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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
125.彼女の肖像<1>
しおりを挟む「…………」
しんと静まり返った客間には、空の暖炉の上に置かれた時計の針の音だけが、かすかに響いていた。
――遅い。
別行動をする、と出て行った焔さん。
彼が部屋を後にしてから、時計の針はもう、1周以上回っている。
なのに、帰ってくる気配もない。
先ほどから何度かアルトに、焔さんの気配を確認してもらっているけれど、どうやら屋敷の敷地内ではあるがかなり遠いところまで行っているようで、しかもこちらに移動してくる気配がないらしい。
長椅子から少し身を乗り出して、すっかり冷めてしまったティーカップを手に取った。
そんな何気ない動作ですら、客間に衣擦れの音を大きく響かせる。
私が動いたのを皮切りに、だらりと椅子で寛いでいたライオット王子も、のそりと動いた。
「……遅いなー、大賢者のやつ」
「うん……遅いね」
折角始まった会話も、それで途切れてしまう。
慣れない場所で落ち着けるはずもなく、ずっとそわそわしていたからだろうか。
ちょっぴり、疲れを感じてきていて――。
「……ふあ」
はしたないと分かっていても、つい。
かみ殺しきれない欠伸が、ほんの少しだけ漏れてしまった。
「あっ……ご、ごめんなさい……」
はっと気づいて口元を隠すけれど、もう既に遅い。
「大丈夫。気にしなくて良いよ、リリー。俺たちのこと待たせる大賢者が悪いんだから」
と、ライオット王子が笑って軽く手を振ってくれた。
友人として接してほしい、と言われているからといって、一国の王子様の前で欠伸なんて……さすがにはしたない。
反省して、クッションに埋もれるように小さくなっていると、隣の座面に丸くなっていたアルトが起き上がり、うーんと猫特有の動作で伸びをした。
「んーっ。……あー、リリー、お前ちょっと疲れてきただろ。無理するなよ」
言葉と共に向けられた、アルトの紅い瞳に、う、と喉から変な音が出た。
「え、いや……うん。まぁ、ちょっとだけ疲れたけど。でも、お仕事だし……」
「屋敷の中は見たんだし、イグニスのやつが心当たりありそうなとこに行ったんだろ?だったらもう、今日の調査なんて終わったようなものじゃねーか」
「……うーん」
本当に、それでいいのだろうか。
アルトの言うこともわかるが、もしこれで焔さんが帰ってきた後、お屋敷から失礼する……ということであれば、調査という名目でこの屋敷までやってきたというのに、きちんと仕事をしたのは焔さんだけ、ということになってしまいそうである。
私もちゃんと役に立ちたい、そう思っているときに、唯ついてきてお茶をしていただけ――というのは、なんとも情けないような。
「……お仕事としてここに来てるんだから、何か成果をあげないと」
「そーんなにお堅く考えることないって。今までだって、あのイグニスがあんだけ必死になって手がかりも見つかってねーのに」
「そう、だけどさ……」
しゅん、と気持ちがしぼむような感覚に、両手で持っていたティーカップに視線を落とす。
……やっぱり私は、何の役にも立たない小娘で居るしかない、のだろうか。
そんな苦い思いから、紅茶の水面に溜息で小さな波を立てた、その時。
静かな室内に、ノックの音が鳴り響いた。
がば、と長椅子から身を起こす私とライオット王子。
焔さんが帰ってきたのか――と、期待したのだけど。
「――ここにいたのね」
きい、と小さな音を立てて開いた扉の隙間。
そこからこちらを覗いて可愛らしい声を上げたのは、小さな少女。
「ミモレちゃん……!」
この屋敷に暮らしているはずの、領主の孫娘――ミモレだった。
小さな彼女は扉の隙間からするりと部屋に入ってくると、入り口の辺りでスカートを摘まみ、ぺこりと礼儀正しく頭を下げた。
その先に居るのは、ライオット王子だ。
「王子殿下。改めましてごあいさつを。ミモレです」
「ああ、邪魔している」
ライオット王子が、王子として正式に訪問しているため、ミモレちゃんもきちんと礼を取ったようだ。
