戦闘機乗りの劣情

ナムラケイ

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つまらない芸ですが@日本大使公邸

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 新年度が始まり、在シンガポール日本大使館でも人事異動があった。
 大使館勤務の任期は通常3年なので、着任1年目の近間、2年目の岩崎哲也や三宅里奈は残留組だ。
 ちなみに、在シンガポール・フランス大使館のアルベール・シュバリィー空軍武官は、4月1日付で在ベトナム大使館付国防武官を命ぜられ、赴任して行った。


 4月10日、大使公邸では新着任者歓迎会が実施されていた。
 ビュッフェラインには公邸料理人による手尽くしの和食が、バーカウンターには館員が持ち寄った古今東西の酒がずらりと並んでいる。
 大使の発声で乾杯をした後、新着任者が順番に抱負を述べてゆく。
 語学能力が要求されるためか、大使館員には女性が多い。新着任者も5名中4名が女性だ。
 
 近間は日本酒を舐めながら、壇上を眺める。
 新着任者と言っても、外務本省や他の大使館から赴任してきた連中なので、初々しさは全くなく、外交官なので話も上手い。
 続いて、館員がひとりひとり自己紹介をしていく。
 大分酒も入っているので、挨拶そっちのけで芸を披露し出す者もあり、会場は盛り上がっている。

「近間、次、お前だぞ」
 近間が、大使館ナンバー2の次席公使の絡み酒に捉まっていると、挨拶を終えた防衛駐在官の岩崎が呼びに来た。
 当たり障りのない挨拶で済まそうと壇上に上がった瞬間、舞台前にいた新着任者から嬌声が上がる。

「うそ。めちゃめちゃカッコイイ!」
「誰誰? あ、防駐官の人?」
「すごい、モデルみたい」

 直樹以外から容姿を褒められても嬉しくもなんともないが、これから一緒に働く同僚達なので、作り笑顔で笑いかける。それがまた黄色い声呼ぶ。
 大使以下館員一同は、近間に対するこの手の反応には慣れているので、またかというように苦笑いしている。

「新着任者の皆さん、ようこそシンガポールへ。と言っても、私も半年前に着任したばかりですが。初めまして、防衛駐在官の近間恵介です。航空自衛官で階級は3佐。職種はF-15戦闘機のパイロットです」

「やばい、ハイスペックすぎ」
「シンガポール大に来て良かったあ」
 女性2人はきゃあきゃあと手を取り合っている。

 一通り挨拶を終えると、顔を真っ赤にしている次席公使から声がかかった。
「近間君、折角だから何か披露したらどうかね」
「いえ、俺はそういうのは」
「そう言わずに、ね。岩崎さんもモアイ結び披露したんだし」
 モアイではなく、もやい結びだ。
「歌でも、特技でもなんでもいいからさ」
 こんなところで歌いたくはない。
 次席公使はチャイナスクールの優秀な外交官だが、酔っぱらうと絡みが長いのだ。
「次席、そう無理強いしなくても。後の挨拶も詰まっていますし」
 岩崎が嗜めてくれているが、ここで引くのも癪だなと生来の負けん気の強さが働いた。

「では、つまらない芸ですが」
 近間はマイク台を壇上から下ろすと、スーツのジャケットを脱いで岩崎に預けた。
 舞台の端に立ち、屈伸をする。
 深呼吸をしてから、脚のバネを使って、勢いよく後方にジャンプした。視界が反転する。
 床に届いた両掌を軸にして、ぐるりと脚を回す。
 着地した瞬間にもう一度床を蹴って同じ動きを繰り返した。
 バク転を2回続けて、最後は手を使わずにバク宙を決めて着地する。

「はい、おしまい」
 手の汚れを払い落して、乱れた髪を手櫛で整えた。

 会場を見ると、しんとしている。
 次席公使があんぐりと口を開いているのが見える。
 
 一瞬の静寂のあと、どっと歓声と拍手が起こった。
「きゃああああっ! 近間武官、やっぱカッコいい!!」
「すっげええ、さすが自衛官!」
「かっけー、ジャニーズみてえ!」
 ジャケットを手渡しながら、岩崎は、おまえはサービスしすぎだと苦笑している。近間は肩をすくめた。
 なんでもいいけど、早く帰ってたこ焼きが食べたい。


