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第2章 古き魔術と真夏の夜蝶
127.届かない言葉
しおりを挟む躊躇いは、一瞬だった。
彼は表情を隠すようにまた顔を背けて、小さな声だけが落とされた。
「……アイビーは、ザフィアの幼馴染みだった人だよ」
「……!」
いつものようにはぐらかされたりしなかったことに、はっと息を呑む。
あの焔さんが、話してくれた……!
驚きと嬉しさで瞬きする私の隣で、ライオット王子がぐっと身を乗り出す。
「幼馴染み?そんな話、聞いたことないけど」
「ザフィアが王室に引き取られるまでのことは、あまり文献に残っていないからね。当時も、知っている人間はあまり多くなかった」
「へぇ……それで、幼馴染みってどういうことだよ?そのアイビーって人がロランディアの人間だったんなら、初代様はその兄弟とか?」
「いや。……ザフィアとアイビーは、血は繋がっていないよ。彼の母親が、ロランディア家に仕える侍女だった……ってだけ」
「え、それって――」
更に尋ねようとするライオット王子の言葉が、馬の嘶き声と馬車の揺れに遮られた。
停まった馬車の扉が、外側から開けられる。
「さて、着いたね。レディ・オリビアが夕食を作って待っていてくれる頃だろう」
「あ……」
すかさず、焔さんが席を立って馬車から出て行った。
――まるで、先ほどまでの会話を強引に断ち切るかのように。
「ほら、リリー」
「……はい」
外から差し伸べられる手に、自分の手を重ねる。
もうこの話は終わりだと、焔さんの形ばかりの笑顔が語っているようだった。
――それでも、いい。
今まではほとんど何も話してくれなかったのに、少しだけでも、はぐらかしたりしないで話をしてくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
馬車を降りると、夕陽に染まった村の広場が広がっている。
家路を急ぐ親子や、畑仕事を終えた村人、店じまいの支度をする商店。
いつも通りの風景に、橙色の木々や屋根が、眩しく視界に映った。
「さあ、帰るよ」
さらりと言って、焔さんが先頭を歩いて行くのを、少し遅れて追いかけた。
しゃらしゃらと、夕陽を反射して眩しく輝く、焔さんのローブの飾り。
黄金色の眩しい輝きに目を細めながら、図書館までの道を歩いた。
――先ほどの、焔さんの言葉。
初代王ザフィアは、アイビーさんの幼馴染みであり、彼の母親はロランディア家に仕える使用人の立場だった。
焔さんははっきりと言わなかったけれど、その事実は確信に繋がる。
近い立場にあったのに、突如なかなか会えない人になってしまったという、『翡翠色の日記』の作者、アイビーさんの想い人――それが、ザフィア王だったのだ。
その彼女が、私にさせようとしていること。
……絶対に、そうだ。
ザフィアの魔術書、その封印を解くための、何かのヒントなんだ。
――『ごめんなさいね、この前は。もう少しで貴女を池に落とせたのに』
あの夜、私に向かって、アイビーさんが言った言葉だ。
あの池に何があるのか?と――そう尋ねた私に、彼女は更に微笑んで、『あそこには、鍵が眠っているの』……そう言った。
私に必要な鍵だ、と。
やっぱり、あの宝石池に行かなくちゃ。
あの池の……恐らく水中に、何か『鍵』が沈んでいるのだ。
行くなら、早いほうがいい。
……けど。
ちらり、と視線を上げて、目の前を歩く黒いローブの背を見やる。
言わなくちゃ、だめ……だよね?
