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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
87.夏の夜長に恋話
しおりを挟むロランディア村での出張生活も1週間と少しが過ぎ、子供たちだけではなく、村の大人たちとも少しずつ打ち解けて来た頃。
焔さんからの頼みで、その日の午後は早めにリブラリカに戻り、彼の欲しがっている資料を取ってくることになった。
日課になっていた村の散策と言う名の子供たちの相手をライオット王子に任せ、アルトと共に戻ってきた日中のリブラリカ。
職員用の通路を歩くと、久々に顔を合わせる司書たちが珍しそうに挨拶してくれた。
禁書庫に籠もり、頼まれていた本を探して、十数冊を積み上げ終わる頃にはもうすっかり陽も暮れていて。
予め言われていた通り、今日はこのまま直帰かなぁと、ぼんやり考えながら本の山を最奥禁書領域まで運んだ。
「あー、腹減ったなぁ」
どさりと机に本の山を置くと、アルトがその脇でくわっと呑気に欠伸をする。
ちらりと時計を確認すれば、いつもロランディア図書館で夕食を取っている時間より1時間ほど遅い時間になっていた。
「ああ、確かに……この時間だものね」
意識すると、空腹を感じてしまうのが人間というものだ。
急にお腹が空いたように感じて、自宅の冷蔵庫の中身を思い出そうとする、けれど……。
「あー……」
しまった。
最近はロランディア図書館で毎食を食べるのが普通になってしまっていたから、たぶん……今から帰っても、冷蔵庫にはろくな食材が入っていない。
「だめだ、帰ってもすぐご飯作れないし……久しぶりに、こっちの食堂で夕飯にしようか」
「俺様は、すぐ食えるならなんでもいい」
「じゃあいこう」
アルトを肩に、リブラリカの食堂へと移動する。
夏の夜、窓の外からは虫の鳴く声が聞こえるのに、リブラリカ館内は涼しいくらいの室温に保たれていて過ごしやすい。
同じく夕食を取っている職員たちで賑わう食堂で、いつも通りにモニカのカウンターへ顔を出すと少しだけ驚かせてしまった。
「あら、リリー様!こんな時間に珍しいですね」
「こんばんはモニカ。マスターの依頼で早めに戻ってきたの」
「なるほど、そうでしたか。何かご用意しましょうか?お腹空いていません?」
「もうぺこぺこなの。お夕飯、お願いしてもいいですか?」
「ええ、勿論です!すぐご用意しますので、少しお待ちくださいね」
モニカは嬉しそうにキッチンの方へと引き返すと、すぐに美味しそうな夕食プレートを手に戻ってきた。
「今日のお夕飯は、冷製パスタなんていかがです?昼間、とっても暑かったでしょう?」
「わあ……!ありがとうモニカ!すごく美味しそう!」
きらりと氷が涼しげな野菜たっぷりの冷製パスタに、オレンジ色のドレッシングが掛かった彩り鮮やかなサラダ。果物の盛り合わせに、アイスティー。
暑い夏にたまらないメニューだ。
お礼を言ってプレートを受け取り、賑わうテーブルの合間を縫って向かったのはいつもの階段を上った先。
突然だし、こんな時間だから会えるはずもない……と思って向かった友人たちとの定位置には。
「あれ?」
予想外なことに、懐かしい気すらする綺麗な金髪の美少女がパスタを食べていた。
「シャーロット!」
「え、リリー?!」
思わず声を上げると、彼女も驚いたように目を丸くした。
早足に席に駆け寄って、向かいにプレートを置く。
「久しぶり……!会えると思わなかった!」
「私も驚きましたわ……!いつも向こうで夕食を取っていると聞いていましたけれど、今日はどうしたんですの?」
「イグニス様からの頼まれごとがあって、夕方くらいからこっちに来てたの!」
「まぁ、そうでしたのね!本当に久しぶり……!ねぇ、お時間はありますの?あちらでのお話聞かせてくださいな」
「うん、大丈夫!あのね――」
思いがけない嬉しい出会いに、私もテンションが上がってしまう。
ロランディア村での出張が始まってからのことを、美味しい夕食と共に沢山おしゃべりした。
出張中は、毎日の楽しみになっていたお茶会もできていなかったし、シャーロットとこんなに楽しく会話できるのは久しぶりだ。
