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第1章 大賢者様の秘書になりました
36.休日は城下街で<4>
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「えっ……あ、え、えっと、その」
突然過ぎて言葉が出てこない。軽く頭が真っ白になって、パニック状態だ。
お、落ち着け私。
「え、えっと、まだ、決めていなくて、その……」
しどろもどろになりながらも、ちらりとショーケースへと視線を移す。
それを見たスタッフは、再度こちらに頭を下げた。
「そちらのショーケースのものは、我が商会にて扱っておりますマナペンの中で最高級の品質のものでございます。宝石も金属も稀少なものを使用しておりまして、大変に高額な商品となっております。……失礼ですが、お嬢様のような方が普段遣いされるのでしたら、もっとお手頃なものも御座いますが」
あああやっぱりそうなるよね!
焔さんだって大賢者として来たわけじゃないし、私みたいな一般人がとんでもなく高い商品見てたって買えないってそう思うよね……!
マナペンも一本に決まったわけでもないし、大賢者本人だと明かすこともなく穏便に買うにはどうしたらいいのか、なんて考えていなかった。
あわあわと焦る私の肩にそっと触れて、焔さんが微笑んだのはその時だった。
「ああ、失礼を致しました。リリー様はまだあまり世間慣れしていなくて。ご心配頂いてしまいましたが、我々は、そちらのマナペンを購入しようと品選びをしていたのですよ」
突然何を言い出すのかと一瞬驚いたものの、焔さんの考えがわかるまで邪魔をしてはいけないと思い直して口を噤む。
焔さんはそのままそっとスタッフへと歩み寄って、こそこそと小声で耳打ちした。
「……実は、リリー様はあの大賢者殿の秘書でして。本日はお忍びで、大賢者殿の代理としてマナペンの購入に来たのです。私はリリー様の供をしております」
ほぼほぼ間違ってはいない。間違ってはいないけれど、その耳打ちしてるのが本当は大賢者本人なんです……っ。
青くなりながら事の次第を見守る私の前で、耳打ちされたスタッフは一瞬はっと身を引いたが、さすがは貴族フロアの担当というべきか。
それ以上は特に慌てた様子もなく、静かに問いかけられた。
「左様でしたか。大変失礼致しました。そういうことでしたら購入のために別室へご案内致します。……それと、申し訳ないのですが、念のためマナジェムの確認をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「リリー様」
促されるように焔さんの笑みを向けられて、もうなるようになってくれという気持ちでマナジェムを差し出す。
宝石の奥、台座に刻まれた大賢者の紋章を確認して、スタッフは今までで一番深く頭を下げた。
「確認致しました。すぐに別室のご用意をして参りますので、この場で少々お待ちくださいませ」
「……はい」
スタッフは走るでもないのに、すごい勢いでバックヤードへと下がっていく。
その後ろ姿を見送った後で、私は焔さんへと視線を向けた。
「……ちょっと、焔さん。どうなさるんですかこれ……」
「どうって、買い物でしょ?」
相変わらずのご機嫌な顔に、もう溜息しかでなくなってくる。
「シャーロット達が気を利かせてくれたのに。もう……」
「ごめんごめん。このマナペン欲しかったからさ。あ、梨里さん、さっきこれとこれで迷ってたよね?」
「そうですけど、よくわかりましたね」
「随分と真剣に見てたからね。大丈夫、あとの買い物は僕がやりとりするから、あまり気負わないで」
「そんな……なんだか大事になってる気がするんですけど……」
泣きそうな声で言う私の頭を、そんなにこにこ顔のまま撫でたって慰めになりませんよ……。
「リリー?あの、先ほどスタッフの方とお話していたようですけれど……」
「シャーロット!」
がっくり肩を落とす私と、その頭を撫でる焔さんという図式になっていた時。
いつの間に会計を終わらせたのか、背後から声を掛けてきたシャーロットに思わずがばりと飛びついた。
「シャーロット、助けて!」
「え?!」
「なんだなんだ、なんかあったのか?」
