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第1章 大賢者様の秘書になりました
38.休日は城下街で<5>
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昼食を終えて、マスターと女将さんの素敵な笑顔に見送られながらあひるのくちばし亭を後にした私たちは、再びシャーロットの馬車に乗り込んで移動を始めた。
午後の予定は、いよいよ次の週末に迫っている王家主催の舞踏会用のアクセサリー選びだ。
数時間前よりも緩やかな雰囲気の馬車の中で、他愛ない話をしている間にも、馬車はカラカラと音を立てながら目的地へと向かっていく。
あひるのくちばし亭があったのは、広場にほど近い一般市民向けの店が建ち並ぶ路地だったけれど、今向かっているのはたぶん、貴族向けの店舗が連なる路地のほうだろう。
シャーロットの家が贔屓にしている宝石店を、この日の為にわざわざ貸し切りにしたという話をされて、多少顔が引きつったのは内緒だ。
やっぱり、貴族というのはやることが大きいというか、セレブというか。
そんな私の隣で、シャーロットはうきうきと花を飛ばす勢いで笑顔になっている。
「どんなものにしましょうか、リリー?宝石の飾りも良いですが、貴女は控えめなところがありますから、造花をメインにして小さな宝石を散らしたような飾りも映えそうですわね……!」
「えっと、色んなものがあるんだね」
「そうなんですの……!飾りといっても、造花や生花、宝石のものや、リボンやレース……。沢山の素材がありますから、どんなものを身につけるのかも、淑女の腕の見せ所なんですのよ!」
熱の籠もるシャーロットの言葉に、向かいの席に座っているオリバーが苦笑しながら会話に参加してきた。
「まぁまぁ。リリーはアクセサリー選びだって今回が初めてなんだろう?ほどほどにしておいてやれよ」
「ほどほどってなんですの!オリバー、貴方もせっかく来たのですから、協力してもらいますわよ!」
ビシッと人差し指を突きつけるシャーロットに、焔さんがくすくすと笑みを零した。
「だってさ、オリバー。僕らも暇してるわけにはいかないようだよ」
「えぇー……」
オリバーの嫌そうな声に、馬車の中にはまた新しい笑い声が響く。
そんな中、今までより少し長い時間をかけて到着した目的地には、出迎えのスタッフがずらりと並んでいた。
馬車が止まったのは、貴族達が上品に談笑しながらゆったり行き交う、貴族向けの商店が建ち並ぶ大きな路地。
シャザローマがあったのもここと同じような貴族向けの路地だったけれど、それとはまた違う路地のようだ。
馬車から降りるとそこは立派な建物の正面入り口前で、大きな玄関前に5、6人のスタッフが並んでこちらを見つめていて、無意識に後ずさりしそうになる。
――だめだ、しっかりしなくちゃ。
咄嗟にそんな風に考えて、引きそうになる身体をぐっと堪える。
私たち4人が揃って馬車から降り終えると、スタッフ達は揃ってこちらに頭を下げた。
「お待ちしておりました、ロイアー様」
「いつもありがとう。今日もよろしく頼みますわ」
さすがシャーロット、そんな様子に怯むこともなく言葉を掛けて、凜と背筋を伸ばしたまま店内へと案内されていく。
「僕らも行こう、リリー」
「……はい、マスター」
優しく促してくれた焔さんの背中に続いて歩いていく。
できるだけ背筋をまっすぐに伸ばして、歩幅は小さめに。
胸を張って少しだけ俯きがちな視線にすること。
シャーロットとグレアに教えてもらったことを意識して歩く私の足下は、緊張で微かに震えながらも、しっかりと絨毯を踏みしめることができていた。
玄関をくぐると、ホールに店の責任者らしき人物が待っていて、シャーロットといくつか言葉を交わした後、私たちは建物の奥へと案内された。
