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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
86.小さなもやもや
しおりを挟むロランディア村での調査は、なかなか成果らしきものが出ないまでも、順調な滑り出しを見せていた。
相変わらず焔さんは保管書庫に入り浸り、私とライオット王子はロランディア図書館の書架整理と午後の村散策が日課になっている。
変わったことといえば――そう。
あの子供たちとのお茶会以降、私たちが村を散策していると、子供たちが寄ってくるようになったことだろうか。
モニカとレディ・オリビアにも話をしたところ、2人ともとても張り切って子供たち用のお菓子を作ってくれるようになったため、持ち歩いているバスケットはいつもずっしりと重い。
やがて子供たちとのお茶会は、その後、彼らと一緒に遊ぶところまでセットになっていた。
今日も今日とて、子供たちとのお菓子の時間が終わった後。
ロランディア図書館前の敷地で、ライオット王子と子供たちが元気に追いかけっこをしていた時だった。
気持ちの良い青空の下、思い切りはしゃぎまわる彼らを切り株に腰掛けて見守る私に、背後から穏やかな声が掛けられた。
「――おや、いつの間にか仲良くなっていたんですね」
「あ……、レグルさん。こんにちは」
「こんにちは、リリー様」
にこにこと涼しい顔で現われたのは、ロランディア図書館の館長、レグルだった。
こんなにも暑いのに、いつも通りの黒一色の制服を着た彼は、長袖なのに汗ひとつかいていないようだ。
彼は私のすぐ隣で足を止めると、ライオット王子に追いかけられて楽しそうに駆け回る子供たちへ視線を向けて、優しく目を細めた。
「いやあ、王子殿下があんな風に子供たちと遊んでくださる方だったとは、存じませんでした。流れてくる噂だけで人を判断してはいけないとは、こういうことなのですね」
「殿下の噂、ですか?」
レグルの言葉に思わず聞き返すと、彼は苦笑しながら内緒話でもするかのようにわざとらしく小声で答えてくれた。
「ご本人には内緒にしてくださいよ?……とても立派で賢い王子だけれど、我が儘で思い通りにならなければすぐに怒り出す、……と聞いておりました」
「あー……」
確かに、それは……うん、その通りかもしれない。
今でさえライオット王子とは友人のように接しているけれど、確かに一番最初に出会った時の印象を考えると……否定できない。
絶妙に否定できない噂に、苦笑するしかなかった。
「……まぁ、そう、ですね。きっと王子にも色々その……複雑な何かがあるのかもしれません」
うう、殿下……こんなフォローしかできなくてすみません。
私がなんとも申し訳ない気持ちになっているというのに、膝で丸まっていたアルトが小刻みに震えて笑いを堪えているのに気づいて、ちょっぴりむっとした。
「確かに、王子殿下というお立場を考えれば、王都では色々……しがらみなどあるのかもしれませんね」
穏やかにそんな風に言ってくれるレグルに、ほっと息を吐いた。
「そういえば、レグルさんはどうしてここに?何か用事でもありました?」
少し強引かもしれないけれど、そう切り出して話題を変えてみる。
レグルは特に気にした様子もなく微笑んで話に乗ってきてくれた。
「ああいえ。館内の窓から、子供たちの姿が見えたものですから。久々に彼ら相手の授業でもしようかと思いまして……」
「あ!」
「あれ、先生だ!」
そんな会話をしているうちに、子供たちがレグルの存在に気づいたらしい。
元気な声とともに駆けてきた子供たちは、そのまま突進するようにレグルさんへと飛びついていた。
「おっと。こんにちは」
「先生こんにちは!」
「こんにちはー!」
「なになに?授業?」
「ええ、久々に授業でもと思いましたけれど、殿下に遊んで頂いてるなら……」
「俺がなんだ?」