 自己紹介のトリは三宅で、「ジンギスカン」を踊りながらドイツ語で完璧に歌い上げ、場内を大盛り上がりにさせていた。
 ステージを終えた三宅はビュッフェラインに並んだあと、近間の方へやってきた。
「この時期って、歓送迎会ラッシュで胃もお財布も辛いですよねー」
 そういう割に、三宅の皿には寿司と天麩羅がてんこ盛りだ。
「相変わらずいい食いっぷりだな」
「近間さんは珍しく小食ですね」
 フィンガーフードが少しだけ乗った近間の皿を見て、三宅が言った。
「あー、今日、あいつとメシ食う約束しててさ」
 途端に三宅がにやけ顔になる。
「デートですか?」
「いや。普通にイエメシなんだけどさ」
 首をかしげる三宅に、近間は説明する。


 昨夜は、直樹の勤める五和商事シンガポール支社でも、新着任者の歓迎会があったらしい。
 酔っぱらって深夜に帰宅した直樹は、何やら大きな箱を抱えていた。

「これ、どうしたんだ?」
 グラスに水を注いで渡すと、直樹は一息に煽った。
 目元が赤い。酒が半端なく強い直樹が酩酊しているのだから、相当盛り上がって飲んだのだろう。
「ビンゴゲームで当てたんですけど、なんでしょうね。開けていいですよ」
 包装紙を開くと、タコの絵が躍る派手なパッケージ。
「あ、たこ焼き器ですね!」
「シンガポールにも売ってるんだな」
 大して興味もない近間と違い、直樹は目を輝かせている。
「やってみたいです、たこ焼き」
「おまえ食べたことないの」
「食べたことはありますけど、作ったことはないです」
 そういえば、近間自身もあまり作ったことはない。
 実家にたこ焼き器はあったが、4兄弟が食べる量は尋常ではなく、焼くスピードが追い付かないままにお蔵入りになったような。
「やりましょう、たこ焼き。明日!」
「明日は、俺、大使公邸だけど」
「帰ってくるの待ってます」
 明後日でも明々後日でもいつでもいいだろと言い出せないほど、直樹は期待に満ちた顔をしている。
 子供みたいでなんだか可愛い。
「ほな、あんま食べずに適当に切り上げてくるわ」
 たこ焼きだけに大阪弁で言ってやると、直樹は嬉しそうに笑った。
「おおきに、近間はん」
 耐え切れずに二人で噴き出した。


「いいですねー、たこ焼き。家でやると具材色々入れられますしね。んー、この肉じゃが絶品」
 歌とダンスでエネルギーを使ったのか、三宅は旺盛な食欲を見せている。
「色々? タコ以外にってこと?」
「そうですよ。私のおすすめはブルーチーズです。あと、キムチとかこんにゃくとか、明太子とか、チョコも美味しいですよ」
「詳しいね、三宅さん」
「関西人なんで。私、京都出身なんです」
「へえ、完璧な標準語話してるから分からなかった」
「家族と話す時は京都弁ですよ」
 物怖じしない男まさりな性格で、ついでに腐女子な三宅は、美人である。
 猫のような大きな眼と少し意地悪そうな顔つきだが、それが逆に品を感じさせるのだ。
 言われてみると確かに三宅さんて京都っぽいなと言うと、三宅は嬉しそうに口端を上げた。

「そうだ、今度、タコパしませんか?  岩崎さんも誘って」
 三宅が提案すると、後ろで会話を聞いていたのだろう、新着任者の男性が割って入ってきた。
 直樹と同い年くらいだろうか。
 身長は近間より少し高いくらいで、人好きのする顔に、ワンレングスの髪はゆるくカールしている。

「広報文化班で、牧田書記官の後任に着任した矢倉翼です。俺、神戸出身でたこ焼きプロ級っす」
 紹介通り、アクセントもイントネーションも完璧な関西弁である。
「俺のたこ焼き、生地から全部手作りやし、めっちゃ美味いですよ。タコパやるなら、俺も是非!」
 ムードメーカーなのだろう、矢倉の話し方は明るくて嫌味がない。
 近間と三宅のグラスにビールを注ぎながら、笑顔でアピールしてくる矢倉に、近間ははたと気づく。
 これはもしかして、三宅さん狙いってことか。
 同じ男として応援してやりたいが、三宅は彼氏持ちである。
 どうしたものかと思案する近間の横で、三宅はにっこり笑って先制した。
「下心なしなら参加してもいいですよ」
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