歩いていく廊下や建物の内装はやはり貴族向けの上品なもので統一されているのだけど、シャザローマとはまた違った雰囲気で、花が多く飾られている。
「こちらのお部屋で御座います」
案内役のスタッフが立ち止まり、奥の方にある大きめの扉を開いた。
通された広めの部屋には、大きな長テーブルにずらりと、きらきらした宝石やリボンたちがところ狭しと並べられていた。
部屋の窓際には、ローテーブルと長椅子にお茶の準備などもされている。
「ありがとう、あとは私たちで選ぶわ」
シャーロットがそう声を掛けると、ここまで案内してくれた男性スタッフが深く頭を下げる。
「承知致しました。他にも、お部屋のあちらに積みました保管箱のものやカタログのお品もご自由にご覧くださいませ。何か御座いましたらお呼びください」
丁寧にそう告げると、スタッフが静かに退室していく。
残されたのは紅茶の良い香りと、物言わず輝くアクセサリーたちと、私たち4人だけ。
「ここを使う時はいつも、自分で選ばせてもらっていますの。……人を呼ばなければ誰も来ませんから、皆さん楽にしてくださってよろしくてよ」
「あ、そうなの?じゃあ遠慮なく」
シャーロットの言葉に、先ほどまできりりとした風でいたオリバーが一瞬で表情を崩した。
ふわあっと欠伸をして長椅子に腰掛け、紅茶を飲んで寛ぎ始めるオリバーに、シャーロットは呆れたように肩を竦める。
「まったく貴方という方は……まぁよろしいですわ。それよりリリー、アクセサリー選び、始めますわよ!」
「うん!」
シャーロットに手を引かれ、豪奢な部屋の中央にあるテーブルへと駆け寄る。
そこには造花も宝石もリボンも、様々な髪飾りやネックレス、ブレスレットとして綺麗に仕立てられて、眩しいくらいに輝きを放ち並べられていた。
ふとテーブルを見回して、見える範囲に並べられているものが赤系か青系のどちらかの色のものになっていることに気づく。
「あれ、シャーロット、これ……」
「気づきまして?予め、貴女と私のドレスの色を伝えておきましたの。ある程度合いそうな色のものばかりのはずです。……この方がまだ選びやすいかと思いまして」
隣で得意げな顔をした友人の心遣いに、じんと心が温かくなるのを感じる。
シャーロットはいつも厳しく指導してくれるけれど、こうした細かな気配りでいつも助けられている。
「ありがとうシャーロット。そんなことまで……」
彼女のこんな一面に出会う度に、私の中の彼女を尊敬する気持ちは大きくなっていく。
彼女の様な立派な女性になりたいと、毎回そう思ってしまうのだ。
シャーロットは照れたように微かに頬を染めながら、綺麗な笑顔を見せる。
「これくらい、なんでもありませんわ。……それよりほら、これなんていかがです?大きめのリボンと宝石の組み合わせですけれど……うーん、ちょっとキラキラすぎるかしら?」
「リボン可愛い……!でも確かに、ちょっと宝石大きいかなぁ。あ、シャーロットこれは?」
「造花ですわね!大きめの薔薇がすごく印象的ですわ。レースも可愛らしいし……」
あっという間に夢中になって、楽しげに品選びを始めた2人を、オリバーと焔は長椅子のほうから温かく眺めていた。
さすが、貴族社会でもトップのロイアー家が贔屓にしている高級宝石店、といったところか。
ローテーブルに用意されていた紅茶は香りがとても良くて、澄んだ色に爽やかな後味が美味しい。
すごく良い茶葉を使っているのだろうと、一口ですぐにわかる程だ。
ふかふかの長椅子に身体を預けながら、楽しそうにアクセサリーを選ぶ梨里とロイアーを眺める。
今日見る梨里の笑顔はどれも自分が向けられたことのないもので、友人といる時の彼女、というなかなか見ることのできない表情を垣間見えるのはとても新鮮だった。
――梨里さんは、友人と一緒だとあんな風に笑うのか。
自分やアルトと一緒の時だって、笑うことくらいあるけれど。いつも見るようなどこか大人びた笑顔ではなく、ぱっと花が咲いたような今の笑顔も彼女らしくていいと思う。