子供たちの後ろから、汗を拭いつつライオット王子もこちらへ歩いてくる。
「あ、殿下。レグルさんが、子供たちに授業をするみたいで」
そう言うと、王子はほう、と楽しそうな表情で腕を組んだ。
「面白そうだな。俺たちも一緒に参加してもいいか?」
「えー!王子も俺たちと一緒に授業するのか?」
「楽しそう!」
「みんなでやろー!」
子供たちは王子の言葉に、きゃっきゃと楽しそうに跳ねる。
「……すみませんレグルさん。私たちも一緒に参加させて頂いても、構いませんか?」
これは、レグルさんのことを知るチャンスかも。
そう思いながら、申し訳ないような様子をしつつレグルを仰ぎ見る。
彼は全然気にした様子もなく、子供たちの頭を撫でながらにこりと頷いてくれた。
「少々恥ずかしいですが、私は構いませんよ。むしろ遊びの邪魔をしてすみません」
「いえ、勉強は大切ですから……!ありがとうございます」
「ふふ、それでは今日は、張り切らないといけませんね」
楽しそうなレグルの声に、子供たちがわあっと歓声を上げる。
その後は、図書館の敷地の広いところで、青空の下の小さな授業が始まったのだった。
「ふあ……。ん?」
ちょうど息抜きに紅茶が飲みたくなって、食堂にいたレディ・オリビアに頼んで紅茶とお茶菓子のセットを受け取り、保管書庫へと帰る途中のことだった。
廊下を歩いている最中に耳に届いたのは、賑やかな子供たちのはしゃぎ声。
なんとはなしに近くの窓から外を覗いてみると。
「おや」
レグルと子供たちを少し離れたところから眺める、梨里と猪王子の姿が見えた。
この暑い中、図書館の庭で何やら盛り上がっているらしい。
夏空の下、キラキラと色とりどりの粒子が煌めいている。
どうやら、子供たちがたどたどしいながらも魔術の練習をしているらしい。
一際大きな歓声が上がって、彼らの頭上に大きな虹がかかる。
猪王子が魔術で見せた虹だ。
子供たちに負けないくらい嬉しそうに目を輝かせる梨里の隣に、レグルが歩み寄っていって何かを話している。
梨里の笑顔が彼に向けられているのを見た途端。
「……?」
ざわりと胸の辺りが騒いだような気がして、ひとり首を傾げた。
……なんだろう、これは。
今自分の視界に映るのは、子供たちの魔術の練習を楽しそうに笑顔で見守っている梨里の姿。
彼女が楽しそうにしているのなら、それで構わない――はず、なのに。
胸がざわつく理由がわからず、なんとなくもやもやしたまま窓の外を見入ってしまう。
……いつまでそこで、そうしていたのだろうか。
「……あら?大賢者様?」
いつの間にか近づいてきていたらしいレディ・オリビアの声に、はっと我に返る。
「どうなさったの?こんなところで……」
先ほどレディ・オリビア自身から受け取ったそのままの紅茶とお茶菓子のセットを持ったままの俺を見て、彼女は訝しそうに首を傾げたけれど。
「窓の外を見てらっしゃいましたけれど……ああ、子供たちね」
今まで俺が見ていたものに気づいたらしい彼女は、すぐに破顔した。
「久々に、リヒトーが授業しているのね」
「……レグルは、ああして子供たちに魔術を?」
「ええ、たまに、ですけれど。魔術だったり、勉学だったり。図書館の仕事の合間に、ああして村の子供たち相手に先生をしているんですよ」
「へぇ……」
この村には、学舎はなかったはず。
小さな子供相手に、教師代わりをしているってわけか。
「せっかく中庭でやっているなら、差し入れでもしてこようかしら」
「それはいいですね。……僕も、書庫に戻ります」
「はい」
簡単に会釈をして、最後にもう一度窓の外の梨里を見て、俺は踵を返した。
……胸のもやもやは消えないけれど、今は調査のほうが大切だと、そう信じていたから。
頭の何処かで引っかかった小さなこれが、放っておけばどれだけ大きなものになるかなんて、知るよしもなかったのだ。
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