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第3章 美しき華炎の使者
164.王からの伝言
しおりを挟む妖精の王が焔さんに……一体、どんな用事が――。
と、そこまで考えて、はっとした。
ある。あるではないか。
焔さんに関係のある、妖精といえば……つい最近、聞いてしまったあの話。
その昔、焔さんに想いを寄せていたという、ザフィア様の妹姫。
彼女は結局、妖精の国に渡ったって……。
ざらり、心の表面を、不快な何かがさかなでるような感覚に、落ち着かなくなる。
何度も瞬きをして、やっとはっきりしてきた視界の中、焔さんが片腕で、ライオット王子を制しているのが見えた。
ここから見上げれば、フードに隠れた焔さんの表情が見える。
いつも落ち着いている黒い瞳が、ぼんやりと紅く光っている様に見えた。
見たこともないほどの視線の鋭さに、びくりと肩が揺れる。
「……賢者は、僕だ」
続いて紡がれた声は、地を這うような低さで、警戒が滲みでているようだった。
オリバーも、その声の様子に気圧されたのか、私の隣で息を呑んでいる。
だがあの赤い妖精――フェイン=ルファンは、焔さんのそんな視線を向けられても一切動じることなく、大仰に驚いてみせていた。
「ああ、道理で!この場にいる誰よりも古く強い――焦げ臭い匂いが貴方からするとおもっていました!」
古くて強い――というのは理解できるが、焦げ臭い、とはどういうことなのだろう。
「……戯れ言はいい。伝言とはなんだ」
「おやおや、そう急かされなくてもお伝えいたしますよ!私どもはそのために来たのですから!コホン!……あー、では、申し上げさせて頂きます。大賢者イグニス殿、貴殿に、妖精の国への訪問を希望する。使節団と共にいらしてください、とのことです」
「断る」
焔さんはばっさりと、逡巡する素振りさえなく切り捨てた。
その答えに、フェイン=ルファンの瞳がすうと細められる。
冷気のようなものを肌に感じたのは、気のせいだろうか。
「……どうか慎重なご判断を。大賢者殿。応じて頂けない場合は、応じて頂けるまで粘るようにとも、申し遣っております」
「お前たちの都合など知らない。僕は、妖精の国へは行かない」
焔さんは再び強い声でそう言い切ると、おもむろに振り返り、私の膝下に腕を入れた。
「わ……っ」
ふわり、という突然の浮遊感に、身体を支えようと手近なものに手を伸ばす。
焔さんの腕に座るような形で抱き上げられた私は、彼の肩口に腕をついて、なんとか姿勢を保った。
「話は終わりだ。――オリバー」
「えっ」
焔さんが、私を支えていないほうの手をオリバーへと伸ばした。
急に名を呼ばれて焦ったようなオリバーが、シャーロットを支えながら焔さんの手を取ると――。
一瞬で、私たち4人はその場から姿を消していた。
「移動魔術ですか……さすが大賢者殿。見事に逃げられてしまいましたね」
彼らが消えたホールで、妖精の使者は大きく溜息をついて肩を落としていた。
魔術を使った痕跡として、大賢者の紅色のマナがきらきらと舞う空間を、恨めしく睨み付ける。
……どっか行くなら、俺のことも連れていけよ……!