何処かに音楽再生用の魔道具があるのか、微かに耳に届く上品なクラシックも心地良い。
たまにはこんな時間も悪くないな、と、そっと目を閉じた。
……閉じた視界の外から、ふと、梨里さんとロイアーの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
それにゆっくりと引き上げられるように、自分の深い深いところにあった記憶が瞼の裏に浮かんできた。
『ねぇ見て、お兄様!このリボン可愛い!』
『ああ、可愛いな』
『もうっ、もっとちゃんと見てくださいな!何を見せても同じ事ばかり言うじゃありませんか』
『だってなぁ、よくわからんから』
『……もういいですわ。ねっ、先生!これ、このリボン、今夜の青いドレスに似合うかしら?』
『ん?……ああ、いいね。レースとのバランスが良さそうだ』
『やっぱりそう思います?……ほら、お兄様も先生のこと見習ってくださいな!』
『俺にそんなのは無理だって。なぁ、イグニス?お前もそう思うだろ?』
……なんて古い記憶なんだろう。
あの時も確か、はしゃぐ2人の隣で、こうして紅茶を飲んでいて――。
「なぁ、イグニス様」
唐突に正面から掛けられた声に、古く遠い色褪せた光景がふっとかき消えて、意識が浮上した。
開いた視界に映る見慣れない部屋やテーブル、正面に座る赤毛の青年を確認して、今の状況を思い出す。
記憶の光景はまた、深く深く意識の底へと沈んでいった。
「……ああ、すまない。ちょっと考え事をしていた」
「あー、なんか邪魔しちゃったか。悪い」
「構わないよ。どうかしたの?」
目の前でぽりぽりと頭を掻く青年は、紅茶を一口飲んで溜息を吐いた。
この青年――オリバーは、今日一日見ているだけでも、その柔らかい雰囲気や立ち居振る舞いから、傍にいる人間に対してかなり気を遣っていることが分かる。
相手のされて嫌なこと、されて嬉しいことを本能的に感じ取って実行できる人間なのだろう。こういうタイプの人種は、個人的には付き合いやすい相手だ。
先ほど思考を遮られたことについては、構わないと言ったのだけど……彼はまだ少しだけ申し訳なさそうにしながら、ちらりと遠くの女性ふたりを見やって言葉を続けた。
「……その、イグニス様はもちろん、あの2人と舞踏会に出るんだよな?」
「ああ、うん。出席予定だよ。……オリバーは?」
「俺の家には招待状来てるけど、出るのは親父たちだから……俺は行かないんだ」
「意外だな。ブリックスといえば、そこそこの家だと記憶していたけれど」
何か事情でもあるのだろうか。
貴族の家というのは、舞踏会の招待状が届けばその家の息子や娘たちも揃って出席するのが普通だ。
ブリックス家はそこそこ良い家柄のはずなのに、未婚で年頃のオリバーが舞踏会に出ないというのは、ちょっと珍しいことだ。
オリバーは少しだけ居心地悪そうにしつつ、手元の紅茶に視線を落とした。
「まぁ、家はそうなんだけどさ。……これと言った地位も特技もない8男ともなると、割と放置状態で……俺にはそういう話、回ってこないんだよ」
「……なるほど、子供の多い貴族にある話、ということか」
「そういうこと」
やけのように紅茶を煽る姿は粗暴なようにも見えるけれど、その根底に貴族として育てられた芯のようなものがあるのだろう。そんな貴族らしくない仕草でも、どこかに品があるように感じる。
兄弟が多い貴族の家の場合、末子というのはどうにも放置され気味になる傾向がある。
彼は貴族としての教育を受けながらも、ブリックスという家では関心のない存在とされているのだろう。
そして、そんな複雑な立場にある自分の身を、こういう時に悔しく思っているのだろうということが彼の様子から伝わってきた。
……それに。
長椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、ロイアーのほうを見つめる瞳は……なんというか、とてもわかりやすい。