合流したシャーロットとオリバーに簡単に事の次第を説明する間も、焔さんはにこにことショーケースの中を見つめている。
説明が済むと、シャーロットは小さく溜息を吐いた。
「イグニス様、そんなにそのマナペンが気に入りましたの?」
「うん、せっかくこんなところまで来たし、いいなって」
「貴方がそう仰るなら、仕方ありませんわね。リリー、私も一緒に参りますから、イグニス様のお買い物は頑張りましょう?」
「シャーロット、来てくれるの?」
「ええ、リブラリカの副館長として私も貴女の付き添いだといえば、大丈夫だと思いますわ」
そう言ってシャーロットの手が背をゆるゆると撫でてくれるので、少し落ち着いてくる。
彼女がいてくれるのなら、なんとか耐えられそうだ。
「うん、ありがとうシャーロット……」
ほっとしてお礼をいうと、何故かシャーロットは苦笑していた。
「どういたしまして。……でもリリー、ひとつよろしくて?今日はまだ突発だったとはいえ、貴女はイグニス様の秘書なのですから、イグニス様のためのこういったことも、本当は貴女の仕事なのですわよ。こんなときこそしゃんとしなければだめですわ」
諭すような優しい彼女の言葉を聞いて、はっとした。
休日に、みんなで遊んでいるだけの感覚でいたから、そんなふうに考えられなかったけれど……、彼女の言う通りだ。
私は焔さんの秘書としてこちらの世界で働いていて、今だってそのお陰で、こうして友人たちと買い物を楽しめているのだ。
このマナペンの買い物だって、大賢者が直々に買い物をするという大事にならないために、焔さんはさっき、大賢者の秘書という立場をスタッフに伝えたのだろう。
あんまりにも高額な買い物だというから、それですっかり動揺してしまって、大事なことを忘れてしまっていた。
……こんなことじゃ私、焔さんの秘書としてまだまだだ。
焔さんの、大賢者の秘書として立派になりたいと心に決めたのに、こういうときにしっかりできないようでは全然役に立てていない。
「そう、だよね。……ごめんなさい、イグニス様。私……」
謝ろうと声を掛けるけれど、上手く言葉が出てこない。
そんな私に、焔さんはちょっとだけ困ったような表情で頷いた。
「いや、僕も急で、困らせてしまってごめんね、梨里さん。もうちょっと付き合ってね」
申し訳なさそうに言われた言葉が、思ったよりも深く胸に刺さった。
――そのあと、このお店から出るまでのことを、私は正直良く覚えていない。
友人と出かけるということにすっかり舞い上がってしまって、肝心な時にきちんと振る舞うことができなかった。
その事実が重くて、スタッフの人が迎えに来て、別室でマナペンの購入話が進む間もだいぶ上の空でいた気がする。
この3週間ほど。
シャーロットから沢山のことを学んで、来週末に迫っている舞踏会に備えて、自分なりに一生懸命頑張ってきた。
多少は自信がついているつもりでいたのだ。
そう、ただその「つもり」だっただけという話なのだけど。
身構えているときだけ、学んだことを学んだとおりにできるようでは意味がない。
こちらの世界にいる間の私は、休日だろうと平日だろうと、大賢者の秘書という立場であることに変わりないのだ。
どんな時でもしっかりとそのように振る舞える私でなければ、あの時なりたいと思った私とは言えない……と思うのだ。
……さっきの、焔さんの申し訳なさそうにした表情と言葉が、何度も脳裏にちらついて、その度に胸が苦しい。
がっかり、されてしまっただろうか。
そんなことを思って、さらに心が重くなる。
貴族の世界も、大賢者の秘書なんて立場も、全て私にとって非日常なのだから動揺したって仕方ない。すぐすぐ立派になんて振る舞えるはずがない。
そんなふうに考えてしまう私もいるのはわかっている。
自分に自信なんてないし、無理だよって思うけれど。
――それでも、焔さんに憧れて、彼の秘書として立派な人になりたいと思ったこの気持ちは、すぐに放り出してしまうような軽いものではなかったはずなのだ。
まだまだ未熟な自分が悔しい。
いつの間にか文具店を後にして、お昼を食べようとみんなで馬車に戻って移動を始めている中。
私は会話に参加もせずに、ぼうっと窓の外を眺めていた。
「…………」
