大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第1章 大賢者様の秘書になりました

37.休日は城下街で<ランチタイム編>

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 なんとも言えない雰囲気のまま、馬車はそう遠くない場所で停まった。
 当たり前のように微笑みながら手を差し出してくれる焔さんの姿に、ちょっとだけ苦い物を感じながらぎくしゃくと馬車を降りる。
 そこは大きめな路地の途中のようだった。

「今日のランチは、あそこの店行くぞー」

 そう言って歩き出したオリバーの向かう先には、ファンタジーでよくありそうな木造のログハウスのような建物があって、路地に面したテラス席で多くの人が食事を楽しんでいるようだった。
 きょろきょろしながら店内に入ると、先導しているオリバーがバーカウンターのようなところへ向かって、周りのざわめきに負けないよう大きな声を掛けた。

「マスター!奥の席空いてるー?」
「あらやだ、オリバーちゃんじゃない!」

 返ってきたのは、図太いのに女性のようなしなのある、男性の声。
 え、と店内の人混みの中見回すと、店の奥でやたらとがたいの良い禿頭の男性がこちらに向けて手を振っていた。
 何となく化粧をしているように見えるのも、気のせいではないと思う。

「久しぶり~!いらっしゃい、今日は何人なの?」
「久しぶり、4人なんだけど大丈夫か?」
「そうね、奥の部屋ひとつ空いてるから、そこ使って頂戴」
「ありがとー」
「ゆっくりしていってね~ん」

 ……取り敢えず、何というかどこの世界にもこういう人っているんだな、という印象だった。
 マスターの笑顔に見送られながら、沢山のテーブルの間を店の奥に向かって歩いて行く。
 客層はほぼ一般市民のようで、たまに商人らしき服装の人や下位貴族くらいに見える客もちらほら。
 オリバーの案内で来る店だから、何となく貴族御用達のレストランのような場所を想像していたけれど、どちらかといえばこれは大衆食堂のようだ。
 途中で大きな階段を上がると、店の奥は分厚い垂れ布の仕切りがある個室のような空間になっているようだった。
 その端に空いている場所を見つけて、ようやっと4人腰を下ろす。
 木製のテーブルは荒削りの円形で、椅子はなんとなく座り心地の良い木彫りに、布が貼られた物。奥側の壁沿いの部分は長椅子状になっていて、シャーロットと寄り添って座るとほっと一息つけた。
 テーブルの上のマナランタンが明るくて、階下のざわざわとした活気も相まって明るい雰囲気に包まれる。
 少し落ち込んだ心でも揺らされる程に、目新しい場所にそわそわしていた。

「ここは『あひるのくちばし亭』っていう酒場なんだけど、あの通りマスターと女将さんが夫婦でやってる店でさ、料理がめちゃくちゃ旨いんだ」

 オリバーがにこにこと自慢げに言った丁度その時、分厚い垂れ幕を持ち上げて、小柄な女性が入ってきた。

「あら、嬉しいこと言ってくれちゃってどーも」

 私よりも小柄な女性はきっちり化粧をしたとても美しい人で、高い位置で一つに結った艶やかな黒髪を揺らして満足そうに笑った。

「オリバーも久しぶりね。お友達?」
「うん、そう。女将さん元気そうだな」
「ええ。こんなに繁盛してるからねぇ、忙しい限りよ」

 オリバーと笑顔で会話を交わすこの人が、あのマスターの奥さんなのか。
 彼女は私たちの方へもにっこり綺麗な笑顔を向ける。

「初めまして、ここの女将のシェリーだよ。オリバーが言ってくれたように、うちは旨い料理が自慢でね。今日はゆっくりしてってね」

 その後、女将さんは注文を取ると軽やかな足取りで個室を出て行った。
 料理を待つ間にも、きょろきょろと部屋の中を見回してしまう。
 壁に掛けられたステンドグラスのような飾りはきらきらして綺麗だし、テーブルクロスや仕切りに使われている布は、濃い色の何色もの糸で織られていて、雰囲気がどこかウェスタンっぽくも思える。

「……ここは、一般市民の皆様が多いお店なのですわね」

 ちょっとだけ固い声が聞こえて隣を見れば、どこかそわそわとしたシャーロットが所在なげな顔をしていた。

「あーそうだな。シャーロットはこういう店はあんまり来ないか」
「ええ、慣れないですけど……何というか、すごく新鮮ですわね」
「ちょっと騒がしいかもしれないけど、慣れるよ。ほんとに飯は美味しいからさ」