オリバーから見たら、ロイアーは高嶺の花だ。
幼馴染みという過去があろうが、自分の努力だけでは埋められないものがあるのだろう。
彼の様子からそんな複雑な色々を感じたからだろうか。
気がつけば、自分の口から意識すらしていない言葉が飛び出していた。
「……来る?舞踏会」
「……え?」
きょとんと驚いた顔がこちらを向いた。
「名目は……あー、僕の供ってことで、来る?近くに知り合いが多ければ、リリーも安心すると思うんだ」
「え……え、でも、俺……招待状もらってないし……」
「大賢者が連れていきたいと言えば、反対する人なんていないさ。勿論無理にとは言わないけど……ロイアーの着飾った姿、見たいんじゃないの?」
「な……なんで、それ……」
だってわかりやすかったじゃないか、という言葉は飲み込んだ。
「僕、大賢者様だよ?」
にこり、と笑顔をして見せれば、オリバーはぐっと唇を噛んで、がばりとこちらに頭を下げてきた。
「っ頼む……!」
わかった、と頷けば、顔を上げたオリバーは目を潤ませていた。
……こんな引きこもりでも、貴族社会のしがらみやら何やらについて、ある程度は理解しているつもりだ。
何故かは自分でもよくわかっていないけれど、何となく彼を応援したい気持ちになっていた。
ただ、それだけだ。
「歓迎するよ、オリバー。ちゃんと礼服用意しないとね」
「ありがとう、イグニス様……!」
「いつもリリーがお世話になってるんだ。これくらいなんでもないよ。……僕の事も、イグニスで構わないさ」
「……ああ、わかった。本当にありがとう、イグニス」
「どういたしまして」
オリバーに助け船を出したのは本当に気まぐれのようなものだけれど、当日彼が一緒にいることで、リリーも落ち着いて振る舞えるだろうから、と考えた気持ちは本物だ。
再び視線を向けた彼女は、真剣な瞳でテーブルの上の飾りとにらめっこしている。
その姿に、自然と笑みが浮かぶのを感じた。
彼女のためになることなら、僕にできることならなんでもしたいと、そう思うのだ。
午後の予定は、いよいよ次の週末に迫っている王家主催の舞踏会用のアクセサリー選びだ。
数時間前よりも緩やかな雰囲気の馬車の中で、他愛ない話をしている間にも、馬車はカラカラと音を立てながら目的地へと向かっていく。
あひるのくちばし亭があったのは、広場にほど近い一般市民向けの店が建ち並ぶ路地だったけれど、今向かっているのはたぶん、貴族向けの店舗が連なる路地のほうだろう。
シャーロットの家が贔屓にしている宝石店を、この日の為にわざわざ貸し切りにしたという話をされて、多少顔が引きつったのは内緒だ。
やっぱり、貴族というのはやることが大きいというか、セレブというか。
そんな私の隣で、シャーロットはうきうきと花を飛ばす勢いで笑顔になっている。
「どんなものにしましょうか、リリー?宝石の飾りも良いですが、貴女は控えめなところがありますから、造花をメインにして小さな宝石を散らしたような飾りも映えそうですわね……!」
「えっと、色んなものがあるんだね」
「そうなんですの……!飾りといっても、造花や生花、宝石のものや、リボンやレース……。沢山の素材がありますから、どんなものを身につけるのかも、淑女の腕の見せ所なんですのよ!」
熱の籠もるシャーロットの言葉に、向かいの席に座っているオリバーが苦笑しながら会話に参加してきた。
「まぁまぁ。リリーはアクセサリー選びだって今回が初めてなんだろう?ほどほどにしておいてやれよ」
「ほどほどってなんですの!オリバー、貴方もせっかく来たのですから、協力してもらいますわよ!」
ビシッと人差し指を突きつけるシャーロットに、焔さんがくすくすと笑みを零した。
「だってさ、オリバー。僕らも暇してるわけにはいかないようだよ」
「えぇー……」
