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第1章 大賢者様の秘書になりました
50.令嬢たちの支度時間
しおりを挟む「……よし」
小さく声に出して、気合いを入れる。
洗面所の鏡の中からこちらを見つめる自分は、毎日見慣れている顔のはずなのに、何故かずっと大人びて見えた。
異世界へと毎日出勤する、そんな信じられないような非日常が当たり前になって、気づけば約1ヶ月という時間が流れていた。
自分の気持ちと、仕事が見つからないことへの焦りで、揺れた瞳で臆病にこちらを見つめていた女性はもういない。
まっすぐ、ほんの少しの強さが加わった瞳が、ぐっとこちらを見つめている。
一度、軽くぱんっと両手で頬を叩いて、踵を返した。
「アルト、行くよー」
「おう」
肩に乗るアルトの気配にもすっかり慣れきってしまった。
しゃら、と揺れる綺麗なブレスレットを視界の端に、玄関ドアへと手を伸ばす。
――今日はついに、舞踏会当日だ。
向こうの世界についた時点で、アルトは焔さんのところへ行ってしまった。
今日は仕事扱いではあるけれど、彼らとは朝から別行動だ。
約束通りの時間に、貴族専用カウンターのある玄関からリブラリカの外へ出る。
こちらの世界は、気持ちの良い快晴だ。
「ええと……」
出てすぐの大きな通りをキョロキョロと見渡すと――すぐに、少し離れたところに豪奢な貴族用の馬車が停まっているのを見つけられた。
昨日シャーロットに言われた通り、その馬車の傍に控えている侍従の男性に、一度礼をしてから話しかける。
「突然申し訳ありません。私、国立大図書館リブラリカのリリーと申します。こちら、ロイアー様の馬車でしょうか?」
「はい、その通りで御座います。リリー様、シャーロットお嬢様の命でお迎えに上がりました」
「はい、どうぞよろしくお願い致します」
こちらに深く頭を下げる侍従に、浅めに礼を返す。
馬車に乗り込むと、誰もいない車内でほっと息を吐いた。
王家主催の舞踏会当日。
舞踏会は夕暮れからのスタートだけれど、午前中からシャーロットのお屋敷にお邪魔して、身支度などの準備をすることになっていた。
しばらく前に焔さんが購入してくれたあのドレスも、シャーロットと選んだアクセサリー類も、一足先に届いているはずだ。
窓から見える街はいつも通りの賑わいだったけれど、貴族たちの居住区に近づくにつれて、どこか浮き足だった雰囲気に変わっていく。
道端でおしゃべりをしていた若い令嬢たちが、日傘の影できゃあきゃあと嬉しげな声を上げていた。
彼女たちがはしゃぐのも、仕方ない。
……そうだよね。だってあの大賢者様に会えるかもしれないんだから。
オルフィード国建国の功績者、伝説の存在だとされている大賢者イグニスの姿を見られる。
そんな噂は昨日のうちに貴族の間を駆け巡り、国中の貴族がなんとかして舞踏会に参加しようと王都に集まってきているらしい。
ものすごい招待客の数になるだろうと、シャーロットも言っていた。
それだけの騒ぎを起こす中心人物の隣に、今夜立つのだ。
「…………」
膝の上で握りしめた拳は、力を込めすぎて白くなってしまっている。
正直なところ、もの凄く緊張する。
少しでも気を抜いたら、全身が震えてしまいそうだ。
――それでも、やると決めた。
ぐっと顔を上げると、馬車は大きな屋敷の門をくぐろうとしていた。
この1ヶ月、シャーロットをはじめとして、沢山の人達の好意や、励まし、協力を受けて、この日の為に頑張ってきたんだ。
今日のために、沢山の人に背を押してもらってきたんだ。
馬車は、公園のようにも見える広く美しい庭を通り抜けて、ついに小さなお城のような屋敷の正面玄関へと停まる。
侍従の手を借りて馬車を降りれば、そこには、誰より傍で誰より沢山のことを教えてくれた、大切な友人が凜と待っていてくれた。
「いらっしゃいませ、リリー」
「今日はよろしくお願いします、シャーロット」
丁寧に、正式な礼を交わしてゆっくりと頭を上げる。