 慣れた様子で水を飲みながら寛ぐオリバーの隣では、焔さんも私と同じように、きょろきょろと室内を見回しているようだった。
 そんな焔さんを見て、オリバーは楽しそうに頬杖をつく。

「イグニス様も、こういう店は慣れない?」
「いや……一応僕も出掛けることはあるからね。こういった場所も全く馴染みがないわけではないんだけど……。このオルフィードにこういう店があるっていうのは知らなかったから、なかなか興味深いんだ」
「引きこもってばかりですものね。……もしかしたら、今日のようにお忍びされていたこともあったのかもしれませんが」

 ちらりとシャーロットに疑わしい目を向けられても、焔さんは相変わらずの爽やかな笑顔でふふ、と笑う。

「いやいや、先週にリリーと出掛けるまで、オルフィードには本当に出たことがなかったんだよ。800年も経つと、街も国もがらりと変わる物だよねぇ」
「……今さらりと仰いましたけど、800年って……。あの、イグニス様、その外見って……」

 ほけほけとした焔さんに、恐る恐るシャーロットが切り出した質問に、オリバーと私もごくりと唾を飲み込んでいた。
 シャーロット、良く聞いてくれた……!
 いつ見ても若々しく、外見だけならオリバーと年の変わらないように見える焔さん。
 ――果たしてその外見は、何かの魔術によるものなのか、元々なのか。
 私でもふと考えたことのあるその疑問に、その場の視線が焔さんへと集中するけれど。

「……知りたい?」

 当の本人は思わせぶりににやりと笑ったあと、一口水を飲んでからふふっと笑みを漏らした。

「まぁ、面白いことなんて何もないんだけどね。特に魔術でどうこうしているわけじゃないんだよ。僕ら賢者っていう生き物は、みんな外見の年齢が止まってしまうみたいなんだ。勿論、魔術で見た目を変えることもできるけど、僕は取り立てて何かしてるって訳じゃないんだよ」

 たまに年を感じる時もあるけどねぇ、なんて言いながらほけほけ笑う焔さんだが、私たち3人は顔を見合わせて、その本当か嘘かも分からない言葉についてしばらく考え込んでしまった。
 そんな話題から間もなくして。
 再び現われた女将さんが料理を運んできてくれた。
 元から大きなテーブルが、沢山の料理でいっぱいに埋め尽くされる。
 湯気を立てる淡い色のクリームスープ、香ばしい香りをさせながら、たまにぱちぱちと音を立てるスパイシーな香りの何かの骨付き肉のグリルに、彩り鮮やかで新鮮なサラダにはきらきらした透明のドレッシングが掛かっている。他にも真っ赤なトマトソースのパスタみたいな見た目のものや、焼きたてのパンがたっぷり詰まったバスケットに、添えられたバター、大きなボトルに詰まった爽やかな香りのフルーツジュース。
 目を楽しませる彩りと食欲を刺激される香りに視覚と嗅覚を刺激されて、先ほどまでより激しく空腹を感じた。

「さあ、存分に食べてっておくれよ!」

 という女将さんの明るい声に、私もみんなに釣られるようにしてわあっと声を上げていた。
 用意された料理は酒場らしくどれも大皿で、食べたいものを自分の器に取り分けてのランチタイムが始まった。
 みんなで声を掛け合って取り分けをして、たっぷりとフルーツジュースを注いだグラスを軽くぶつけ合う。

「乾杯!」

 始めに口をつけたフルーツジュースはとても濃厚で、空きっ腹に沁み渡っていく感覚が心地良かった。
 小さな器に取り分けたサラダをそっと口に入れれば、あっさりフルーティなビネガー風味のドレッシングで、いくらでも食べられてしまいそうなほど旨味がある。