さっぱりしてみずみずしい野菜やパスタでお腹が満たされた頃、モニカから追加でデザートを貰ってきて、さらにおしゃべりは続く。
アルトが途中で飽きたのか椅子で寝入ってしまったけれど、それでも私たちは飽きずに会話に花を咲かせ続けていた。
「……そういえば、オリバーは?元気?」
いつも一緒にお茶をするもうひとりの友人について話を振ると、シャーロットはちょっとだけ頬を染めて視線を泳がせた。
「ええ、勿論。呆れるくらい元気ですわよ。……全く、本当に相変わらずなんですの。貴女がいないっていうのに、毎日のようにここへお茶を飲みに来て、だらだら怠けて……」
怒っているような口調なのに、表情までは隠し切れていない素直な彼女。
「ふふ、そっか」
密かに応援している友人の恋は中々順調なようで、自然と笑顔になってしまう。
そんな私の温かい視線に、シャーロットはぷいっとそっぽ向きながら反撃してきた。
「あ、貴女こそ……!イグニス様とはあちらで、どうなりましたの?」
「へっ」
思わぬ反撃と彼女のじと目に、どきりとする。
「とぼけても無駄ですわよ。何もない田舎とはいえ、いつもと違う場所、環境なのですから、何かしら進展があってもおかしくないのではなくて?」
「え、えっと……」
何だか色々複雑な気持ちになって、今度は私が視線を泳がせてしまった。
結局、あの舞踏会が終わった後。
しばらくしてから、シャーロットにだけは、私が焔さんを意識し始めたことは話をしていた。
幼い時には自分も大賢者に恋をした、と言っていた彼女は、私の告白に「当然のことですわ」、とどこか満足そうに頷いたのだ。
シャーロットに私の気持ちを隠す必要はない。ない、としても。
本当に、進展も何も……ないんだよなぁ。
「……イグニス様、ずっと調査に夢中だから……食事の時以外はずっと、向こうの図書館の保管書庫に籠もってて。たまに2人で話すこととかないわけじゃないんだけど、リブラリカに居るときより、一緒にいること減ったかな……って……」
「まぁ……それ、本当ですの?」
「うん……。ほら、もともと調査のためにって行ってる出張だし、仕方ないっていうか、当たり前かなとは思うんだけど……」
「寂しいって顔、してるじゃありませんか」
そう言ったシャーロットの綺麗な指先が、そっと私の頬に掛かった髪を払った。
「……うん」
認めたくないような、そんな気持ちがあったけれど。
でもやっぱり、そう思う自分がいるのは真実だ。
「ライオット王子や、子供たちと過ごす毎日はとっても楽しいんだけど……あ、もちろんちゃんと調査もしてるよ!でも……でも、やっぱりね。その……」
言っても、いいのだろうか。
ただの我が儘だからと、必死で考えないようにしていた、気づかないようにしていたこの気持ち。
迷いながら、ちらりと目の前のシャーロットの表情を窺うと……思っていたより優しい青い瞳が、促すようにこちらを見守ってくれていた。
友人の優しさを感じて、心が緩んだのだろうか。
「……私、ちょっとだけ期待、してたかもしれない。……何かこう、進展?あるかな、って……」
本音が、ぽろりと唇から零れていた。
「ちゃんとした仕事での出張なのに、だめだよね、こんな……」
「貴女はきちんと、仕事はしているのでしょう?」
テーブルの上でそっと、シャーロットの手が私の手を包みこんだ。
「いいのですわ。やるべきことをしっかりとやっている上でなら。……自分がどんなことを思おうと、自由でしょう?」
「シャーロット……」
「大丈夫ですわ。まだまだ、出張は始まったばかり。そうでしょう?……私も、今日やらなければいけない仕事は終わっていますし、せっかくですから色々、一緒に考えてみましょう!」
「……うん!」
「その意気ですわ!それじゃ、まずは――」
恋の話に盛り上がる少女たちの傍らで、黒猫の使い魔は重そうな瞼で瞬きするとくああとまたひとつ、欠伸をした。
お腹は満たされたし、家に帰るのが遅くなるのはまぁ……本人がいいなら、いいか。
そんな気持ちで、再び椅子の上でまどろみ始める。
相棒も苦労しているようで、同じ主人を持つ同士として――ちょっとだけ、応援してやってもいいかなという気持ちになっていた。
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