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第3章 美しき華炎の使者
152.特に用事はないけれど
しおりを挟む「おっほん。……まぁ、冗談はこのくらいにして」
「…………」
「そう睨むなって。謝ったろ?ね、リリーさん」
「……はは……」
どう反応したらいいのかわからず、取り敢えず笑って誤魔化した。
先ほどの冗談で、私の隣に座る焔さんは、冷ややかな視線をザフィア様へ向けている。
初対面だけれど、こう……何となく、ザフィア様の性格がわかってきた気がする。
「……で、何の用で来たんだよ?」
珍しく不機嫌オーラ全開のまま、ぶっきらぼうに焔さんが尋ねる。
ザフィア様はティーカップから一口紅茶を飲むと、焔さんのとげとげしいオーラも気にせず、あははと爽やかに笑った。
「実は、用はないんだよ。折角俺の意識が表に出てきたから、お前たちの顔見ておこうと思って。リリーさんともまだ、直接話してはいなかったからね」
そう言って、ザフィア様はにこりとこちらへ微笑み掛ける。
「あの……光栄、です」
正直、初めましてなわけだし……、この国の歴史を勉強する中で知ったような、そんな有名人と会話をする、なんて状況になっても……返答に困る。
長椅子の上で小さくなっている私とは正反対に、焔さんはふんっと鼻で笑って足を組み直し、背もたれに身体を預けた。
「用がないって、唯の暇つぶしじゃないか」
「俺は、ね。ライオットのほうは、ちゃんと用事があるみたいだから、許してやってくれよ」
「なら早く代われ」
「なんだよーつれないな。なんだっけ、えっと……800年ぶり?の再会だろ?」
「再会の挨拶なら、もうあっちでしただろ?」
「そうだけどさー。こう、会えなかった期間の積もる話とか……なんかあるだろ?」
「……。何も」
ワントーン、焔さんの声が低くなった。
「何も……ないよ。つい最近までずっと、俺はここに居たんだ」
「は?ここって……この場所に?ずっと?」
ザフィア様の目が丸くなる。
……驚くのも無理はない、と思う。
「たまに、外の世界に本を漁りには行ってたけど。この場所から出たこと、なかったよ」
「――――」
絶句したザフィア様の口元が、嘘だろ、と声もなく呟いた。
久々に聞いた焔さんの、低くて冷たい声に……ぎゅっと胸が締め付けられる。
最奥禁書領域。
静寂の中に、数え切れないほどの本が眠っている場所。
自分の立てる物音以外、何も気配がない……静謐で、孤独な空間。
こんな場所に、焔さんはたったひとりでいたのだ。
以前に聞いている話ではあるけれど、それでも……この場所にたったひとりだった彼を想像して、何度だって、切なさに胸が苦しくなる。
思わず、衝動のままに隣へと手を伸ばす。
……けれど、さすがに焔さんの手を握る――なんてこと、出来る勇気は持ち合わせていなくて。
彼の袖をほんの少し摘まむのが、精一杯だった。
そんなに寂しそうな顔を、しないで欲しい。
今は私が、ここにいるから。
ふ……、と。
焔さんの吐息が聞こえて、視線を上げる。
彼はいつも通りの、優しい微笑みでこちらを見下ろしていた。
袖を摘まんだ私の手に、そっと彼の手が重ねられる。
「まぁ、今は外にも出てるし、リリーもいるから」
「……っ」
彼の少しひんやりとした手の感触に、自分のしたことが急に恥ずかしくなって、慌てて手を引き戻す。
顔が赤くなっている気がして、両頬に手を当てながらそろりとザフィア様の様子を窺う……と。
「……そっか」
予想外、というか。
ザフィア様は、どこか寂しそうにも見える顔で笑っていた。
てっきりまた、からかわれるかと思ったのに。
しかし彼は、私たちが更に何か言おうとするのを遮って、椅子から立ち上がるとうーんと大きく伸びをした。
「お前たちが仲良くしてるの見れたから、いいかな。もう時間切れみたいだし」
「時間切れ?」
「ああ。俺が表に出てるのって、ライオットにも負担かけるからな。そろそろ身体返さないと」
「そうか」
「また近いうちに話そう」
「ああ」