「ん……!これ、すごく美味しい……っ!」

 思わず声を上げてしまうほど、口の中に広がる味が濃くて美味しくて、後を引いてくる。

「本当ですわ……こんなに美味しいなんて」

 隣でも同じように驚いているシャーロットがいて、私たちは互いにきらきら輝く目で顔を見合わせた。

「本当だ……。モニカの料理にも負けないくらい美味しいね」
「それは最高の褒め言葉だな。イグニス様の口にも合ったようで何よりだ」

 テーブルの反対側では、焔さんとオリバーが似たような会話をしながらサラダを頬張っていて、なんとなくほっとした気持ちになった。
 クリームスープは意外とあっさりしていてさらさらで、野菜の旨味が詰まっているのに飲みやすく、危うくお腹がたぽたぽになるところだったし、スパイシーな香りのする骨付き肉は肉汁がたっぷりで、なのに脂っこすぎない柔らかいお肉についつい何度も手が伸びてしまいそうだ。
 バケットは塩気があってそのままでも、スープにつけても美味しいし、添えられていたバターには何種類かの香草が練り込んであって、それをつけてもまた違った味が楽しめていつまででも食べていられそうな気持ちになってくる。
 真っ赤なソースのパスタは少しだけ平べったくてもちっとしていて、ソースにはトマトのように酸味が利いていて、一緒に煮込まれた野菜やミートボールとも、もの凄く相性が良い。
 ちょっとフルーツジュースで小休憩しながらテーブルを見回せば、食べきれないくらいの量あったはずの料理たちはこの短時間で大分減っていた。

「んー!やっぱりここのグリルめっちゃくちゃ美味しいよなー!」

 骨付き肉にかぶりつきながら幸せそうにしているオリバーの横で、焔さんは手元の皿にパスタを山にしている。
 男性陣がどちらも大分大食らいなようで、料理を残す心配はいらなそうだった。
 ふと、その時焔さんがきょろきょろとテーブルの上を見回すのに気づいて、何となくの直感でパンの入ったバスケットに手を掛ける。

「あ、マスター、パンですか?」
「!うん、とって貰っても良い?」
「はい。……気をつけてくださいね」
「ん、ありがとうリリー」

 どうやら勘は当たっていたらしい。
 バスケットを手渡すと、焔さんはにこっといつも通りに笑顔を向けてくれる。
 食事中にこういうやりとりをするのは、リブラリカで食事をしている時にもよくあることなのだけれど。
 この時のいつも通りが何故か、今の私にはすごくほっとするものに思えた。
 ……焔さんに、いつも通り接してもいいのかな。
 さっきあんな失敗をしたばかりなのに。
 そんな風に思う気持ちが、ほんのちょっと解けたような感覚に、知らないうちに力の入っていた肩が少しだけ軽くなったような気がした。

「リリー、この白いパン食べた?」

 そんな風に焔さんから振られる話題にも、今度はあまりぎくしゃくせずに応えられる気がする。

「食べました!もちもちしてて美味しかったです」
「そうだよね。この食感癖になるなぁ」
「あ、そういえば、そっちの茶色のパン、スープにつけるとすごく美味しかったですよ」
「え、本当?ちょっと食べてみようかな」

 うん、大丈夫。いつも通り会話できてる。
 そんな様子を、シャーロットとオリバーがほっとしながら眺めていた。




 気がつけば、テーブルの上には綺麗に空になった食器ばかりが並んでいて、ちょっと苦しいくらいのお腹をさすりながら幸せ気分に浸っていた。
 こんな風に食べ過ぎたことにさえ気づかないくらい美味しい料理なんて、今まであっただろうか。
 頃合いを見たかのように再び現われた女将さんは食器を回収して、温かな香りの良いお茶を用意していってくれた。
 添えられた小さなフルーツの乗ったプリンも美味しくて、食後の幸せ気分がさらにふわふわと大きくなる。

「はぁ~……幸せ」
「本当に幸せですわ。こんな美味しいお店があったなんて……」
「喜んでもらえたようで何よりだよ」

 幸せに浸る女性ふたりに、オリバーは満足そうに笑う。

「もうちょっと休憩したら、今度はお前たちの買い物行くんだろ?まだまだ頑張らないとな」
「ですわね。幸せ気分も補充したことですし、午後は張り切ってアクセサリー選びしませんと」
「うん、張り切っていこうね」

 後味のすっきりした甘いプリンが、とろりと口の中で蕩けていく。
 あんなことがあった後だけど、みんなで楽しみに来てる以上、あまり長くひとりで落ち込んでいるわけにもいかない。
 美味しい食事で自然に気分転換できたことに、私は心の中でオリバーへと感謝した。



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