット王子。
 うっすら赤く染まる頬が、きらきらした少年のような表情が、まっすぐに焔さんへと向けられていた。

「貴方に俺の先生になって欲しかったんだ……っ!」

 ぴしりと。
 ほんの一瞬、本当に一秒にも満たないくらいの合間、すぐ間近にある焔さんの空気が凍り付いた気がしたのは、気のせいだろうか。

「っ、誰が引き受けるかそんなもん!」
「ひゃっ」

 突然ぐいっと片腕で抱き抱えられる姿勢に変えられたと思えば、焔さんが一喝しながら空いた手を軽く振り抜いた。
 すると、その指先に集まったマナの粒子が即座に手のひらくらいの大きさの塊になって、結構な速度で飛ぶと王子の眉間の辺りに命中した。
 すぱぁん!といい音がして、王子がぐいんと仰け反ったから、威力もそこそこだったのだろう。
 ぎゃんっという悲鳴が聞こえたけれど、王子はすぐに体勢を立て直している。
 がばっと全身で縋り付くように焔さんの足にしがみついて、王子は尚も言いつのった。

「そんなに簡単に聞いてもらえるとは、思ってない!先生になってくれ大賢者!」
「えっしつこいっ」
「どうしてもだめだというなら、友人ならどうだ……?!」
「ほんと気持ち悪いから、離せって……!」
「頼む!この通りだ!……俺にはお前が必要なんだ!」
「嫌だって言ってるだろなんなんだほんとに……!」

 途中途中で焔さんの星型デコピンのようなものを挟みながらも、2人の口論はいつまでも続いていく。
 焔さんが下ろしてくれないせいで、私は抱き上げられたまま2人の口論に巻き込まれ、しかもぐらぐら揺られ続けていた。
 ……これは、ちょっとその、さすがに気持ち悪くなってきた……!

「何やってんだお前ら……」

 背後から掛かった声にはっと視線を向けると、いつの間にかアルトが半眼でこちらを見上げている。
 若干引いているように見えるのは、私の気のせいではないはずだ。

「ったく、リリーが見つかったっていうから戻ってきたのに……おいリリー、早くなんとかしろ」
「いや、ちょ、助けてアルトっ……」

 涙目で訴えるけれど、相棒のはずの黒猫は溜息を吐くばかり。

「いや、俺様じゃ無理だろ」
「そんな……っわっ」

 また焔さんが大きく動いて、身体がぐらりと揺れる。
 今私は、焔さんの片腕に腰掛けるような体勢で抱き上げられているのだけど、この状態でぐらぐら揺れるのは、本当に落ちてしまいそうで大変に怖いし、気持ち悪い。
 でも怖いからといって、掴まる場所なんて焔さんの肩くらいしかないから、自分の身体すら安定しない。
 この2人は相性がいいのか悪いのか、誰かが割って入らない限りこの状態が延々と続いてしまうようだ。

「だからっ!やめろってば!先生だの友達だの嫌だって言ってんだろ!」
「そこをなんとか!絶対に、聞いてもらえるまで離すわけには……っ」

 またぐらりと大きく揺れて、心臓が飛び上がる。
 焔さんは身長がだいぶ高いから、抱えられている今ぐらぐらと揺れるのはバランスがとれず本当に心臓に悪い。
 もう無理だ。このまま揺られ続けるなんて、無理!

「……っもう!!2人ともいい加減にしてくださいっ!!」

 気がつけばここ数年出したことすらないような大きな声で、2人を叱りつけていた。






 私に叱られるというのは2人にとって大分予想外の事だったようで、2人ともしんと静まりかえってしまった。
 取り敢えずその場が落ち着いたところで、場所をいつもの面談室に移動するように提案した。
 焔さんの魔術で一瞬で到着した面談室で、ばつの悪そうな顔をした王子がソファの一つにどかっと腰を下ろす。
 焔さんは軽く声を掛けてから、ようやっと私の身体を長ソファに下ろしてくれた。
 つきりと痛んだ右足に顔をしかめると、足下に跪いた焔さんが静かに尋ねてくる。

「痛めたの、どっち?診せて」
「右、です」

 焔さんの指が、私の右足にそっと触れる。瞬間ずきりと痛みが走って、ぎゅっと唇を引き結んだ。

「腫れちゃってるね。治癒はあまり得意じゃないんだけど、これくらいなら……」

 焔さんがもう片方の手も使って、腫れた足首を包み込むようにする。するとすぐに、ずきずき痛む右足首がじんわり温かく感じ始めた。
 そのままでいたのはほんの数分だったろうか。

「……はい、これで大丈夫」

 焔さんがそう言って私の足を床に下ろしてくれる頃には、足首の痛みはすっかり引いて、腫れも収まっているようだった。
 恐る恐る体重を掛けてみても、全然違和感がない。
 魔術って本当に便利だと、しみじみ思ってしまった。

「ありがとうございます」
「……いや。それより、さっきはその……、すまなかった。気分悪くなったりは……」

 私の隣に腰を下ろした焔さんは、頼りない表情でこちらをそろりと窺うように覗き込んでくる。
 ……なんだろう、焔さんの頭に、垂れた耳が見えるような気がする。
 そんな姿に思わずきゅんとして、許してしまう私もちょっと甘いのかもしれない。

「もう、大丈夫です。でも次からは気をつけてくださいね」
「うん……気をつけます」

 そう言ってしゅんと頷くのまで可愛いような気がしてしまうのだから、なんだか大分毒されてしまっているかもしれない。
 その時、ふと別方向からの視線を感じて顔を上げると、今度は焔さんと似たような表情をした王子と目が合ってしまった。
 王子は何度か口を開けては閉じる、を繰り返した後に、ようやっと、組んだ自分の手元に視線を落としながら唇を開いた。

