大賢者様の聖図書館

櫻井綾

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第3章 美しき華炎の使者

165.突然の別れ

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 りりり、りりり……。



「……ん?」



 ゆっくり浮上した意識が、小さな着信音に気がつく。

 むくりと上体を起こすと、そこは自室のソファの上。

 電気もついていない部屋の床で、倒れた鞄から滑り落ちた携帯が、りりりと震えていた。

 滅多に鳴らない携帯電話をのそりと拾い上げる間も、ずっと着信音が鳴り続いている。

 画面に表示されていたのは、もう何年も見ていない、気乗りしない名前だった。



「……もしもし」

「あ、やっと出た。面倒くさいなもう」



 少し苛立ったような声の主は、成人済みの弟だった。

 姉弟仲は、友人以下他人以上……といったところだろうか。

 そもそも両親が放任主義のため、私も弟も、中学生になるころから家族で過ごすようなことはほとんどなくなっていた。

 電話の向こう側は、随分と騒がしい場所のようだ。

 何か、駅のアナウンスのような、放送めいた声も反響している。



「何か用事?」

「用事がなかったら掛けないよ。ほんと面倒くさいんだけど、伝言も頼まれたし、きちんと言って置かないとと思って」

「伝言……?」

「俺、今日からフランスに行くから。あっちで永住するつもりだからもう、日本には戻らないよ」

「そう」



 もう何年も連絡していないけど、別段困ることもない。

 きっと弟が日本に帰ってこないとしても、これから先も困る事はないだろう。



「気をつけてね」

「形式通りの棒読みありがとう。あと伝言な。母さんと父さんから」

「うん」

「ふたりとも今アメリカだって。特に俺たちのことに構う気ねーから、俺や姉さんに何かあってももう連絡してくんなってさ。結婚でもなんでも勝手にやってくれだって」

「そう、わかった」

「ん、じゃあきっちり伝えたから。じゃーな」



 ぶつん、と、唐突に通話が切れる。

 掛けてくるのも突然なら、切れるのも突然。

 まるで仕事の電話でもかかってきたような、あっさりした通話だった。

 沈黙した携帯をソファの上に放り投げて、ブランケットを被ってまた寝転がる。



「……まぁ、なんでもいいけどね……」



 ずっと前からこんな家庭だった。特に不満もないし、悲しいわけでもない。

 ただ、好きな人がいる今――結婚という単語が少しだけ引っかかった。

 もし……もしも私が、好きな人と家庭を作るなら。

 もっと温かい家庭にしたいなと、ぼんやりと思った。









 舞踏会翌日の、リブラリカ。

 あれだけ迷惑だった野次馬貴族たちが一斉に何処かへ消えて、館内にはようやく、心地の良い静寂が戻ってきていた。

 何事もなかったかのように振る舞う焔さんと、いつものように食事を済ませ、午前中に作った分の妖精避けポプリを、一般書架のカウンターと作業部屋で届ける仕事をして。

 最奥禁書領域へ帰ろうかと、思っていたその時だ。



「あ……!秘書様!」



 綺麗な声が背後から聞こえてきて、歩みを止める。

 振り返ると、美しい金髪の少女が小走りに駆け寄ってきているところだった。

 ――シャーロットと同じ、ロイヤルブルーの制服が揺れる。

 あの色は、副館長だけが着ることのできる色なのに……。

 と、少しざわつく心に落ち着かなくなる。

 その間にも、私の目の前までやってきた彼女には、確かに見覚えがあった。

 シャーロットの妹の、どちらかだった、はず……。

 ……が、名前が出てこない。



「……ごめんなさい、えっと……」

「あ、私ユリーシアです!ロイアー家三女の」

「ああ!本当にごめんなさい、名前が出てこなくて……」

「大丈夫です!お会いしたの、少し前の舞踏会の時だけですもんね!仕方ないです」



 ユリーシアは、シャーロットと同じ綺麗な金髪を結ってお下げ髪にしていた。

 姉よりも垂れ気味な目元は、なんだか少し不安そうに揺れている。



「あ、あの……ですね……」



 何かを言い淀む彼女の背後に、ふと荷台を押す司書の姿が見えた。



「ユリーシアさん、こっち」



 彼女の肩にそっと手を添えて、荷台にぶつからないよう廊下の隅へと促す。

 荷台を押す司書が会釈してすれ違っていった後、彼女はがばりと頭を下げた。



「ごめんなさい!ありがとうございます、秘書様!」

「いえいえ。今の時間は少し、廊下も人が増えますから……。あの、お話でしたら、応接室ででもいいですか?食堂でお茶でも頼んで」