もしかしたら危ないのかもしれないし。
あんなことがあって気まずい今、一緒に行って欲しいなんて頼むのもちょっと……いや、なかなか言い出しづらいところがあるのだけれど。
でも、ひとりで行動してしまうのはまずい、気がする。
まぁその『鍵』、というのも、私ひとりでなんとか出来るものじゃないかもしれないし。
一緒に来て貰うのがいい……、と思う。
気まずいとか、それ以前に、ザフィアの魔術書のためだというのなら、それは仕事なのだから。
しっかりしなくちゃ。
焔さんとアルト、私と、ライオット王子。
あまり幅が広くはない夕暮れの道を、みんな無言のまま歩いて行く。
もう結構歩いてきていたのか、遠くに、ロランディア図書館の建物が見えはじめた。
到着してしまう前に、と……私は覚悟を決めて、口を開いた。
「あの、マスター」
「…………何?」
考えごとでもしていたのだろうか。
数秒の間が空いて、こちらを振り返らないままの焔さんから返事が返ってきた。
「ええと、その……前に言っていた、アイビーさんのゴーストの話、なんですけど」
「うん」
「宝石池に、落とされそうになったんです。それで、どうやらあの池に、何かあるみたいで……私、もう一度行ってみようかと思うんです」
ぴたりと、前を行く焔さんの歩みが止まる。
つられて、私も立ち止まった。
振り返らないその背に、更に声を掛ける。
「あの、マスターも一緒に行って――」
「――だめだよ」
声を張るでもなく、しかし重く強い声が、私の言葉を遮った。
ゆっくりとこちらを振り返る焔さんの動作が、やけに遅く見える。
「リリー。もう二度と、あの場所に近づかないで」
焔さんの固い声に、喉の奥で声が絡まる。
数歩先からこちらを見つめているはずの焔さんの表情は、逆光になってしまっていてわからない。
それでも私だって、これで引き下がることなんてできなかった。
何も出来ていない私が、唯一役に立てるかもしれない、大切な手がかりだ。
「……っでも!でもあそこには多分、あの魔術書の鍵になるものがあるはずなんです!」
全身に力を込めて言い返す。
けれど焔さんは、静かに首を横に振るだけだった。
「いいかい、リリー。ゴーストというのは、生者とはまったく違うモノなんだ。危険なんだよ」
「でも、鍵が――っ」
「それについては心配いらない。ちゃんと、ロランディアの屋敷で手がかりを見つけてきたから」
「……でも、」
それならば、アイビーさんが私に言った、『鍵』というのは……一体なんの鍵だというのか。
「それでも、確かめたほうがいいと思うんです!」
「その必要はないよ」
「焔さん!」
「――梨里」
静かに、重く響いたその声に、びくりと身が竦んだ。
いつの間にか、後ろにライオット王子がいるということを忘れて、会話に熱くなって……人前だというのに、彼を『焔さん』、と呼んでしまっていることにすら、気づかなかった。
「危険だから、ゴーストとはもう関わってはいけない。あの池にも近づいてはだめだ。君を、危ない目に合わせる訳にはいかない。心配なんだよ。……僕の言うこと、きけるね?」
静かで淡々とした声なのに、それは完全に、抗うことを許さない言葉だった。
「…………」
はい、と返事することもできなくて、ただ無言で足下に視線を落とす。
私のその様子を肯定と受け取ったのか、焔さんはまた図書館の方へと踵を返し歩き出した。
……ただ、ついて行くことしかできない自分が、もどかしい。
結局、それ以上は言葉も交わさないままに、図書館へと到着した私たちは、まっすぐ食堂へと向かった。
レディ・オリビアが用意してくれた美味しい夕食も、味がわからないままに飲み込む。
俯いたまま食事をしていた私とは反対に、ぱぱっと夕食を済ませてしまった焔さんは、食堂から出て行く直前にくるりとこちらを振り返った。
「王子は、話があるからすぐ書庫に来て」
「あ?」
「昨日してた話。確認しに行くから付き合って。あ、リリーさん。その間アルトも借りるよ」
それだけを告げて去って行こうとする後ろ姿に、ガタンと椅子を蹴立てた。
「待ってください!調査のことなら私も――」
「いや、いい」
「え?」
「リリーは、今夜はリブラリカへ帰って」
「そんな……」
それは、私だけのけ者ってこと……?
どくんと、心臓が痛いほど大きく脈打つ。
絶句した私に、焔さんはちょっと困ったように微笑んだ。
「僕が対処出来ないときに、また危険な目にあったら困るから。いいね?」
「……あ、の」
「アルト。やっぱりリリーさんのこと、送ってから来て」
容赦のない焔さんの言葉に、紅茶を飲んでいたアルトは、深い溜息を吐いて頷いた。
「……わかった」
だめだ、このままじゃ、私だけ置いて行かれちゃう……!
役立たずなんて嫌だと、役に立つんだと思っていたのに。
素っ気ない焔さんの態度に、焦りが募る。
「マスターっ」
「それじゃあ、暗くなる前に帰るんだよ」
焔さんは、そのままするりと私に背を向け、食堂を去って行った。
私の言葉なんて、聞く耳も持ってもらえなかった。
一度も……こちらを見てはくれなかった。
「…………」
すとんと、再び自分の席に座り込む。
もう、目の前の食事に手を付ける気力もなかった。
「リリーさん……」
気遣わしげなレグルの声に、はっと顔を上げる。
レディ・オリビアも、レグルさんも、ライオット王子も。
皆が心配そうな表情で、私を見ていて。
「……すみません、マスターにああ言われてしまったので、今日はもう帰りますね」
――そんな目で、見ないでほしい。
傷ついた気持ちを抱えたまま、精一杯の笑顔で断って、逃げるように食堂を後にした。
今の私にできることなんて、それっぽっちのことだけだった。
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