オリバーの嫌そうな声に、馬車の中にはまた新しい笑い声が響く。
そんな中、今までより少し長い時間をかけて到着した目的地には、出迎えのスタッフがずらりと並んでいた。
馬車が止まったのは、貴族達が上品に談笑しながらゆったり行き交う、貴族向けの商店が建ち並ぶ大きな路地。
シャザローマがあったのもここと同じような貴族向けの路地だったけれど、それとはまた違う路地のようだ。
馬車から降りるとそこは立派な建物の正面入り口前で、大きな玄関前に5、6人のスタッフが並んでこちらを見つめていて、無意識に後ずさりしそうになる。
――だめだ、しっかりしなくちゃ。
咄嗟にそんな風に考えて、引きそうになる身体をぐっと堪える。
私たち4人が揃って馬車から降り終えると、スタッフ達は揃ってこちらに頭を下げた。
「お待ちしておりました、ロイアー様」
「いつもありがとう。今日もよろしく頼みますわ」
さすがシャーロット、そんな様子に怯むこともなく言葉を掛けて、凜と背筋を伸ばしたまま店内へと案内されていく。
「僕らも行こう、リリー」
「……はい、マスター」
優しく促してくれた焔さんの背中に続いて歩いていく。
できるだけ背筋をまっすぐに伸ばして、歩幅は小さめに。
胸を張って少しだけ俯きがちな視線にすること。
シャーロットとグレアに教えてもらったことを意識して歩く私の足下は、緊張で微かに震えながらも、しっかりと絨毯を踏みしめることができていた。
玄関をくぐると、ホールに店の責任者らしき人物が待っていて、シャーロットといくつか言葉を交わした後、私たちは建物の奥へと案内された。
歩いていく廊下や建物の内装はやはり貴族向けの上品なもので統一されているのだけど、シャザローマとはまた違った雰囲気で、花が多く飾られている。
「こちらのお部屋で御座います」
案内役のスタッフが立ち止まり、奥の方にある大きめの扉を開いた。
通された広めの部屋には、大きな長テーブルにずらりと、きらきらした宝石やリボンたちがところ狭しと並べられていた。
部屋の窓際には、ローテーブルと長椅子にお茶の準備などもされている。
「ありがとう、あとは私たちで選ぶわ」
シャーロットがそう声を掛けると、ここまで案内してくれた男性スタッフが深く頭を下げる。
「承知致しました。他にも、お部屋のあちらに積みました保管箱のものやカタログのお品もご自由にご覧くださいませ。何か御座いましたらお呼びください」
丁寧にそう告げると、スタッフが静かに退室していく。
残されたのは紅茶の良い香りと、物言わず輝くアクセサリーたちと、私たち4人だけ。
「ここを使う時はいつも、自分で選ばせてもらっていますの。……人を呼ばなければ誰も来ませんから、皆さん楽にしてくださってよろしくてよ」
「あ、そうなの?じゃあ遠慮なく」
シャーロットの言葉に、先ほどまできりりとした風でいたオリバーが一瞬で表情を崩した。
ふわあっと欠伸をして長椅子に腰掛け、紅茶を飲んで寛ぎ始めるオリバーに、シャーロットは呆れたように肩を竦める。
「まったく貴方という方は……まぁよろしいですわ。それよりリリー、アクセサリー選び、始めますわよ!」
「うん!」
シャーロットに手を引かれ、豪奢な部屋の中央にあるテーブルへと駆け寄る。
そこには造花も宝石もリボンも、様々な髪飾りやネックレス、ブレスレットとして綺麗に仕立てられて、眩しいくらいに輝きを放ち並べられていた。
ふとテーブルを見回して、見える範囲に並べられているものが赤系か青系のどちらかの色のものになっていることに気づく。
「あれ、シャーロット、これ……」
「気づきまして?予め、貴女と私のドレスの色を伝えておきましたの。ある程度合いそうな色のものばかりのはずです。……この方がまだ選びやすいかと思いまして」
隣で得意げな顔をした友人の心遣いに、じんと心が温かくなるのを感じる。
シャーロットはいつも厳しく指導してくれるけれど、こうした細かな気配りでいつも助けられている。
