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第1章 大賢者様の秘書になりました
51.鏡の中の私
しおりを挟む焔さんと目が合った途端、全身が固まった。
「まぁオリバー兄様、お久しぶりです」
「お久しぶりです!兄様がこうして屋敷にいらっしゃるなんて、いつぶりかしら!」
「おー、マーガレットにユリーシア、美人になったな。久しぶり」
きゃあと嬉しそうな声を上げた2人の少女に、オリバーは親しげに会話している。
「……貴方の正装なんて、久しぶりに見ましたわ」
その後ろからぽつりと、シャーロットが零すように呟いた一言に、オリバーはそっと視線を向けた。
その目が、優しさを湛えて細められる。
「シャーロットも。そんな風に着飾った姿は久々に見たよ。綺麗だな」
「……お、お世辞くらい、受け取っておいて差し上げてもよくってよ」
顔を真っ赤にしたシャーロットがふいっとそっぽを向く姿は、本当に可愛らしい。
可愛らしい、のだけど。
「…………」
その横で、私は冷や汗をかきながら固まったままだった。
――どうしよう。
変だったらどうしよう。
頭の中がそればかりでいっぱいになって、動けずにいる。
私の視線の先で、部屋に入ってきた焔さんは驚きからゆっくりと、いつもより嬉しそうな微笑みへと表情を変えた。
「わぁ……リリー、すっごく綺麗だよ。似合ってる」
「え……?」
「やっぱり、そのドレスで良かったな。君の綺麗さを引き立ててくれてる。うん、いつもの眼鏡がないのも、新鮮でいいね」
「え……えっと……」
そんな風に言ってもらえるなんて予想もしていなかったから、上手に受け止められない。
はっきり返事もできないでいる私に、焔さんがにこにこと歩み寄ってくる。
隣にいたシャーロットが、そっと私の肩を押した。
「うん。……うん、すごく綺麗だよ」
彼女の手に押され一歩前に出ると、焔さんが正面まで来て立ち止まった。
オリバーのように、焔さんも正装をしているようだった。
いつもより更に上質そうな黒のベストやカフス、スラックス。
足下には、蝶ネクタイを着けられたアルトが、いつもよりちょっとつやつやの毛並みでこちらを見上げていた。
腰周りにはしゃらしゃらとした金の鎖に紅い石の飾りがいつもより多く煌めいていて、羽織った黒いローブも、普段使っているものよりも金の刺繍や宝石飾りが多いものになっている。
いつもは深く被ってしまっているフードも、口元だけは見えるくらいの深さになっているようだ。
くい、と焔さんの長い指がフードを少しだけ持ち上げると、正面に立った私にだけ、いつもの焔さんの顔が見えた。
「ふむ……」
真剣な黒い瞳と目が合って、一瞬どきりと心臓が鳴る。
焔さんはそのまま何も言えずにいる私へと手を伸ばすと、両肩に優しく触れて、くるりと私の身体を回した。
「ねぇ見て、リリー」
背後から、焔さんの声がする。
「あ」
「ね、今日の君、すっごく綺麗でしょう?」
身体の向きが変わって、私の目の前にはあれほどに見るのを躊躇っていた姿見の鏡があった。
身構える間もなく視界に映ったのは、煌めく深紅のドレスを着た自分。
化粧をされて華やかになった顔、複雑に結い上げられた髪に、宝石で飾られた肌。
驚いた表情でこちらを見つめる自分の顔のすぐ傍に、満足そうに笑う焔さんの顔が映っていた。
「わ……」
驚いた。
こんな……自分じゃないみたいな。
腕を動かせば、鏡の中の自分も腕を動かす。
嘘みたいだけれど、本当に。
綺麗になった自分が、そこにいた。
「そう、ですね……綺麗です」
「でしょう?……だから、笑って」
焔さんの言葉に肩越しに振り返る。
思ったよりも近くにあった焔さんの顔、唯一見えているその口元が、ふわっと笑みの形を浮かべていた。
「笑ってくれたらきっと、今よりもっと素敵な秘書様に見えるから。ね?」
「……はい」
くすぐったいような、恥ずかしいような気持ちではにかむと、焔さんは「うんうん、その調子」と肩を優しく叩いて、ようやく身体を離してくれた。
まだ少し、心臓がどきどきしている。
改めてそっと覗き込んだ姿見の中。
こちらを見つめ返す自分に、怯えた様子はない。
少しだけ意識して、教えてもらった通りに背筋を伸ばしてみる。
まだ完全に不安がなくなったわけではないけれど、そこに映る自分はとても綺麗で……これならば、大賢者の秘書として舞踏会へ行っても大丈夫かもしれない、なんて、ちょっとだけ思ってしまう。
「リリー」
呼び声に振り返れば、いつも以上に綺麗に着飾ったシャーロットが、すっと私の顎に触れて、少し持ち上げた。
「貴女、本当に綺麗ですわ。そこら辺の令嬢方なんて及ばないくらい。だから自信を持ちなさい。貴女は、かの大賢者イグニス様の秘書です。胸を張って、誇りを持って参りますわよ」
「……はい、先生」
凜と向けられた青い瞳の強さと、ゆっくり告げられた言葉に、更に背筋が伸びるような気持ちで返事をした。
この美しい人に憧れて、立派な淑女になれるように努力してきた。