「……あの時の……大賢者の秘書、だったんだな……君」
「はい……。あの、あんな状況とはいえ、失礼を……」

 そうだ、うっかり忘れそうになっていたけれど、暗闇で一緒になったあの相手は王子だったのだ。
 非常事態だったとはいえ、普通にというか、大分気楽に会話をしてしまっていた気がする。
 咎められる前に謝っておこうとした言葉は、すっと目の前に翳された王子の手のひらに遮られてしまった。

「いや、謝罪は必要ない。……普通に会話出来ることが、とても嬉しかったんだ。謝らないで欲しい」
「……わかり、ました」

 切なそうな王子の表情にそっと頷くと、彼はほっとしたように表情を緩めた。

「以前会った時といい、先ほどといい、迷惑を掛けてすまなかった。……その、あんな状況ではあったが、君は素敵な人なのだと身を持って知ったよ」
「そんな立派な人間では……でも、ありがとうございます。嬉しいです」

 お世辞でも、そんな風に思ってもらえたことは嬉しい。
 あの暗闇の中、他愛ない話題ばかりだったけれど……王子本人が、優しい人であることは、言葉の端々から感じていた。
 以前会った時には高圧的で、見目は麗しくてもちょっと……なんて思ってしまったけれど。
 今はもう、ちょっとしょんぼりした姿まで普通の青年と何も変わらなく見える。

「君の名前をもう一度、聞いてもいいだろうか」
「リリーと申します」
「リリー。……その、もし君さえ良ければ、俺と友人になってくれないだろうか?」
「えっ」

 真剣な薄紫の瞳に、ぱちくりと瞬きをする。
 そっとテーブル越しに綺麗な手を差し出されて、つい先ほどまで繋いでいた手の温度が思い出された。

「説明した通り、俺は大賢者に会って、そして俺の先生になって欲しいと頼むためにここへ忍び込もうとした。大賢者からはまだ色よい返事をもらえてはいないが……だが、あの場所で色々と話をして、俺は君という人間にもとても惹かれるものを感じたんだ」

 何かの冗談か聞き間違いかと思ったのだけれど、王子の視線は真剣にこちらを向いたままだ。
 きょとんとしたままの私に、王子は頼む、と続ける。

「時間がある時に、話相手になってくれればいい。俺が間違ったことをしていたら、先ほどのように遠慮なく叱りつけてもらいたい。どれだけ叱られても、不敬などにはしないから安心してくれ。…………それから、本も」

 そっと付け足された言葉は、なんとも言い難いような……優しくて、ちょっとだけ切ない響きを帯びていた。
 王子が先ほどまでの真剣な表情をふわりと崩して、眉尻を下げたような、そんな顔で苦笑する。

「面白い本を、教えてもらえたら嬉しい」

 あの時、互いの顔すら見えない暗闇の中、寂しげに響いた声を思い出す。
 それにしたって、自分のような人間が、正真正銘の王子様である彼の友人になるなんて、と。
 そんな気持ちがある一方で、……自分という存在が、たった少しでも、寂しそうな顔をする目の前の青年の力になれるなら――と思う気持ちも、また本物だった。
 こちらに差し出されたままの手に、また目を向ける。
 その手が微かに震えているように見えた時に、気持ちが決まった。
 これもきっと、踏み出す勇気が必要な場所だ。

「私も――」

 私も、貴方と友人になりたい。
 そんな台詞と一緒に握手しようと伸ばし掛けた手は――何故か横合いから伸びてきた手に、優しく止められてしまった。

「はい、そこまで」
「は?!」
「えっ焔さん?!」

 揃って驚いた声を上げる王子と私。
 焔さんは優しく握った私の手を引き戻すと、むっとじと目で王子を見やった。

「リリーは僕の秘書なの。僕がだめだからって彼女を取り込むの禁止」
「な……いや、それとこれとは別だろう!」
「別なもんか。何より僕がなんか気に入らないから却下」
「なんなんだその理由は!いやそもそもだな、俺は貴方に先生になってもらいたいのを諦めたつもりはないぞ!」
「早急に諦めなさい。絶対にやだから」
「そこをなんとか……!」

 ……テーブルを挟んで、またこの応酬が始まってしまった。

「ちょ、ちょっと2人とも……」

 止めようとするけれど、やっぱりどんどん勢いが出てきてしまっている。
 どうしよう……とだいぶ疲れを感じながら頭を抱えたくなったところで、コンコンと聞き慣れたノック音が面談室に響いた。

「お待たせいたしました、ロイアーです……!」

 多少息切れたような彼女の声がした瞬間、ぱっと至近距離で紅いマナの粒子が煌めいた。

「!」

 振り向けば、魔術で呼び出したのだろうか、いつもの黒いローブを羽織って、すっぽりとフードを被る焔さんの姿。

「どうぞ、入って」
「あ、おい……!」

 焔さんの声に応じて、扉が開く。
 隙間からするりと部屋に入り込んできたアルトは、やれやれと溜息を吐きながら私の膝の上へと飛び乗ってきた。
 面談室についてすぐ、焔さんに指示されてシャーロットを呼びに行っていた相棒は、疲れたと言わんばかりに膝の上で丸くなる。
 完全に開いた扉から室内にいる顔ぶれを確認したシャーロットは、こちらもアルトに負けず劣らず、疲れ切ったという表情で軽く頭を抱えてしまった。

「……申し訳ありません。どなたか、この状況をご説明頂けませんでしょうか?」

 彼女の苦労が透けて見えるようで、なんだか申し訳なくなってしまった。



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