「ありがとうシャーロット。そんなことまで……」
彼女のこんな一面に出会う度に、私の中の彼女を尊敬する気持ちは大きくなっていく。
彼女の様な立派な女性になりたいと、毎回そう思ってしまうのだ。
シャーロットは照れたように微かに頬を染めながら、綺麗な笑顔を見せる。
「これくらい、なんでもありませんわ。……それよりほら、これなんていかがです?大きめのリボンと宝石の組み合わせですけれど……うーん、ちょっとキラキラすぎるかしら?」
「リボン可愛い……!でも確かに、ちょっと宝石大きいかなぁ。あ、シャーロットこれは?」
「造花ですわね!大きめの薔薇がすごく印象的ですわ。レースも可愛らしいし……」
あっという間に夢中になって、楽しげに品選びを始めた2人を、オリバーと焔は長椅子のほうから温かく眺めていた。
さすが、貴族社会でもトップのロイアー家が贔屓にしている高級宝石店、といったところか。
ローテーブルに用意されていた紅茶は香りがとても良くて、澄んだ色に爽やかな後味が美味しい。
すごく良い茶葉を使っているのだろうと、一口ですぐにわかる程だ。
ふかふかの長椅子に身体を預けながら、楽しそうにアクセサリーを選ぶ梨里とロイアーを眺める。
今日見る梨里の笑顔はどれも自分が向けられたことのないもので、友人といる時の彼女、というなかなか見ることのできない表情を垣間見えるのはとても新鮮だった。
――梨里さんは、友人と一緒だとあんな風に笑うのか。
自分やアルトと一緒の時だって、笑うことくらいあるけれど。いつも見るようなどこか大人びた笑顔ではなく、ぱっと花が咲いたような今の笑顔も彼女らしくていいと思う。
何処かに音楽再生用の魔道具があるのか、微かに耳に届く上品なクラシックも心地良い。
たまにはこんな時間も悪くないな、と、そっと目を閉じた。
……閉じた視界の外から、ふと、梨里さんとロイアーの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
それにゆっくりと引き上げられるように、自分の深い深いところにあった記憶が瞼の裏に浮かんできた。
『ねぇ見て、お兄様!このリボン可愛い!』
『ああ、可愛いな』
『もうっ、もっとちゃんと見てくださいな!何を見せても同じ事ばかり言うじゃありませんか』
『だってなぁ、よくわからんから』
『……もういいですわ。ねっ、先生!これ、このリボン、今夜の青いドレスに似合うかしら?』
『ん?……ああ、いいね。レースとのバランスが良さそうだ』
『やっぱりそう思います?……ほら、お兄様も先生のこと見習ってくださいな!』
『俺にそんなのは無理だって。なぁ、イグニス?お前もそう思うだろ?』
……なんて古い記憶なんだろう。
あの時も確か、はしゃぐ2人の隣で、こうして紅茶を飲んでいて――。
「なぁ、イグニス様」
唐突に正面から掛けられた声に、古く遠い色褪せた光景がふっとかき消えて、意識が浮上した。
開いた視界に映る見慣れない部屋やテーブル、正面に座る赤毛の青年を確認して、今の状況を思い出す。
記憶の光景はまた、深く深く意識の底へと沈んでいった。
「……ああ、すまない。ちょっと考え事をしていた」
「あー、なんか邪魔しちゃったか。悪い」
「構わないよ。どうかしたの?」
目の前でぽりぽりと頭を掻く青年は、紅茶を一口飲んで溜息を吐いた。
この青年――オリバーは、今日一日見ているだけでも、その柔らかい雰囲気や立ち居振る舞いから、傍にいる人間に対してかなり気を遣っていることが分かる。
相手のされて嫌なこと、されて嬉しいことを本能的に感じ取って実行できる人間なのだろう。こういうタイプの人種は、個人的には付き合いやすい相手だ。
先ほど思考を遮られたことについては、構わないと言ったのだけど……彼はまだ少しだけ申し訳なさそうにしながら、ちらりと遠くの女性ふたりを見やって言葉を続けた。