こちらを優しい瞳で見つめてくれている、私を救ってくれた憧れの人のために、立派な自分になろうと決心して、ここまで来た。
「大丈夫です。私も、頼りないけれどオリバーだって一緒にいますし、貴女は堂々としていれば良いのですわ」
「うん!」
大丈夫、ひとりじゃない。
シャーロットもオリバーも、焔さんだって傍にいてくれるんだから。
私は、大丈夫。
言い聞かせるように胸の中で繰り返せば、それはじわりと熱になる。
「では、皆様揃ったようですし、参りましょうか」
シャーロットの指示で、全員が城へ向かうための馬車が2台準備される。
馬車は、焔さんと私とオリバー、アルトで一台、ロイアー姉妹で一台を使う事になった。
出発準備が進む中、乗り込んだ馬車の中で、向かいに腰掛けていた焔さんが突然「あ」と声を上げる。
「そういえば、忘れるところだった」
「ん?どうした、イグニス」
「マスター、忘れ物でも?」
「いや、ちょっとね。……リリー、ブレスレット見せて」
「はい……?」
戸惑いつつも、言われた通りにブレスレットをつけた方の腕を差し出す。
焔さんの手がするりとブレスレットを撫でると、一瞬だけ、そこに熱が灯ったような感触と、紅い綺麗な粒子が舞った。
「うん、これでよし」
「わ」
「おお」
すぐ傍で見ていたオリバーも、感嘆の声を上げる。
ブレスレットは一瞬で、その形を変えていた。
華奢な印象はそのままに、3連の細かい鎖だった部分が蔦の絡まるようなデザインの滑らかな金に変わっていて、今まで一つだけついていた紅い宝石は、小さな紅い宝石が3つ追加されて一層華やかになっていた。
「前のでも良かったんだけど、せっかくだから」
「ありがとうございます、これも素敵です」
「喜んでもらえたならよかったよ」
かたんかたん、と動き出す馬車の中、まだ少し温かいブレスレットが、私の中の小さな自信をほんのちょっとだけ、大きくしてくれたような気がした。
ロイアー家の紋章が入った馬車は、同じく城へ向かうのだろう沢山の馬車と一緒に、街を進んでいく。
焔さんとオリバーが談笑する中、私は膝の上で丸くなったアルトの背を撫でながら、過ぎゆく城下街を眺め続けていた。
広い馬車道では貴族たちの豪奢な馬車が行列になり、道行く人々がそれを眺めている様子がちらほら見える。
貴族街から広場を抜けて、大きな石の門をくぐり、見慣れぬ場所へと入ってからもしばらく馬車は動き続けた。
オリバーの話だと、城へ行くには一度城門を過ぎて、臣下や兵士たちの住居や訓練場のある区画を通り抜け、更にもう一度門をくぐる必要があるらしい。
また数十分くらいして、今度の門では一度馬車が止められて、御者と騎士が何やらやりとりをしていた様子があった。
すぐにまた動き出した馬車は、二つ目の門を抜けていよいよ、城の前庭へと進んでいく。
いつの間にかぼんやりと窓の外を見ていたらしい焔さんが、ぽつりと呟いた。
「……ああ、変わらないな」
何が、なんて無粋は言葉は返さない。
噂が本当なのだとしたら、焔さんにとっては800年ぶりの城のはずだ。
「あ、そろそろ着くな。降りる準備しとこう」
オリバーの声がして間もなく、馬車はだだっ広い城の玄関ポーチに停車した。
いつもの様に、先に降りた焔さんがこちらへ手を差し出してくれる。
「さあ、梨里さん。準備はいい?」
小さく囁かれた声は、私とアルトにしか聞こえない。
そのまま、馬車の中で大きく一度、深呼吸をした。
この馬車から一歩出たら、もう……そこは人の目がある、貴族の世界だ。
――いよいよ、本番だ。
「……はい!」
小さく、力を込めた声で返事をして、焔さんの手に自分の手を重ねた。
一歩ずつゆっくりと馬車から降りれば、まわりにも沢山の馬車が停まっていて、それぞれに着飾った参加者達が沢山いるのが見える。
焔さんが微笑んで差し出してくれた腕に、そっと自分の手を添えて寄り添った。
アルトはお行儀良く、焔さんの方の上で綺麗な姿勢で座っている。
後ろの馬車から降りてきたシャーロットが、ちょっとだけ頬を染めながら、オリバーに手を引かれてやってきた。
4人、頷きあって、ゆっくりと城の玄関へと足を向ける。
今までの私なら、絶対に尻込みしてしまいそうなその場所へ。
大丈夫、今の私なら、行ける。
玄関に立つ城の従者に招待状を渡すと、そのまま他の参加者とは別の部屋へと案内されることになった。
城内へと足を踏み入れる瞬間、ちょっとだけ緊張して、焔さんに触れている手に力を込めてしまう。
すると、それに気づいたらしい焔さんが、もう片方の手でそっと、私の手に触れてくれた。
言葉もなく、「大丈夫だよ」と言われたようで……少しだけ、ほっとする。
シャーロットのお屋敷や図書館なんて比べものにならないくらい、煌びやかで美しい、別世界のホール。
しゃんとしていこう、私。
感謝を込めて、焔さんにちょっとだけ笑い返し、一歩を踏み出した。
――さあ、舞踏会の始まりだ。
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