シャーロットが無言でオリバーを見れば、彼からも言葉のない視線が返ってきた。
リリーがわかりやすく落ち込んでしまっている。
この3週間ほど、一番近くでリリーの頑張りを見守ってきたシャーロットには、窓の外を眺めながら小さく拳を握りしめている彼女の悔しさが伝わってくる気がした。
まるで昔の自分を見ているようで、軽く胸が痛む。
しかし、ここで彼女に軽い言葉を投げかけて励ますのは、なんだか違う気がした。
これはきっと、彼女自身が乗り越えなくてはならない感情だ。
だからこそ、ここで私は別の言葉を掛ける。
「ねぇ、リリー。お腹空きません?」
「……え?」
そっと彼女の膝の上、握られた拳に手を触れると、指先が冷たくなっていることにまた少し心が痛む。
ちょっと間があってからこちらを振り返ったリリーは、それでもしっかりとこちらを見ていた。
「あ、ごめんねシャーロット。どうかした?」
「いいえ。そろそろお昼時でしょう?お腹空きませんか?」
「お腹……そう、だね。空いたかも」
「では、そろそろお昼に致しましょうか。ブリックス、貴方良い場所ご存知ありません?……せっかくですから、食堂やカフェのような場所もいいかもしれませんわ」
さりげなく付け加えた言葉の意味を、オリバーは正確に受け取ってくれたようだった。
ふむ、としばらく考え込むようにしたあと、首を傾げて見せる。
「そうだなぁ……。なぁ、イグニス様とリリーは、甘い物とがっつりしたものならどっちの気分?」
「甘い物とがっつり、か。……僕、今日朝食抜いちゃったからがっつりしたものがいいかも」
オリバーの問いにイグニス様はそう応えて、自然にリリーへと話題を振った。
「リリーはどう?」
「……そう、ですね。私は……お腹すいちゃったから、しっかり食べたいです」
ちょっと悩みながらも、リリーは微笑みそんなふうに応えてくれる。
そのことにほっとしながら、シャーロットは明るい声で言った。
「私も、歩き回ったのでしっかりしたものが食べたいですわ。ブリックス、御者に伝えてもらってよろしくて?」
「おう」
馬車についている小窓を開けて、オリバーが御者へと行き先を説明するのを眺めながら、シャーロットはそっとリリーの方へ身を寄せた。
「しっかり食事しましたら、午後はアクセサリーを選びに参りましょうね。私、とても楽しみにしていたんですから」
「私も楽しみにしてたよ」
そんなやりとりをしながら寄り添う2人を、オリバーはちらりと横目で見て深く息を吐いた。
――先ほど、文具店を出てすぐの時。
リリーに寄り添うシャーロットに後ろからのんびりついて歩いていたら、横から小さく声を掛けられた。
「……オリバー」
「ん?」
振り向けば、前を歩くリリーを見つめながら、ちょっと困ったように眉尻を下げたイグニスが立ち止まっていた。
「傷つけてしまっただろうか」
ぽつりと呟かれたそれが意外で、ふとこちらも足を止める。
「んー……。どうだろうな」
「失敗しちゃったかな」
大賢者だと聞いていたけれど、頼りなさげにこんな事を言う姿を見てしまえば、あまり年の違わない青年にしか見えない。
何となく親近感を感じて、落ちている肩をぽんと叩いた。
「色々難しいかもしれないけどさ。リリーいつもあんなに頑張ってるんだから、そう簡単にあんたの事、嫌いになんてならないんじゃないか?」
「そう……かな」
「俺はそう思うけどなー」
ひらりと手を振って、今度こそシャーロット達を追いかけ馬車に乗り込む。
振り返った大賢者は、買ったばかりの包みをしばらく見つめた後、ゆっくりと馬車に向かって歩いてきていた。
突然過ぎて言葉が出てこない。軽く頭が真っ白になって、パニック状態だ。
お、落ち着け私。
「え、えっと、まだ、決めていなくて、その……」
しどろもどろになりながらも、ちらりとショーケースへと視線を移す。
それを見たスタッフは、再度こちらに頭を下げた。
「そちらのショーケースのものは、我が商会にて扱っておりますマナペンの中で最高級の品質のものでございます。宝石も金属も稀少なものを使用しておりまして、大変に高額な商品となっております。……失礼ですが、お嬢様のような方が普段遣いされるのでしたら、もっとお手頃なものも御座いますが」
あああやっぱりそうなるよね!
