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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
95.ロランディアの魔女<2>
しおりを挟む夜のキッチンにほわりと温かな明かりが灯る。
「すぐ用意するわ。そこに掛けて待っていてくださいな」
「はい」
カチャカチャと心地良い音を立てて、レディ・オリビアがお茶の用意をしてくれる。
その背を眺めながら、私は小さな丸椅子に腰掛けた。
静かな夜に、コポコポとお湯の沸く音。
レディの灰色の髪が、マナランプの明かりで橙色に染まっていた。
ぼんやりとそれを見つめていると、こちらの視線に気づいたのか、彼女はくすりと小さな笑みを零した。
「そういえば、ミモレには会えたのかしら?」
「あ……はい、ありがとうございます。夕方に、泉で会えました」
「泉……ああ、図書館の裏にあるあそこね。とても綺麗だったでしょう?」
「ええ、すごくキラキラしていて、宝石みたいに綺麗でした」
「そうでしょう。あまり人が寄りつかないから、ずっと綺麗なままなのよね」
透明なガラスのポットに、鮮やかな紅の紅茶がこぽこぽと注がれる。
ティーカップがふたつと、ミルクポットとシュガーポットが並べられたトレイは、ふんわりと優しい湯気を立ち上らせていた。
その様子を眺めながら、ふと脳裏によぎったのは昼間に聞いたあの言葉。
……今なら、聞いてみてもいいだろうか。
「あの、レディ……」
「なあに?」
静かに声を掛ければ、こちらに背を向けたままお茶菓子の用意をしてくれているレディ・オリビアが返事をしてくれる。
華奢なその背中を見つめながら、おずおずと口を開いた。
「ええと……レディは、ミモレの親戚……なのですよね?」
「ええそうよ。あの子は、私の妹の孫娘なの」
「あの……今日、いつもの子供たちに、ミモレの居場所を知らないか聞いてみたんですけど……。その時、子供たちがミモレのことを……その……」
「……ああ」
私から話題を振ったにも関わらず、やはり肝心のところが言いづらくて。
言い淀んでしまった私に、彼女は静かに息を吐いて、そっと手を止めた。
「ミモレは魔女だ、……とでも言っていたかしら?」
「……えと、魔女の家の子だって」
「今はそんなふうに言われているのね」
レディ・オリビアの声は、とても静かだ。
呆れるでも悲しむでもなく、小さく溜息をついた彼女は、再びお菓子へと手を伸ばしながら静かな声で続けた。
「大したことではないのよ。私の生家は、このロランディア村一帯の地主のようなものでね。村の端の端に、大きめのお屋敷があって、昔からそこに住んでいるの。先祖代々、強い魔力持ちが多くてね。……もの静かな人が多い上に、子供は女の子ばかりで。そのせいか、村の人達には魔女の家、なんて呼ばれているのよ」
「そう、なんですか……」
「もしかしたら、薬師をしているせいなのもあるかもしれないわね。ほら、ここら辺だと、ちゃんとしたお医者様は町にいかないといらっしゃらないから。ちょっとした病に効く薬を、村の人たちへ作ってあげることもあるの」
美味しそうな焼き菓子を盛り付けたお皿をトレイに追加しながら、「よくある話でしょう?」と彼女は優しく微笑む。
「私は本が好きで、司書になりたい、と家を飛び出してしまったから、薬の知識はないのだけれどね。あの子も本が好きだというから、私、いつも甘やかしてしまうの。妹にはあまり、良く思われていないのだけれどね」
確かに、医者がいない田舎の村で薬を作る女性たちが魔女と呼ばれるのは、物語や歴史の中でもよく見る話ではある。
よくある話、だけれど――。
実際にあの子供たちの反応を見て、目の前にそういう扱いを受けているという人が居る現実――。
正直、どういう反応をしたら正解なのか、わからない。
困り果てて口を噤んでしまった私に、軽食の用意が済んだトレイを差し出しながら、レディは悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「あら、そんな深刻そうなお顔しないでくださいな。私もミモレも、そんな風に呼ばれることを気にしているわけではないのよ」
「……ですが……」
「リリーさんは優しいわね。でも本当に、気にしてなんていないのよ?そんなふうに呼ばれては居るけれど、村の人たちには感謝されているし、嫌われているわけでもないもの」