「勿論ですわ。私たちの今までを存分に発揮できるように、最後の仕上げを致しましょう」
この世界で一番の友人は、今日も美しく、自信たっぷりに微笑んだ。
シャーロットに案内されて、屋敷の中へと足を踏み入れる。
広すぎる玄関ホールに、大きなシャンデリアは以前訪れた老舗サロン・シャザローマの内装すら霞むほどに華やかで、別世界だ。
華やかさはありつつも、シックで上品な廊下を進んでいくと、進む先から何やら鈴を転がすような、令嬢達の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
シャーロットはしばらく歩くと、可愛らしい笑い声が続く部屋の扉をノックした。
「あら!姉様、もういらしてしまったの?」
「待ちくたびれてしまいそうだったの!姉様姉様、その方が秘書様かしら?」
部屋の中を覗き込むと、金髪の若い少女達が綺麗なドレスをふわふわ揺らしてこちらに駆け寄ってくる様子が見えた。
「貴女たち、初めはきちんとご挨拶しないとだめでしょう!」
シャーロットが呆れた様子で叱りつけると、少女ふたりは慌ててその場に並んで綺麗に礼を取った。
「ごめんなさい、姉様。……秘書様、ようこそいらっしゃいました。私、シャーロット姉様の妹のマーガレットです」
「私は三女のユリーシアです。よろしくお願い致します」
マーガレットとユリーシアと名乗った2人の少女はシャーロットとよく似た、美しい金髪のこれまた美人な令嬢たちだった。
同じように頭を下げて礼をする。
「初めまして、リリーと申します。どうぞよろしくお願いします」
顔を上げれば、きらきらと目を輝かせた少女ふたりと視線が合った。
「さあ、ご挨拶が済んだのなら、さっそく準備を始めますわよ」
「はーい!」
シャーロットの言葉に、令嬢2人が元気な声を上げる。
ロイアー家の侍女さんたちに囲まれて、4人一緒に舞踏会準備が始まった。
シャーロットから事前に話は聞いていたものの……。
貴族令嬢の舞踏会準備は、すさまじく時間が掛かる上、まさに体力勝負だった。
侍女さんたちがドレスや小物の最終確認をしている間に、令嬢たちはシャワーを浴びて身体を磨き上げるところから始まる。
湯から上がったら、肌や髪に良い香りのオイルを擦り込まれ、爪を整えられながら髪をセット。
あっちへこっちへと移動も大変だったけれど、侍女さんたちにもみくちゃにされている間、シャーロットたち姉妹とのおしゃべりがとても楽しかった。
綺麗に髪を結い上げられて、化粧を施され。
思い切って、いつもの伊達眼鏡も外してみる。
なんとなくで、学生の頃からずっとつけていた伊達眼鏡。
綺麗に化粧されて、眼鏡もない自分の顔って……どんなだろう。
ずっと支度をしてもらいっぱなしで、まだ鏡は見てない。
色々な準備を終えて、そろそろ着付けのタイミングだ。
侍女さんに手を引かれて、いよいよ――あの日のドレスの前に立った。
「それでは、ドレスのお支度を致しますね」
「……よろしくお願いします」
トルソーに掛けられた、私のドレス。
深く鮮やかな赤い布が、綺麗なAラインに広がっている。
胸元に施された繊細な花のレース。
身動きする度に、肩口からふわりふわりと揺れる、花びらのようなレースの袖は、金の刺繍が煌めいてとても華やかだ。
腰の部分には大きめの飾りリボンがついていて、尾ひれのように軽くなびいている。
スカート部分は軽く薄い生地が何枚も重なっている作りで、じっとしていればシンプルだけど少しでも動けばひらりと揺れて、織り込まれた金糸が煌めく。
「そのドレスが届いた時、本当に綺麗で驚きましたわ。さすが、イグニス様が選んでくださっただけありますわね」
すぐ隣で鮮やかな青のドレスを着付けられながら、シャーロットがほうっと溜息を吐いた。
「ぱっと見はシンプルですのに、細かいところの華やかさがとても上品で。……本当に素敵ですわ」
「本当に!姉様の仰る通り、上品で素敵なドレスだと思ってましたけれど……秘書様が実際に着られると、段違いに美しく見えますね!」
ユリーシアがそう言えば、マーガレットも強く頷いてきらきらした瞳を向けてきた。