焔さんだって大賢者として来たわけじゃないし、私みたいな一般人がとんでもなく高い商品見てたって買えないってそう思うよね……!
マナペンも一本に決まったわけでもないし、大賢者本人だと明かすこともなく穏便に買うにはどうしたらいいのか、なんて考えていなかった。
あわあわと焦る私の肩にそっと触れて、焔さんが微笑んだのはその時だった。
「ああ、失礼を致しました。リリー様はまだあまり世間慣れしていなくて。ご心配頂いてしまいましたが、我々は、そちらのマナペンを購入しようと品選びをしていたのですよ」
突然何を言い出すのかと一瞬驚いたものの、焔さんの考えがわかるまで邪魔をしてはいけないと思い直して口を噤む。
焔さんはそのままそっとスタッフへと歩み寄って、こそこそと小声で耳打ちした。
「……実は、リリー様はあの大賢者殿の秘書でして。本日はお忍びで、大賢者殿の代理としてマナペンの購入に来たのです。私はリリー様の供をしております」
ほぼほぼ間違ってはいない。間違ってはいないけれど、その耳打ちしてるのが本当は大賢者本人なんです……っ。
青くなりながら事の次第を見守る私の前で、耳打ちされたスタッフは一瞬はっと身を引いたが、さすがは貴族フロアの担当というべきか。
それ以上は特に慌てた様子もなく、静かに問いかけられた。
「左様でしたか。大変失礼致しました。そういうことでしたら購入のために別室へご案内致します。……それと、申し訳ないのですが、念のためマナジェムの確認をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「リリー様」
促されるように焔さんの笑みを向けられて、もうなるようになってくれという気持ちでマナジェムを差し出す。
宝石の奥、台座に刻まれた大賢者の紋章を確認して、スタッフは今までで一番深く頭を下げた。
「確認致しました。すぐに別室のご用意をして参りますので、この場で少々お待ちくださいませ」
「……はい」
スタッフは走るでもないのに、すごい勢いでバックヤードへと下がっていく。
その後ろ姿を見送った後で、私は焔さんへと視線を向けた。
「……ちょっと、焔さん。どうなさるんですかこれ……」
「どうって、買い物でしょ?」
相変わらずのご機嫌な顔に、もう溜息しかでなくなってくる。
「シャーロット達が気を利かせてくれたのに。もう……」
「ごめんごめん。このマナペン欲しかったからさ。あ、梨里さん、さっきこれとこれで迷ってたよね?」
「そうですけど、よくわかりましたね」
「随分と真剣に見てたからね。大丈夫、あとの買い物は僕がやりとりするから、あまり気負わないで」
「そんな……なんだか大事になってる気がするんですけど……」
泣きそうな声で言う私の頭を、そんなにこにこ顔のまま撫でたって慰めになりませんよ……。
「リリー?あの、先ほどスタッフの方とお話していたようですけれど……」
「シャーロット!」
がっくり肩を落とす私と、その頭を撫でる焔さんという図式になっていた時。
いつの間に会計を終わらせたのか、背後から声を掛けてきたシャーロットに思わずがばりと飛びついた。
「シャーロット、助けて!」
「え?!」
「なんだなんだ、なんかあったのか?」
合流したシャーロットとオリバーに簡単に事の次第を説明する間も、焔さんはにこにことショーケースの中を見つめている。
説明が済むと、シャーロットは小さく溜息を吐いた。
「イグニス様、そんなにそのマナペンが気に入りましたの?」
「うん、せっかくこんなところまで来たし、いいなって」
「貴方がそう仰るなら、仕方ありませんわね。リリー、私も一緒に参りますから、イグニス様のお買い物は頑張りましょう?」
「シャーロット、来てくれるの?」
