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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
123.ザフィアの生家<2>
しおりを挟む玄関ホールを抜けてから、屋敷の1階にある廊下や大広間、客室などを案内された私たちは、再び玄関ホールへと戻ってきていた。
現在のロランディア領主の身分にあるという老婆の案内は、この屋敷を知っているらしい焔さんのためではなく、殿下に向けてされていたもの、だったと思う。
老婆のゆっくりとした歩みに合わせながら歩いていたので、一周し終える頃には、屋敷に到着してからそれなりの時間が経っていた。
どこか遠くから、低めの鐘の音が聞こえてくる。
古い屋敷に響く鐘の音は、どこか寂しげな気がする。
その音に顔を上げた老婆は、コツ、と杖で床を打ち、私たちを振り返った。
「ああ、もうこんな時間でしたか。皆様お疲れでしょう。お茶を用意させますので、客間で休憩なさってください」
「確かに疲れたな。すぐ用意してくれ」
「畏まりましてございます」
殿下の言葉に、更に身を低くして礼を取った老婆は、近くの召使いのひとりにお茶の指示を出して、私たちを客間の一つへと通した。
深い青に染められた壁紙や絨毯、長椅子などで調度品を統一された客間。
ここは確か、先ほどまでの案内で、貴賓をもてなす際の最上位の客間だと言っていた部屋だ。
気負うことなく優雅に、大きめの長椅子に腰掛けた焔さん。
ここではいつものような気安い態度は取れないため、私は立ったまま、焔さんの座る長椅子の背後へと立ち位置を定めた。
まぁ、そうでなくても今は、隣に座ることが気まずすぎる。
私が立ったままで居るのを見て、焔さんがフードの奥でちょっとだけ不満そうな顔をした――気がする。
しかし、焔さんが口を開こうとした同じタイミングで、屋敷の侍女数人が入室してきてテーブルへお茶の給仕を始めてしまった。
発言の機会を逃してしまった焔さんへ、私は静かに首を横に振る。
これで伝わればいいのだけれど……。
結局、侍女たちが部屋を出て行った後、焔さんは何も言わずに目の前の紅茶を飲み始めていたから、ある程度の状況は伝わったのだと思う。
こちらについてからずっと無言で、唯の猫のフリをしているアルトは、ちゃっかりと焔さんの肩でうたた寝をしているようだ。
「……うん、良い茶葉だな」
「お褒め頂き光栄でございます、殿下」
ライオット王子の言葉に、老婆は嬉しそうに笑んだ。
焔さんの斜め前に腰を下ろしたライオット王子は、うんうん、と頷きながらティーカップを傾ける。
そのカップ越しに、ちらりと視線が合った。
「本当に美味しいな。……どうだ?大賢者の秘書殿も、一緒に楽しんでは?」
どうやら、私が立っていることを気にするのは、焔さんだけではなかったらしい。
ライオット王子のその言葉に、再び老婆の視線が私へと向いた。
……視線が刺さるように感じるのは、気のせいだろうか。
そのままご当主の老婆が何も言わないので、私は床に視線を落としたまま、小さく頭を下げた。
「勿体ないお言葉、ありがとうございます殿下。しかし私は、こちらで控えております」
「そのようなことを言うな。お前だって陛下が派遣した立派な使者だ。お茶を馳走になるくらい、遠慮するものではないだろう?ほら、そこに席があるのだし」
「ですが……」
確かに、ライオット王子の言う通り、お茶の用意はもうひと席分されている。
陛下から使者として派遣されている、というのもその通りではあるのだが……。
困って返事が出来ない私の様子を見て、焔さんがすっと立ち上がった。
「王子の言う通りだ。リリー、君も座って、少し休憩しているといい」
「……はい、畏まりました」
上司である焔さんの言葉に、従わないわけにはいかない。
私の返事に頷きを返すと、焔さんは、私とは目を合わせないまま、すぐに老婆へと視線を向けた。
「当主。私は少し、あの場所へ行ってきたい。問題ないな?」
「ええ、勿論でございます。大賢者様でしたならば、この屋敷内、どうぞご自由にお好きな場所へ」
「少し時間をもらう。その間、王子と僕の秘書には、ここで休んでいてもらって構わないね?」
「はい、畏まりましてございます。すべて大賢者様の仰る通りに。ああ、私が途中までご一緒いたしましょう」
「よろしく」
そのまま、立ち上がった老婆の後に続いて、焔さんはローブを翻す。
部屋を出る直前、こちらを振り返ると、ローブの下から覗く口元が微笑みの形を作った。
「リリー」
「はい」
「僕は少し用事があるから、そこに座って休憩していなさい」