「秘書様は肌がお白いから、赤がとても映えますね!『焔の大賢者様』の隣に立つのに、これ以上素敵なドレスってないんじゃないかしら」
「……ほのお?」
聞き慣れない単語を何気なくオウム返しに聞き返せば、途端に「あ」とマーガレットが申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい、秘書様……。やっぱり秘書様も嫌よね」
「えっと……」
なんだか謝られてしまったけれど、そもそもなんのことだか分からない。
シャーロットへ視線を向けると、少しだけ困ったような表情の彼女と目が合った。
「まだリリーにはお話しておりませんでしたわね……。イグニス様のことを、『焔の大賢者』と呼ぶ方も多くおりますの。書物などにもそう書かれることがあるのですが、……イグニス様ご自身は、そう呼ばれるのを良く思っておられないみたいですの」
なるほど、本人があまり納得していない、あだ名というか、二つ名みたいなものなのか。
「でもなんで焔……?」
「それは、イグニス様の得意な魔術が火属性のものだからだと言われていますわ」
「火属性……」
思い返してみれば、私の自宅玄関に対して魔術を使ったときとか、次元の裂け目に落ちた時迎えにきてくれた時とか。
細かな赤い光の粒子を見たような記憶がある。
あれは、焔さんが火属性の魔術を得意だから、ということから来ていたのかもしれない。
「魔術が使える者は皆、それぞれに得意な魔術の属性がありますの。私であれば水……といいますか、氷の属性が得意ですわ。リリーは魔術が使えないようですけれど、マナジェムやマナペンのインクの色を見る限りだと、私と同じ水属性が得意なのかもしれませんわね」
「そんな風にわかるんだ。じゃあ……あ、オリバーは緑だよね?」
「ええ、彼は植物の魔術が得意だったはずですわ」
「なるほど」
沢山勉強してきたつもりだけれど、まだまだ知らないことも多いな。
なんてことを考えながら、ドレスの背中を整えられている間、自分のスカートを見下ろした。
ふわりふわりと柔らかい生地に手を滑らせる。
鮮やかな赤。
焔の大賢者とも呼ばれる彼の隣に、このドレスで立つ。
平凡な見た目のただの一般人な自分でも、なんとか見られるようになっているだろうか。
しゃりん、と微かな音を立てたのは、非日常が始まったあの日に、焔さんから嵌められた金の鎖のブレスレット。
しゃらしゃらと煌めく金の細かい鎖に、ドレスより鮮やかで深い、美しい宝石が輝いている。
それはまるであつらえたように、ドレスとぴったり合っているように見えた。
ドレスを着付け終えて、再び椅子に腰掛けると、最後にアクセサリー類を飾られる。
気がつけば、窓から差し込む日差しは燃えるような夕焼け色になっていた。
――もうすぐ、日が暮れる。
全ての準備が終わって、ようやく最後の確認として、姿見の大きな鏡前に立つことになった。
「ほら、リリー見てくださいな」
「う……」
シャーロットに促されるけれど、鏡を見るのが怖くて、中々顔を上げられない。
だって、これで変だったらどうしようって。
いざとなったら本当に怖くなってしまって……目を向けられないのだ。
私がもたついているうちに、シャーロットたち3人は既に確認を終えてしまっている。
「大丈夫ですわ。どこからどう見ても、立派な令嬢ですから」
「でも、シャーロット……」
そんなやりとりを続けていた中。
コンコン、と上品なノックの音がして、扉の向こうからオリバーの声が聞こえてきた。
「悪い、ちょっと遅くなった。迎えにきたんだけど、入ってもいいか?」
「ええ、どうぞ」
「ちょっ……シャーロット!待って……!」
焦って声を上げるけれど、制止は間に合わない。
がちゃ、と開いた扉から、いつもよりきっちりと身支度を調えたオリバーと。
「……あ」
その後ろから、たぶん今一番会いたくない人――焔さんが、部屋の中を覗きこんでいた。
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