焔さんと短い会話を交わして、最後に私へとにっこり手を振ると、ザフィア様は静かに目を閉じた。
ふわりと、ザフィア様を中心にして柔らかい風が吹いた――と思ったら、周囲からすうっとマナの圧のようなものが消える。
「――……」
入れ替わったのは、一瞬だった。
再びその瞼が持ち上がった時。
そこにあった薄紫色の瞳は、先ほどまでの輝きの強さが和らいで、優しい光に戻っていた。
華やかな美しさはそのままに、感じられるマナの柔らかさや軽やかさが、慣れ親しんだライオット王子のものに戻っている。
知らずのうちに、ほっと胸をなで下ろしていた。
「あれ?俺……確か、ザフィア様に身体を貸して……、おわっと!」
「殿下っ」
ライオット王子が、一歩後ろに下がろうとして椅子に足を取られ、尻餅をつくように座り込んでしまう。
「大丈夫?怪我してない?」
それに慌てて声を掛けると、彼はようやく、目の前に私や焔さんがいることに気づいたようだった。
「あ、あ?!え、リリー?大賢者も。なんで……あ、そうか。俺、お前たちに会いに来て、それで……」
「殿下……?」
魂の表裏が入れ替わった影響が、ライオット王子はいまいち、今の状況が飲み込めていないようだ。
「ちょっと、ちょっとだけ待って、リリー。……ああ、俺、戻ったんだな。身体が重い……。うん、ということは、ここはリブラリカか?」
「うん。最奥禁書領域だよ」
「ああ、そういえば見覚えが……って、え?!は?なんで?いつの間に?!」
途端、ライオット王子ががばりとテーブルに両手をついて、身を乗り出してくる。
しかし次の瞬間には、焔さんが魔術で飛ばした、マナの塊のようなもの――星型デコピン、と勝手に呼んでいる――が、すぱん!と良い音を立てて、久々に王子の額を張り飛ばしていた。
「うるさい。静かにしろ」
ぎゃんっと悲鳴を上げるところまで、なんだか懐かしい流れだ。
「なにするんだよ、痛いなもう……っ!」
「騒ぐな」
「いっ……!だから、それやめろって!俺は、なんでここにいるのかって……」
「ザフィアだった間は、勝手に入って来れたんだよまったく……」
「あ、そういうことか。なんだ便利じゃん!これで俺、いつでもここに出入り自由……あだっ!」
「こんなにうるさいのが出入り自由じゃ困るな。ザフィアも弾くようにしておくか……」
「……あ、あの……っ」
この2人の言い合いは、早めに止めないと面倒なことになる。
控えめに会話に入ろうとするけれど、段々勢いづいてきた2人には、私の声はもう届いていないらしい。
「おい大賢者!ザフィア様を拒むだなんて、どういう神経してるんだ!」
「誰を拒もうと僕の勝手だろう?お前が入って来れないようにできるなら、そうしてもいいかと」
「なんでだよ!別にいいじゃないか!」
「いいや、毎回こんなに騒がれちゃ僕だってね、迷惑なの!」
「ちょっと、ふたりとも……っ」
だめだ、やっぱり全然聞いてない。
オロオロしていると、テーブルの端のほうで自分用に出された紅茶を舐めていたアルトが、そろりと私の膝へ移動してきた。
アルトは紅い瞳を半眼にして、大きな溜息交じりに2人のほうをくいっと顎で指す。
「……おい、お前の仕事だろ」
「いつから私の仕事になったの、これ……」
「お前じゃないと止まらんだろうが」
「いやいや……別に私じゃなくてもいいと思うんだけど」
「……いや、お前じゃないとだめだろ、これ」
だから、どうして。
顔を上げると、ちょうど焔さんの星型デコピンが飛んで、またライオット王子の額に当たる所だった。
まったく……本当に毎回、いい年して子供みたいな喧嘩を……。
すう、と大きく息を吸い込む。
私の仕事、というのは解せないけれど、止めなければいつまでもこのままだ。
それはそれで、とんでもなく疲れてしまいそうなので。
「……2人とも、いい加減にしてくださいっ!」
毎回恒例――になんて、なってほしくはないのだけれど。
結局私は、力一杯、声を上げるしかなかった。
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