「……わかりました。いってらっしゃいませ」
どういうことかわからないままに、それでもしっかりと返事をして頭を下げる。
「では殿下、私は一度下がらせて頂きますが、何か用があれば、そちらのベルでお呼びくださいませ」
「ああ、わかった」
老婆の声に、殿下が答えるのが聞こえるけれど、私は頭を上げられない。
視界の外で、焔さんのローブがしゃらりと音を立て――。
そして、客間の扉がパタンと閉められた。
「……ふう」
静かになった部屋の中。
一番最初に聞こえたのは、焔さんと一緒に出て行ったと思っていたはずの、アルトの大きな溜息だった。
「おーいリリー。いつまでそうやってんだよさっさとこっちこい」
「……偉そうだなお前」
「俺様は大賢者の使い魔だからなー。偉いに決まってるだろ?」
「…………」
顔を上げれば、長椅子に残って器用に足を組み、ふんぞり返るアルト。
そして、よそ行きではない、いつも通りの柔らかな表情を浮かべたライオット王子がいた。
目が合うと、ライオット王子は呆れ顔でこちらに肩を竦めて見せる。
「使い魔の態度は置いといて……。リリー、こっち座れよ。ほら」
「……ありがとう」
その仕草がいつも通りすぎて、ついくすりと笑みがこぼれた。
私の分に、と用意された席に腰掛ければ、さすがというか、ソファは滑らかな肌触りで、深く沈み込む程に柔らかい。
そっと口を付けた紅茶は少しだけぬるくなっていたけれど、とても上品な香りがして軽く飲みやすいのに深い味をしていた。
ふわ、と口の中で広がる華やかな香りに、強ばっていた肩の力も抜けるようだった。
「……おいしい」
「だろ?さすが領主の屋敷だよな」
「というより、お客様が殿下だからじゃない?」
「まーそれもあるかもしれないけどさ」
軽口を叩きながら、殿下は皿に盛られたクッキーをひとつ、口へと放りこんだ。
ちびちびと紅茶を楽しみながら、私は無意識に客間の扉へと視線を向けていた。
去り際の、微笑みの形になった彼の口元が瞼の裏に映る。
……焔さん、用事って一体なんだろう。
あんなことがあったせいで、事前に話をすることもできなかったから……用事だなんて、見当もつかない。
あの場所……?に、行きたいとかなんとか、言ってたけど。
ここは、あの初代国王ザフィアが幼少期を過ごしていたという生家だ。
そのザフィア王と親友だったという焔さんならば、その時代、この屋敷にも何度か訪れていたのかもしれない。
何か、ザフィア王との思い出の場所とか……そんなところに行った、とかかな?
……私も一緒に、連れて行ってくれても、よかったのに。
そう考えてしまった事実に、またずきりと胸が痛んだ。
あんなことを言って、彼の前から逃げたのは私なのに。
それなのにまだ……私はこんなこと考えて。
こくん、と飲み込んだ紅茶が、喉元を滑り落ちていく。
先ほどより強く、苦みを感じたような気がした。
「……大賢者のやつ、ひとりで何処行ったんだろうな」
私と同じことを考えていたのか、独り言のようにライオット王子が呟いた。
「本当に……どこ、行ったんですかね……」
ティーカップをのぞき込みながら応えた声は、自分が思っていたより低くて小さかった。
ぱちくり、と瞬きをして、ライオット王子とアルトが互いに見合ったのは、完全に私の視界の外だ。
「ま、まぁあれだ。イグニスのやつだって、調査のための心当たり?とかあるのかもしれねーし」
「使い魔の言う通りだよ、リリー。きっと何か見つけて、すぐ戻ってくるって。初代様の親友だったんだろ、大賢者って。だったらほら、初代様の使ってた部屋とか、見に行ったのかも知れないしさ」
「そーそー。イグニスにも、懐かしくなることとかあるんだろうしさ」
「気にしなくていいって。な、使い魔」
「おう、そーだな小僧」
「……って、ちょっと待て誰が小僧だ」
「誰ってお前しかいないだろ」
「おい……」
そのまま、ライオット王子とアルトが何やら言い合いをしていたようだけれど、私は彼らの会話の途中から、全く違うことを考えていた。
……そうだ。そうだよ。
焔さんにだって、懐かしく思うことや、記憶にある場所なんかがあるのだろう。
そう――私には話してくれない、過去にあった、大切な思い出とか。
このお屋敷にも、焔さんの過去が残っている……のだろう。
……私はやっぱり、彼のことを、何も知らないのだ。
何気なく視線を向けた、レースのカーテンがかかる窓の向こう。
綺麗に整えられた庭園が、現実感のない輝きを纏い、鮮やかに緑を放っていた。
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