「ええ、リブラリカの副館長として私も貴女の付き添いだといえば、大丈夫だと思いますわ」
そう言ってシャーロットの手が背をゆるゆると撫でてくれるので、少し落ち着いてくる。
彼女がいてくれるのなら、なんとか耐えられそうだ。
「うん、ありがとうシャーロット……」
ほっとしてお礼をいうと、何故かシャーロットは苦笑していた。
「どういたしまして。……でもリリー、ひとつよろしくて?今日はまだ突発だったとはいえ、貴女はイグニス様の秘書なのですから、イグニス様のためのこういったことも、本当は貴女の仕事なのですわよ。こんなときこそしゃんとしなければだめですわ」
諭すような優しい彼女の言葉を聞いて、はっとした。
休日に、みんなで遊んでいるだけの感覚でいたから、そんなふうに考えられなかったけれど……、彼女の言う通りだ。
私は焔さんの秘書としてこちらの世界で働いていて、今だってそのお陰で、こうして友人たちと買い物を楽しめているのだ。
このマナペンの買い物だって、大賢者が直々に買い物をするという大事にならないために、焔さんはさっき、大賢者の秘書という立場をスタッフに伝えたのだろう。
あんまりにも高額な買い物だというから、それですっかり動揺してしまって、大事なことを忘れてしまっていた。
……こんなことじゃ私、焔さんの秘書としてまだまだだ。
焔さんの、大賢者の秘書として立派になりたいと心に決めたのに、こういうときにしっかりできないようでは全然役に立てていない。
「そう、だよね。……ごめんなさい、イグニス様。私……」
謝ろうと声を掛けるけれど、上手く言葉が出てこない。
そんな私に、焔さんはちょっとだけ困ったような表情で頷いた。
「いや、僕も急で、困らせてしまってごめんね、梨里さん。もうちょっと付き合ってね」
申し訳なさそうに言われた言葉が、思ったよりも深く胸に刺さった。
――そのあと、このお店から出るまでのことを、私は正直良く覚えていない。
友人と出かけるということにすっかり舞い上がってしまって、肝心な時にきちんと振る舞うことができなかった。
その事実が重くて、スタッフの人が迎えに来て、別室でマナペンの購入話が進む間もだいぶ上の空でいた気がする。
この3週間ほど。
シャーロットから沢山のことを学んで、来週末に迫っている舞踏会に備えて、自分なりに一生懸命頑張ってきた。
多少は自信がついているつもりでいたのだ。
そう、ただその「つもり」だっただけという話なのだけど。
身構えているときだけ、学んだことを学んだとおりにできるようでは意味がない。
こちらの世界にいる間の私は、休日だろうと平日だろうと、大賢者の秘書という立場であることに変わりないのだ。
どんな時でもしっかりとそのように振る舞える私でなければ、あの時なりたいと思った私とは言えない……と思うのだ。
……さっきの、焔さんの申し訳なさそうにした表情と言葉が、何度も脳裏にちらついて、その度に胸が苦しい。
がっかり、されてしまっただろうか。
そんなことを思って、さらに心が重くなる。
貴族の世界も、大賢者の秘書なんて立場も、全て私にとって非日常なのだから動揺したって仕方ない。すぐすぐ立派になんて振る舞えるはずがない。
そんなふうに考えてしまう私もいるのはわかっている。
自分に自信なんてないし、無理だよって思うけれど。
――それでも、焔さんに憧れて、彼の秘書として立派な人になりたいと思ったこの気持ちは、すぐに放り出してしまうような軽いものではなかったはずなのだ。
まだまだ未熟な自分が悔しい。
いつの間にか文具店を後にして、お昼を食べようとみんなで馬車に戻って移動を始めている中。
私は会話に参加もせずに、ぼうっと窓の外を眺めていた。
「…………」