「……その、イグニス様はもちろん、あの2人と舞踏会に出るんだよな?」
「ああ、うん。出席予定だよ。……オリバーは?」
「俺の家には招待状来てるけど、出るのは親父たちだから……俺は行かないんだ」
「意外だな。ブリックスといえば、そこそこの家だと記憶していたけれど」
何か事情でもあるのだろうか。
貴族の家というのは、舞踏会の招待状が届けばその家の息子や娘たちも揃って出席するのが普通だ。
ブリックス家はそこそこ良い家柄のはずなのに、未婚で年頃のオリバーが舞踏会に出ないというのは、ちょっと珍しいことだ。
オリバーは少しだけ居心地悪そうにしつつ、手元の紅茶に視線を落とした。
「まぁ、家はそうなんだけどさ。……これと言った地位も特技もない8男ともなると、割と放置状態で……俺にはそういう話、回ってこないんだよ」
「……なるほど、子供の多い貴族にある話、ということか」
「そういうこと」
やけのように紅茶を煽る姿は粗暴なようにも見えるけれど、その根底に貴族として育てられた芯のようなものがあるのだろう。そんな貴族らしくない仕草でも、どこかに品があるように感じる。
兄弟が多い貴族の家の場合、末子というのはどうにも放置され気味になる傾向がある。
彼は貴族としての教育を受けながらも、ブリックスという家では関心のない存在とされているのだろう。
そして、そんな複雑な立場にある自分の身を、こういう時に悔しく思っているのだろうということが彼の様子から伝わってきた。
……それに。
長椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、ロイアーのほうを見つめる瞳は……なんというか、とてもわかりやすい。
オリバーから見たら、ロイアーは高嶺の花だ。
幼馴染みという過去があろうが、自分の努力だけでは埋められないものがあるのだろう。
彼の様子からそんな複雑な色々を感じたからだろうか。
気がつけば、自分の口から意識すらしていない言葉が飛び出していた。
「……来る?舞踏会」
「……え?」
きょとんと驚いた顔がこちらを向いた。
「名目は……あー、僕の供ってことで、来る?近くに知り合いが多ければ、リリーも安心すると思うんだ」
「え……え、でも、俺……招待状もらってないし……」
「大賢者が連れていきたいと言えば、反対する人なんていないさ。勿論無理にとは言わないけど……ロイアーの着飾った姿、見たいんじゃないの?」
「な……なんで、それ……」
だってわかりやすかったじゃないか、という言葉は飲み込んだ。
「僕、大賢者様だよ?」
にこり、と笑顔をして見せれば、オリバーはぐっと唇を噛んで、がばりとこちらに頭を下げてきた。
「っ頼む……!」
わかった、と頷けば、顔を上げたオリバーは目を潤ませていた。
……こんな引きこもりでも、貴族社会のしがらみやら何やらについて、ある程度は理解しているつもりだ。
何故かは自分でもよくわかっていないけれど、何となく彼を応援したい気持ちになっていた。
ただ、それだけだ。
「歓迎するよ、オリバー。ちゃんと礼服用意しないとね」
「ありがとう、イグニス様……!」
「いつもリリーがお世話になってるんだ。これくらいなんでもないよ。……僕の事も、イグニスで構わないさ」
「……ああ、わかった。本当にありがとう、イグニス」
「どういたしまして」
オリバーに助け船を出したのは本当に気まぐれのようなものだけれど、当日彼が一緒にいることで、リリーも落ち着いて振る舞えるだろうから、と考えた気持ちは本物だ。
再び視線を向けた彼女は、真剣な瞳でテーブルの上の飾りとにらめっこしている。
その姿に、自然と笑みが浮かぶのを感じた。
彼女のためになることなら、僕にできることならなんでもしたいと、そう思うのだ。
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