「すみません、お時間大丈夫ですか?」

「はい。今日はこの後、特に予定ないので」



 ポプリも届け終わっているし、何よりシャーロットの話が聞きたかった。

 おどおどしている彼女を連れて食堂へ行き、モニカからお茶とお菓子を貰って、いつもの応接室へと腰を落ち着ける。

 3つ目のティーカップから満足そうにお茶を飲んでいるアルトを横目に、ユリーシアはお茶をひとくち、やっと息をついたようだった。



「えっと……それで、ユリーシアさん。何か話があったんですよね?」

「はい……。その、姉様のことで」



 しょんぼりした様子でカップをソーサーに戻すと、彼女は俯きながら話し始める。



「今朝早く、姉様は行儀見習いとして、お城へ送られました」

「え……?!」



 彼女の口から飛び出した事実に驚いて、危うく手にしていたカップを落としかけた。

 だってそんな、突然すぎる……!



「あの、でも……昨日はほら、婚約発表なんて……」

「出来るような状態ではなかったことは、聞いています。婚約も、発表されず保留のままになってはいますが……。お母様が、姉様を城へ行かせると決めてしまって」

「そんな……。そんなの、シャーロットは反対したんじゃ……」



 ユリーシアは、悲しそうに首を振る。



「いえ……お母様は、ロイアー家の当主ですから。私たちは、その決定に反対することなんてできません」

「…………」



 膝の上で握った拳に、ぐっと力を込める。

 彼女たちは、この国で名門と言われる貴族だ。

 私が何を思ったって、彼女たちには彼女たちなりの、当たり前がある。

 シャーロットも、当主の命令には逆らえなかった――と、そういうことだろう。



「それで、その……マーガレット姉様には縁談があったので、リブラリカの副館長は、臨時で私が務めることになりまして……」

「……そう、なんですね」

「私、あの……本当に未熟者で、シャーロット姉様みたいにちゃんと、副館長するなんて……不安、で……」

「ユリーシアさん……」

「あ、でも!安心してください!しばらくの間は、シャーロット姉様が、お城からは出られないけど仕事は手伝ってくれると言っているので!副館長の仕事は、姉様と一緒にきちんとこなしますから……! だから、よろしくお願いします、秘書様」



 そう言って、必死に頭を下げてきた彼女に……私は何を言ったらいいだろう。



「大丈夫だ。リリーだってフォローするし。副館長、任されたならやるしかないだろ。お前はお前で頑張れ」



 意外にも、横からそう励ましたのは、前足で器用にハンカチを持って口元を拭うアルトだ。



「うん……その、私も、精一杯力になるので。一緒に頑張りましょう?」

「……はい!ありがとうございます、秘書様!」



 今にも泣きそうな目をしたまま、彼女は嬉しそうに笑って、再び頭を下げてきた。





 仕事があるので頑張ってきます、と応接室を去って行くユリーシアの背中を見送って、私は深く溜息を吐いた。

 突然のことに、酷く動揺している自分に気づいていた。

 婚約発表の舞踏会があんなことになって……昨日、この応接室でお茶を飲んだ時には、「これで婚約話も一旦保留だね!」なんて、3人で笑っていたのに。

 また今日も、変わらずこのリブラリカで顔を合わせられると、そう信じていたのに。

 楽観視しかしていなかった自分が、恥ずかしい。

 シャーロットが、お城に行ってしまったなんて……。

 大好きなこのリブラリカでの仕事を、突然奪われて……シャーロットは、大丈夫だろうか。

 ……ひとりで泣いていたり、しないだろうか。



「……もう、会えないのかな」



 廊下にある窓からは、すぐ近くにお城が見える。

 そちらを見ながら呟いた私の頬に、肩の上のアルトがふわふわの毛並みを擦り付けてきた。



「そんなことないだろ。あっちが城から出られないなら、理由付けてお前が会いに行けばいいだけだ」

「そんなことして大丈夫?」

「問題ないだろ。お前は大賢者の秘書で、王太子の友人なんだから」

「……そっか」



 ――「また明日ね」と、昨日別れた時の、彼女の笑顔を思い出す。

 距離としては近い場所にいるはずなのに、なんだか……彼女がとてつもなく遠くに行ってしまったような、そんな寂しさを感じていた。

 同時に、もう何度目になるかわからない――自分の無力さを痛感する。

 大切な友人である彼女のために、私ができることは……本当に何もないのだろうか。

 一度は和らいだと思った胸の痛みが、またぶり返してしまったようだった。









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