シャーロットが無言でオリバーを見れば、彼からも言葉のない視線が返ってきた。
リリーがわかりやすく落ち込んでしまっている。
この3週間ほど、一番近くでリリーの頑張りを見守ってきたシャーロットには、窓の外を眺めながら小さく拳を握りしめている彼女の悔しさが伝わってくる気がした。
まるで昔の自分を見ているようで、軽く胸が痛む。
しかし、ここで彼女に軽い言葉を投げかけて励ますのは、なんだか違う気がした。
これはきっと、彼女自身が乗り越えなくてはならない感情だ。
だからこそ、ここで私は別の言葉を掛ける。
「ねぇ、リリー。お腹空きません?」
「……え?」
そっと彼女の膝の上、握られた拳に手を触れると、指先が冷たくなっていることにまた少し心が痛む。
ちょっと間があってからこちらを振り返ったリリーは、それでもしっかりとこちらを見ていた。
「あ、ごめんねシャーロット。どうかした?」
「いいえ。そろそろお昼時でしょう?お腹空きませんか?」
「お腹……そう、だね。空いたかも」
「では、そろそろお昼に致しましょうか。ブリックス、貴方良い場所ご存知ありません?……せっかくですから、食堂やカフェのような場所もいいかもしれませんわ」
さりげなく付け加えた言葉の意味を、オリバーは正確に受け取ってくれたようだった。
ふむ、としばらく考え込むようにしたあと、首を傾げて見せる。
「そうだなぁ……。なぁ、イグニス様とリリーは、甘い物とがっつりしたものならどっちの気分?」
「甘い物とがっつり、か。……僕、今日朝食抜いちゃったからがっつりしたものがいいかも」
オリバーの問いにイグニス様はそう応えて、自然にリリーへと話題を振った。
「リリーはどう?」
「……そう、ですね。私は……お腹すいちゃったから、しっかり食べたいです」
ちょっと悩みながらも、リリーは微笑みそんなふうに応えてくれる。
そのことにほっとしながら、シャーロットは明るい声で言った。
「私も、歩き回ったのでしっかりしたものが食べたいですわ。ブリックス、御者に伝えてもらってよろしくて?」
「おう」
馬車についている小窓を開けて、オリバーが御者へと行き先を説明するのを眺めながら、シャーロットはそっとリリーの方へ身を寄せた。
「しっかり食事しましたら、午後はアクセサリーを選びに参りましょうね。私、とても楽しみにしていたんですから」
「私も楽しみにしてたよ」
そんなやりとりをしながら寄り添う2人を、オリバーはちらりと横目で見て深く息を吐いた。
――先ほど、文具店を出てすぐの時。
リリーに寄り添うシャーロットに後ろからのんびりついて歩いていたら、横から小さく声を掛けられた。
「……オリバー」
「ん?」
振り向けば、前を歩くリリーを見つめながら、ちょっと困ったように眉尻を下げたイグニスが立ち止まっていた。
「傷つけてしまっただろうか」
ぽつりと呟かれたそれが意外で、ふとこちらも足を止める。
「んー……。どうだろうな」
「失敗しちゃったかな」
大賢者だと聞いていたけれど、頼りなさげにこんな事を言う姿を見てしまえば、あまり年の違わない青年にしか見えない。
何となく親近感を感じて、落ちている肩をぽんと叩いた。
「色々難しいかもしれないけどさ。リリーいつもあんなに頑張ってるんだから、そう簡単にあんたの事、嫌いになんてならないんじゃないか?」
「そう……かな」
「俺はそう思うけどなー」
ひらりと手を振って、今度こそシャーロット達を追いかけ馬車に乗り込む。
振り返った大賢者は、買ったばかりの包みをしばらく見つめた後、ゆっくりと馬車に向かって歩いてきていた。
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