小さいのにしっかりとした礼儀作法に、さすがは貴族の子供だと、とても感心してしまった。
ライオット王子からの返答を受けて顔を上げたミモレちゃんは、私の方へと向き直り抱えていた本をぎゅ、と抱きしめた。
「おばあさまから、お姉ちゃんたちをおもてなししなさいって言われてきたの。時間あったら、見せたいものがあるんだけど……お姉ちゃん、あの、王子殿下も、来てくださる?」
おずおずと、だがきちんと意思をもって問いかけてくれたミモレちゃんのお誘いに、私とライオット王子が顔を見合わせたのは、ほんの数秒。
「うん、ありがとう。ついて行けばいいかな?」
そう言って立ち上がると、ミモレちゃんはぱあっと嬉しそうな表情を浮かべてうん、と頷いた。
焔さんがいつ帰ってくるのかわからない今、手がかりになりそうなものがあるのなら、何だって見ておきたい。
部屋を出る私の肩にアルト、後ろにライオット王子を連れて、とことこと廊下を歩くミモレちゃんのふわふわの髪を追いかけた。
なんだかよくわからないけれど、先ほど案内された中にあった中庭へと出たかと思うと、その中庭をまっすぐ突っ切って、今度はまたすぐ、建物の中に戻ってしまう。
この時、私とライオット王子にはよく分かっていなかったのだが、別棟へと移動していたのだ。
何となく、先ほどとは違う静けさの廊下を、無意識のうちに息を殺しながら歩いて行く。
よくわかっていないながらに、目の前にいる小さな背中を見失うことだけは絶対にしてはいけないと、本能のような勘のような、私の何かがずっとそう叫んでいるようだった。
頬の辺りが少しくすぐったいなと思ったら、肩の上に居るアルトが少しだけ毛を逆立てているようだった。
視線を合わせるけれど、特に何もない、とアルトが首を横に振るから、納得はいかないにしてもそれ以上聞く気にはなれない。
ミモレちゃんは、何となく不気味ささえ感じる廊下を歩き、階段を2つほど上って、静寂で耳が痛くなりそうなほど人気のないフロアにやってきていた。
私の不安を知ってか知らずか、そのフロアに上がるなり、くるりと振り返ったミモレちゃんが申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「たくさん歩かせてごめんなさい、もうつくから」
「ううん、大丈夫」
こんなことで、疲れたなんて言ってられない。
……私に出来ることなら、なんでもやってみなくちゃ。
「……こっち」
私の返答になんとも言えない表情をしたミモレは、本を抱いたまま、また廊下を歩きだす。
一歩踏み出すごとに、足下の分厚い絨毯が細かい埃を小さく巻き上げているようにも見えた。
ふと見れば、窓枠にもうっすらと埃が積もっている。
窓の外は、鮮やかな緑の木々が生い茂り、この廊下に影を作っているようだ。
――ここは、この屋敷の中でもめったに人が来ない場所なのかもしれない。
予想を裏付けるように、客間の近くにはあんなにちらほらと見えていた侍女さんたちも、このフロアに来てからは全然その姿を見ていない。
心なしか、空気もずっと重たいような、そんな気がする。
ずっと後ろを歩いていたはずのライオット王子が、いつの間にか、肩が触れる程隣に近寄ってきていた。
「殿下……」
「……リリー、僕から離れないで」
「え?」
「何だかここ、ものすごくマナの濃度が濃いんだ。何があるか、わからないから」
少し前を歩くミモレに聞こえないように、ライオット王子が私の耳元に顔を寄せてそっと囁いた。
驚いた私の頬に、ライオット王子とは反対側からふわ、と温かな柔らかさを感じる。
見れば、そちら側の肩に乗っていたアルトも、紅い瞳を鋭くして周囲を警戒しているようだった。
声は出さずに、ライオット王子と目を合わせ、ひとつ頷いてみせる。
そのまま廊下を歩き、角を曲がった先で、とうとうミモレが足を止めた。
「見せたかったの、この部屋」
廊下に複数ある扉と、まったく同じデザインの扉。
その扉に手を掛けて、ミモレは「それじゃ、開けるね」と小さく呟いた。
――耳に痛いほどの静寂の中。
彼女の小さな手が、音もなくゆっくり、その扉を開けた。
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