と、強く思うが、残されてしまったものは仕方がない。
気を取り直し咳払いをして、妖精の使者たちの注意をこちらに戻した。
「妖精の国の使者殿。申し訳ないが、我が国の大賢者殿はああ言っておられる。お引き取りいただけないだろうか」
「王太子殿下……!そんなつれないことを仰らないでください。私どもは、先ほど申し上げた通り、大賢者殿に訪問を承諾して頂けるまで、この地に留まり説得し続けよ、と妖精王から申し遣っているのです」
本当だったら、さっさとお帰り頂きたい。
大賢者の頑固さなら、俺が身をもって知っている。
あの様子では、相当なことがなければ意見を覆すこともないだろう。
だが……妖精たちの機嫌を、迂闊に損ねることもできない。
妖精という存在は、強大な力を持っている。
人間もマナを使い、魔術を操ることが出来るが……人間の姿をした妖精たちの力は、人間の国でいうところの、賢者たちに匹敵すると言い伝えられている。
あくまでそう、書物で伝わっているだけだが……。
そもそも、妖精の国を出ることなどめったにない、人型の妖精たちなんて、それこそ大賢者のような伝説の存在だ。
彼らは、自分たちの国――領域から、出ることなく暮らしている。
人間の世界に紛れ混んでくる、小型の妖精たちとは比べものにならないのだ。
そんな相手の機嫌を損ねでもしたら、人間の国など滅ぼされてもおかしくはない――。
手の平の冷や汗を、ぐっと握り閉める。
ちらりと、背後で騎士たちに守らせている父王を見遣る。
視線に気づいたのか、王は険しい顔でひとつ、頷いた。
――仕方がない、か。
俺は妖精たちに向き直り、胸に手を当てて軽く会釈してみせた。
「それは……。あの大賢者殿が、意見を曲げることはないのだが。仕方がない。しばらく我が国の客として、城でもてなすというのはどうだろうか」
「よろしいのですか?ああ……なんと懐の深い王太子殿下!ありがとうございます。是非、お言葉に甘えて!」
まったく……この妖精の公爵だかなんだかというヤツ、道化のように頭を下げることしかできないのか。
慇懃無礼、という言葉がとことん似合いそうな仕草しかしないヤツから視線を外し、少し離れたところにいた自分の従者に、貴賓として扱い、部屋に案内してやれと指示を出す。
妖精の使節団がやっとホールから出て行ったのを確認して、肺の中にあった空気を思い切り吐き出した。
最悪だ……緊張やら何やらで、もう吐きそうである。
しかし、見渡すホールには、怯えた様子でこちらを窺う貴族たち。
ぐちゃめちゃになったホールで、勿論舞踏会なんて続けていられはしない。
……王子として、もう少し踏ん張らなければ。
腹に力を込めて、ぐっと脚を踏ん張る。
そうしなければ、今すぐにでも自室のベットへ走って行ってしまいたい衝動を抑えられそうになかった。
「皆、すまなかった。怪我があれば騎士へ申し出てくれ。舞踏会は仕切り直す。今日は各自、帰宅してくれ」
周りを見渡しながら、しっかりと声を出す。
これだけ言い置いておけば、問題ないだろう。
「ライオット……」
「父上、一度下がりましょう」
「ああ……。そうしよう」
騎士たちに囲まれながら自分の名を呼んだ王を、王族の控え室へと促す。
――ひとまず、事が落ち着いたら大賢者を殴りに行こう。
決して叶うことはないのだが、そんな小さな決意とともに、俺は滅茶苦茶になったホールを後にした。
――結局。
貴族たちが何より注目していた王室主催の舞踏会は、人型の妖精の乱入という、とんでもない展開で塗り替えられてしまった。
社交界での、王子の婚約相手などという噂話はこの日を境にさっぱりなくなり、人々は妖精の使節団についての話ばかりをするようになる。
結果として、シャーロットとライオット王子の婚約発表の場はなくなり、妖精たちの訪問によって、婚約自体も一旦は保留となりそうだった。
焔さんが魔術で移動した先はいつもの応接室で、焔さんは到着するなり「しばらくひとりにしてくれ。仕事も、今日はいいから」とだけ言い置いて、執務室へと籠もってしまった。
置き去りにされた私とシャーロット、オリバーの3人は、アルトが食堂へ頼んで来てくれたお茶を飲んで落ち着いた頃に、解散した。
仕事もいい、と言われてしまった私は、そのまま真っ直ぐ元の世界の自宅へと帰ってきていた。
「リリー。俺、イグニスのところに行ってきてもいいか?」
「うん、大丈夫。……焔さんのこと、お願い。って私が言うのも、変かも知れないけど」
アルトは、ふさふさの尾をひょんと振って、焔さんの元へと戻っていった。
「……はぁー」
誰もいなくなった部屋で、電気も付けずソファにダイブする。
綺麗な夕暮れを横目に、頭の中ではぐるぐると、舞踏会であったことが巡っていた。
シャーロットたちの婚約話は、発表されずにすんだ、けど……。
あの妖精たち。
焔さんを妖精の国へ連れていくって……。
思考が、もう滅茶苦茶に絡まってしまっている。
さらに、色々なことがあったせいで、体力的にも限界だった。
重くなった瞼に逆らうことなく、目を閉じる。
また、目が覚めた後に考えよう――と、疲れ切った頭でそんなことを思った。
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