「そう、なんですね……」
「ええ。子供たちはちょっとだけ、ミモレのことを怖がってしまっているようだけれど、あの子も静かに読書が出来ていい、なんて言ってましたから。……それに、なんと言っても、あのザフィア様の血筋なのですもの。出自を誇ることはあっても、悲観することなんて、何一つありませんわ」
「……え?」
誇らしげに付け加えられた一言に、今度は私が目を丸くする番だった。
レディに用意してもらったトレイを手に、静かな廊下を歩いて行く。
「…………」
自分の足音と衣擦れの音だけが響く廊下。
頭の中を占めるのは、先ほどのレディとの会話ばかりだ。
……ええと、ミモレやレディ・オリビアの一家は、このロランディア村の地主……貴族のようなもので。
村の住人からは『魔女の家』なんて呼ばれる、薬師のようなこともしているそうだ。
そして、何より。
「……初代ザフィア王の血筋、か……」
この村が、初代国王の生まれ故郷だということは、来る前から知ってはいた。
確か、この出張が決まったときにも焔さん自身から聞いたような気もする。
しかし、実際に調査が始まってからは、その情報がすっかり頭から抜け落ちていた
他でもない、その初代国王様の書いた魔術書の調査で出張に来ているのだ。
ここがその初代国王の生まれ故郷だというのならば、村の調査をする上でその生家を調べるというのは、基本中の基本ではないか。
「気が抜けてたのかなぁ……」
我ながら、そんなことも思いつかないなんて情けない。
村の端のほうに屋敷があるって言ってたっけ。
明日の調査は、そのお屋敷を見に行ってみるのがいいかな……。
朝になったら、殿下にも話してみよう。
ぼんやりと考えごとをしながら、薄暗い廊下を歩くこと数分。
あの角を曲がったら、すぐに保管書庫のある場所だ。
焔さんにも、初代国王の生家を訪ねてみたいこと、話しておこう――。
その角は、ちょうど灯りの途切れた部分にある。
他の場所よりもさらに暗いその角を、何気なく曲がって。
「ひっ?!」
唐突な不意打ちに、忘れていた恐怖が身体に戻ってきてこの夜2度目、引きつれたような掠れた悲鳴とともに、盛大に飛び上がった。
カチャン!
手元に持っていたトレイの上で、ティーセットがぶつかり合い耳障りな音が響く。
今までの静寂に、その音はもの凄く大きく感じた。
――ひらり、ひらり。
突然私の視界に入ってきて、私を飛び上がらせたものが暗闇の中、優雅に羽を揺らす。
この暗闇の中でも優しく、強くはないのにはっきりと分かるほど光りながらたゆたう、それは昼間に、泉のほとりで見かけたあの――。
「――い、おい、リリー」
「!」
耳に届いた声に、知らず硬直していた全身の感覚が戻ってくる。
声がしたのは、少し前の床のほう。
「おい、どうした?突然飛び上がりやがって」
「……え?」
「なんもないとこでびくつくほど怖いなら、もっと大きな灯りでも持ったらどうなんだ」
呆れたようにやれやれと首を振るのは、見慣れた黒い相棒。
「え?いや、あの……」
――なにもないところで?
「だってそこに、蝶……が……?」
いるでしょう?と。
再び目を上げた所には、先ほどまで美しく輝いていたあのシルエットはどこにもなかった。
「え……?」
どうして。
確かに、さっきまでそこに、あの光る蝶がふわふわと飛んでいた筈だ。
戸惑う私に、アルトは不思議そうに首を傾げた。
「蝶?……お前、歩きながら夢でも見てたのか?」
「……そんな」
そんなことは、ない……はずなのだけど。
一瞬で何処かへ行ってしまったのかとも思ったのだけど、廊下に面している窓は全て閉まっているし、あれだけ光っていたら、カーテンの裏なんかに入り込んでいてもわからないはずがない。
しんと暗闇だけがある廊下で、ただ戸惑いが私の胸に残っていた。
そこに何か、魔術的なものや、生物がいたとして……感覚の鋭い、使い魔であるアルトが分からないはずがないのに。
「どういう、こと……?」
「……あれ、そこで何してるの?」
ガチャリ、と音を立てて、背後にあった扉が開いたのはその時だった。
開いた隙間から、暗闇に慣れた目には眩しいくらいの灯りが漏れてくる。
その光の中に立ち顔を覗かせているのは、会いに行こうと思っていた彼だった。
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